忘れる

長崎のしゅんちゃん殺害事件を覚えている人は、今どのくらいいるのだろう。

殺した犯人が12歳だったということを今も気にしている人は、どのくらいいるだろう。

一時的に感情的になって、あんなやつは死刑だとか、
親も罰せられるべきだとか、そういった意見が
個人の日記サイトでも多く見られた。
そういう発言をした方々は、今もあの事件を気にして
チェックする眼を持ち得ているのだろうか。
きっと、もう忘れている。

情報の多さで関心度が変化するだけなんじゃないかなあ。
そりゃ今も気にしている方もいるだろうが、
現実は、話題がなくなれば忘れられる。

それ自体を悪いとは言えない。
僕も忘れて行くだろう。けど、あの一時の感情的な発言に、
どうオトシマエをつけるのか。

ものごとは遠くからでは分からないことだらけだ。
そんな当たり前のことに気付けるかどうか。

「忘れる」というのは個人の必要度で変化してくる。
その事自体は自然の流れだ。
が、一度発した発言は、サーバを介したり、他人の記憶として残る。

個人的に「忘れない」という運動も、どこかで欠かさないでいたい。

アトリエ

しばしば登場の友人・ちくりんの家にてMac作業。

ほぼ徹夜で映像編集をした。
焼そば一平ちゃんを食べながら。

高校時代からの先輩ちくりん’sハウス。居心地が良い。
先輩は工芸工業デザイン学科で陶芸をしている。

陶芸は面白そうだ。
花器をたくさん造っていたけど、
普通に売れるんじゃないかと思う。

映像学科にいると親に作品をあげるといったことは無い。
けれども、工デだったら夫婦茶碗でもプレゼント出来る。

ちくりんのアトリエ兼自宅は広く、快適な作業空間だ。
陶器が並び、ライトアップされ、机は幅2m以上にもなる。

翻って我が家は、足の踏み場もない。
畳の目が見えなくなって久しい。

 

せめて、電気ストーブを仕舞います。

ANOTHER VIEW POINT

弟にデジカメをプレゼントしようと思ったら、
ケータイの写メールがじゅうぶん綺麗で、
「だったらいらないかも」と思い何も買わなかった。

北海道みやげに購入した六花亭の
バターサンドが美味しすぎて、食べ尽くしてしまった。

はねるのトびらDVD2巻を見て爆笑した。にゃにゃにゃにゃい。

北海道で食べたウニ丼の味が忘れられず、
東京の寿司屋でウニを頼んだら、不味かった。

デザイン情報学科の友達が、先日阿佐ヶ谷駅であった人身事故の現場を写真に撮っていた。
吃驚して何も言えない写真だった。自分だったらためらう。

熊本旅行の件で調べものをしてみると、案外お金がかかることが分かった。
断念かもしれない。

 

立川駅南口に出来たすかいらーくに友達と行った。
びっきーとのりえさん。
三人でしょうもない話をした。もう忘れた。

 

そういう一日だった。

ライヴ2003

友人の主催ライヴがある。

今日は午後からそれに行こうと思う。
どんな音を出してくれるのか、楽しみだ。

最近、精力的に活動している友人が増えてきた。

就職を目指してポートフォリオ制作に勤しむ友人。
ニューアルバムのためにレコーディングする友人。
都内で様々なライヴを仕掛ける友人。
web上で作品発表を続ける友人。

おちおち眺めてもいられない。
自分も、サイトの写真発表ページの構築、をしたい。
photoページの稼働、早いとこ手をつけないと。

ライヴしよう。
webも一つの会場だと思う。
そこに現在、日に60〜100人の人が来てくれている。
自分のためにやっていたことが、人に見て頂けるものに繋がる。

友人のライヴは、いい意味で刺激的だ。
先日のScratch、今日のPubicflower。

友達だけど、眼が離せません。

ツヨシ

友達が草なぎ剛を六本木のコンビニで見たらしい。
六本木だけあって、実に自然体だったとか。
さすが、芸能人の街。

 

