マッチさん

2011→2012またぎのジャニーズカウントダウンライブを古いHDDからひっぱり出して妻が見ていた。

三太郎になる前の剛力彩芽と井川遥が出ている某携帯キャリアのCMになんとも言えない気持ちになる。と同時に、三太郎に変わって精神的不安感が世界からひとつ消えていたことを今さらながらに知る。

嵐やキスマイ、若々しいHeySayJUMP、そしてまだメンバー全員が18歳未満でVTRでのパフォーマンスになるSexy Zoneたちがグループの垣根を越えてジャニーズの楽曲を歌い上げる様は毎年ほぼ同じ光景なのに圧巻。SMAPの名曲もカバーするあたりに時代を感じて寂しくなる。

そんな中、この日の目玉的な扱いを受けつつ少年隊の東くんとKinKiの光一くんがマッチさんの「アンダルシアに憧れて」を披露。

「この歌、もはやヒガシばかり歌っててマッチ以上にアンダルシアに憧れてるよね〜」などとテレビ画面と会話している妻が、まさかのマッチご本人登場に歓喜の声を上げる。

どうでもいいけど芸能界でワガママ放題にやってきた自由奔放さが苦手な僕は「結局おいしいところは自分でかっさらう、こういう人だよマッチは」と、どうでもいいのに東京ドームを年始から湧かせる大物アイドルに向かって悪態をついてしまった。おいしいところをかっさらう人種は広告業界に多い。つい重ねてしまった。

そんな小男の旦那に、妻は画面から目をそらすことなくたしなめる。

「仕方ないよ、日本に住んでいる限り地震とマッチはやってくるんだよ」

受け入れよう。

ハウス・オブ・カード「私の生存に必要な女だ」

『ハウス・オブ・カード』第一話。

主人公フランク(ケヴィン・スペイシー)はホワイトハウス入りを目指す下院議員。 大統領候補ウォーカー(ミシェル・ギル)を応援しており、彼が当選したあかつきには国務長官のポストをもらう約束をしていた。 しかし、大統領に当選したウォーカーはフランクを裏切り、フランクのホワイトハウス入りの夢は無残に散ってしまう。

 

© 2013 MRC II Distribution Company L.P. All Rights Reserved.
© 2013 MRC II Distribution Company L.P. All Rights Reserved.

 

耐えがたい屈辱を味わったフランクは、どんな手を使ってでも必ずホワイトハウスに入ってみせると心に誓う。 利用できるものはすべて利用するしたたかさと、邪魔者には容赦しない残酷さ、3歩先をいく聡明な頭脳を武器にフランクは這い上がっていく。

一方、フランクの妻クレア(ロビン・ライト)もNPO法人「クリーン・ウォーター」の代表を務めるキャリア・ウーマンであり、夫と同様、目的のためであれば手段を選ばない性格である。 各々の欲望が絡み合う熾烈な駆け引きの末に、最後に笑うのは誰なのか。

(Wikipediaより)

人生最大の裏切りに遭った日の深夜、たばこをふかし、冷静さを取り戻したフランクは大統領への復讐を誓う。「それでいい。付き合うわ」と優しく接する妻がコーヒーを手渡し、言う。

「スーツを用意したわ。紺色のよ」

それは大統領選でも着ていた勝負の色。

そこでケヴィン・スペイシーのこの一言。

「愛してる。私の生存に必要な女だ」

部屋から去ってゆくフランクが、妻(というよりは我々視聴者)に向けてさらりと告白する。完全なるパートナー。この「私の生存に必要な女だ」にシビれた。

僕にとっても奥さんはまさにそれで、この人に支えてもらわないと僕の生存は立ち行かなくなる。精神的に。この人を支えよう!じゃなくて、支えてもらわないと死ぬ!と思って結婚にこぎ着けたのが偽らざる事実。だからとってもリアルな台詞だった。自分の場合はだいぶダサいのが悲しい。

そして日々はドラマじゃないので、そんなクサい台詞は決して言わない。

 

では、僕にとってあーりんは何なんだろうか?

