写真生活、ふたたび。

カメラを買いました。
久しぶりの一眼カメラ。

で、せっかくなので毎日撮ろうと、日々持ち歩いています。
撮った写真をアップするTumblrも開設しました。

tacrow-photo

まあ、このカメラを買う前に持っていたRX100などで撮った写真も混ざっていますが。

 

学生時代は映像学科の写真専攻で毎日撮っていた写真。
あの頃は若さに任せて瞬発力と関係性だけで撮っていたような気がします。

そういう写真も好きですが、学生だったからこそ撮れていたものだという自覚もある。今も同じようには撮れません。

あれから15年くらい経って、今はようやく自分自身で色温度や絞りやレンズを「決めて」撮影しています。何でもっと学生時代に習得してこなかったんだろう?と思いますが、若者はシャッターを切るだけでじゅうぶん面白い(と自分が思える)写真が撮れたのだから仕方ない。シャッターを押せば何かが写る、そのシンプルさに惹かれて始めたのだし。

 

写真は撮るもの好きですが、それ以上に観るのが好きです。
僭越ながら(まったくもって)、最近とくに気になる3名を紹介させていただきます。

母校の武蔵美でも教鞭をとられている坂口トモユキさんの「きょうのしゃしん」。

© Tomoyuki Sakaguchi
© Tomoyuki Sakaguchi 2014–2017 (きょうのしゃしんより)

いわゆるスナップ写真ですが、晴れでも曇りでも夜でも「坂口さんのライティング」があるかのような、嘘みたいな光。つくりこまれた世界ではないのにどうして。

一見ラフに撮っているみたいな屋外でも四角いフレームの中で構図がきっちり組まれているから、絵画のような「整った嘘っぽさ」になるのかな?黒沢清監督の映画みたいに見えるときもあるし、メロディと歌詞がびしっと噛み合う中島みゆきの歌のような。隅々にまで目がゆきとどいた丁寧さに狂気を感じてしまい、クセになります。

 

2人目。石田祐規さんです。

ご本人のサイトにあるプレスキット(!)より

どんな被写体にもこの距離感になれるのかな。
だとしたら写真家はやはりスマホやInstagramがいくら普及しようが生業として存在し続けるな、と納得させられるパワー。この人自身に興味が湧いてしまう。湧かざるをえない。インタビューがまた面白い。

写真ってステージを持ち運びできる演劇だと僕は思っててカメラを向けると人は影響を受けて演技をはじめてしまう、それを僕は撮るんだけど友人や彼女は了承してくれて僕と付き合ってくれているんだろうなって思うんだよ、だから怒られた事はないしみんな覚悟ができているんだなって思うんだよね。僕はそういう危なさがすごく好きなんだよね、だから写真をやっていたいと思うんだよね。

BUG MAGAZINE インタビューより)

大量の写真を浴びに、いつか個展に行ってみたいです。

 

最後は、2015年に『第40回木村伊兵衛写真賞』を受賞した写真家・石川竜一さん。


©Ryuichi Ishikawa (CINRAより)

と書こうかと思ったけど、昨年、石川竜一という稀代の写真家を知り、展覧会で衝撃を受け、写真集を買い、言葉を失いました。僕の中で2016年は「シン・ゴジラ」と「永い言い訳」と「石川竜一」に出会えて最高に良かった1年でした。

で、最後に紹介するのは石川竜一さんではちょっと重たいので、そうではなくて、いくしゅんさん。

いくしゅん
©いくしゅん (若き写真家が見る歪んだ世界 vol.12いくしゅん | VICE JAPANより)

2015年に刊行された写真集『ですよねー』にも収録されているこの犬とのすれちがい、たまりません。絶対に言葉を交わしてる。

この人が撮る犬、猫、鹿、ネズミ、蛙、なんならキティちゃんまでもすげーおっさんぽい。逆に人間は動物っぽい。ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんな生きているんだなと。友達申請していいんだなと思わせてくれる何かがあります。

日常に転がるユーモアを絶妙なタイミングで切り取った、と言えばそれまでですが、じゃあ素人さんが偶然撮った『VOW(バウ)』的な投稿写真と同様かといえば、そうでもなく。意図して「面白い」の琴線(というか筋繊維?)に反応するものだけを撮ろうとする執念深さが気持ちのいいリズムをつくり出します。同い年なんだよなー。同級生にいたら絶対友達になりたい。

 

最近、Instagramを見ていると、日常的に絵日記感覚や食リポとして使っている人と、ハイキートーンで美しい写真をひたすらにUPし続ける人とに二分されてきた感があります。そのどちらも否定するものではありませんが、ここで紹介させてもらった3名(いや4名か)は、どちらでもない写真を撮られる方。友達に紹介したい気持ちでまとめてみました。

自分の写真も不定期に更新していきます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

ミーハーに生きる2016年。

前回のBlog更新から1年が経ってしまった。

この1年、とにかくエンタメ方面で充実していた。
そのぶん、お金もものすごくつぎ込んでしまったわけですが。
ざっと振り返ってみます。

 

2015年12月、男性限定公演であることに女性団体が噛みついて話題になってしまった、ももいろクローバーZ『男祭り2015 in 太宰府』に参戦。

続いて12月24日、極寒の軽井沢スノーパークで開催された「ももいろクリスマス2015 ~Beautiful Survivors~」。

明けて2016年1月はSMAP解散報道やらベッキー&ゲスの極み乙女。の不倫報道に沸くのを横目に、ジャニーズ発の小説家・NEWSの加藤シゲアキくん原作、行定勲監督の『ピンクとグレー』で芸能界の闇と菅田将暉くんの怪演に憧れる。

『ピンクとグレー』公式サイトより
『ピンクとグレー』公式サイトより

 

2月から4月にかけては再びももクロ。
北海道から福岡まで全国5大ドームで繰り広げられたドームツアー『DOME TREK2016 AMARANTHUS/白金の夜明け』全9公演、全部参戦しました。

名古屋は手羽先と味噌カツ、北海道は味噌ラーメン、大阪たこ焼き串揚げ豚まん、福岡もつ煮、埼玉はとくに無し。どの旅も楽しかったなぁ。

ももいろクローバーZ公式Twitterより
ももいろクローバーZ公式Twitterより

しおりんのピアノ演奏に度肝を抜かれたことが強烈に印象的だったツアーでしたが、皆公演を重ねるごとに著しい成長を遂げ、最後の西武ドーム公演は集大成と呼ぶにふさわしい内容でした。

とくに感慨深かったのは地元民が多かった北海道。LIVEのセットリストが前半アルバム曲、後半いつもの定番曲ときれいに分かれていたのですが、サーカス団が出てくる絢爛豪華な前半が終わったところで後ろの席の初参戦さんが「いや〜!すごい!すごいですね!」と素直な感想を力いっぱい吐き出すと、連れてきたであろうモノノフのお友達が

「ふっふっふ‥‥、ここからですよ」。

次の瞬間、暗転して始まるオーバーチュア!会場中のモノノフによる“うりゃおい”の大合唱。「え〜!?まだあるんですかあああぁぁ?!」のけぞる初心者さん。絵に描いたようなリアクションは周囲を和ませました。

‥‥って、この調子で1年を振り返ってたら大長編になってしまう。

ちょうど仕事も大きな案件(※)が立て続けに公開された時期で、平日は深夜帰宅、土日はももクロ遠征と家庭を全く顧みない生活を続けていたところ、4月6日から6月20日までの2ヶ月少々、妻から一言も口を聞いてくれない日々を過ごすことに。

全面的に自分が悪い。仕事のせいにはできない。ましてやあーりんのせいでもない。ひたすら謝罪をさせていただき、こうして、まだ生きております。

 

6月下旬から落ち着いた日々を取り戻し、『レヴェナント』、『ズートピア』、『デッドプール』、『エクスマキナ』、『疑惑のチャンピオン』と、毎週末映画三昧。

妻に誘われて観た『セトウツミ』もよかった。

 

そして2016年夏の話題作『シン・ゴジラ』、『君の名は。』、をリピート鑑賞し、『怒り』、『永い言い訳』へと突き進んでいくわけですが、この4本の破壊力たるや。

『シン・ゴジラ』公式サイトより。僕は4回観ました(同僚は7回)。
『シン・ゴジラ』公式サイトより。僕は4回観ました(同僚は7回)。

 

『君の名は。』公式サイトより。ツッコミどころもあるけどSFミステリー要素があってグッときた。
『君の名は。』公式サイトより。ツッコミどころもあるけどSFミステリー要素にグッときた。

 

泣きました。(『怒り』公式サイトより)
泣きました。(『怒り』公式サイトより)

 

原作小説も素晴らしいです。(『永い言い訳』公式サイトより)
ひりひりする。泣かされました。(『永い言い訳』公式サイトより)

『シン・ゴジラ』、『怒り』、『永い言い訳』についてはいずれ、個別に感想をポストしておきたい。

 

前後しますが8月13日、14日、日産スタジアムでの『ももいろクローバーZ 桃神祭2016』に参戦。

圧倒されたこと以外、あまり記憶に残っていない。
圧倒されたこと以外、あまり記憶に残っていない。

 

深く沈み込んで己を見つめ直したくなる傑作映画、色めき立ち喉を枯らすまで声援を投げつけるLIVE、いっぺんに振り返るのはちょっと無謀だったかもしれません。

Blogに記録しなくても日々は流れる。書くほどでもない日々が9割。残り1割は、誰かの胸打つ作品に出会ったとき。それはちょっと寂しい。もうすこし、丁寧に日々を見つめていきたい。

