さようなら、天野祐吉さん。

全10回だったかな、とても濃いお話が、天野さんの、あの柔らかな声でつづきます。
2006年頃の対談ですが、もう何遍も見ています。

 

2013年10月20日、コラムニスト・天野祐吉さんがお亡くなりになりました。
訃報を知ったのはその日の深夜。
僕はいち読者でしかありませんが、翌日は仕事が手につきませんでした。

TwitterやFacebookで、いろんな方々が、学生時代の『広告批評』との出会いや、天野さんの講義で受けた影響が今の広告人としての自分を形成している‥‥と語られています。僕もそのひとり。17歳。さかのぼれば16年前。

美大受験のために田舎から1時間半かけて松山の美術予備校に通っていました。県でいちばん大きな、紀伊國屋書店にしか扱いのなかった『広告批評』と出会ったことが、僕の人生を決定づけた。最初に買った特集は『非力本願』という号でした。田中麗奈の『サントリー なっちゃん』や『TRAVELING』がヒットし、ペプシマンや多田琢さんのCMが華やかに流れ、ナイキの広告がいちいちかっこよくて、キンチョウの「つまらん!」にガツン!とやられてBOSSを飲んだ時代。

17の田舎の若造に、広告をたんなる流れゆくものではなく観察物、ユーモアのある創作物として見るための手引きをしてくれた人でした。ACCのCMフェスティバルに行ってみたり、『大貫卓也全仕事』を買ってむさぼり読んだり、朝日新聞のCM天気図を楽しみに月曜日を待ったり、したものでした。

大学に入り、1度目の3年生と2度目の3年生のときに『広告学校』に通い、そこで「生の天野さん」と出会います。生野さん、じゃなかった、生の天野さんはあの柔らかな声なんだけれども、テレビで見るよりちょっと辛めの発言と、厳しい目つきで。

それから7年ほど経って、天野さんのBlogでたまにコメントさせていただき、コメント欄で会話させてもらったことも。いま考えれば、すごいなぁ。その流れで『広告批評』元編集長の島森路子さんのインタビュー集の書評を書かせていただく機会も得ました。ご本と、直筆のお手紙は今でも宝物です。

 

冒頭と同じ対談の中で、こうも仰っていました(うろ覚えですが)。

「広告のコミュニケーションって、俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だねぇ。っていう距離だと思うんですよ。俺は賢いけど、あんたは馬鹿だねぇ。だと誰も聞いちゃくれないでしょ?俺は馬鹿だけど、あんたは賢い‥‥もへりくだりすぎている。俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だなぁっていう距離感がね、大阪の広告は上手いんです。そういうのに憧れますよね」

俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だねぇ。

この目線で、広告を通して時代を批評していたのが、天野さんなんだろうなぁ。
愛だなぁ。

11月4日の午前9時5分から、NHKで追悼番組があります。
もちろん、見ます。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職