転職のご報告


2ヶ月ぶりの更新です。
この2ヶ月、いろんなことがありました。

まず、7月15日〜21日までの1週間にわたるニューヨーク1人旅!

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の前に、順を追って書くことにします。

 

2012年7月12日、6年3ヶ月間プランナーとして勤めてきた博報堂アイ・スタジオを辞めました。

Twitterでぼくをフォローされている方ならご存じだと思いますが、とにかく残業のおおい日々でした。平日は深夜2時3時のタクシー帰宅か、早くて終電。土日もどっちかは丸一日仕事。朝もだいたい8時に起きて昼まで企画書作成。これがデフォルトでした。

Webなどインタラクティブ広告を扱う制作会社なので、業界的な忙しさはあるにせよ、業界の方から見ても「働き過ぎじゃない?」と言われるほどの忙殺っぷりがつづいた6年間でした。

忙しいのは楽しいものをつくるための代償なので、企画が楽しいと思えている間は大丈夫です。

実際、自分が関わっていたチームのみんなは社内でもいちばん生き生きしてるんじゃないの?と思えるほど輝いていました。そういう瞬間まで突き詰められるメンバーがいるからこそ、どうしても帰宅は深夜に及びがちでした。そのこと自体は文化祭前夜っぽくて楽しい。企画が難産になって12時間MTGしたことなんかもいい思い出です。

 

ただ、そうではないことで心が折れそうになることもありました。そりゃ社会人ですから、当然いろいろあります。いろんなクライアント、いろんな事情、いろんな不具合。制作会社としては大所帯の200人超にもなる組織だったから、いろんな人もいます。ですが、いろんないちいちを「いろんな」で片付けます。会社がイヤになって辞めるわけじゃないから。

 

むしろカンヌにも連れて行ってもらい、宣伝会議のコピーライター養成講座にも通わせてもらい、さまざまな仕事上のチャンスをもらい、出会いがあり、きっちり恩返しせずに去ることに申し訳ない気持ちの方が勝っています。恩返し、できてないよなぁ。

カンヌのおもひで。
カンヌのおもひで。

さらに、5年目を迎えた頃から「いろんな」をひとつひとつ分析して上司や役員に意見するようになりました。意見できるようになったと言い換えた方がいいかもしれません。自分をプランナーとして丸4年にわたって育ててくれた元上司から巣立ち、仕事をカタチにしていく中で自信がついてきたんだと思います。

ブレストの仕方について、職場環境について、優秀な人材を留めるアイデアについて、企画力を高める方法について、人材育成について、レポートにまとめて社内共有したり社長に手紙を書いて読み上げたり、とにかく自分の中でグチとして抱え込むのではなく解決策にまで落とし込んで、仲間を巻き込みながら改善していこうと動きました(一度書いた上申書をまず妻に見せたら「代案が書かれていないから却下」と捨てられたのはいまでも鮮明に覚えています)。

その成果が見えたものと見えなかったものの両面がありますが、「いい仕事をする」ことと「いい仕事をするための場をつくる」ことの2つに取り組んだつもり。そして、そのためのアクションを起こす術が身に染みこみつつある時期に。

 

 

賞を目標に据えるのは本末転倒、仕事はクライアントや世の中のため‥‥と考える正論があるのも理解しつつ、自分は超シンプルな目標を立てた方が正論にも応えられると感じています。だからこの超シンプルな指針は自分を動かすのに足るものでした。