堂本剛をモスで見た時(過去日記参照)も思ったが、
彼等はいつでも写メで撮られる危険性が高いのに、
いかにも普通に、自然にそこに佇んでいる。芸能人であることを意識させない。
何がそうさせるんだろう。俺だったら恐いけどなあ、と思う。

 

いつでも狙われる立場をシニカルに描いた話が、ドラえもんの中にある。
のび太がアイドル状態になって、町中の人から追いかけ回されてコリゴリ、
という話。

のび太じゃなくてもあり得ない話だが、
実際のアイドルとか芸能人はそういう人種だろう。

 

いま、世間的にも写メールやデジカメの普及で、
肖像権の侵害が問題視されているらしい。
例えばこんな僕にでも、肖像権が存在する。
みだりに顔写真を使われては迷惑だし、恐い。
しかし、写真をやっていると知らない人も写ってしまうし、
そういうのを排除、または伏せて隠すのも違うし、別の意味合いを
出してしまうので、なかなか難しい。

自分の場合、それほど他人の顔写真を出してはいないとは思う。
せいぜい背中とか。部分。
背中には肖像権があるのだろうか。まあ、ありそうだな。

でも、ここのサイトを見て、
「あ!この背中私のだ!!訴えてやる」という事があるだろうか。
なるべく見えない範囲で気をつけたいが、あんまり気にしていても撮れない。

 

肖像権についての考えは、つづく。いつか。
とりあえず今言えることは、剛は庶民的ということ。
草なぎも堂本も。

光の街

東京の街に着いた。
ネオンと湿気が半端じゃない。

毎夜17〜21℃の北海道と比べるのも無理があるが、旅の疲れには辛い。

飛行機で1時間と少し。

光速よりも速い気分。

 


また行くよ。必ず。

コンビニ

札幌でコンビニを発見。

やっぱ落ち着くなあ。

なんだろこの感覚。

超現代っ子。どうしようもないな。

 

小樽の気温、17.7度。

涼しいです。

かなり。

 

 

ウニをかち割ってすすりました。

海の見える露天風呂にも入りました。

日本海で泳ぎました。

ムービーメール撮りまくりました。

ムービーau 夏。
みたいな。

露天風呂

小樽。

 

 

今日の気温は20度でした。

 

 

登別〜札幌へ移動。

 

そして温泉。

 

 

露天風呂に入ってきました。

岩風呂です。
気温20度くらいの、夜の露天風呂。 極楽。

写真とか、小難しいことは考えなくていいなー。

 

ここまで来たら楽しむのみです。北の大地を。

カテゴライザー

何でもすぐにカテゴリーで話したがる人。

 

写真をやっていると、当然写真家の話になったり、
今の写真界の現状とか、将来の展望をナントカカントカ。

そのこと自体は構わないんだけど、
あいつはナントカ系だからこうだとか、決めつけてかかる人。

そういう人の話は、先が無い。
だからつまらない。
幅がない。
だからつまんない。

自分の話だけをする人も疲れるけど、
他人のことをカテゴリーの中だけで話す人も、なかなかつまんなくてだるい。

写真はもっと自由なはずで、
○○派という表現だけでは語れないんじゃないかな。

そういう考えも甘いのか、多くの人は平気でカテゴリーで話したがる。

そういう風潮には勝てない。
世間の目は確実にカテゴリー(フォルダ)ごとに分けて見ている。
フォルダに入れるか、ゴミ箱に捨てるか。

整理が徹底しているんだなと思い、少し驚いた。

自分はどこに振り分けられてしまうのだろうか。
こわ。

別に他人の意見にびくついてるわけじゃないんだけど。
フォルダ振り分けという作業が瞬時に行われているということが、妙な感じだ。

写真界に生きる人々と話してみて、
人の脳ミソの、あまりに簡略化された処理にがっかりです。

他人の意見に惑わされたらおしまいだな、というのが素直な感想だ。

朝昼晩

朝。

北海道は寒いです。
ふるえます。
軽いコートでも持ってきたらよかったな。

これからメインの行事、東川フォトフェスタに行ってきます。
内外の、いろんな写真を見てきます。

 

