マッドマックス 怒りのデス・ロード

公開から半月以上が過ぎ、それでもなお「観なきゃヤバい」との声が駆け巡る映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。観ました?え、観てない?じゃあ、田中泰延さんのエンタメ新党は読みました?読んだらこんなBlogなど閉じてさっさと映画館へ走ってください。

と書いてしまうと終わっちゃうので、エンジンを冷やしてレビューします。

FURY ROAD

3D IMAXもMX 4Dも「問題の火種はどうやら主人公のアイアンマンでは?」と話題の『アベンジャーズ』に取って代わられ、早くも夏映画に交代しかけている昨今。こんな大作が6月20日から公開されていたなんて、完全にノーマークでした。

 

勢い余って2回観ました。

全編を通してカーチェイス‥‥というかもはや鋼鉄チェイスの疾走感に度肝を抜かれますが、完成に至るまでは何度も頓挫しかけたようです。

2003年5月にアフリカのナミビアにあるナミブ砂漠にて撮影し、2005年頃に公開予定を目指していた。準備はすでに出来ていたが、しかしイラク戦争による世界情勢の不安により、映画で使われる多くの巨大な乗り物や撮影機材などを運ぶのに、アメリカや各国が出荷制限の強化などを行った為、撮影延長を余儀なくされた。

またオーストラリアドルの価格の上昇によるオーストラリア経済の不安定も増し、映画の製作費の調達が困難になっていた。その結果、撮影延長のみならず、映画制作が出来にくくなってしまった。

Wikipediaより

当初撮影を予定していたオーストラリアで大雨が降ってしまい砂漠に花がたくさん咲いてしまったんだのは大変だったな(笑)。これでは撮影に使えないということでロケをナミビアに移して8ヶ月間の撮影を敢行し、そのあとシドニーへ帰ってきてセットを作り、スタジオ撮影や追加撮影を行った。つまり撮影は足掛け1年半もかかったんだ。

『マッドマックス』のイカれた改造車を創造した男に直撃!今回も撮影中に死者が出た? – ハードワーカーズより)

確かにお花畑では撮れないし、CGセットでもこの迫力は出なかったはず。執念の作品です。

広大な砂漠でカメラが中心に向かって迫るショットが気持ち良い。

 

どうしても「ノンストップカーアクション」で引きつけるタイプの映画であると思われがちな本作、それは一方から見れば間違いないのですが、他方、マックスは主役というよりは「物語に巻き込まれた通りすがりの男」。高倉健です。で、本当の主人公はスキンヘッドの女性戦士・フュリオサ。この人はナウシカです。『風の谷のナウシカ』をハリウッドが撮ったらこうなるんじゃないか。彼女の闘争の物語に泣いちゃいました。

『エイリアン』のシガニー・ウィーバーに並ぶ坊主の女戦士・フュリオサ。
『エイリアン』のシガニー・ウィーバーに並ぶ坊主の女戦士・フュリオサ。

シリーズの創始者でもあるジョージ・ミラー監督(御年70歳)はこう語っています。

『マッドマックス/怒りのデス・ロード』で私は、映画全体を一つの長いチェイスとして描こうと思ったわけだが、主人公たちがなぜ戦っているかといえば、それは「人間らしくあること」のためだ。モノとか財宝のために戦っているわけではない。本作にも「財宝」は出てくるが、それは人——〈ワイヴズ〉だ。荒廃した地で、唯一健康な女たちだからね。その〈ワイヴズ〉の存在があるからこそ、女戦士が出てくる必然性が生じる。男であってはいけない。だって、「男が別の男から女を奪おうとする」というのでは話の意味が全然違ってしまうからだ。女戦士が、(隷属状態にある)女たちの逃亡を手助けし、マックスはそれに巻き込まれる。

TBS RADIO ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルより)

“種馬”として飼われていた奴隷 - ワイヴズ
“種馬”として飼われていた奴隷 – ワイヴズ

 

ここから少しネタバレです。

物語中盤、オートバイに乗る女性の一団「鉄馬の女たち」がマックスやフュリオサの仲間になります。その中にメリッサ(Keeper of the Seeds / 種を持つ者)というお婆さんがいるのですが、彼女がワイヴスの一人に植物の種を見せて