 

9月19日、母の誕生日でもありますが、ももクロのアイドル、あーりんこと佐々木彩夏さんの初のソロコンサートでした。

圧巻。いちばん観たかったものが観られた。
圧巻。いちばん観たかったものが観られた。

あーりんのやりたかったことを全てやりきった『AYAKA-NATION』。エンターテインメントを吸収することが自分を生かしてくれていると痛烈に感じたLIVEでした。

 

2016年はまだ残り2ヶ月少々あるけれど、「鑑賞」という点では充実した1年でした。仕事もやりきった。

走り抜けたタイミングで現れた宇多田ヒカル8年半ぶりのアルバム『Fantome』。

生きててよかった。
生きててよかった。

両手でも抱えきれない まばゆい風景の数々を ありがとう

(宇多田ヒカル「花束を君に」より)

ももいろクローバーZ 桃神祭 2015

\はち、はち、はち、はち、でこっぱちー!/
茶畑のシンデレラといえば?
\かなこぉ~~~↑↑/

というわけで8月8日。
あれからもう1週間が経ってしまった。

 

夏休みを取って向かった先は静岡県・エコパスタジアム。7月31日(金)と8月1日(土)の2日間に渡って繰り広げられる『ももいろクローバーZ 桃神祭2015』の開催地だ。

7月31日13時台のエコパスタジアム。最高気温は34℃。
7月31日13時台のエコパスタジアム。最高気温は34℃。

 

両公演ともに「祭り」をコンセプトに行われたもので、ステージに高さ21メートル、幅23メートルにおよぶ巨大な鳥居や、茅の輪、提灯などが設置された。
両公演ともに「祭り」をコンセプトに行われたもので、ステージに高さ21メートル、幅23メートルにおよぶ巨大な鳥居や、茅の輪、提灯などが設置された。

初日公演「御額様ご来臨」に3万5418人、2日目公演「遠州大騒儀」に4万7018人、両日でのべ8万2000人を超えるファンが集結したほか、「遠州大騒儀」公演の日に全国70劇場73スクリーンで行われたライブビューイングには1万4234人が来場した。

ナタリーより)

1日目の公演は「御額様ご来臨(おでこさまごらいりん)」というサブタイトルが付いていたことからも分かる通り、静岡生まれの茶畑のシンデレラ・百田夏菜子をフィーチャーしたLIVE。炎天下、御額様のモニュメントに行列ができている。そんなスタジアム周辺は出店や数々の催しが開かれ、フェス会場と化していた。

Greenエリアで開場前から開かれていた女子プロレスを見逃したのは痛恨の極み。
Greenエリアで開場前から開かれていた女子プロレスを見逃したのは痛恨の極み。

 

胸にずしんと響く和太鼓が気持ちいい「ももクロ和楽器隊」の演奏と共に幕開けした『夢の浮き世に咲いてみな』で会場の熱気はのっけから最高潮。音楽監督・武部聡志率いる「ダウンタウンももクロバンド」や「サムライロックオーケストラ」の生演奏も迫力をブーストさせる。

初日の見所はなんといってもヒャダインVS川上アキラ電流爆破デスマッチ、かと思いきや、開始数分でヒャダインが川上マネをノックアウトし、終始解説席から「ぶっ殺してやりたい」とヒャダインを睨んでいたチーフディレクター・宮本純之介からの“まさかの”和解要請でがっちり握手。壮大な茶番はわりとあっさり終わった。

こうしてももクロ最大のタブー(by清野アナ)は、プロレス、というかとんねるずのコントみたいなノリでまるく収まり、そのままメンバーと合流したヒャダインは、5人とともに『行くぜっ!怪盗少女』を歌いながらメインステージへと戻ってゆく‥‥。

東スタンド1Fの前から2列目(裸のkwkmさんがにゅっと出てきた場所の目の前)から見ていた僕にとっては、このときの6人の、心の底から楽しそうに駆け抜けてゆく姿が最初のハイライトだった。落ちサビで涙に声が詰まるしおりん。ヒャダインは楽しさと照れと感激とがない交ぜになっているのがよく見える。八重歯を光らせて笑っている夏菜子の目も潤んでいる。

全員がうっすら涙を浮かべたあの笑顔は一人の人間に向けられた「おかえりなさい」の笑顔で、僕ら3万5,000人はあの瞬間、ただただ見守るだけだったのかもしれない。完全にあだち充の『みゆき』の最終回ばりにキラキラしていた。あだち先生ほどの画力はない僕はひたすら瞼に焼き付けるしかない。この広大な会場で表情が見えるというのは本当に幸運なことだと思った。

「ゲストの前山田健一さんでしたー!」あーりんの声がスタジアムに響く。それがいかに待ちわびた紹介だったかを、このときになって初めて気づかされる。茶番も感動も、それ自体を目撃することだけに必死になってしまうものだ。ヒャダインこと前山田健一という名前をメンバーがステージで発せられる状況に今日からまたなれたんだ。だったらやっぱり新曲も期待していいんですよね?と思いながら、奥へ消えてゆくヒャダインに手を振りつづけた。

 

直前のリハーサル中に左手を骨折し全治四ヶ月と診断された高城(れに)さんは「鋼の腕を手に入れて戻ってくる!」と宣言していたが、言葉どおり鋼鉄っぽいプロテクターで左腕を吊っての「4対1」のパフォーマンスとなった。しかし踊れないぶん、4人とは別になって僕ら客席によく来てくれる。あーりん推しの自分も、この日の『全力少女』はまさにれにちゃんのことだと思わずにはいられず、涙。

定番になった『ココ☆ナツ』での放水銃による観客への攻撃も、高城さんは一人だけ片手で威力の小さい放水だもんだから、トロッコに乗って、なんとスタンド席に沿うほど近くまで来てやってくれた(そこまで寄らないと水が届かない)。

ナタリーより(Photo by HAJIME KAMIIISAKA+Z)
ナタリーより(Photo by HAJIME KAMIIISAKA+Z)

おかげで目の前のれにちゃんから顔面に水を浴びせられるという、夢のような事件に遭遇することができたのだが、いつもなら歯茎を出してケタケタ笑いながらやる放水でさえも「さあ、この水で熱中症を納めなさい」と民を慈しむような優しい顔をたたえて廻っていた。泉の中からきれいなジャイアンが出せそうな神々しさ。正直、推し変の3文字が浮かんだ瞬間でもあった。

ラストは『灰とダイヤモンド』と『ひとつぶの笑顔で』。『灰ダイ』は作詞・只野菜摘、作曲・前山田健一である。この日を締めくくるにふさわしい曲。

間奏でちょうど自分たちの前に高城さんが立った。歌い出しの「霧が晴れた向こう側」までの3秒間、目が合った。信じられなくて思わずそらしそうになったが、客席から応援と感謝の念を送った(後日「れにちゃんは目を細めるから誰とでも目が合ってるように思っちゃうよねー」とモノノフの友人に一蹴されたけど認めない)。

ふだんの全力からはほど遠いパフォーマンスしかできない高城さん。
だからこそ、他のメンバーのフォーメーションとは違った動きで、今できる全力を示そうとしてくれる。それは西武ドームのファンクラブイベント直前に左足を骨折したあーりんが車いすで客席を巡ってくれたときと同じアプローチで、今まさに逆の立場になったあーりんは、終演の挨拶で感極まる。表舞台では涙を見せることを良しとしない佐々木プロが、この日はれにちゃんを思って存分に号泣した。

「れにちゃんとLIVE一緒にできて良かった」

唯一の、同じ不安を抱えたことのある人の素直な気持ちがあふれ出てくる。顔を覆っても涙は止まらない。そのひと言に高城さんの涙腺も崩壊。もしかしたら、国立競技場の聖火台で流した涙よりも熱い。こういうのにおじさんは弱い。客席から号泣。

さらに、音楽監督・武部さんからの「今回は、れにが頑張ったよな」でとどめの号泣。初日は泣いてばかりのLIVEだった。

 

2日目はアリーナ席C6、センターステージの真ん前だった。

ナタリーより(Photo by HAJIME KAMIIISAKA+Z)
ナタリーより(Photo by HAJIME KAMIIISAKA+Z)

カインドの飛田社長にヘアアレンジをしてもらったり、百田夏菜子のお父さん(御額様にソックリ!)と遭遇したり、スペシャルゲストの舘ひろしさんからレスをもったりと、レアな体験続きであっという間に終わった。2日目は『青春賦』がとくに良かった。

250メートルの外周ステージが敷かれた広大なスタジアムでも圧倒的歌唱力で場内を包み込む小さな巨人・有安杏果。

湿っぽい空気になっても軸足をブレさせずにカラッと仕上げの抜群のMC力でLIVEを牽引する玉井詩織。

腕の負傷という事実以上に満足にパフォーマンスできないことを申し訳なく思いながらも精一杯の思いを届けてくれた高城れに。

かつての自分を重ね合わせ、れにちゃんを思って涙した初日以上に元気よく振り切った『Link Link』を披露する佐々木彩夏。

そんなあーりんの歌い出しにどこからか舞い込んだ黒いアゲハチョウが目の前を行き過ぎ、思わず“うひょ顔”になる百田夏菜子。

5人が全員、こんなにも広いステージでさえも狭い箱でやっているかのごとく濃密な空間を作り上げていた。その体験が、今回の『桃神祭』でのいちばんの収穫だった。万感の思いで観た国立競技場大会とも、これまでのどのLIVEとも違う濃さがあった。なんというか、とても“近い”。とても“豊潤”。

