アイドル

真鍋かをり。

実は、彼女は僕の同級生である。
最初、TVで見た時は驚きのあまり高校時代の級友に電話しまくった。

高校時代、ちょっとかわいいなと思っていたこともあった。
僕の友達もだいたいそう思ったり、好きだったりで、昔から美人ではあった。
けど。

テレビで見る真鍋かをりと、僕らが知っていた真鍋かをりは別人のようだ。
なんだかTV慣れしているのか、見たことの無い反応をする。
高校時代の彼女は放送部で受賞歴があって、僕らなんかよりずっと頭が良かった。
が、彼女自身はスカートを翻して階段を二段飛ばしで走るような、
かなり騒がしい人だった。グラビアで見るような憂いなど、
みじんもなかった、はずだ。

化けたな。

沈殿物

なんとなく朝起きて、
なんとなく学校に行って、
なんとなく教授に小言を言われ、
なんとなく電車とバスを乗り継ぎ、
なんとなく府中病院へ行き。

なんもなく診察が終わり、
なんとなく国分寺から中央線。
なんとなく立川HMVを回って、
なんとなくマンガ二冊を買い、
どことなく空虚な気分を抱え帰宅。

帰って「まろ茶120」を一気飲みしたら、腐ってた。

おえーーーーーーーーーー。

ロケーション


友達もメガネキャラが多い。

 

彼女が「ロケーションって言葉が好きだ」と言っていた。
うん、いい言葉だなと思う。「校区外」も彼女の命名で、
ネーミングセンスがあると思う。

ロケーションハンティングしないと。
新作に向けて、というか、まとまった作品を作ったことがないので
処女作になるが、そのためのロケーションをしようと計画している。

 

バイト先の上司が美人だったので、つい似顔絵を描いてしまった。
・・・似てねー。

サブカル包囲網

アニマトリックスを見ました。

世間で話題になっているあのMATRIXを、世界のアニメ作家が集ってオムニバスアニメーションとして作品化したものです。

よりMATRIXの世界観を楽しめるという触れ込みでしたが、
僕はこっちの方が世界観が確立されているんじゃないかと思いました。

本家は本家で、やはり相当の世界観の構築に成功した映画として凄いのですが、
アニマトリックスのよい点は、
やはりアニメーションの可能性を感じさせてくれるところにあります。
アニメでしか出来ないことが、そのまま世界観の構築に繋がっているのです。
こればかりは見てもらわなければ分からないのですが、一見の価値はあります。

MATRIXという映画自体の評価は人それぞれだと思いますが、
僕は都市表現という視点で見るので、わりと好きな部類に入る映画です。
お話はどうでもよくて。

コンピューターの文字を基本に、緑色がマトリックス(虚構)の世界色。
で、現実は青色で構成されています。非常に分かりやすい。
ビジュアルイメージの統一は、色で行うのがもっとも効果的です。

で、次に眼がいくのが雨の使い方です。
監督のウォシャウスキー兄弟はいわばアニヲタですから、その辺の日本のアニメや映画を存分にパクってくれていますが、それでも雨の使い方は素晴らしいの一言。
スプリンクラーのしぶき。土砂降りの雨。濡れた街。
この辺りのよさは「ブレード・ランナー」やフィンチャーの「セブン」「ファイト・クラブ」にも見て取れます。

アニメ故のよさは、そこへ更にCGという技術が入ることによって、
のっぺりとした絵に、無限の奥行きが構成されるというところにあります。
この広がりは実写では出来ない。不可能です。
ともすれば不粋になりがちなCGの、最も効果的な用い方なのではないでしょうか。
画が奥行きを持って迫ってくるのです。
二次元が三次元になるだけで、ぼくらの眼はワクワクするのです。

こういう楽しみ方は、もしかしたら世代によっては理解出来ないかもしれません。

 

そして、ハリウッドでも異色かつ面白い現象といいますか、
このMATRIXという作品のいいところは、実写映画に留まらず
アニメーション、ゲームと、その姿を変えても同じ目線で語られるところです。

つまり、サブカルチャーを包囲する展開、増殖をしているという事です。
これほど自由で遊び心のある展開はないと思うのです。監督してやったり。

「これは現実ではない。僕はここにいない」という永遠のSFテーマは、
見方を変えればただのひきこもりとしか思えないのですが、
その世界観の拡張がものすごくスムーズに行われている。

すべての作品(商品)が、MATRIXの広告として機能しているんです。
サブカル包囲網とは、つまり広告戦略です。
アニメと実写の融合とか、CGのリアリティには興味がないのですが、
ジャンルを越えて渡り合い、広告としても作品としても相乗効果を狙うなんて、
上手いなぁと唸ってしまいます。賢い。

しかもその展開ゆえにアニメが面白くなっている。
いくら「攻殻機動隊」のパクリと言われようが、ここまでやりきったら勝ち。

そんなことを思いました。

5歳年下の弟がいます。
彼は今年18の受験生。

実家を離れひとり寮生活をしていて、知る人ぞ知る、
知らない人は知らないサッカーの名門・南宇和高校で
日々サッカーに明け暮れています。
じん帯を切ったり、なんだか大変そうです。