Twitterでフォローしているももクロ関連アカウントが、鬼才、デヴィッド・フィンチャー監督がメガホンを執るドラマの視聴中でもあーりんのBlog更新を教えてくれる。ちょうどこの台詞に感銘を受けていた頃に通知が来た。huluを一時停止。

そこにはこの顔である。

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思わずにやける。

生存に必要?いや大半がピクセルでしかお目にかかれないし。けれどその画面からさえ伝わる圧に人生が潤う。好きすぎて苦しい。「それはそれ、これはこれ」とはなんて便利な言葉なんだろう。もはや親戚だったらいいのに。4月は福岡遠征だ。私の人生を圧迫する?いや、潤す人。

 

今朝の奥さんはプロレスラーのイベントの参加券をゲットしに神保町へ行き、帰宅して何本かの試合とHey! Say! JUMPのDVDを見て、山田さま主演の『暗殺教室』を観に出かけた。僕が彼女の生存に必要な男なのかは怖くて聞けない。

 

お留守番中に観る『ハウス・オブ・カード 野望の階段』、じわじわと、面白い。

http://house-of-cards.jp/

ファミリーよ永遠なれ。- アイドルファンの呼称にまつわる考察

午前3時の串焼き屋。

♠「松潤と井上真央が結婚するってニュースでAさん落ち込んでたよ」

♡「あらかわいそう。これからどうするのかしら?」

♠「俺足族として生きていく!ってさ」

♡「あぁ、藤ヶ谷くん推しなんだっけ?」

♠「北山くんも好きみたいよ。それにしてもKis-My-Ft2のファンの呼び名が俺足族っていつ聞いても秀逸で笑っちゃうんだけど、アイドルファンに名前をつけるのって、何なんだろうね」

♡「NEWSのパーナさんとか?最近はパーナさん事件のせいか、KAGUYAって呼ぶけどね。びっくりだよ、こないだまで自分のことパーナさんだと思ってたのにメンバーから“KAGUYAのみんな!”って言われた日にゃ。私はKAGUYAだったんだよ。よろしく!」

♠「パーナさんってチャンカパーナって歌のタイトルからできたんだっけ?そのネーミングセンスもすごいけど、KAGUYAもなかなか」

♡「KAT‐TUNファンはハイフンって言うし、関ジャニ∞はエイター。タッキー&翼ファンは安藤さん」

♠「安藤さん?」

♡「タッキー アンド 翼で、安藤」

♠「へえ‥‥。嵐ファンをアラシックって呼ぶのは聞いたことある。Aさん‥‥アラシックから俺足族へ転向ってことかぁ」

♡「そんな単純なことじゃない。そっとしときな」

♠「やっぱ呼び名があるとファンとしての自覚?が高まるよね」

♡「あなたの“モノノフ”も」

♠「うん、ももクロのLIVEだとメンバー紹介のあとに、6人目のメンバーとしてモノノフが紹介されるからね。俺らが呼ばれた!っていう瞬間の雄叫びは毎回すごい。あと、モノノフって言葉があるから成り立つ関係とか会話とか、この4文字があるおかげでものすごい広がる。玉井詩織さん推しならタマノフ、あーりん推しならプニノフ。他の女性アイドルだと、Berryz工房は‥‥」