物理的に近い良席を引き当てたこともあるのだろうけど、それよりも表現力の向上と言いたい。

やはり、映画と舞台の経験を経た5人は表現力が格段にパワーアップしていて、歌唱でもパフォーマンスでも、茶番の演技でさえもハッとさせられるほどの吸引力がある。東京に戻って2014年の『桃神祭』のBlu-rayを見直したが、1年で人はこれほども成長するのか?と改めて驚いた。

「紅白出場」や「国立競技場」などへの分かりやすい挑戦(大人たちが築いた壁)ではなく、地味だけどしっかり伝わる「実力の向上」を示してくれることはまた格別なものがある。

 

リーダー・百田さんの「私、言葉のボキャブラリーがほんっと少ないんですけど」と断りながらも「あんまりももクロって闘争心とか競争心とかはないんです。でもみんなの笑顔だけは絶対に譲れない」と語る姿に背筋が伸びる。毎回、この人の挨拶にはすべてを肯定する力があってすごい。リーダーの凱旋LIVEだったのに、今回は終始れにちゃんにスポットが当たりがちで(それは自然な流れだと思うが)、ふつうなら多少でも「今回の主役は私!」と言い放っても良さそうなものだが、確かに本当に闘争心も競争心もないから、どこまでも暖かい。

ただでさえ暑い炎天下に暖かいLIVEをたっぷり堪能させてもらい、すっかりのぼせ上がった。いつの間にか、静岡まで来て良かった‥‥と放心していた。

終演後は47,000人の民族大移動。愛野駅は大混雑で新幹線に乗れないかも?!そんな焦りも川上マネージャーの登場と采配で鎮まり、東海道を突っ切って帰宅。最後までチームももクロの連携を見た2015年の桃神祭だったのでした。

toujinsai_07

さあ 君も一緒に見に行こうよ
終わらない熱狂 始まる国へ
鳥と、魚と、風と、炎と、
そしていま 少女は扉を開けた

(ももいろクローバーZ vs KISS『夢の浮き世に咲いてみな』より)

2日間にわたって絢爛豪華な夢を見させていただき、ありがとうございました。

 

1日目「御額様ご来臨」セットリスト

M00:overture
M01:夢の浮世に咲いてみな
M02:ツヨクツヨク
M03:ピンキージョーンズ
M04:ワニとシャンプー
MC 自己紹介
M05:Chai Maxx ZERO
M06:Chai Maxx
M07:Zの誓い
M08:ココ☆ナツ
M09:仮想ディストピア
茶摘み隊、お祭り隊登場
M10:ももいろ太鼓どどんが節
M11:全力少女
【kwkm vs ヒャダイン】
電流爆破デスマッチ 時間無制限一本勝負
実況:清野茂樹
解説:宮本純乃介
リングアナ:田中ケロ
M12:行くぜっ!怪盗少女 (キーボード:ヒャダイン)
M13:JUMP!!!!!
M14:LinkLink
本編終了

アンコール
M15:渚のラララ (夏菜子ソロ)
清水ミチコ登場
「恋人はサンタクロース」の替え歌で『ももクリ2015』開催発表
12/23(水・祝)・24(木)・25(金) 3DAYS
群馬・軽井沢スノーパークで開催
M16:ニッポン笑顔百景
M17:灰とダイヤモンド
M18:一粒の笑顔で
ダウンタウンももクロバンド・ゲスト出演者 紹介
メンバー挨拶
(終演)

 

2日目「遠州大騒儀」セットリスト

M00:overture
M01:夢の浮世に咲いてみな
M02:全力少女
M03:Rock and Roll All Nite
M04:ワニとシャンプー
MC 自己紹介
M05:LinkLink
M06:サラバ、愛しき悲しみたちよ
M07:Zの誓い
M08:ココ☆ナツ
M09:Chai Maxx
茶摘み隊、お祭り隊登場
M10:ももいろ太鼓どどんが節
M11:泣いてもいいんだよ
ゲスト 舘ひろし登場『泣かないで』
M12:黒い週末
M13:ツヨクツヨク
M14:青春賦
本編終了

アンコール
M15:ピンキージョーンズ
松崎しげる登場
2/17に3rd&4thアルバム同時発売発表
ドームツアー発表
M16:ニッポン笑顔百景
M17:キミノアト
M18:一粒の笑顔で
ダウンタウンももクロバンド・ゲスト出演者 紹介
メンバー挨拶
(桃神祭 終演)

マッドマックス 怒りのデス・ロード

公開から半月以上が過ぎ、それでもなお「観なきゃヤバい」との声が駆け巡る映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。観ました?え、観てない?じゃあ、田中泰延さんのエンタメ新党は読みました?読んだらこんなBlogなど閉じてさっさと映画館へ走ってください。

と書いてしまうと終わっちゃうので、エンジンを冷やしてレビューします。

FURY ROAD

3D IMAXもMX 4Dも「問題の火種はどうやら主人公のアイアンマンでは?」と話題の『アベンジャーズ』に取って代わられ、早くも夏映画に交代しかけている昨今。こんな大作が6月20日から公開されていたなんて、完全にノーマークでした。

 

勢い余って2回観ました。

全編を通してカーチェイス‥‥というかもはや鋼鉄チェイスの疾走感に度肝を抜かれますが、完成に至るまでは何度も頓挫しかけたようです。

2003年5月にアフリカのナミビアにあるナミブ砂漠にて撮影し、2005年頃に公開予定を目指していた。準備はすでに出来ていたが、しかしイラク戦争による世界情勢の不安により、映画で使われる多くの巨大な乗り物や撮影機材などを運ぶのに、アメリカや各国が出荷制限の強化などを行った為、撮影延長を余儀なくされた。

またオーストラリアドルの価格の上昇によるオーストラリア経済の不安定も増し、映画の製作費の調達が困難になっていた。その結果、撮影延長のみならず、映画制作が出来にくくなってしまった。

Wikipediaより

当初撮影を予定していたオーストラリアで大雨が降ってしまい砂漠に花がたくさん咲いてしまったんだのは大変だったな(笑)。これでは撮影に使えないということでロケをナミビアに移して8ヶ月間の撮影を敢行し、そのあとシドニーへ帰ってきてセットを作り、スタジオ撮影や追加撮影を行った。つまり撮影は足掛け1年半もかかったんだ。

『マッドマックス』のイカれた改造車を創造した男に直撃!今回も撮影中に死者が出た? – ハードワーカーズより)

確かにお花畑では撮れないし、CGセットでもこの迫力は出なかったはず。執念の作品です。

広大な砂漠でカメラが中心に向かって迫るショットが気持ち良い。

 

どうしても「ノンストップカーアクション」で引きつけるタイプの映画であると思われがちな本作、それは一方から見れば間違いないのですが、他方、マックスは主役というよりは「物語に巻き込まれた通りすがりの男」。高倉健です。で、本当の主人公はスキンヘッドの女性戦士・フュリオサ。この人はナウシカです。『風の谷のナウシカ』をハリウッドが撮ったらこうなるんじゃないか。彼女の闘争の物語に泣いちゃいました。

『エイリアン』のシガニー・ウィーバーに並ぶ坊主の女戦士・フュリオサ。
『エイリアン』のシガニー・ウィーバーに並ぶ坊主の女戦士・フュリオサ。

シリーズの創始者でもあるジョージ・ミラー監督(御年70歳)はこう語っています。

『マッドマックス/怒りのデス・ロード』で私は、映画全体を一つの長いチェイスとして描こうと思ったわけだが、主人公たちがなぜ戦っているかといえば、それは「人間らしくあること」のためだ。モノとか財宝のために戦っているわけではない。本作にも「財宝」は出てくるが、それは人——〈ワイヴズ〉だ。荒廃した地で、唯一健康な女たちだからね。その〈ワイヴズ〉の存在があるからこそ、女戦士が出てくる必然性が生じる。男であってはいけない。だって、「男が別の男から女を奪おうとする」というのでは話の意味が全然違ってしまうからだ。女戦士が、(隷属状態にある)女たちの逃亡を手助けし、マックスはそれに巻き込まれる。

TBS RADIO ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルより)

“種馬”として飼われていた奴隷 - ワイヴズ
“種馬”として飼われていた奴隷 – ワイヴズ

 

ここから少しネタバレです。

物語中盤、オートバイに乗る女性の一団「鉄馬の女たち」がマックスやフュリオサの仲間になります。その中にメリッサ(Keeper of the Seeds / 種を持つ者)というお婆さんがいるのですが、彼女がワイヴスの一人に植物の種を見せて

「どこに植えても芽は出なかった」

と嘆くシーンがあります。枯れ果てた大地で、それでもどこかに芽吹く土地があるのではないか?と思うと捨てられない。だから大事に鞄にしまってある。

まったく別のシーンで、移動中、次なる戦いに備えて銃の弾を込めるところでワイヴスの一人が言います。

「弾は種よ。命を奪う種。植えられたら、死ぬしかない」

それからしばらくして戦闘シーンになり、メリッサが渾身の力を込めて敵の目にライフルの銃弾をめり込ませます。植物の種が入ったかばんを胸に抱えたまま。彼女は結局、死の種を植えることしかできなかった。けれどそのことでフュリオサの命を守り、植物の種は若いワイヴスに受け継がれる。

別に映画の中でこの「種」が象徴的に描かれていることはないのですが、ひとつのセリフで意味が繋がることにいちいち感動してしまいます。

マックスの「輸血」という行為も、命を繋げるだけでなくフュリオサと交わるという意味で象徴的です。O型だから何型にも適合するし!O型すごいな!ヒャッハー!!

