計画性のない元美大生のキャリア設計

「美大生が社会人になるってどゆこと?就職ってすべき?好きを仕事にするってできるの?‥‥大丈夫、病気で休学したり単位が足りなくて留年したりした先輩もなんとかやってるよ!みたいなことを、お前の言葉で伝えてほしい」

ざっくり言ってそんな用命がS教授から来たのは、2013年7月のことでした。

身の丈の身の上話ならできます、ってことで9月に新宿の椿屋珈琲で打ち合わせ。学生時代にお世話になりっぱなしだった教授と会ったのは何年ぶりだろう。クラスメイトと結婚したことを報告せずにいた不義理を詫びるも、先生は終始笑顔。昔と変わらず福山雅治よりも低い美声に、おのずと背筋が伸びる。

聞けば講義の日程は11月。まだぜんぜん時間ある〜。と思って2ヶ月ほど何もせず、パワポに言葉をまとめたのは前夜でしたが、気がつけば78ページの大作ができあがっていました。

 

11月19日、母校の武蔵美で講義。

『キャリア設計基礎』だったかな?150人くらいの後輩たちを目の前に90分間、自分の学生時代から現在のキャリアまでをお話ししました。

スライドの一部。
スライドの一部。

おおまかにはCINRA.jobさんでインタビューしていただいた内容とかぶることも多いけれど。まずは、今の仕事が学生時代の「制作」と同じで「実験」の要素をはらんでいるスリリングな内容であることを、具体的な事例を通して(話せる範囲で)話しました。

美大の制作と似ていると言いつつも、それは単純な創作活動ではなく経済活動でもあること、学生時代には有耶無耶にもできた「納期」や「事情」の存在、そして「課題解決」のためにやる仕事であることなんかも、しっかり押さえながら(この辺の話をしていると自分で自分に説教しているみたいでつらい‥‥)。

さまざまなプロフェッショナルたちの力が結集して、実現不可能と思われていたことが具体化される。その醍醐味は武蔵美にいた頃の創作とは比べものにならない規模感とスピード感。スリリングで楽しい。

けれど、学校の12号館に籠もってみんなに手伝ってもらいながらつくった作品だって、小宇宙の中で果てしなくスリリングで楽しかった。あれは逆に「卒制」という独特な時間軸の中でたっぷりと試行錯誤できました。何度も何度もやり直しながら、無駄を踏みながら、自分なりの切り口で自分なりの美を形にできた。時間をかけることが仕事だったと言ってもいいかもしれません。今となってはその時間が財産。

卒業制作をまとめたポートフォリオ。つくったのは、3メートル四方の水を張ったスクリーンに映像と静止画を投影するインスタレーション
卒業制作をまとめたポートフォリオ。つくったのは、3メートル四方の水を張ったスクリーンに映像と静止画を投影するインスタレーション

 

仕事の紹介をしたあとは、武蔵美で僕がどんな風に過ごして「広告」や「インタラクティブ」という進路に出会ったか?について。

もともと高校時代に『広告批評』と『ACC CMフェスティバル』に出会い、大貫卓也さんに憧れていた自分。一浪して入った大学で大貫さんの講義を聴講して大興奮し、CM論という授業で元電通の小田桐昭先生と出会えた。小田桐先生の授業の中で岡康道さんに心酔した。中島信也先生の授業で「おもろい大人がいっぱいいる」ことに未来が明るく感じられた。

大事なことは「心の師匠を複数人もつ」。

(ここで『プロフェッショナル 仕事の流儀』風にピアノでぽーん!と鳴ってほしい)

僕自身でいえば、この講義を依頼してくれたS教授と、前述の小田桐先生。

ポイントは「複数人」です。ひとりの大人に傾倒するのは、自分に幅を持たせる意味では逆行しちゃうから。指針がたやすくぐらついてしまう若いうちだからこそ、心の師匠はひとりに絞り込まなくていい。ドハマりするけどちょっと浮気性、くらいがちょうどいい。と思います。

さらに言うと、(僕はなんだかんだで6年いたけど)4年間で追求するテーマもひとつに絞り込むんじゃなくて、ふたつの間を行ったり来たりするくらいが逆に深みを与えると思う。僕の場合、映像学科で写真を専攻し、写真をギャラリーで展示したりWeb上で毎日アップロードしたりする表現行為と、好きだった広告の世界が重なり合ったところに、将来的な行き先となった「Web広告」、「インタラクティブ広告」がありました。

その進路決定は行き当たりばったりで「キャリア設計」などという明確な指針は皆無。でも足場を二つもつことでいい迷いが得られたんだと思います。写真家になるのか?なりたいのか?広告制作者になるのか?なりたいのか?僕なりに迷うことができた。写真をやる中でWebにアップしたり、その写真が海外の人から感想をメールでもらえるようになったり、宣伝のために始めたBlogに反応があったり、そういう経験の先に「あるお題を達成するために、コミュニケーションで人を動かす」というテーマが待っていた。それが飯の種になった。そんな感じです。

