『絵と言葉の一研究』

寄藤文平さんの『絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える』

本書は、アートディレクター、イラストレーターの寄藤文平氏が、「どうすれば、わかりやすく伝えられるのか」について、自分の経験とデザイン例を使って、解き明かしていったものです。

20年以上になるデザイナー歴の中で、寄藤氏が体得してきたイラストやデザインの技を自ら分析した本でもあり、彼の今後のデザインのテーマがつまっているアイデアノートでもあります。(Amazonの内容紹介より)

 

会社の後輩から借りたのですが、面白すぎて一気に読んじゃいました。

metro寄藤文平さんといえば、東京メトロのマナー広告「家でやろう。」シリーズや、『R25』の表紙キャラクター、JT「大人たばこ養成講座」でもお馴染みのアートディレクター。

均質な線と少ない色数、思わずツッコミを入れたくなるとぼけたキャラクター、それらをイヤラシサのない適度な風刺の効いたイラストにしてインフォグラフィックのように表現する人‥‥という、たぶん世間とそう変わらないイメージで「寄藤さんらしさ」を捉えていました。この本を読むまでは。

本の帯に「正直、わからなくなってきました。」と本当に正直にうろたえる著者のメッセージがありますが、ここまで正直すぎる独白を受け取ってよいものか?とこっちがうろたえるほど。絵と言葉を起こす、つまりイメージやアイデアを形に起こすプロセスが超超超克明に記録されています。これほどまでに奥底までダイブしないと表現は研ぎ澄まされないのか。

例えば第6章にある、「わかる」は「わかりやすい」とは違う、という話。

ふつうに考えて、ある物事が「わかる」とき、同時に「わからない」ことも増える。僕はデザインについて母よりもわかっているけれど、母よりも「わからない」と感じている。「わかる」というのは、「わからない」ことが生まれて、それをまた「わかる」という「わかる⇄わからない」の反復運動だと考えた方が自然だ。
 そのように考えると、「わかりやすくする」というのは「その運動をより活発にする」ことだといえる。「わかりやすく伝える」ことは、「その運動がより活発になるような伝え方をする」ということだ。
 だから、いきなり「わかった」状態にしようとしなくてもいい。「わかった」というのは運動をいったん打ち切ることだから、むしろ「わかりやすさ」の逆だ。「わからない」ほうがいいこともある。

さらに、次の一文を読んでどきっとしました。

 大量の「わかりやすさ」の中で、さらなる「わかりやすさ」を追求する。僕自身、そういう流れの中でデビューし、その求めに応えることで仕事を得てきたように思う。でも、いつのまにか、「わかりやすい」ことがそれだけで価値を持つようになった。

「わからなくても、わかりやすければいい」

 そこにあるのは「わかりやすさ」ではなくて、モノクロコピーのように単純化された水平線ではないかと思うけれど、そういう情報のほうが流通しやすい。

 おそらく、僕が引き裂かれた気持ちになったのは、元をたどっていくと、そのように「わかる」ことから「わかりやすさ」が分離しつつあるからではないかと思う。

「デザイナーを辞めようと考えていた」とまで仰るほどご自身の仕事を分析されている。その分析は僕らプランナーにも、コピーライターにも必要な視点であるように思います。

情報は「データ」と「インフォメーション」に分けられる、というお話や、1冊の本のブックデザインを30通り以上つくっていくアイデアの抽出法など、ちょっと謎解きをしているような、推理小説を読んでいるような没入感もあります。

 

数年前に『大人たばこ養成講座』のサイトリニューアルのご相談を受け、一度だけ事務所にお邪魔したことがあります。

そのとき、いかにしてあの長年続いてきたグラフィック広告をWeb上で面白くするか?の案をいくつか持参しましたが、ぜんぶ没。

理由は「文字を読んでから絵で笑わす順序になっていないからなんです」。確かに見返すとそうなってました。僕が持って行ったのは「あの寄藤さんの絵で」「なんか賑やかなことをして」「文字で補足しよう」としてた。マナー広告という目的からもちょっと逸脱してました。いま思えば。「正直、わからなく」なるほど考えを詰めきれてもいませんでした。当時の自分に読ませたい。

お正月休みの課題図書におすすめです。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職