 

改造車をつくったスタッフ曰く、武装集団の司令官 イモータン・ジョーの車は「なんでも1点限りという物不足の荒野において、同じものを2つ持つことができるのはイモータン・ジョーだけ」。
改造車をつくったスタッフ曰く、武装集団の司令官 イモータン・ジョーの車は「なんでも1点限りという物不足の荒野において、同じものを2つ持つことができるのはイモータン・ジョーだけ」。

 

残念ながらIMAX上映は終わってしまいましたが、今からでも劇場で観るべき映画です。2010年代、『ダークナイト』、『インターステラー』、『ゴーン・ガール』‥‥歴史に残る大作・名作がコンスタントに出て、それらをスクリーンで享受できることがうれしい。

こいつは映画史に残るキャラクター。
こいつは映画史に残るキャラクター。

まさに、「What a lovely day!!!」。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

OK GOが出る新CMを見てモヤモヤした

まずはこちらをご覧ください。

OK GOの新しいMV?と思ったら、中国のRed Starという家具店のコマーシャルだそうです。

 

だまし絵のアプローチで思い出されるコマーシャルといえば、これ。

 

 

ロンドンのCMプロダクションgourgiosのクリス・パルマー監督が2013年に作った、HONDAのコマーシャルです。翌年、カンヌのフィルム・クラフト部門でゴールド受賞。画面全体に漂う品の良さが好きです。

 

日本のLEXUSがまんまパクった?という疑いが持たれた記憶も新しい。

ラストのロゴが出る演出もHONDAと一緒。なのにHONDAほど見て得した気分が残らない。
ラストのロゴが出る演出もHONDAと一緒。なのにHONDAほど見て得した気分が残らない。

 

映像に見るトリックアートの面白みって、「そうなってたのか!」というトリッキーな楽しみはもうだいたい終わっていて(ネタバレしてて)、あとはドミノ倒しのように「仕掛けを矢継ぎ早に出して最後までやりきった達成感」を味わうところまで来ているんですね、とっくに。

快感よりも達成感を味わう、というか。
何度も見られるYouTubeの功罪かもしれません。

で、HONDAのCMは好きだけど冒頭のOK GOのCM(やLEXUS)にはさほど感動しませんでした。うーん、なぜだろう?

考えてみると、手法に対して「どや!」と迫られている印象があるんです、個人的に。

大昔のMVになりますがJamiroquaiの『Virtual Insanity』にはそんなことは思いませんでした。今見ても、お見事。HONDAのCMはこの仲間ですね。これを出来杉君タイプと名付けます。

トリッキーな手法という意味で思い出されるサカナクションの『アルクアラウンド』はカメラワークのがんばり(精度の低さとも言えますがアナログな良さ!)がチャーミングで、達成感を追体験していました。OK GOの数多のMVたちも「仕組みの中で人間が体を張ってがんばる系」で、こういう映像をのび太タイプと仮定します。

・・・って考えると、Red Starは出来すぎてもないし汗をかいてる感じもない、スネ夫っぽい。

たぶん、ぱっと見でネタがわからない技をひとつでも仕込んでいたら、その印象はまったく違ったものになったと思います。それが何なのか、僕も思いつかないのですが。

 

手法で勝負する人たちには、見る側はどんどん欲しがるものだな。
いちCMとして素晴らしい仕事と思いながらも、OK GOなんだからもっと!という気持ちが植え付けられてしまったのでしょう。そう考えるとミシェル・ゴンドリーという人の偉大さに思いを馳せたくなります。

 

それにしても、ようやくOK GOのうち3人が識別できるようになってきました。

個人の感想です。

※おまけ

 

これはのび太くんタイプで好き!

ロングショット 〜 本当の人生を映す方法

2013年『ゼロ・グラビティ』、2014年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2015年4月10日 日本公開)で2年連続アカデミー撮影賞を受賞している撮影監督、エマニュエル・ルベツキ(Emmanuel Lubezki)。

彼の最大の特徴は「長回し」。

『バードマン』ではついに全編1カットで撮影したのか?と見まごう長回しが圧倒的な臨場感を与える、と評判です。

あぁ、はやく観たい。

そんなエマニュエル・ルベツキを一躍有名にした作品は『ゼロ・グラビティ』だと思っていましたが、長回しで真っ先に思い出す映画『トゥモロー・ワールド』(原題 Children of Men)も彼の仕事でした。

とにかく、ご覧ください。

 

圧巻です。

この映画で臨場感を呼ぶ最大の要素である「長回し」は画期的な撮影方法に支えられている。以下の4シーンはいずれも1カットの長大な長回しに見えるよう編集されている。詳細は後述。カッコ内は1カットの長さ。

映画冒頭の爆破テロシーン(約51秒)
乗用車襲撃シーン(約4分07秒)
出産シーン(約3分19秒)
終盤の戦闘シーン(約6分16秒)

メイキング映像や「CG WORLD」誌2007年1月号などによれば、これらのシーンは単純にブルー(グリーン)スクリーン前で撮影したものではなく、セットやロケーションで、ステディカムや特殊カメラを使って撮った長時間ショットをベースにしている。

必要に応じ、複数のテイクをコンピュータ処理によって一つのショットにつなぎ合わせてあるが、テイク間の映像の差異を埋め合わせてつなぐ技術(PlaneIt=プレーン・イットと呼ばれるツールを使用)は完成度が高く、つなぎ目がどこかは判別が困難である。

Wikipediaより

 

上手いこと長回し(ロングショット)に見せてたんですね。
一般的に長回しは定点だったり、ステディカムでカメラマンが動ける範囲内で撮影されるものです。ルベツキのカメラはそんな制約を超えてどんどん変わっていくアングルが見どころで、没入感が半端ない。

 

私たちは編集された映像に慣れています。

小さい頃から数々の映像作品を観て育つなかで、カットをつなぎ合わせた映像の文法がしみついている、というのもありますが、そもそも人間は、記憶を都合よく断片的に処理することでたくさんの情報やイメージを蓄積する生き物。前後の文脈を忘れて最も印象的だったカットだけを鮮烈に覚えていたりする。僕らの記憶は編集されたイメージの束であり、とても映像的です。

逆にいえば、カットがかからない映像はそれだけ「見慣れたもの」や「脳の生理」とは異なります。溜めの時間が増せば増すほど緊張感(ストレス)が増幅し、まるでどんどん膨らむ風船がいつか爆発するんじゃないか?という類いの不安が募ります。

はやく句読点を打ってほしい。
はやく息継ぎをさせてほしい。
・・・・ルベツキはそうとうイヤなやつかもしれない。

もちろん、カットバックやフラッシュバックで緊張感を与える手法も古典的に存在するけれど、その方が映像を見る体制の脳にとっては予定調和なのかもしれません。予定調和を突き詰めると「様式美」としての快感が芽生えますが。『エヴァンゲリオン』などはその映像快楽のオンパレードです。

翻って長回しの緊迫する空気感は、映像の文脈ではより“自然むきだしの乱暴さ”のようなものがあり、誰の視点だか分からなくなってくる“主観のない冷徹さ”もあり。

真似してやるとわざとらしさが鼻につくか、単に下手すぎて「ただの長い映像」として飽きられるか。あの、まるで血を吸いにきた蚊のようにまとわりつく視点は、誰にでも出せる効果ではない。

この乗用車襲撃シーンは、最後にカメラは自動車から出て道にたたずみ、走り去る車を見届けます。どうやって撮ってるんだろう?と気になるのは2回目以降で、初見では立て続けに起こる事件に気を取られてルベツキのマジックに気づかない。気がついたら道の真ん中に放り出されている。警察の死体とともに。

・・・・それって最高の演出じゃないか。

そんな「長回し」が素晴らしい映画をTOP12(なぜ12?)で紹介する動画があったので最後に貼り付けておきます。

考えてみれば、僕たちの人生は未編集のロングショットが平均80年つづく1本の映画です。
ところが脳は記憶を都合よく断片的に「編集」するので、思い出される日々は長回しではない。

唯一、死に直面したときだけ目の前の光景がスローモーションになって、あらゆるディテールごと覚えていることがあります。

ルベツキの長回しには、死の淵に立った人間が見る解像度があるように思えてなりません。

映画は繰り返し観るほどに自分を映す鏡へ

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会社の後輩(しおりんを崇拝する女)がついに一線を越えました。
抱き枕がどうのこうの。

 

このBlog、本や映画や展覧会の感想やら、広告の話やら、日々の出来事やらをだらだらとつづる日記だったのが、ここへ来てすっかり『幕が上がる』宣伝Blogと化しました。もう4回観ました。と言っても会社の後輩や夏菜子推しのディベロッパーさんは6枚とか10枚とか前売りチケットを持ってるので、僕なんてただの平社員です。

 

