美味しいおでん

ムサビネタがつづきます。

偶然、ネットサーフィンで見つけた面白動画。

 

『ぐるぐるの性的衝動
 -Taking the photograph for 24 hours while walking -』

[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=eZ2GcLuszvY&hl=ja_JP&fs=1&rel=0]

1枚写真を撮って、1歩移動。それを24時間繰り返しました。その写真で映像を作りま した。写真の位置や角度を修正して(自分の目で確認して手作業で修正)写真の中の風景 がぶれないようにしました。

(YouTubeに書かれた説明より)

 

作者さんのお名前をググってみたところ、あぁ、やっぱり!
上水公園があったのでもしやと思ったら、ムサビ卒の方でした。
しかも映像コースとは、偶然にもほどがある。

 

先月、ここにも書いた映像学科3年のnaocaさんが、
Twitterで「moriの小さいの出来ました◎」とつぶやいていました。
高さ3mもあった作品を、A3サイズに縮小したんだとか。

それを見て、すかさず「どこで買えますか?」とつぶやき返したら、
譲っていただけることになっちゃいました。うれしい!

 

ここからは僕の妄想です。

 

僕より若い人たちは、作品をただ作って展示して終わり、
じゃなくて、YouTubeやTwitterを使って、どんどん作品を
一人歩きさせることが当たり前になっているんだなぁ。

僕も学生時代に自分のサイトをつくって、そこに写真をUPして、
それによって、極端な例だと海外の方ともメールしたり実際に
お会いしたりしましたが、もっとラフな状態でそれが可能になるというか、
思い立ったら無料ですぐにできちゃうサービスが揃っている。

しかも、YouTubeならこうやって他人がブログやmixiに
「転載」してより多くの人の目に触れられる伝染力があるし、
naocaさんとのTwitterのやりとりの場合は、「売買」という話は
フォロワーである僕から持ちかけたことで、偶発的なところに
面白みを感じて成立しているように思います。
(そういえば、まだお会いしたことがないのに!)

 

こういう言い方は失礼に当たるかもしれませんが、
アーティストの卵たる若者は、自分の意志で作品を
世の中とコネクトできるチャンネルを持つことも含めて
創作活動になっているんじゃないでしょうか。
美大という恵まれた環境での展示に終わらせない。

しかも、その行為自体がどこまで影響を及ぼすか
具体的にイメージして仕掛けてやろう!というほどの
魂胆や戦略は感じられず、乗っけてみた、言ってみた、
というのが本当のところなのかもしれません。

おでん作りすぎたからよかったらどうぞ、みたいな。
絶対旨いから食べてください!じゃなくて。
いや、もはや「どうぞ」でもなく「作りすぎちゃった、てへ。」
くらいの感覚かもしれないな。半分発信、半分自己完結。

 

でも、いちばん大事なポイントは、とにもかくにも
作品が魅力的である、ということでしょう。
見た人(僕)が面白いと思ったから、勝手にYouTubeを
転載し、Twitterで「欲しいです」と言っちゃったわけで。
やっぱり「おでん」そのものが美味しいんだと思う。

インフラ(経路)に目が行きがちだけど、
作り手はコンテンツ(中身)で勝負しています。
勝負、と言うか、コミュニケーションしている。

 

だから、敬意を払って、なるべく現場で、生で見たい。
いいスパイラルがネットとリアルの両方から来てます。
(おでんの例えは放置!上手くない!)


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職

「美味しいおでん」への6件のフィードバック

  1. この作品知ってる。豚とオオカミの駒撮りアニメの人じゃなかったっけ?

  2. >ぶっさん
    いやー、よく知らないんだけど、たぶんそうじゃないかな。
    宣伝会議賞、ひとまず突破おめでとー!

  3. 音を消して見ても魅力がある作品だね。
    そして努力の人だね!

    卒展でも感じたけれど
    アイデアはもちろん重要だし、それが出発点になるけれど
    それを裏付ける手数が作品を良くするよね。
    言うまでもないのに、
    手数の足りない作品が多かったな、卒展。

  4. >ほたるさん
    同感です。アイデアをビジュアルで表現する、
    感情をインタラクションで発信する、などの発露は
    きっとこうなんだろうな~って想像させてくれるんだけど、
    見た瞬間に説得力のあるものは手数があるんだよね。
    「これが4年間の集大成!?」って言われるものには、やっつけ感があったり
    ツメが甘かったり、人に見せようとか自分でよくしようという思いが感じられない。
    その先に、メッセージへの共感とか作品への好みとかがあるよね。

    音を消しても魅力的っていうのは、
    音でごまかさない手数があるってことだねー。

  5. >tacrowさん
    ありがとー。なんとか去年よりは進歩できました。締め切り日に立川まで慌てて走った甲斐あった。

    私も卒制は「なんかなー」という感想です。自分の事は棚に置いて、サ(笑)
    結局「努力」って結果に出るね。

  6. >ぶっさん
    僕も今回は自分のが一次審査をパスしたのが意外で、ギリギリを振り切ってもねばったのが最終的には功を奏したのだと思ってます。同姓同名かもしれんけどね。

    そう、ああいう公募も卒制もいっしょで、どこまで手を入れ続けて、どこから「よし」とするかだよね。つまり〆切ギリギリまでねばれ!ってことだけど。計算しきれるプロじゃないから、手を止めない限りはまだまだブラッシュアップできるはず。その心意気が感じられるかどうかは作品を見れば一発で通じるんだよね。自分が卒業してみてよりよく分かった。

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