♡「ベリヲタじゃない?」

♠「でもそれはBerryzのみんなからは呼び掛けないでしょう?」

♡「そうね。℃-uteはチーム℃-ute」

♠「ちょっと長いけどかわいいね。Especiaはペシストだな」

♡「誰それ?」

♠「話せば長くなるけど大阪出身の」

♡「スマイレージはスマイレージファミリーって呼ばれてたけど、アンジュルムに改名しちゃったからなぁ」

♠「モー娘。はないの?父兄、とかイブニング親父。とか」

♡「それは浜村淳だ」

♠「スマイレージファミリーってストレートでいいね。長いからLIVEで煽りづらそうだけど。私立恵比寿中学もエビ中ファミリーだ」

♡「やっぱこういうのって、結束力を保つためのものでしょう?マフィアみたいな。だからファミリーなんじゃない?ドン・コルレオーネ一家とか。ファミリーに忠誠を誓うってやつ」

godfather

♠「あ、ふつうの家族じゃなくて、そっち?」

♡「橋田壽賀子ファミリーとか」

♠「なるほど。でも、これってアイドル独特だよねえ」

♡「そうでもないよ。ドン・コルレオーネ一家はアイドルじゃない」

♠「じゃなくて」

♡「昔から吉永小百合のファンはサユリストって言うし、村上春樹ファンはハルキストでしょ。LUNA SEAのファンはSLAVEだよ」

♠「SLAVE‥‥奴隷?!」

♡「RYUICHIのファンはRYUスレ。サカナクションのファンは魚民って呼ぶのは本当なんだろうか。THE ALFEE中毒でアル中とか、いいよね」

♠「は〜‥‥独自すぎるわ。共通語をつくることが結束力になってるんだね。大事だな!」

♡「名前はラベリングだからね。命名って、まさに命が宿るよ」

♠「我々は生かされているんだね、モノノフという名前を得ることで」

♡「パーナさん、じゃなかったKAGUYAとして」

乾杯。

言ってりゃなんとかなる2015

案の定、帰省中は弟と母のみならず伯母からも

「ももクロのどこがいいん?」
「見た目ふつーじゃない?」
「逆にふつーがいいってこと?」
「わからんわー」

と総攻撃を食らい、昨年最後に書いたエントリーの通りになってしまったのだが、職場でも「ピンクは丸すぎないか?」と社長からストレートに問われる一年だったのでここでもノーコメントを貫き通す。どこがいいかを語り出したら止まらないけど、質問を受けているにも関わらずその回答にはまったく需要がないことも知っているので答えない。

いまはただ、インフルエンザで紅白を欠場になってしまった有安杏果の新年最初のBlogエントリーに涙し、紅白直後の24時間Ustreamであーりんママからのメールに露骨な苛立ちを見せたあーりんの人間味あふれる態度が新年早々見られたことにニヤニヤするばかりである。

 

「彩夏にこれ以上食べるなと言ってください。太るよ。あーりんママより」

 

2014年は、自分の「好き」を公言してはばからないことで世界が広がることを学んだ一年でした。

大好きなラーメンズのコントのセリフで

「言ってりゃなんとかなる!・・・・ほら、お前も言ってみ?言ってりゃなんとかなる!言ってりゃなんとかなる!言ってりゃなんとかなる!」

というのがあるのですが、まさに、言ってりゃ誰かが気に掛けてくれて世界が広がる。そのことを僕なんかよりもアクティブに実行しているのが妻で、彼女を見ていると日本でいちばん元気なのは韓流スターや宝塚や歌舞伎スターたちを追いかけるおばちゃん軍団だというのもよくわかります。

「私もいつかサブちゃんの良さがわかる時がくるのかしら」
くるね。

「江戸時代に生まれてたら絶対に写楽の浮世絵集めてたよね」
だね。

 

一月四日の夜、夫婦で「こんなにもお互いに好きなことばっかりしてていいんだろうか?」という話をおそらく初めて真面目に話し合いました。こういうところから、2015年は徐々に始まっているんだと思います。

それぞれに好きなことをひたすら追求するだけじゃなくて、蓄えもつくらなきゃいけないし、できればもうすこし家族っぽい編成にもなりたいし、夫なのに「同居人のおじさん」と言われることからも脱したいし、互いにソロ活動じゃなくてコンビで地方巡業じゃなかった旅行にも行きたいし。

・・・・と、パーソナルなことに目を向ける一年にしたいと思っています。あまりにも目を向けてこなかったから。

まあ、言ってりゃなんとかなる!