そんな“一線を越えた”ノフ社員の後輩とレイトショーの映画館を出て、劇中に主人公「さおり」たち演劇部が見上げる新宿西口の高層ビル群まで歩きました。てっぺん越えてたからか、映画のような煌めく摩天楼ではなかったけれど、この映画がすでに日常に組み込まれている今の日々を実感。それはなかなか特殊な体験で、仕事帰りに観る度に(と言ってもその見方はまだ2回だけど)自分の人生や将来像に照らし合わせて考え込んでしまいます。

 

ここからはネタバレありで書きます。

 

映画に限らずあらゆる「物語」に出てくる登場人物たちは何か「困難」にぶち当たって、それをどう「解決」あるいは「納得」していくか?という「成長」を見せてくれるものですが、でも成長の手前から圧倒的な能力をすでに持ってんじゃん、と思わせる「実力」が彼らには備わっていることが多いです。

たとえば吉岡先生は「学生演劇の女王」と呼ばれていたほどの圧倒的実力者。だから東京の劇団から嘱望され、先へと進められる。弱小演劇部の「さおり」(夏菜子)たちは経験も実力も乏しかったはずだけど、先生の指導や強豪校からの転校生「中西さん」(杏果)との出会いをきっかけにどんどん上手くなっていく。

原作ではこんな描写があります。

「演技なんて、そんなに上手くならないよ」
というのが吉岡先生の口癖だった。だから構成とか、一人ひとりの個性を生かす方が大事なんだと言う。たしかにアドリブは、上手い子はとにかく上手いし、下手な子は何度やっても、やっぱりなかなか上達しない。でも構成を考えながら進めていって、あと吉岡先生のアドバイスを受けると、一年生でもなんだかそれらしく見えてくる。演技が取り立てて上手くなったわけじゃないけど、役がはまるって感じかな。でも、それで自信がつくと、一年生とかは本当に伸びる、ぐんぐん。

(原作より)

そう、実はみんなそれなりにポテンシャルは持っている。

その力を自ら実感できるようになってきてチームワークも高まっていくシーンが美しく清々しいのですが、4回も観てると

「自分は吉岡先生みたいに誰かに喉から手が出るほど欲してもらえる日が来るんだろうか

とか

「そこまで望まれるほどの人間にならんと自分が行きたいところへも行けないよなぁ」

とか

「さおりの周囲と寄り添う丁寧な演技指導は時間がかかる方法だけど理想的だなぁ。彼女は演出家の能力を持ってたんだなぁ。つまり観察力が鋭敏な子なんだな。それを見抜いた吉岡先生もまた観察力の長けた人だなぁ」

「俺にその能力はあるか?」

とかとか、作品と自分自身とを反復させながら観るようになって、そうやって身につまされていく(あーツライ!)先にれにちゃん演じる「がるる」の安心感・・・・。もうおっさんなので、自己投影すべきは高校生たちじゃなくて吉岡先生なのですが。

 

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この映画はいつの間にか自分を映す鏡になっていました。スクリーンで輝く彼女たちに比べれば小さな「等身大の自分」に帰ったとき、ちょっと熱くなっている自分に気づきます。

「私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける。」

僕は僕の舞台で、宇宙の端まで行ける力をつけねば。

 

(c) 平田オリザ・講談社 / フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

2.20 さぬきで『幕が上がる』

2月28日、いよいよ映画『幕が上がる』が公開されました。

その約一週間前、本広克行監督の地元・香川県で開かれた「さぬき映画祭」のライヴ&トークつき特別先行上映に参加。四国八十八カ所だけあって、高松駅に降り立つと、お遍路さんとモノノフさんが入り乱れる不思議な光景が広がっていました。どっちも巡礼という意味では同じか。

すこし時間が経ってしまったので、そのときの興奮を書き殴ったFacebookの投稿をここにも残しておきます。

今日ほど心があっちこっちにバウンドした日はありません。生きてるって楽しいね。自分の目指す夢がクッキリと見えた日でもありました。この人たちみたいなでっかいことがしたい、走りたい。有言実行と行きたいところだけど、具体的な言葉にするのは自分の中だけにとどめておきます。

ふたつほど、具体的なことを。

映画『幕が上がる』のエンドロールでももクロの新曲「青春賦」が流れたとき、スクリーン前の奈落からメンバーがゆっくりと出てきて、エンドロールに合わせて歌ってくれました。作品の衣装姿で。

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これって最近話題になってたディズニーの影絵のやつみたい!
まるで映画の中からキャラクターたちが飛び出てきたみたいで、とっても素敵なサプライズ演出でした。これが佐々木敦規さんの真骨頂。こういうまっすぐな企画を実行に移せる人間になりたいって、目を潤ませながら思いました。劇中で「吉岡先生」の演技を見て引き込まれた「さおり」も同じような衝撃を受けてたのかな。

もうひとつは、初めて

出待ち

というものをしました。

ファンが詰めかけた歩道から先に出ないようにと用意されたロープは、最初、道路に置かれたままになってて。地元の若い警備スタッフさんが「このロープから出ないでください」と説明してくれたんだけど、その後にやってきた黒スーツで強面の警備員(言葉のトーンからして、おそらくももクロの随行スタッフ)がバリトンボイスで一喝。

「やるならちゃんとやりましょう。ロープを張るなら張る!張らないなら張らない!モノノフさんたち、みんないい人ですから。自分たちでロープ持ってくれますから。ね?」

顔もガタイもロン・パールマンにソックリ
顔もガタイもロン・パールマンにソックリ

なんという人心掌握術。ずるい。
みんな大慌てで足下のロープを持ちました。

自分たちが一線を越えないためのロープを、自分たちで持つ。
ずいぶん滑稽な姿に笑っちゃう。でもこの待ち時間、幸せ。

完全に飼い慣らされた犬状態で待つこと20分、反対側の歩道に出てきたももクロちゃんは本当にかわいかった・・・・というよりも芸能人のオーラを纏った(ように見えた)夏菜子、しおりん、あーりんに戸惑い、荷物を道路に置いて手を振ってくれる杏果、ニヤニヤが止まらない猫背のれにちゃんに安堵。こんなにも近いのに何万光年も遠くに感じられる道幅はまるで天の川のようで。カンパネルラはこの川に飛び込みそうになる衝動を抑えるのに必死でした。

いや、夏菜子もしおりんもあーりんもすっごく丁寧に挨拶してくれて、ゼットもやってくれて感無量だんだけど、びっくりするほど大人に見えたんだよなぁ。さっきまで映画で観てたあの無邪気さとはまるで違うオーラがあった。夜遅くに近隣マンションの迷惑にならないようにささやき声だったから余計にそう見えたのかも。

さぬき映画祭、いろんな意味で最高でした。ありがとうございました。凄いものを観ると落ち込みますが、明日からもがんばれそうです。

 

* * *

 

3月1日、新宿バルト9で三度目の鑑賞をしました。

銀座の東映さんでの試写会、さぬき映画祭での上映、どちらも大スクリーン・大音響での映画体験とは言えません。

一度目はモノノフフィルターがあらゆる小ネタに反応してニヤニヤしっぱなし。そして五人の演技力に心底感動&安心し、公開の1ヶ月以上前だったこともあり、いち早くこの安堵感を世に送り届けねば!と思ってBlogにレビューをしたためました。二度目のさぬきはエンドロールの登場→上映後のライヴ&トーク→出待ち→おいしいうどんと地魚で超贅沢なイベント。だから三度目の映画館がいちばん素直に映画として楽しめた。

「人は、宇宙でたったひとりだよ」
「でも、ここにいるのはふたりだよ」

もはや小ネタはもうちょい抑えてもよかったんじゃない?と思えるほど、冷静に観られた。
やっと映画として成仏(?)してくれた三度目のスクリーン体験でした。
初めて観る人にはこれがデフォで、あんまり身構えたり先入観を持ったりせずに観てほしいと思います。そういう意味で、僕(モノノフ)の感想は書けば書くほどプロモーションの邪魔をしているというジレンマ。

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幕が上がる』、公開中です。

(c) 平田オリザ・講談社 / フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

 

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閲覧注意 水曜日のカンパネラ「オトトイの地下室 vol.2」

2015年ブレイク必至という括りの記事には必ず出るようになってきた「水曜日のカンパネラ」主宰のイベント「オトトイの地下室 vol.2」に行ってきました。

「1曲目はいきなりカバーです」

 

ポンキッキを思い出す。

 

昨年秋からツアーで全国を回っているからか、もともと圧巻だったLIVEパフォーマンスは磨きがかかっていて、世界観を楽しむPVとはまた違った「生コムアイ」を存分に堪能できました。

出演:
【音楽】Vampillia、Omodaka、水曜日のカンパネラ
【解体】鹿
【居住】ぼく脳
【活弁】山田広野
【非存在】乞食ガールズ
【DJ】D.J.Kuroki Kouichi(Booty Tune / 肉マスター)

ゲーム機でパフォーマンスするOmodakaさん、初めて観たけどかっこよかった。

注目はやはり【解体】鹿。

コムアイちゃんが習得中という鹿の解体を、“師匠”のサノさんと一緒に舞台上で披露します。

「血とか苦手な方は奥の方で休んでてください」というアナウンスの後に出てきたのは、1歳とも3歳とも紹介されていた「若い鹿さん」のご遺体。これを、“師匠”というから森繁久弥みたいなおじいちゃんかと思ったらトークスキル高めのイケメン・サノさんとコムアイちゃんが実に手際よく、文字通り解体していきます。