「どこに植えても芽は出なかった」

と嘆くシーンがあります。枯れ果てた大地で、それでもどこかに芽吹く土地があるのではないか?と思うと捨てられない。だから大事に鞄にしまってある。

まったく別のシーンで、移動中、次なる戦いに備えて銃の弾を込めるところでワイヴスの一人が言います。

「弾は種よ。命を奪う種。植えられたら、死ぬしかない」

それからしばらくして戦闘シーンになり、メリッサが渾身の力を込めて敵の目にライフルの銃弾をめり込ませます。植物の種が入ったかばんを胸に抱えたまま。彼女は結局、死の種を植えることしかできなかった。けれどそのことでフュリオサの命を守り、植物の種は若いワイヴスに受け継がれる。

別に映画の中でこの「種」が象徴的に描かれていることはないのですが、ひとつのセリフで意味が繋がることにいちいち感動してしまいます。

マックスの「輸血」という行為も、命を繋げるだけでなくフュリオサと交わるという意味で象徴的です。O型だから何型にも適合するし!O型すごいな!ヒャッハー!!

 

改造車をつくったスタッフ曰く、武装集団の司令官 イモータン・ジョーの車は「なんでも1点限りという物不足の荒野において、同じものを2つ持つことができるのはイモータン・ジョーだけ」。
改造車をつくったスタッフ曰く、武装集団の司令官 イモータン・ジョーの車は「なんでも1点限りという物不足の荒野において、同じものを2つ持つことができるのはイモータン・ジョーだけ」。

 

残念ながらIMAX上映は終わってしまいましたが、今からでも劇場で観るべき映画です。2010年代、『ダークナイト』、『インターステラー』、『ゴーン・ガール』‥‥歴史に残る大作・名作がコンスタントに出て、それらをスクリーンで享受できることがうれしい。

こいつは映画史に残るキャラクター。
こいつは映画史に残るキャラクター。

まさに、「What a lovely day!!!」。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

映画は繰り返し観るほどに自分を映す鏡へ

makugashiorin

 

会社の後輩(しおりんを崇拝する女)がついに一線を越えました。
抱き枕がどうのこうの。

 

このBlog、本や映画や展覧会の感想やら、広告の話やら、日々の出来事やらをだらだらとつづる日記だったのが、ここへ来てすっかり『幕が上がる』宣伝Blogと化しました。もう4回観ました。と言っても会社の後輩や夏菜子推しのディベロッパーさんは6枚とか10枚とか前売りチケットを持ってるので、僕なんてただの平社員です。

 

そんな“一線を越えた”ノフ社員の後輩とレイトショーの映画館を出て、劇中に主人公「さおり」たち演劇部が見上げる新宿西口の高層ビル群まで歩きました。てっぺん越えてたからか、映画のような煌めく摩天楼ではなかったけれど、この映画がすでに日常に組み込まれている今の日々を実感。それはなかなか特殊な体験で、仕事帰りに観る度に(と言ってもその見方はまだ2回だけど)自分の人生や将来像に照らし合わせて考え込んでしまいます。

 

ここからはネタバレありで書きます。

 

映画に限らずあらゆる「物語」に出てくる登場人物たちは何か「困難」にぶち当たって、それをどう「解決」あるいは「納得」していくか?という「成長」を見せてくれるものですが、でも成長の手前から圧倒的な能力をすでに持ってんじゃん、と思わせる「実力」が彼らには備わっていることが多いです。

たとえば吉岡先生は「学生演劇の女王」と呼ばれていたほどの圧倒的実力者。だから東京の劇団から嘱望され、先へと進められる。弱小演劇部の「さおり」(夏菜子)たちは経験も実力も乏しかったはずだけど、先生の指導や強豪校からの転校生「中西さん」(杏果)との出会いをきっかけにどんどん上手くなっていく。