mcz

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

猫を拾ったと思ったんだ。

どの家にも暗黙のルールというものがある。

それは家族間の「よき理解」と「なすりつけ合い」の狭間で宙ぶらりんになった何かだが、何かを明確にしないでいいのが家族というシステムの便利なところかもしれない。

 

小学生の弟が下校中に子猫を拾ってきた。

必然的に、小さい頃からカブトムシやザリガニを飼育していた僕が育てることになった。

猫とザリガニは「生き物」という以外はぜんぜん別物だろうに。

それにしても、なぜ僕は34歳のままなのに、5つ年下の弟が小学校低学年なんだろうか。

 

母が日々買いそろえて出来た食材の宝庫のような冷蔵庫をあけてミルクを与えようとするが、こんなときにフルーツ牛乳しかない。

実家の定番飲料は知らぬ間に麦茶とフルーツ牛乳に変わっていて時間の経過を感じる。

仕方なくきんきんに冷えたフルーツ牛乳のふたを開けてストローを通すと、久しぶりの食事だったのだろう、まだ目も開かないパンダのような白黒柄の子猫はストローで器用にそれを飲み干した。

子猫を抱いたまま近所の墓場へ家族で散歩し、気味のわるい地蔵に手を合わせて帰宅。

これは僕が19で上京してから出来た新しい暗黙のルールらしい。

家を出た者に新ルールへの異を唱える資格はない。

2階の自室に入って子猫の寝床をつくってやろうとダンボールを探す。

高校時代、美術部で油絵に没頭(というか逃避)していた僕の部屋は床が油絵の具にまみれていて、ペットはもちろん人間にも有害なにおいが18年経った今も充満していた。

筆洗い用のテレピンオイルの鼻を刺すにおいは、いつも両親、とくに父親をシンナー的な意味で心配させていたが、僕はそれが子猫の存在で初めて心配になった。

でも仕方ない、まずはダンボールとシーツでこいつの寝床をつくってやらにゃ。

みゃーみゃーと元気よく鳴いている、ちょっと安心。

物置と化したベッドの下を漁っていると、背後に子猫とは別のつよい存在感を感じる。

そこに子猫だったものはもういなかった。

白と黒の毛が辺りに抜け落ち、白い肌を露わにした、獣とヒトの中間‥‥?のような、なにか。

まるで羊膜からいままさにヌルッと出てきた子牛のように濡れている。

サナギから成虫になって羽ばたくアゲハチョウのスピード再生みたいに、みるみるうちにそいつは成長し、子猫は人間に、正確には、僕の妻になっていた。

しかも17歳の。

なぜ17歳だと「わかった」かはわからない。

妻は自分のからだにまとわりついた羊水をていねいに舐め取っている。

とりあえず、なにか着せなきゃ。

ちょうど本物の妻の黒い下着が床に落ちていた。

なぜそんなものが高校卒業から使っていない僕の部屋に落ちていたのかは「暗黙のルール」でも説明がつかない。

僕に考える余裕はなかった。

17歳の妻はそれを慣れた手つきで着ける。

が、まだ胸が小さくてサイズが合わない。

この際、なんでもいいや。

僕は次第に焦り出す。

本物の、33歳の妻になんて説明しよう。

これは猫です、で通じるだろうか。

This is a cat.なんて無意味に思っていた中学英語みたいな文章をまさか日本語で発する日が来るとは。

 

人は未来・現在・過去のことを同時には考えられない。
どれかひとつのことを考えている間は、のこりふたつは放置されてしまう。

と、昔TEDで天才スリ師がプレゼンしていた。

案の定、本物の妻が帰宅してくる未来の心配をしていた僕は“17歳の子猫”から完全に注意が逸れていた。

そいつはいつの間にか灰色のセーラー服を着て、窓から身を乗り出して向かいの高校に手を振っていた。

家の向かいに高校なんてあったっけ。

さっきまで猫だった妻の横に立って外を見ると、校舎の屋上でおなじ制服を着た学生が屯しているのが見える。

元気に手を振る妻の存在には気づいているようだが、無視を決め込んでいるようだった。

それでも彼女は笑顔で手を振り続けていた。

そうか、お前の家はあそこなんだね。

帰してやらないとね。

そう思って妻に目をやると、彼女は僕を見て、みゃーと鳴いた。

 