 

 

ここからは、グロ注意。
血とか苦手な方は奥の方で休んでてください。

 

 

猟のあるある話や肉の部位について語ってくれるサノ師匠。
猟のあるある話や肉の部位について語ってくれるサノ師匠。

「鹿って、僕のいる山梨や長野あたりだと、増えすぎて『害獣』なんです」

「罠にかかった鹿と猟銃で撃ち殺された鹿とだったら、猟銃の方がおいしいです。罠って、かかってから24時間後とか、けっこう時間が経ってから回収されるから、その間に鹿が暴れてストレスがかかっちゃうんだよね。だからレバーにまだら模様が出て、おいしくない。ストレスが肝臓にたまるんだよね。銃だと即死だからストレスもかかってないし、新鮮なんだ」

「猟銃の弾は肉を突き破る間に広がっていくから、体に入ったときの穴よりも貫通して出て行ったときの穴の方が大きくなります」

「これがロース」

「鹿の革って毛が簡単に抜けちゃうから、なめして使うんだよ」

「肉自体ににおいはないんだけど、調理するとラム肉みたいなにおいが出る」

「みすじ ってこんなに少量しか取れないんです」

「猟に出ると鹿も命がけだけど、猟師さんも命がけ」

「若い鹿の角って枝分かれしてなくて鬼の角みたくまっすぐだから、そいつが突進してくると致命傷になる。僕の知り合いの猟師さんとこの猟犬が角にやられて、そのときはまだ生きてたんだけど、何日かして死んじゃった」

「猪の肉は脂の融点が低いから、解体してたら手の熱でドロドロに溶けていくんだけど、鹿はぜんぜんだね」

へー。
へー!
へー!!

新宿歌舞伎町の地下室で披露されるサノさんのよどみない大自然トークに気を取られていたら、いつの間にか「動物」から「肉」へと変貌していた鹿さん。

 

食べられる箇所を丁寧に切り分けてゆく。
食べられる箇所を丁寧に切り分けてゆく。

 

「シシ神の首をお返ししろ!」
「シシ神の首をお返ししろ!」(そんな台詞はない)

 

牛タンとかのタン(舌)って、喉の方から引っこ抜くんです。死んだ動物の口ってなかなか開かないから。とレクチャーしてくれる師匠。
牛タンとかのタンって、喉の方から引っこ抜くんです。死んだ動物の口ってなかなか開かないから。とレクチャーしてくれる師匠。

 

見世物小屋的な雰囲気も漂う新宿LOFTではありましたが、僕は食育を受けている気分で、すごく楽しかった。

別の命をつむぐために命が亡きものにされ肉の塊となり加工されて食材となり料理として人々の口に入っていく。

目の前の鹿さんだけでなくマクドナルドのハンバーガーひとつ、吉野家の牛丼一杯にもこのやりとりがどこかで24時間延々と行われているんだなーと思いを巡らせたり、

中学時代に友達と鶏の首を斬って友達のおばあちゃんに庭先で解体してもらったときに鶏の胃からトウモロコシが散らばった20年前の光景を思い出したり、

なかなか得がたい体験をなんで水曜日のカンパネラのLIVEでしてるんだ?と我に返ったり。

 

僕の受け止め方でしかないけれど、水曜日のカンパネラ=コムアイちゃんの破天荒かつ計算されたパフォーマンスの魅力は「生」。横たわる鹿さんも究極の「生」。そこを隔てるものはなくて、これが「オトトイの地下室」。変に命の尊さみたいなお説教くさい話にもならず、獣くささもさほどなく、ただただ目の前にある生ものが、美しくもあり、愛おしくもあり、見ていて楽しい。そう感じさせてくれるのは日頃からガチで自然と接している師匠のトークスキルと人柄によるものだなぁ、そんな人(と鹿さん)をLIVEに引っ張ってきたコムアイちゃんはどこまでもすげーなぁ、と感服しました。

閉鎖された空間の中で通じ合える人同士で生まれるグルーヴ感を、Blogという誰にも開かれた場で紹介するために取って付けた文章ではありますが、素直にそう思いました。

 

背景のドラムセットがシュール。
背景のドラムセットがシュール。

 

鹿さんに思いを馳せつつ、夜は「ねぎし」で牛タン食べました。

次回は3月29日(日)、初のワンマンLIVE「鬼ヶ島の逆襲」!

 

そういえば『桃太郎』のPVでも鹿さん出てくる。

 

 

個人的には『ジャンヌダルク』も聴きたかった。
3月を楽しみにしています。

 

 

スーパードライのCMになりそう。
スーパードライのCMになりそう。

 

お礼が言いたくなるLIVEだったよ。
水曜日のカンパネラさん、師匠、鹿さん、ありがとうございました。

『幕が上がる』原作を読んで映画を振り返ると2度おいしい。

先日レビューを書いた映画『幕が上がる』の原作小説を読み終え、すがすがしい余韻に浸っているところです。たしかにこれを読めば登場人物たちをももクロに当てはめた本広克行監督の“発見”もごくごく自然なことだったと分かります。当て書きなんじゃないの?って思う。思うよこれは監督。

当たり前っちゃあ当たり前ですが、原作では、演劇部を急激にレベルアップしてくれた元学生演劇の女王・吉岡先生に対する主人公・さおりの気持ちが映画以上に克明に描かれていて、さおりが何を考え、行動したかがより分かりやすくなっています。

映画は2時間という制約があるので、どうしても心理描写を端折ったり濃縮したりしなきゃいけない。それを思うと、原作の持ち味を損なうことなく2時間の物語に収めた喜安さんの脚本に感服。

小説は、さおりの細やかな視点を百田夏菜子さんで脳内再生するのが楽しくて楽しくて、そうとうに贅沢なディレクターズ・カット版を観たような満足感がありました。

 

会社帰り、明治神宮前を歩きながら読んでいたら小説の舞台も明治神宮でテンションが上がる。
会社帰り、明治神宮前を歩きながら読んでいたら小説の舞台も明治神宮でテンションが上がる。

 

中学時代ほど自由闊達に夢を追い続けにくくなってくる高校生という季節。部活に情熱を注ぎながらも進路を考えなければいけない3年生のふつうの女の子が、それでも部活の先に見た夢に向かって駆け抜ける。原作者が劇作家の平田オリザさんだからこそ、平田さんの人間観察と演技指導の流儀が作品から見えてきて、キャラクターの魅力が増幅されてゆく。スーパーポジティブでもスーパーネガティブでもない“平熱”からすこしずつ上昇する物語は、平田さんの提唱される「現代口語演劇」そのもの。

いま売られている雑誌『FLIX』の中で、平田オリザさんはこう語っています。

「小説を出したとき、登場人物が良い子ばかりだという指摘もあったけれど、僕は主人公のトラウマ設定とかが好きじゃないんです。今の物語ってそんなのばっかりじゃないですか。どうもお手軽に思えて、この小説はそういう設定や展開は一切なしで書いてみようと決めた。実際に、演劇をやっている子たちを指導しても、本当にみんな良い子たちで、そりゃ悩みも抱えているけれど、それを虐待とかいじめの社会問題につなげたくはない。そのこだわりは映画にも活かしてもらえましたね」

(別冊FLIX 3月号より)

トラウマを描かずにドラマをつくるって、いちばん難しいことなんじゃないか。

映画の公開は今月末からですが、先に原作を読んでみてもいいかもしれません。平田さんはご自身のBlogか何かでその順をオススメされていました。平田オリザさん、信じられる。

 

昨年観たのは三谷幸喜さんの『紫式部ダイアリー』1本と、しばらく足が遠のいていた演劇に再び興味が沸いてきたので、平田さん主宰の青年団若手公演『南へ』のチケットを買ってみました。楽しみ。

予告編から読む『インターステラー』

※ネタバレはありません。

 

映画の予告編は、公開前から徐々に、あるいは同時にいくつかの別の方向性をもってリリースされます。

たとえば最初は「○○シリーズの最新作」という情報だけを伝えて、次にキャストメイン、その次にストーリーメインで構成していったり、テレビでは大衆向けに最もキャッチーな「愛」を前面に押し出しながら、映画館では「運命を左右するギリギリの攻防と葛藤」を山場にもってきた編集にしたり。

何をもって「面白い」と感じるかは人それぞれで、どこにスポットを当てて予告編をつくり、どの客層に向けて流すかでヒットするかしないかが変わってしまう。まさにマーケティングの世界。では、『ダークナイト』や『インセプション』のクリストファー・ノーラン監督の新作『インターステラー』の場合はどうでしょう。

 

この4枚はおなじ映画のポスター
この4枚はおなじ映画のポスターですが左は『フィールド・オブ・ドリームス』に見える。

『インターステラー』(原題:Interstellar)
出演:マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、マイケル・ケイン
公開: 2014年11月22日
監督: クリストファー・ノーラン
上映時間: 169分

あらすじ
近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。

シネマトゥデイより)

 

最初は予告編第1弾。6月に公開されたものです。

「人類の運命を背負い宇宙へ旅立つ男の、最愛の娘との別れ」が描かれた内容。
この映画の中心はヒューマニティ、人間の感情描写です。それを真正面からエモーショナルに描いた正直な予告編といえます。

しかしながら、このSF大作の見どころは親子愛に留まりません。それ「だけ」ならむしろ『アルマゲドン』の方がすがすがしくシンプルに描かれています(余談ですが『アルマゲドン』で向こう見ずな若者A・Jを演じたベン・アフレックの弟、ケイシー・アフレックが主人公クーパーの息子役で出演しています。一瞬、ベンかと思ってアレ?ってなった)。

実際、ドラマチックな展開に心が揺さぶられますが、単純にSFの設定を借りてきた感動巨編という側面でのみ捉えられると、もったいない。

 

日本の公式サイトでは何のひねりもないキャンペーンをやっててビビる。
日本の公式サイトでは何のひねりもないキャンペーンをやっててビビる。
こんな映画じゃないよ!