昔から運動面に関しては凄まじい能力を発揮し、
水泳の選手団に選ばれたり、マラソンも1位だったり、
腕立て伏せも何百回とやる、いっぱしの運動バカでした。
リフティングを連続1,000回突破するとか。

とにかくあれです。

「ボールは友達」

 

小学生の頃、なにげに歌っていたのを思い出します。

「振り向くなよ〜振り向くなよー♪君は、美しい、
 戦いに敗れても〜…君は美しいー!」

 

かたや兄の僕は、体育は1でした。
跳び箱も逆上がりも放課後居残り組。

予備校仲間が登山をするときも、先生に
「えっと、イトウ、山なんて登るの?」と聞かれました。

ドッジボールはいつも外野。
高校バレー部のポジションは主審。
腕相撲は女の子に負けます。

 

 

ほんとに兄弟なんでしょうか。

フィールド拡充


友達のBやんのライヴに行ってきた。

Bやんの誕生日だったので、プレゼントに
マルボロライトをワンカートン買って行った。
ライヴが終わって、出待ちして渡した。

思ったより喜んでくれたので成功。
値上げ前のタバコは価値があるんでしょーかね。
ヨカッタ。

 

想像力のフィールドを拡げたい。
よりエロになりたい、ということでなく。

街の道に無知な人並み

mori

モノクロ写真の授業を受けている。

必修科目なので、とくに疑問も持たず出席している。
というのは大嘘で、登校拒否したくなるくらい苦痛だ。

週に五本撮影、現像、プリントし、テーマは自写像で、毎週コンタクトを提出。
フィルムはコダックT-MAX400を200で現像指定。
独自の現像方法まで決められている。
教授が見いだした答をなぞるだけ。
早い話が徒弟制度ってやつだ。

そもそも、実家通いの人は家族の肖像で、一人暮らしは家族がいないから自写像。
なんだかめちゃくちゃである。
どうしてこのフィルムを使うのか、どうして自写像なのか、
どうしてモノクロオンリーなのか。どうして・・・。
その辺のアプローチがまったく欠如したまま、授業は進んで行く。
訳も分からずただ仕事をこなすだけ。面白いと思ったことなど無い。

アプローチとは、作家の内面の個人的思考と経験によって導かれるものだ。
作家ではないぼくら学生は、作家に必要な眼とハナを身に付けたいのだ。
であるからには、人の見いだした方法論をただ享受しているってのは問題だ。
そこに疑問を持つこと。
で、取捨選択をすること。
デジタル写真の小林先生と話していると、モノクロ授業が霞んで見える。

モノクロ現像は好きな方だ。
だが、今の授業は苦痛でしかない。
モノクロ写真ではなくて、モノクロ授業。
それゆえに、今日もデジカメ片手に街に出る。
すーっとする。

でも、大学は単位を基準に動くから、休んでばかりでもバツが悪い。
げんに今日も、助手さんからの督促状が皆に同報メールされた。
行かなくてはと思いつつ、また意味不明の講評をされるのかと思うと、憂鬱。

先週言ってたことと違いますよ?
その写真を駄目だとおっしゃったのは先生じゃないですか?

そんなこと言えねー。

nomi-asi

自分に自覚的であること。その眼を絶やさないこと。

定期で校区外

生まれて初めて定期を作った。

魔法のカードと言ってもいい。
どこへでもタダで行ける。
ついつい、学校帰りに中野まで行ってしまえる。
新宿で紀伊国屋に寄れる。高円寺でシャツが買える。


見たことはないけど戦後のヤミ市の子みたい。

我は海の子

 

なくしたメモ帳が出てきた。

 

ぎっしり。

気持ちいいなぁ。

入院していたころは空白だらけで、
たまに「○○君お見舞い」と書いてあるだけだった。

 

風神亭で、小林のりお先生と大嶋浩さんとを囲んで飲んだ。

bug trainの永沼敦子さんも来ていたし、多摩美の友人河原隼平も気を吐いてた。

アグレッシブな一日になった。

 

webという海に放り出されて半月が経つ。

確実になりつつあるものがある。

webは使える。

少なくとも写真との相性はいい。

 

さて、今日の予定はやっつけ仕事のアルバイトです。

mass psychology


mass psychology 集団心理

ここ何年かで、日本は大きく様変わりしてきたと思う。
恐怖とか、不安によって。

日本は世界で唯一の原爆被爆国で、
他国には無い恐怖を味わった経験がある。
しかしここ数年の日本ときたら、また別の脅威というか、
妙なものを経験してきている。と、すごく思う。
その正体はと言えば、あんまり大声では言えないが、
ずばり、カルトだ。