だけどそれも振り返ってみて初めて、点と点がつながって見えてきたこと。渦中にいる学生時代というのは気づけないものです。気づくのは後でもいいから、超めぐまれた今の環境を使い倒しておくれ!‥‥老婆心で話しました。ま、そんなことは、外からなんと言われようが、卒業してみないと分からないんだけど。

 

僕のいた映像学科では、3年生の冬に学科全体で「進級制作展」という卒業制作のプレみたいなイベントがあります。
広報の責任者になった僕は、今見たらどうしようもなくしょぼい公式サイトを作り、90人の同級生から作品タイトルとコメントと顔写真を集めてパンフレットも作り、学内に貼るポスターも友達とデザイン。その作業の中で、大事にしたことが2つあります。

ひとつは、パンフレットのプロフィールは必ず顔写真を掲載すること。

シャイボーイ、シャイガールの多い美大です。晒すのは顔じゃなくて作品だろう、と考える人が多い美大です。案の定、顔写真なんてアルバイトの履歴書以外で提出したくないと言い出す人たちも少なくなかったけれど、伏し目がちでもシルエットでもいいから、写真であることにこだわりました。

理由は、卒業後にふとこのパンフレットが部屋の奥から出てきたときに「時間の経過」を感じてほしかったから。卒業アルバムのように。それにはイラストじゃなくて顔写真がマストです。進級展の図録にそんな機能は不要といえば不要ですが、ただ必要に迫られてつくる、というのがイヤだったんだと思います。

もうひとつは、お客さんの導線をリアルタイムに修正すること。

人の流れが悪いところを見つけては、案内板を毎日つくって問題の箇所に貼り出していきました。当時は佐藤可士和さんの「行動デザイン」という言葉にシンパシーを感じていたので、「行動をデザインするんだ!」と鼻息荒くやってました。今の仕事でやっている修正作業となにひとつ変わらない。

展示を「運営」の側から関われたことが、今の広告業をする上での下地になっているのは間違いないです。

 

最後に。

大学という場所は、20歳そこそこの人間にとっては吸収しきれないほど恵まれたモノやコトやヒトであふれています。その環境の中で、あとの人生を運命づけるほどの原体験をどれだけ得られるか?

同じ環境にいても在学中からアーティストとしてデビューして名を馳せるカリスマくんもいる。今はTwitterやSNSでつぶやけば世界に作品をUPできる。その開かれたフィールドで「いいね!」をたくさんGETしている「友人」を見て焦る必要はないと思います。数値に換算できなくても、分かりやすい形で目に見えなくても、親は説得できなくても、原体験は今も体験中かもしれない。大事なのは「自分と対話すること」。

 

12

 

なんでも効率化が叫ばれる今の時代に、
親に土下座して高い学費を払って
美大なんてところに来てしまったあなたに。

Instagramやお絵かきアプリでオシャレな写真やイラストが
誰でも「作れる」時代に、それでも自分でなにかを
作ろうとする殊勝なあなたに。

この先、自分の「強み」や「好き」を発揮する場所は
想像以上にいくらでもあること、なければつくればいいこと、
そのために今、原体験を得ること。

そのために、大学へ「通う」こと。

以上を、休学と留年をしたダメ先輩からの贈る言葉とします。
来ている人たちに言っても意味ないんだけど。

90分間も得体の知れない人間の話を聞いてくださってありがとうございました。

 

追伸。

久しぶりに訪れた母校のゼミ室で、進級制作展のために撮った自分のプロフィール写真のコピーが貼られているのを発見。

当時公開中だった映画のイ・ビョンホンみたいな写真が撮りたい!と言って撮った一枚。
当時公開中だった映画のイ・ビョンホンみたいな写真が撮りたい!と言って撮った一枚。

10年前の自分とまさか対面するとは‥‥。
当時協力してくれた同級生の優しさと、時間の経過を感じずにはいられませんでした。

てか、誰が貼ったんだ‥‥。

ノリの良い友達に恵まれてたんだなぁ。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職

「計画性のない元美大生のキャリア設計」への3件のフィードバック

  1. 記事タイトルにめっちゃ共感。篠原先生からの依頼だったのですね!お元気でしたか?

    それと卒制…もしかしたら以前言ったかもですが、自分の卒業後に見に行った卒制展で、(コンセプトは全然違うけど、自分のとよく似た作品を作ってる人がいるなあ…)と思ったんです。それが拓郎さんだったとは!いやはや。

    ともかく講演、お疲れさまでした!次回の合宿でお会いしましょう!

    1. ありがとうございます!卒制のお話は初耳です。意外と「見ましたよ」と言ってくれる人が今もいて、すんごい昔のことなのに、ありがたいです。あのクオリティに持っていけたのも篠原先生のおかげですね…。しみじみ。人に恵まれていました。

  2. ホント、先生の力が大きかったです。細切れのアイディアを作品化する仕事は今の仕事と似ていますよね、すごさを実感します。

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