それにしても、信号が少ない!!
ただまっすぐな、道。

バスは一日数本。

 

昼。

眠い。
しかも肌寒い。

お祭りに来ました。

夜は花火大会だそうです。
真上に上がるらしい。

それまで暇です。

夜。

花火大会までは時間があります。暇です。

今はまったりと夕食タイムです。

ほんとすることが有りません。退屈だわー。

それでは。

北の国から2003

北海道に来ました。

 

札幌でラーメン「純連」を10年ぶりに食べ、
旭川でお祭りを見て、今は車の中。

 

いつものリュックひとつだけで、身軽なもんです。
今夜からはお寺の人に泊めてもらいます。なかなか涼しい夜になりそう。

 

牧草地帯が綺麗でした。

 

涼しい〜。

difference

高校時代に撮った写真たち。

5、6年前の写真になる。

今と違うなら、それは銀塩とデジタルの差か。
それだけじゃない何かが、ある気がする。

何か、とは何なのか。
昨日、友人と朝まで語り合った。

高校時代、写真を撮るには動機が必要だった。
浪人時代、写真を撮るにはイベントが必要だった。
現在、写真を撮るのに何かを必要とはしていない。

今の写真は対象が定まっていない気がする。ただの視点。
昔は、そこにある思い出というか、感情移入できる記号としてのモノが存在していた。

どんどんカオスになってきていると思う。混沌。

satosi

僕の彼女は、「今の方が手探りな感じがする」と言っていた。
昔の方が感情移入出来るコトに溢れているだけ、分かりやすく、取っ付きやすいと。
それはそうだと思う。高校時代も浪人時代も、毎日が記念日みたいなもんだった。

僕等.

今年の夏、アートユニット「ぼくら」の二人、
小西俊也と伊藤拓郎でweb写真展を開きます。

一応、紹介文を考えたのでここに載せます。以下。

ぼくらは僕等へ。

昨年夏に開かれた、「ぼくらEXHIBITION」。生まれや育ち、学校も異なるメンバーで構成されているぼくらは、考え方、表現の方向性も違ったアプローチを備えている。あえて共通したものを探せば「全員メガネをかけている」といったことぐらい。
そんなぼくらは、今年も西東京でなにやらコソコソ。

web写真展、「僕等.」 。
場所を立川からwebに移し、メンバーの内2名で
「僕等.」と称してweb写真を随時アップします。

小西俊也。伊藤拓郎。

ふたりの僕等はデジカメ片手に、西東京を散歩します。
もしかしたら、貴方の街にも現れるかもしれません。
撮られたガゾウは即日アップ。リアルタイムな展示を目指す、僕等初の試みです。
メガネのフレームと、デジカメのピクセルから見えるものだけを頼りに、街を焼き込みます。
いっそう、僕等の各々の違いや、眼のゆく所が表れると信じています。
これはぼくら始まって以来のコラボレートかもしれません。
西東京の街と、僕の視線、僕等の画像。そして、あなたのクリック。
すべてが、ある世界観を構築せんことを願いつつ。

今年、ぼくらは僕等へ。


今年第一弾の展示となります。
詳細は後日書きます。乞うご期待。

たいそうなものじゃございませんが、
西東京アート・マンス2003との連動で、街を撮ってみます。
こうしたイベントを重ねることが、大事だろうと考えてます。
人と人とのつながりを重ねることです。

て言ってもたいしたことは考えてないんで、楽しめたらいいなーと。

最近のポリシー。適当に頑張る。を、体現します。

そうそう、ところで土用の丑の日、うなぎ。美味でした。