配給会社としては「SFのガチオタやノーラン監督のファンは放っておいても観に来るからもっとマスへリーチしたい」と考えているのかもしれないけれど、デートムービーにするには無理があります。日本中のカップルを不幸に陥れる。

いやいや、ヒューマンドラマだけじゃなくて、製作総指揮に理論物理学の教授も加わって本格的に時空のトンネル=ワームホールやブラックホールを「現在考えうるかぎり最も正確に」ビジュアライズしちゃったのがすごいんだよ!・・・・と、GIGAZINEさんで詳しく紹介されています。ネタバレにはならないので、これから観に行かれる人は予備知識程度に読んでおくのもいいかもしれません(知らなくても楽しめます)。

「インターステラー」のSFっぷりは一体どれぐらいで何がスゴイのか、SF小説とかSF映画とか大好き野郎が見るとこうなる

 

8月に公開された予告編第2弾は、一気に情報量が増えます。親子の絆とSF描写が7:3くらい。ある意味、直後に紹介する第3弾も含めて最も本編の魅力を押さえた予告編です。YouTubeの再生回数が最多なのは映画の公式サイトで自動再生されるためで、配給会社としてもこの第2弾を(現在の)軸足に置いていると思われます。まあ、これだけでもぜんぜん導入部でしかないんだけど、予告だから正しい。

 

そして10月22日、日本公開のちょうど1ヶ月前に公開された第3弾は、一気にシリアス方向へ。

どう見てもこれヤバイっしょ、という絶体絶命をどう乗り越えるのか?映画館に足を運ぶ人にはクリストファー・ノーラン作品だという「面」は割れているので、期待値が高まっているところへのダメ押しの一手といえるでしょう。

僕の記憶が正しければ、この第3弾で流れるシリアスなBGMは実際の映画では使われていません。予告編用のBGMだと思われますが、0:33あたりに流れる緊張感のある旋律は『インセプション』を思い出させます。ノーラン監督のファンに向けたチョイスなのかも(こういった映画予告編のために作られた曲のオムニバスCDを持っていますが、実にドラマチックにわかりやすく作曲されていて楽しいです)。

実際の劇中で流れるサウンドトラックを手がけたのは、今回もハンス・ジマー。
わざわざイギリスのテンプル協会のオルガンを使った曲は『2001年宇宙の旅』や『未知との遭遇』などのSF映画の名作を想起させる古典的かつ抑制が効いた音色で、この音楽と、70mmフィルムで撮影された粗い画調、どこか憎めないロボットなど、懐かしさを覚えるエッセンスがちりばめられている。そのあたりは監督のインタビューで語られています。必読。

 

ヒューマニティ全開の予告編第1弾でもチラリと出てきましたが、劇中でアン・ハサウェイ演じる科学者アメリアが科学者らしからぬことを発言します。

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「愛だけが時間も空間も超えられる」

また、予告編第3弾では、同じくアメリアが主人公に

「自分の子と、人類の未来。どちらか選べる?」

と疑問を投げかけるシーンがありました。

この映画は「人間の利己、個人的な愛情」と「滅びゆく地球に残された人類の未来」の、比べようもないふたつを行ったり来たりします。やがてそのふたつが折り重なって物語の最終地点へ向かう。エンディングを迎えた頃には、僕は愛とSFのカタルシスに挟まれて涙を溜めていました。

泣ける、と言うと反対側に「私は泣けない」なんていう対立が生まれるし、そんなの個人差でしかないので「泣いた」はぜんぜんダメな部類の感想ですが、自然現象として目から液体があふれて重力に沿って落ちたのだから仕方ない。

重力。そう、『ゼロ・グラビティ』とは違った意味で重力が愛おしい。

 

3本の予告編を見てきましたが、どれだけ見たところでこの傑作を「観た気」になるには不十分です。この映画本来の魅力は最初から最後まで通して観て初めて見えてくるから。わかりやすいカテゴライズを飛び越えて「SF」も「家族」も「愛」も描かれている、けれども幕の内弁当ではない。まるで太陽と月と地球が重なって現れる日蝕のように、すべてが重なったときに残るカタルシスがある。

あぁ、同じく映画館でひれ伏した友人たちと心おきなく語り合いたい。
そうしたくなる映画が2014年にまだ生まれたことを、嬉しく思います。

 

Interstellar01

インターステラー

傑作です、『逢沢りく』。

危ない、と予感しながら、最後まで読んでしまった。感動で心が破壊された。
穂村弘さん(歌人)

そうだなぁ。
危ない危ない、と思いながら、ページをめくる手が止まりませんでした。

書店で初めて見たときは
「猫村さんの人の新刊か〜、手書きのセリフが読みづらそう〜」
などという浅はかな理由からスルーしてしまいました。でもその直後に大根仁監督のツイートを見て即購入。なにせミーハーなもので。

りくは中学生。おしゃれなパパと、カンペキなママ、
「オーラがある」と友だちが憧れる、ちょっと特別な存在。
美しい彼女は、蛇口をひねるように、
嘘の涙をこぼすことができた。悲しみの意味もわからずに――

設定が「美人」で「オーラがあって」、「ちょっと特別な存在」。
それが独特のタッチの絵から伝わってきます。

一挙手一投足が、モノローグが、表情が、やわらかな動きをともなって見えてくる。たしかな画力を備えたえんぴつ画のタッチが心地良い。絵のトーンは映像のトーンとなって、読者に空気感まで伝えるほど雄弁で、まちがいなく紙の本で読みたい漫画です。

どきっとするセリフの間合い、
親や周囲と一線を引いた「りく」の距離感、
やがて関西の親戚の家に預けられたときの反抗、
間の抜けた笑えるやりとり(微笑ましいというよりは、声を上げて笑った)。

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小津安二郎映画のようだなぁ。いきいきと描かれる登場人物たちの優しさという名の「逆襲」が、僕には『東京物語』の余韻を思い起こさせます。それだけで傑作なんですが、最後、泣かされたなぁ。

ひとりの少女の成長物語、と言ってしまえばそれまでだけど、人ひとりが成長するには、これだけの目に見えぬエネルギーが猛スピードで駆け巡っている。「陸上部はいらんか?!」と声を掛けたくなるほど。

「りく」が立ち止まれば、物語もたまってゆく。
「りく」が走れば、物語も走り出す。

読み終わったあとも、(主に関西の)すべての登場人物が愛おしく思い出されます。
時男くんみたいな子ども、いいな。

ほしよりこ『逢沢りく』、傑作です。

吉田ユニさんの個展に行ってきた。

ラフォーレミュージアム原宿でやっている、吉田ユニさんの個展『IMAGINATOMY』に行ってきました。

吉田ユニさんは1980年生まれ(同い年)で、ラフォーレをメジャーにしたAD大貫卓也さんの事務所、野田凪さん(2008年に急逝)の宇宙カンパニーを経て2007年に独立されたアートディレクターです。ラフォーレ原宿、LOUIS VUITTON、資生堂などのグラフィック広告や、木村カエラ、きゃりーぱみゅぱみゅ、AKB48のアートディレクションも手がけられています。

壁一面にひろがる女性のボディで表現されたタイポグラフィ、イメージスケッチからそのまま飛び出てきたかのような不思議なアングルの写真、CGではなく手描きによる緻密な仕事。

これらはほぼすべて「女性」を絵の具やキャンバスとして構成されているように見えました。あくまでも女性をテーマには据えていないであろう距離感。じとっとしていない、お仕着せのメッセージ性がない、庭園のような美意識だけがそこにある感じ。でも単なる道具として扱うような冷たさもなく。それゆえにナショナルブランドのグラフィック広告にもなり得るんだろうな。

って、あれ?もともと広告としてつくられたグラフィックだよな。

なのに、まずグラフィックがあって、そこに企業やアーティストが違和感なくスポッとはまっているように見えます。

 

raforlet

 

思えば、LOUIS VUITTONや資生堂のグラフィックって、そうだったかも。まず見た目のインパクトや確固たる世界観があって、「わあ素敵」、「なんか気になる」。そのあとに「あ、資生堂。やっぱりね」と思ったものでした。

きっとご本人はひとつひとつの課題に応える形で制作されているんだろうけれど、純粋に対象物を観察してビジュアル化して、まるで火葬して骨だけで組み上げたような、研ぎ澄まされた佇まい。でもギリギリのところで狂気とか恐怖のメッセージはなくて、浄化されている。

そんな純粋性をもっているのは、大貫さんの広告に携わってきた方だからなのかな。「なんじゃこりゃ?あ、ラフォーレ」の“読後感”を思い出させてくれました。

最近、グラフィックにゾクゾクした広告って何だったっけ?と思い返してみると、

ラフォーレのディズニーガールズ。吉田さんのお仕事。

このビジュアルアイデアを思いついたとして、実際につくったらもっと怖いものになってもおかしくないと思う。単にきれいなだけでもなく、キッチュでもなく。

これは展示されていませんが、数々のお仕事を大きなサイズでまとめて見られてよかったです。

 

