Ray Of Light

自分の作品について論述するというのは
今さらながら七面倒くさいことでもあり、
なかなか前に進まない。仕方ない。

ぼくの性格にはムラがありすぎる。

ただ、今回の作品はインスタレーションとしての
完成度をブラッシュアップすることは出来ても、
イメージの見せ方を増やしたり写真や動画の
バリエーションを増やすことはやってはいけない。

格調や奥ゆかしさは完成度に求められる。
ゆえに今後の展開を模索することはいくらでも可能だ。
それは「型」の問題。

だが、あれが映像になってはならない。
あくまで写真としてそこに在らねばならない。
なぜなら、静止画だからこそ出る面白さだから。

クロスディゾルブがそれと分かる速度であっては興ざめする。
可変にすべき部分は悟られない範囲でひっそりと。

 

ひっそりと操作する編集というのは、例えば同じ工房出身の
simの作品にも共通する行為で、むしろ彼から学ぶところは大きい。

 

彼には、作品のコアとなる見せ所や環境をとことん純度の高い状態で
持って行く力がある。惑わされない力。どこまでも繊細かつ頑固。
プロフェッショナルだと思う。

 

何度も書いているが、今回、simとはデザイン部でも共に制作を行った。
広告制作でひとつの仕事が出来たことは、未来に自慢できることかもしれない。

全生徒の顔写真が集まる興奮、パンフレットが刷り上がった時の興奮、
ピンポイントのポスターを刷って観客の導線ができた時の興奮。
1,500部が会期中に全て捌けたことの興奮と焦り。

 

スタンスとして、臨機応変にやりつつも一本の線は見失わない。
それは、恍惚と不安の中にあっても、テーマを持つということ。

そんな話を、真夜中の工房で話し合ったことが思い出される。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職