初めは、異臭騒ぎだった。
それはオウムという奴らで、日本中が恐怖と言うよりも
狂気に満ちた日の始まりだった。で、それからはもう、
なし崩し的にいろんなものがワンサカ出てきた。

麻原、ヘッドギア、サリン、ライフスペース、定説、クローン人間、白装束、北朝。

カルト集団のお祭りだ。
集団の歪みを、これでもかというほど見せられた。
それに群がるマスコミも、テレビに釘付けになる大衆も、集団の歪みを
形成している。日本人は確実に「おかしなもの」への免疫というか、
慣れが生まれてきていると思う。へんてこなものに慣れちゃった。

だって、あんまり驚かなくなってきたもの。
強くなったってわけじゃなく。

集団心理、思想教育。
恐いのは、それと気付かず受け入れてるとこだよな。

事故 死

ついさっき、ベランダの向こうから車のぶつかるような音がした。
何事かと思い外に出てみると、タクシーと原付が、
うちの前の交差点でぶつかっていた。

よろよろと路肩に寄せるタクシー。
雨の中、転んだバイクを起こす少年。
幸い、けが人はいなかったようで、
つかの間のギャラリーも慌てることなく
ただただ、傍観者に徹していた。

なんとも呑気な眺めだな、と思った。
それでもバイクは前面が大破し、
少年は何か怒っているように見えた。

死ななかっただけましだと思え。
そう思った。言ってやりたかった。

ここの十字路は、僕が引っ越してから四年間で
幾度と無く事故があった場所だ。魔の十字路。

実際、この角で死んだ人が、僕の知っている限りで二人はいる。
今でも時々、花がたむけられているのを目にする。
ぐちゃぐちゃに凹んだ自動車を見たこともある。
あの運転手は、今も生きているのだろうか。
そういう場所。

 

僕のおじは、僕が生まれる前に交通事故で亡くなった。
僕自身、昨年は電車にはねられそうなところを助けられた。
ひとはいつ死んでもおかしくないし、死ぬほど危険な目にあったことは、
誰にでも一度や二度はあるだろう。使い古された言葉だが、
人は常に死と隣り合わせなのだ。 

だから、バイク少年よ、死ななかっただけでもましだと思え。

加藤事件

忌わしき加藤事件について、書こうと思う。

 

あれは僕がまだ浪人生(19歳)だった頃のことです。
上京して約1か月が経ち、予備校の生活にも慣れた僕は、
昼休みに、一度家に帰ろうとしました。
多分、何か忘れ物でもしたのでしょう。
幸い予備校から歩いて五分ほどのところに住んでいたので、
昼下がりをのんびり歩いていたように記憶しています。

家まであと数メートルのところで、事件は起きました。
見ず知らずの若者が、やぶからぼうに声を掛けてきたのです。

「おい、おまえ加藤の弟だろ?」

僕は人違いをされたんだなと思い、「違いますが」と答えました。
すると、男は眉間に皺をよせ、凄んできたのです。

「加藤の弟だろうがよ?!あん?加藤の弟なんだろうがよ!!」

高校生くらいに見える男は、そう叫ぶなり僕のシャツを掴み、
突然僕を民家の壁に思いっきり押し付けました。

何かものすごく面倒なことに巻き込まれている・・・。

男はかまわず続けました。

「いいから金出せよ、カネ!」
「だから違いますって!・・・僕は・・・僕は伊藤ですっ!!」

微妙でした。

加藤じゃなくて伊藤。

 

我ながら情けない抵抗に、思わず「死」か何か、
そういうものを覚悟しました。

このままではやられてしまう。
しかもその日は、なぜだかまったく分からないのですが、
財布には三万円も入っていたのです。
取られてたまるか・・・。
そう思った僕は、押し付けられた壁の先に見える、あるものに
すべてを懸けました。

 

そう、それはインターホン

一瞬の隙を見て、僕は必死で壁のインターホンを連打しました。
ピンポンピンポンピンポン、ピンポーン。。。。

「どなたぁ〜?」  ・・どたどたどたどた。

何とも間の抜けた主婦の声に、さすがに男も驚いたようで
「ちっ!」
そう吐き捨てて、奴は駅の方へと走ってゆきました。

残された僕も逃げたことは、言うまでもありません。
男への恐怖と、主婦へのうしろめたさというか、なんというか。

 

結果的には、とっさの機転(?)で助かったのですが、
恐さのあまり、その日を境にヒゲを伸ばしはじめました。
加藤の弟対策です。

きっと、立川には僕によく似た「加藤の弟」といういじめられっこが
住んでいるに違いない。ならば、僕はヒゲを生やそう!

名案だと思いました。
しかし、それから数日後、再び僕は別の高校生に絡まれます。
今度は四、五人で。
「加藤の弟なんじゃねーの?」「だよな」「だな」

今度ばかりは睨み返してやりました。
すると、奴等は「・・・違う、かもな・・」とか言って
どこかへ行ってしまいました。
めでたしめでたし。

 

これが、忌わしき加藤事件の詳細である。