‥‥という夢を、今朝見ました。

文章化するにあたって追加した描写は油絵の具のところくらい。とにかく鮮明な夢でした。夢オチですいません。

起きてすぐに妻(本物)に報告すると、まあ、心配そうというよりは気持ち悪そうな目で見つめられました。

なぜ17歳の妻が出てきたのか。きっと、高校生の頃の妻の写真が最近出てきてリビングの棚の上に置きっ放しになっているからでしょう。

弟が小学校低学年だったのは、昨日が弟の29回目の誕生日で、彼の写真を探していたら幼少期のが出てきたからでしょう。

なぜ子猫が妻に変身したのかはよくわかりませんが、文章にしてみて気づきました。大好きな手塚治虫の短編集『空気の底』に収められている『猫の血』という話にインスパイアされている気がしてなりません。後味のわるーい作品が寄り集められていておすすめです。

夢診断とか怖いので見ません。
毎日長編の夢を見るのでフルタイムで寝不足です。

 

夢が面白いのは、脳内再生された出来事の荒唐無稽さもありますが、それ以上に、起きたあとに「多幸感」や「恐怖感」、「喪失感」などの感情だけが妙にリアルに残されることです。今回は薄ぼんやりとした過去の「喪失感」が残りました。

天才スリ師曰く、人は未来・現在・過去のことを同時には考えられないそうです。
そろそろ過去から帰ってこないと。

今夜家に帰ったら、棚の上の写真を仕舞おう。

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御苑/ウォーホル

みどりの日。

 

無料開放の新宿御苑で昼寝して、
無料開放の新宿御苑で昼寝して、

 

起きて、
起きて、

 

六本木でウォーホル展→串カツ→
六本木でウォーホル展→串カツ→

 

帰って録り溜めた番組をひたすら消化。
帰って録り溜めた番組をひたすら消化。

 

明日(2014.5.6)まで開催中のアンディ・ウォーホル展に行ってきました。

僕が高1だった1996年。東京都現代美術館で回顧展があって、当時は今よりもウォーホルブームに沸いていました。ちょうどそのタイミングで高校の担任が美術教師だったこともあり、美術部に入ってウォーホル関連の雑誌を読み漁っていました。『美術手帳』とか『芸術新潮』とか『STUDIO VOICE』とか。その頃を思い出す、自分にとっても回顧展でした。

そういえば最初に作品を観たのは16歳の家族旅行で行った尾道だったな、とか、2012年の転職のタイミングで行ったNY一人旅でも観たなぁ、とか。

NYのメトロポリタン美術館は写真撮影OK。冒頭のモンローもメトロポリタン美術館です。
NYのメトロポリタン美術館は写真撮影OK。冒頭のモンローもメトロポリタン美術館です。

 

「機械になりたい」と語るウォーホル。
そういうところにシンパシーを感じていたんだろうなぁ、16歳のD.T.は。

『POP ART』、『エヴァンゲリオン』、『鉄男』、『AKIRA』、『テクノ』に溺れるほど傾倒してました。
無個性、没個性に憧れる個性っていうの?‥‥恥ずかしい。
当時は中2病なんて言葉はなかったから存分に浸ることができた。
(今になってみればクオリティがめちゃくちゃ高いものに浸れたのは財産)

正直、田舎の高校生にとって鮮やかに憧れる存在だったウォーホルとその作品群に対して、今さら観に行くのもなぁ?と思って敬遠してたけど、行って正解でした。
「史上最大の回顧展」と謳うだけあって、商業デザイナー時代の作品や観たことのなかった習作、写真など、作風の変遷とウォーホルの人生をていねいにたどることができました。