余談。
原宿という場所柄か、お客さんの中には女子高生も何人かいました。商業施設が入場無料でやることの意義を目撃した気がして、ラフォーレえらい!とか思うくらいには年を取ってしまった。

吉田ユニ展 “IMAGINATOMY”
11月24日まで。

「お菓子を食べればいいじゃない!」ボクが水曜日のカンパネラにはまった理由

最近、アルバムの発売とともにラジオでも耳にしない日はない、やつらの名前は「水曜日のカンパネラ」。

ハウスやテクノに乗せられる意味不明も特徴的な歌詞とボーカルのちょい下手なラップから起こる化学変化が異常なまでの中毒性を生み出す水曜日のカンパネラ。
主演 / 歌唱担当の「コムアイ」・サウンドプロデュースの「Kenmochi Hidefumi」・何でも屋の「Dir.F」から成る3人組ユニット。彼女のラップを耳にして気に掛けないでいるなんて不可能。本格的なエレクトロサウンドから「シャウエッセン」だとか「ソニックブーム」など、どこかで聞いたことある単語が飛び出してくる。

また「伝統の作法 魔貫光殺砲」「熟成!72時間製法 お手を拝借パーティーSAY!HO!」など常軌を逸する韻の踏みっぷり。極め付けにコムアイの決して上手くはないラップが妙に耳に残る。とにかく作品のあらゆる部分に罠が仕掛けられているようで、罠に掛かればあっという間に病み付きになってしまう危険な音楽。

RUSH MUSIC NEWSより)

そう、たとえば『桃太郎』という最新曲。

じーちゃん マウンテン芝をカット
ばーちゃん リバーでウォッシュ はっ!
僕おうちに篭もってゲーム
PCエンジンbyハドソン

 

ボーカルのコムアイちゃんいわく「歌詞に30代ホイホイをちりばめて」いるとのことだけど、うぅ、ど真ん中です(東京都在住 34歳)。これだけでもヤバイのに、さらに畳みかけるように

はい。
キ ヴィ ダーンッ (よっ)
キヴィキヴィ ダーンッ (はい)

お に たーいじっ
おにおに たーいじっ

の卓球ぽい振付であっけにとられ、

団子をもらって命を投げ出す物好きなんていない
ペットと一緒に鬼退治とか絶対正気じゃない
犬とサルは仲たがい キジは戦力外
何でもするから鬼が島だけは勘弁してください

の切実な訴えに涙。

「ペットと一緒に鬼退治とか絶対正気じゃない」

メロディのある歌の前に、短歌のような情景を切り取った「歌」や韻を踏んだ「セリフ」として耳に残るんです。そのうえメロディも音もぐにゃぐにゃして耳に残る(このへんを専門的に書けたらロキノンぽいのに残念)し、気の抜けた歌い方も力の抜けた振付も中毒性に拍車をかける。

 

10月某日、Charisma.comさんの「どっと祭」というイベントに行ってきまして、そこに水曜日のカンパネラさんも出ていまして。それが最初の出会いでした。

『星一徹』という歌で小さなちゃぶ台(あれは発泡スチロール製なんだろうか)を客席に

投げては回収、
投げては回収、
投げては回収、

というパフォーマンスが衝撃的だったのです。

パンクなバンドが客席にダイブするのは知っている(見たことはない)けど、ちゃぶ台を回収しにステージから降りて歌いながら歩き回るシンガーを見るのはもちろん初めてで、しかもその間ボクらお客さんは正座しているんです。『星一徹』だから。

 

で、10月23日(平日です)、渋谷で対バンライブがありまして、

仕事の合間を縫って行ってきました。

 

 

この日はお菓子を入れたバスケット片手に客席の奥までずんずん突き進み、これまた中毒曲『マリー・アントワネット』で

「お菓子を食べればいいじゃない!」

と叫びながらお菓子をばらまいてくれました。

 

 

その2週間後の11月5日(平日です)、アルバム『私を鬼ヶ島に連れてって』の発売記念インストアライブ!ふたたび仕事の合間を縫ってお友達と行ってきましたタワーレコード新宿店。

サインもろてきました。
握手しておしゃべりもしてきました。
お菓子とキヴィ団子はもらえませんでした。

SFCの人だって。頭いいんだな。

 

すっかり、どっぷり。

 

 

かわいくて、先が読めなくて、歌詞に固有名詞がばんばん出てきて、かつての井上陽水やらスチャダラパーやらで大きくなったアラサーおっさんの心を鷲づかみです。日本語で遊びまくってることが、なんというか羨ましい。

 

水曜日のカンパネラ(Twitter)

 

「お菓子を食べればいいじゃない!」

ぐうの音も出ない僕は
しっとりもちもちキヴィ団子に手を伸ばす。

 

アルバムの試聴はこちら

『泣いてもいいんだよ』の歌詞を自分ごときが誉め称える無礼をお許しください。

ちょうど書こうと思ってたんだよ!
と唸っちゃいました。

 

(前略)注目したいのは編曲・瀬尾一三である。徳永英明「壊れかけのRADIO」、バンバン「『いちご白書』をもう一度」など、上げればキリがないほどの日本音楽界屈指の編曲家であり、中島とは1988年リリースのアルバム『グッバイガール』以降、ほとんどの楽曲でアレンジを担当する、中島作品に無くてはならない存在である。だが、多くの歌手・アーティストに提供されてきた中島楽曲では、実は瀬尾がアレンジを施した作品は少ないのだ。そんな中、同曲は簡潔な楽曲構成ながらも中島みゆき節とも言える個性とともに、瀬尾の起用が功を奏し、近年のアイドルソングとしては異色な仕上がりになっている。

ももクロ×中島みゆき『泣いてもいいんだよ』の歌詞はなぜ刺さる? 瀬尾アレンジが示す“歌の本質”とは より

そうなんです。
オリコンウィークリーでTOPにもなった、ももいろクローバーZの新曲『泣いてもいいんだよ』の編曲が瀬尾さんというところに、中島みゆきファンはマスオさんばりに両手をピンと伸ばして「えぇっ?!」と背伸びしたはずです。僕もです。

中島みゆき作詞作曲という発表を国立競技場で見たとき、それでも「ももクロ風」にはアレンジされるんだろうなと思っていました。歌詞もいつもの中島調にくらべればいくぶんライトになるのかな、とか、僕、ナメてました。

実際は、ガチ・みゆきソング。

瀬尾さんアレンジのシンセとサックスは20年前から変わらない音で、ふだんのももクロに比べれば転調はおとなしめ。音楽は門外漢なのであくまで素人の印象でしか語れませんが、最近の歌にしてみればずいぶんと「単調」と言えるかもしれません。

そんなみゆきソングのつくり方については清水ミチコさんの解説が素晴らしいのでこちらをご覧ください。

「型どおりだと嗤いなさい〜♪」

 

ちょっと時代がちがうけど、そう、型どおり、シンプル。ゆえにボールド。
ぶっとい歌詞が、ぶっといメロディと歌い回しで展開されます。

近所のJASRACが怖くてワンフレーズずつをちびちびと「引用」するしかないのですが、みゆきさんはやっぱり歌詞が素晴らしい。

「強くなれ 泣かないで」「強くなれ 負けないで」
「大人になれ 泣かないで」「大人になれ 負けないで」

(ももいろクローバーZ『泣いてもいいんだよ』より)

「大人たち(仮にそうします)」からの「逃げ道のない」励ましから始まる冒頭は、その後につづく反抗へのトリガーとして、壮大な瀬尾アレンジとともに幕を開けます。

ただ、単純な反抗ではないのが、中島みゆきイズム。

それが、

「泣き虫な強い奴なんてのが いてもいいんじゃないか」

(同)

こういう奴がじつはいちばん強い奴なんじゃないか?とでも言いたげな。
『泣いてもいいんだよ』というのは「全然今なら泣いてもいいんだよ」と赦しながら、そのぶん「強く泣け」と『夜を往け』ばりに言われているような気にさせられます。

思い返せば

「その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ」

(TOKIO『宙船』 作詞作曲 中島みゆき)

にも現れる、孤独の強さ。

「泣き虫な強い奴」の登場で、ぐっと自己投影したくなる歌になります。
初めて聴く人が、ただの応援歌じゃないぞと思わせられる。

 

つづきます。

「どんな幻滅も 僕たちは超えてゆく
でもその前にひとしきり痛むアンテナも なくはない」

(同)

ここで心を鷲づかみにされた僕。

「なくはない」って、かーっ!
みゆき節だわー、フォークだわー、それ好きなやつだわー。

「一日の中に 1年を詰め込む
急ぎすぎる日々が 欲望を蝕(むしば)む」

(同)

詞と音がさも同時に発さているかのような合致っぷり。
「なくはない」や「蝕む」の言い切りの台詞がメロディにぴったり填まっている。
それが中島みゆきの説得力、中島みゆきの包容力。

そこに歌唱力も加わって三位一体となるのですが、その醍醐味をちょっと感じさせてくれるのは有安さんかも。節回しが曲にすごく合います。

いつか中島みゆきさんご本人の歌唱でも聴いてみたいものです。