原作ではこんな描写があります。

「演技なんて、そんなに上手くならないよ」
というのが吉岡先生の口癖だった。だから構成とか、一人ひとりの個性を生かす方が大事なんだと言う。たしかにアドリブは、上手い子はとにかく上手いし、下手な子は何度やっても、やっぱりなかなか上達しない。でも構成を考えながら進めていって、あと吉岡先生のアドバイスを受けると、一年生でもなんだかそれらしく見えてくる。演技が取り立てて上手くなったわけじゃないけど、役がはまるって感じかな。でも、それで自信がつくと、一年生とかは本当に伸びる、ぐんぐん。

(原作より)

そう、実はみんなそれなりにポテンシャルは持っている。

その力を自ら実感できるようになってきてチームワークも高まっていくシーンが美しく清々しいのですが、4回も観てると

「自分は吉岡先生みたいに誰かに喉から手が出るほど欲してもらえる日が来るんだろうか

とか

「そこまで望まれるほどの人間にならんと自分が行きたいところへも行けないよなぁ」

とか

「さおりの周囲と寄り添う丁寧な演技指導は時間がかかる方法だけど理想的だなぁ。彼女は演出家の能力を持ってたんだなぁ。つまり観察力が鋭敏な子なんだな。それを見抜いた吉岡先生もまた観察力の長けた人だなぁ」

「俺にその能力はあるか?」

とかとか、作品と自分自身とを反復させながら観るようになって、そうやって身につまされていく(あーツライ!)先にれにちゃん演じる「がるる」の安心感・・・・。もうおっさんなので、自己投影すべきは高校生たちじゃなくて吉岡先生なのですが。

 

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この映画はいつの間にか自分を映す鏡になっていました。スクリーンで輝く彼女たちに比べれば小さな「等身大の自分」に帰ったとき、ちょっと熱くなっている自分に気づきます。

「私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける。」

僕は僕の舞台で、宇宙の端まで行ける力をつけねば。

 

(c) 平田オリザ・講談社 / フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

PACIFIC RIM

遅ればせながら映画『パシフィック・リム』を観てきました。しかも2回。1回目は3D吹き替え、2回目は2D字幕で(3回目は予約したのに寝坊で断念‥‥)。

6月に予告篇をBlogに取り上げたのに、9月まで映画館に足を運ばなかったことをここに謝罪します。いや、ほんとうに素晴らしかった。2D字幕版を最初に鑑賞した妻は翌週に3D吹き替え版をひとりで池袋まで観に行き、その映画館で売られていなかったガイドブックを買うためだけに新宿バルトナインまで行ったそうで、惚れ直しました。ほんと、男心とオタク心をくすぐる素晴らしい出来なのです。

実写で観てみたいものをことごとく実写化してくれた映画。
実写で観てみたいものをことごとく実写化してくれた映画。

 

KAIJU(怪獣)や巨大ロボはCGだけど着ぐるみの重厚感を意識したそうです。

例えば巨大ロボ「イエーガー」を整備する基地はガテン系の男どもでひしめいているんですが、このスタイリッシュとは真逆の油のニオイが漂う雰囲気は『機動警察パトレイバー』ですし、主人公が操るロボの動力源がアレなのは『ジャイアントロボ』と共通ですし、頭部がボディに合体して出撃するシーンは『マジンガーZ』の「パイルダーオン」ですし、ラストシーンは『エヴァ』を彷彿とさせますし、他にも「この設定のモノネタはコレか?!」と言いたくなるシーンが目白押し。

ぼくが特に感動したのは、イエーガーがビルの谷間を闊歩するシーンで流れる音楽。伊福部昭さんの『ゴジラ』のテーマ曲を彷彿とさせる重厚なオーケストラをぶつけてきてるんです。ここでもう涙腺崩壊。

0:53あたりから流れる曲がそれです(この東宝ゴジラ的予告編の出来も最高!)。

余談ですが、VFXスーパーバイザーとしてメイキングに出てくるジョン・ノール氏は兄弟でPhotoshopを開発したことでも有名。さらに余談ですが兄のトーマス・ノール氏からサインもらったことがあります。どこかに行ってしまったけど‥‥。

 

そろそろ劇場公開が終わりそうな『パシフィック・リム』。菊地凛子と芦田愛菜ちゃんの演技も必見。字幕版と吹き替え版のどちらもオススメです。

映画館で観るべき映画でしょう。