 

会場の壁に書かれていた本人のこの言葉が妙に印象的でした。

西東京のメモリー

今日、7月14日は3度目の結婚記念日。
1週間前に思い立って箱根の旅館を予約して、
付き合って13年目にして初(!)の二人旅を敢行した。

その2週間前、僕は立川にいた。

これも急に思い立って、
1999年に上京してから7年間を過ごした
立川を気まぐれに歩き、当時ヘビロテしていた
ミスチルの『Atomic Heart』や
くるりの『東京』を
iPodで聴きながら思い出を散策。

立川は妻と出会った美術予備校がある。
立ち寄ってみたけどあいにく日曜で閉まっていた。

予備校から6年通った大学、
そして新卒入社してからの半年間の
あわせて7年半住んでいたアパートに向かった。
かつて以上に掃除が行き届いていないこと以外は
何も変わっていなかった。

友達がふざけて鍵で書いた玄関前のラクガキもそのままだった。

 

ラクガキはやめましょう。
ラクガキはやめましょう。

 

街は駅前を中心にデパートや駅ビルが新たに建ち並び、
その代わりに薄汚い雑居ビルや違法駐輪の一帯が整理され、
ずいぶん都会になっていた。

帰り際、よく通っていた定食屋で
メンチカツを食べようと思ったけど、
店じまいされていた。

自分が訪れるよりもずっと前にそうなっていたんだろう。
なのに、突然来て、勝手に感傷的になっているのが
なんだか身勝手な気がした。

第二の故郷は、ほんとうの故郷とちがって
帰るべき家も寄るべき友人も何もない。
あるのは自分の記憶と友達が残したラクガキだけ。

 

それに比べて旅は気軽でした。
新しい場所は辿るべき感傷コースがない。
観るものすべてが新しい。

 

ロープウェイから見下ろす大涌谷(おおわくだに)の温泉地帯。
ロープウェイから見下ろす大涌谷(おおわくだに)の温泉地帯。

 

無計画に宿だけ取って
ロマンスカーで行った箱根は
妻のジャニーズ好きがおおいに役だった。

ケーブルカーからロープウェイに乗り、さらに船で
芦ノ湖を南下し、観光らしい観光を楽しめたが、
すべてHey!Say!JUMPのバラエティ番組で
八乙女くんと藪くんと石原良純が訪れたコースらしい。

デブとは言わないが出不精の妻を旅に連れ出すには、
ジャニーズの旅番組を見せてからにすればいいんだ!と
結婚4年目にして学んだ。

彼女は旅先でも自分の好きなものを追っかけている。

 

僕は何を追っかけて立川まで行ったんだろう。

関根勤の妄想力

博報堂が発行している雑誌『広告』2012年1月号、コメディアン 関根勤さんへのインタビューより。

 

関根は、妄想好きとしても有名だ。

「アイドルとデートする妄想はよくやってたんですけど。最近は、妻にも妄想し始めましたよね。というのは、21年前に、家族で旅行に行った写真が娘の麻里の部屋にあったんですよ。パッと見たら、妻が35で。まあ、35というと本当に若くて、きれいで、女盛りなんですね。アレーッ、何でこんな女盛りの妻を楽しまなかったんだと。毎日眺めたり、抱きしめたり、『きれいだね』って言ったり。僕も37でそこそこ若かったんで、気づかなかったんですね。でも、ここへはもう戻れない。そのとき、ふと、待てよ、と。今の妻のことも、20年後に同じように写真を見て比べてみたら。『ああ、この頃きれいだったな。何で俺はそれを享受しなかったんだろう』って思うと思ったんです。これまでの妄想って、過去ばかりに飛んでいたんですけど、そのとき初めて自分が78歳になりまして、20年後に、未来に飛んだんですよ。自分が78歳になったという妄想で今の妻を見たら、いや、妻は若いし、きれいなんですよ」