しかしこれにはカンヌはじめ数々の賞を獲っている上司の言葉が「蓋」になっていました。

「この会社でカンヌが獲れないんならどこへ行っても獲れない」

と。その通り。

実際はこの発言を受けたのは2011年の頭のことで、それで、やはり転職を考えていた当時、もう1年間がんばることに決めたのでした。

が、自分の力不足でショートリストから外れ、また種まきからはじめることになった今年。組織の問題も改善したくて動きだした時期に

「組織を変えることに自分の時間を費やすな。徹底的に分析をし、理想とする組織へ転職するか自分でつくるかをして、今いる組織を超えた方が早い。人生は短い」

という一説をある本で読み、あ、これだ、と。
わりと他人の発言を鵜呑みにして行動に移す、単純野郎です。何にでも乗っかってみるのがポリシー。

「この会社でカンヌが獲れないんならどこへ行っても獲れない。けれど、この会社で獲らなきゃいけない理由もない」

恩返しできてないと言っておきながらそれはないんじゃない?と自分でも思いますが、時間がない。気づいたらもう32歳。新卒で入ったこの会社から環境を変えずにこのままやっていっていく先の未来は、なんとなく想像がつく。仲間たちとの仕事はほんとうに刺激的で楽しいけれど、自分のさらなるバージョンアップを考えれば、外へ出るにはいいタイミングなんじゃないか。というか、この踏ん切りをどこかでつけないと自分は埋没してしまう。

 

そんな風に考え出した、そろそろ今年のカンヌライオンズの動向が気になり出すころに、昨年の自分が行って見てきたカンヌからの帰り道を思い出しました。

 

 

いま最も勢いのあるインタラクティブ系制作会社のひとつ、BIRDMANの社長、築地ROY良さん。昨年のカンヌで知り合い、成田空港から新宿までのバスの中でたまたま隣同士になって「クリエイターの挑戦する生き方」と「理想的な組織のあり方」についてお話を伺えました。これがほんとうに刺激的だった。創業者がここまで熱く語っているのは、ぼくには新鮮でした。

そんな出会いが忘れられないまま1年ちかくが経ち、Facebookで自分の将来について伺ってみたところ、話はとんとん拍子に進み、いちどランチを挟み、あとは「入社時期はいつにする?」という段階まですべてFacebookで決めるほどになり‥‥

もちろん、Facebook Messageのやりとりの前には前職の会社の上司ともだいぶ話し合いました。こっちは直接。ありがたい言葉をたくさん掛けてくださいました。会社の利益ということではなく「同志として」(←上司談)引き留めていただきました。なんかもうそのことに満足しちゃって、自分もついに引き留められるほどになったのかと思うほどに意志も固まり(天の邪鬼)。最終的には背中を押してもらったと自分では受け止めています。

 

長々と書いてきましたが、元はといえば上記のT上司が僕をカンヌ派遣員に猛烈プッシュしてくれて、行った先で次に入社する会社の社長と出会い、今度は上司の期待をなかば裏切るカタチになってしまい‥‥自分としてはすべて導かれるように進めてきた結果だと思っていますが、はたしてどうなんでしょう。すべてはこの先のがんばりにかかっている。

 

というわけで、どこにでもある平凡な転職です。Facebookでほとんどのことが決まって、履歴書も出さずに内定したことは平凡ではありませんが。

でも、どんな平凡な転職の中にも、人がいます。ぼくの人生に関わってくれた人たちがいます。送り出してくれた人たちにぼくなりの、新しい環境なりの方法で恩返しをしなきゃ。

前の会社の社長は言いました。「自分の中のタイを持て。タイを大切にしろ」と。やりタイ、なりタイ、つくりタイ。鯛のキャラクターまで作っていましたが、この言葉自体には正直でありタイ。

そして。

スマートフォンとタブレットの普及で、まますますインタラクティブな領域と生活者が密着しているこの時代。インタラクティブの制作会社でプランニングの仕事をつづける喜びをさらにつよく噛みしめていきたい。もっと面白いものを作りつづけていきたい。

6年3ヶ月もの間、ありがとうございました。


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伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年:武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。 同年:博報堂アイ・スタジオにてプランナー/コピーライター職。 2012年〜:株式会社BIRDMANにてインタラクティブプランナー/ディレクター職。 2017年〜:株式会社某広告代理店にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職。 広告と映画と写真とあーりんをこよなく愛する37歳