街の道に無知な人並み

mori

モノクロ写真の授業を受けている。

必修科目なので、とくに疑問も持たず出席している。
というのは大嘘で、登校拒否したくなるくらい苦痛だ。

週に五本撮影、現像、プリントし、テーマは自写像で、毎週コンタクトを提出。
フィルムはコダックT-MAX400を200で現像指定。
独自の現像方法まで決められている。
教授が見いだした答をなぞるだけ。
早い話が徒弟制度ってやつだ。

そもそも、実家通いの人は家族の肖像で、一人暮らしは家族がいないから自写像。
なんだかめちゃくちゃである。
どうしてこのフィルムを使うのか、どうして自写像なのか、
どうしてモノクロオンリーなのか。どうして・・・。
その辺のアプローチがまったく欠如したまま、授業は進んで行く。
訳も分からずただ仕事をこなすだけ。面白いと思ったことなど無い。

アプローチとは、作家の内面の個人的思考と経験によって導かれるものだ。
作家ではないぼくら学生は、作家に必要な眼とハナを身に付けたいのだ。
であるからには、人の見いだした方法論をただ享受しているってのは問題だ。
そこに疑問を持つこと。
で、取捨選択をすること。
デジタル写真の小林先生と話していると、モノクロ授業が霞んで見える。

モノクロ現像は好きな方だ。
だが、今の授業は苦痛でしかない。
モノクロ写真ではなくて、モノクロ授業。
それゆえに、今日もデジカメ片手に街に出る。
すーっとする。

でも、大学は単位を基準に動くから、休んでばかりでもバツが悪い。
げんに今日も、助手さんからの督促状が皆に同報メールされた。
行かなくてはと思いつつ、また意味不明の講評をされるのかと思うと、憂鬱。

先週言ってたことと違いますよ?
その写真を駄目だとおっしゃったのは先生じゃないですか?

そんなこと言えねー。

nomi-asi

自分に自覚的であること。その眼を絶やさないこと。

わからないこと


女性というのは未知の生物だ。

おんなという生き物は、子供を産む。
産める、と言った方がいいのかも。
子供を産むと、何かしらの考えというか、スタンスみたいなものが変わると言う(変わらない人もいるが)。

それは、男にはどうしても経験の出来ないことで、ひとはそうそう変われるもんじゃないけれど、女は子供を産むと、何かが確実に変わると思われる。

数年前、歌手の椎名林檎が子供を産んだ。
「人生を切迫して考えなくなった」らしい。
子供を産んで何かが変わるのと、女が「女になる」の「変わる」はだいぶ違うのだろう。
しかし、どう違うのか。

女が女になるというのは、何度か目撃したことがある。
しかし、それは一時のものでしかなく、子供が出来るのとは根本的に違う。ように思う。
子供を産む機能を持っていることも凄いが、それがその人すらも変えてしまうというのが恐い。

じゃあ、結婚した時の妻と出産後の妻は別人なんだろうか。


とりあえず椎名林檎はこう言う。

「体重が増えたとか、そういうことでしょうか」

そういう変化はしてほしくないものだ。

Optimistic

キャノンのEOS10Dを買った。

 

ミノルタのαー9を売って。

すこぶる綺麗に撮れる。

デジタルに移行しているように思われるかもしれないが、
ペンタックス67も健在なので、暗室がなくなることは無い。

デジタルだの銀塩だのの区別は無く、写真が楽しい。

 

進級展の構想が固まりつつあります。

内容は企業秘密だけど、写真を2メートルくらいに引き伸ばします。
楽しみだなぁ。ワクワクする。

 

 

バイト明けにべーやん(彼女の友達)とメシを食ってきました。
仕事上がりのカレーはうまかった。

 

 

先日、東写美で荒木展を見てきた。

ものの10分ですべてを見終えた。
それなりに面白いが、昔ほど好きじゃなくなっていた。

ついでに、下でやっている大学生の展示も見た。
ものの5分で見終えた。
二人くらい面白い。残り痛々しい。

 

一緒に見た先生がこんなことをおっしゃった。

「生け花とか書道展を見てるような感じだったね」

これは最近の写真展全てにいえる。

ただ貼ってるだけ。展示してるだけ。

伝統芸能みたいな格式を目指しているのかは知らんが、
つまんないことは確かだ。

 

インクジェットプリンタ、プロジェクタ、いろいろ冒険する隙間はあるだろうに。

そういう機材に走ることを推奨しているわけではないが、印画紙を額装して
そこに置くだけでは、もうぼくらの眼には何も映らないんじゃないかなぁ。
ただの羅列ではね。

難しいけど。

お家芸としての写真。うーん、ちょっと。

壁の向こう側の貴方へ

デジタルカメラで撮られた画像が、そこかしこのWeb Siteでアップされてゆく。

これらの画像は、はたして写真なのだろうか。

紙媒体に変換されるわけでもなく、その僅かな命をまっとうするだけの画像たち。

そこには確かに、よく小林先生が言う「はかなさ」がある。

しかし、問題はこれらの画像が写真であるか否かではない。
そんなことはもっと偉い評論家が考えればいい。

では、ぼくにとっての問題はどこにあるのか。

端的にいうと、デジカメの画像は誰のものか?