 

感動しました。

33歳の僕は2ヶ月後に同い年になる妻を関根さんのように見たことはもちろんなくて。

自分なりに反省して、平日の夜に呼び出し麻布十番でイタリアンに興じたわけです。

というのはこじつけで、たまたま妻の会社の近くにいたから出てきてもらっただけですが。でも、こういう誰にも邪魔されないディナーが平日にあるのは悪くないし、20年後に訪れるかもしれない後悔をすこしは軽減できるかも。なんて。

関根さんは意識して喋っていないかもしれませんが、妄想ってたしかに「亡き女を想う」と書く。たとえ戻ってこない過去も、いったん未来に飛んで想えば、また現在に帰ってこれる。

というのはこじつけで、本当は「妄(みだ)りに想う」って意味だから、好き勝手に想うこと。それを一枚の家族写真から拡げること自体、とっても愛妻家なんだと思う。

そんな関根さんを見習って、ときどき未来に飛んでみよう。

15年

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気がついたら、出会って15年。

15年前は、ふたりとも美大受験を控えた高校3年生でした。

まさか浪人するなんて、思ってはいたけれど、

まさか結婚するなんて、思いもしなかった。

2003→2013 生きてます。

休みが長いと私事ばかり書いてしまうのは僕だけじゃないようです、いろんなBlogを読んでいると。プライベートに割く時間が増えるぶん社会との接点が減ることと、お正月はふだん会う人と会わなくなったり帰省したりするから内省的になるんでしょうね。自伝を書くなら正月休みがぴったりです。

 

で、私事ですが2013年はBlog更新歴10周年

10年前の2003年はBlog黎明期でした。TwitterやFacebookはもちろん、YouTubeもGmailもない当時、Blogは文明開化の音がする新しいツールでした。個人がメディアを持てる!ともてはやされ、数々のBlogサービスが雨後の筍のように誕生したものです。

apple_powermac_g4Photoshop 7がCS1になったばかり。Power Mac G5に256MBのメモリが積まれていた時代です。僕は2000年に父から大学の入学祝いで買ってもらったG4を使っていました。

「美大生はアレか?Macintoshか?」

Windows95に興奮し、PCの自作を趣味とする父にはMacは「生ぬるいスカした野郎」だったかもしれません。なのに美大生=Macという正しすぎる固定観念をどこから得たのか、当時42万円もした“玩具”をねだることもなく買ってくれたのでした。母は反対してましたが。

2003年頃の自宅アパート。書棚には『広告批評』とアラーキーの写真集と椎名林檎のCD。
2003年頃の自宅アパート。書棚には『広告批評』とアラーキーの写真集と椎名林檎のCD。

 

いまとなってはiPhoneよりも低スペックなG4 500MHzを相棒に、630万画素のEOS 10DとPENTAX67という2kg以上する中判カメラを持って作品作りに没頭していました。機材だけは一人前。資金繰りが大変だったので居酒屋やテレアポのバイトで汗を流してました。

大学では映像学科で写真を専攻していたので、アパートに暗室も作っていました。フィルムカメラとデジカメの両方を行ったり来たりしながら、そもそも写真家になりたいのかそうでないのかを決めかねずにシャッターを切る毎日。

ある日、デジタル写真の授業で、作品の発表先としてWebサイトを作る課題が出ました。

FlickrもInstagramもない時代。Dreamweaverを使って先生のソースコードを見よう見まねでサイトを作り、Photoshopでリサイズした写真をアップする。画面に出る。他のマシンでも出る。すごい!世界に発信されている!外国人から感想が届く!(実際、サイトの写真をきっかけに韓国の女性と会いました)

思えば、これが僕のWebとの「作り手としての」最初の出会いでした。
そんな写真を発表するためだけに作られた個人サイトにBlogを付けたのは、親からの要請があったから。