デジカメ写真におけるアイデンティティ。

 

親友Kのサイトはほぼ毎日更新されている。
その日撮られた「写真」が、ボコボコとアップされゆく様は、見ていて気持ちのいいものである。

が、それを見ていた別の友人が、こんなことを漏らした。

「どれも一緒に見えるね、他のデジタルで発表してる人たちと」

…確かにそうかもしれない。

この現象は、何もKに限ったことではない。
たかだか300〜400万画素のデジタルカメラは、フィルムと違い、色味の癖であるとか、質感の違いを表すほどの幅を持たない。幅のない写真。

それ故に、風景、人物を選んで撮ったところで、どれもある程度似たものになってしまう。

 

しかし、ぼくはこのデジカメの幅のなさが好きだ。
妙な私的情緒を排除してくれるし、写真とはただのコピーであることを教えてくれるからだ。

 

コピーはそれ以上でもそれ以下でもない。
他人といくら似ていようが、そんなことは承知の上なのだ。
その視点に立ったところから、違いも浮き彫りになってくる。

 

人の生活なんてどれも大差ないと思えることがある。
とはいえ、その視点は千差万別である。
だから、Kの写真は誰に似ていても構わない。

 

似ていても「同じ」にはなり得ないし、銀塩にありがちな嘘の個性を押し付けられるよりは潔い。

 

銀塩を否定はしない。
現に今日もペンタックス67で撮影してきたばかり。
ただ、デジタルのあり方も、もう少し認めてもいいんじゃないか。

 

オリジナルという概念の持たない、デジタルの自由で儚い命を、ウェブが紡いでいく。
やってみると、この相性は思ったよりいいみたいだ。

日記

彼女に僕の日記を「闘病日記みたい」と言われた。

確かに、タイトルとか内容がそれっぽいかもしれない。

困った。そんなつもりはないのだが。

 

日記は小1の時から付けていた。

中学に入って、めぞん一刻という漫画の感想を日記に書いたら、
先生の食い付きがよくて、嬉しかったのを今でもよく憶えている。

「今日は5巻を買いました、五代君が骨を折りました」

みたいな。

 

高校に入ってからは、日記が手紙に変わった。

だから手元には残っていない。

手紙を回すのは、高校ならではだった。

浪人時代は手紙から写真になった。

とりとめもなく撮り続けた。吐いて捨てる程撮った。

実際、捨てたりもした。もったいない。

 

そして今、写真がデジタルになろうとしている。

 

もはや廃棄ではなく、消去である。

 

te

 

せめて、webに流そう。

 

辛いことは皆、webに流そう。

みたいな。

now and then

今、武蔵美の授業中です。

小林のりお先生の、デジタル写真基礎という授業です。

6月14日は、評論家の大嶋浩さんをお迎えして、
小林先生との対談が催されます。
オープンキャンパスなので、来たい人は来てみるといいかも。
写真を持っていけば講評も受け付けてくれます。

デジタル写真を始めて一年が経ちました。

まだ一年です。銀塩は16からだから、かれこれ七年になります。
そう考えると、デジタルのデの字もまだ知らないのかもしれません。

デジカメを触ると、高校時代のビッグミニと同じ感覚が蘇ります。
小林先生いわく、「撮る」というより「撮れる」ということ。

それこそが、デジタルの醍醐味かなと思います。

 

先週から、課題の関係でうちの暗室が一年ぶりに再開されました。

酢酸のにおいは興奮させてくれます。
DarkRoomの空気はわりと好きです。
けれども、それは飽くまで課題制作でしかなく、

心はデジタルに浸透しています。

なので課題は面白くありません。

教授に認められたものしか評価されないという点も、
モノクロ銀塩への心離れを助長させました。

モノクロが悪いわけでも、銀塩が悪いわけでもありません。

ただ、デジタルの速さが、今は性に合ってるのです。

 

でも、デジタル故のイメージ操作には興味がありません。
それを言えば、モノクロもイメージ操作だらけです。
誰がどう見ても、新宿は森山大道の写真のようには見えないはずです。

僕がデジタルに惹かれるのは、速さと簡便なところです。それだけです。
それ以上のものがこれから発見されていくのかもしれませんが、
今は今の気分で、今の世界を撮りたい。

デの字くらいは知れるかもしれません。

 

椎名林檎のライヴDVDを買った。

小林賢太郎がいい味出してて、買って良かった。

 

工デの小松誠教授とお話する機会があった。

本物の作家だと思った。総じて、今日はいい日でした。

 

あ、30日の話ね。31日もいい日になりそう。