 

この1年前の2002年、22歳の僕は大病を患い1ヶ月以上入院していました。

 

病床から。
病床から。

 

1本数万円する注射を毎日打ち、抗がん剤とおなじ副作用をもたらすと説明を受け、眼の裏側の毛細血管が出血することで起こる失明の不安におびえる日々。みるみるうちにベッドから立てなくなるほど体力を奪われました。髪の毛が抜けなかったことは幸いでしたが、治すための薬で身も心も衰弱するとはどういうことだ?と見知らぬ天井に訴えかけていたことはいまでも忘れられません。

最初の外出許可が出たときに、いまの妻と青山ブックセンターに行ってTUGBOATのトークショーに参加したのはいい思い出です。写真家という漠とした将来像とは別に、広告の世界が常に輝いて見えていました。タクシーから降りた瞬間にぶっ倒れてしまいましたが。

 

1ヶ月を超える入院期間を経て通院に切り替わったその年の冬。
大学には休学手続きを出し、みんなが大学に通っている間に雑誌『広告批評』が主宰する「広告学校」に通ったり、妻(になる人)の作品作りの手伝いをしたり、写真を撮ったりしながら悠々自適の生活を送っていました。

ところがある朝、週3回に減らした薬の副作用がどっと噴き出し、ラッシュアワーにとある駅のホームで倒れて線路に落下。

正確には副作用が農に総攻撃を仕掛け、幻覚を見るようになって、まるで操られるかのように明確に「死のう」として飛び込んだのです。
幸いにも、頭の中ではホームに入ってきたはずの電車は走っておらず、近くにいた3人の方々に助けられました。

幻覚の中にいたのに、その当時の出来事はかなり克明に覚えています。あまりにもネタが豊富にあるので、詳細は別の機会に書きたいと思います。親戚から「小説として出版したら」と言われるほどの数奇な体験です。

ハッキリ言えることは、僕の自殺未遂はすべて副作用のせいであり自分の意思ではないということ。事実、この薬によって年間数名の患者が自殺しているという記事も入院中に読んで知っていました。なにかに操られて死へ突き進む人がいる。それがまさか自分になるとは。

話を戻します。

警察に保護された僕は興奮状態で、真っ先にドラッグ中毒を疑われたそうですが、取調中に気絶して今度は救急車に運ばれ、そのまま入院。見知らぬ病院で20日間の混迷状態を彷徨い、ある日の日中に突然「生還」しました。

「息子が20日間も目を覚まさなかったってどんな心境だった?」

後になって母に聞いたところ、母は僕が植物人間になることも覚悟しろと宣告されていたそうです。そりゃそーだよね、20日間も目を覚まさないんだもの。

話を飛ばします。

 

死の淵から蘇った翌年、また大学3年生として復帰。
そしてデジタル写真基礎というデジカメとDreamweaverを使う授業に繋がるわけです。

自分の写真を誰にでもなく気軽に公開する場を得た僕は、それを田舎の親に見せようとWebサイトの存在を知らせました。その時、Blogを書いたら?と提案されたのです。

理由は「生存確認」。

ただ写真をアップするだけじゃなく、日々の出来事を書いてくれていれば安心する。読者でいさせてくれと。もともと日記は小学生の6年間ほぼ毎日欠かさず書いていたので、抵抗もありませんでした。

まだまだ未熟です。

分からないことと知らないことが混在しています。

分からないことを明らかにするために、日記を書くことにしました。

Die Another Day
別の日に死ぬ

「今日はまだ死んでない」という意味らしい。

まだ生きている間の日記。

生きている間のことを、書こうと思う。

初めて書いた日の文章が暗いのは、まだ自分を幽霊かゾンビのように思っていたからかもしれません。これでは親は余計に心配するわ。

 

よく「Blogの集客力をアップさせるには、1テーマに絞り込み、タイトルは内容を15文字程度で要約し、読者の役に立つことを書くように心がけよ」などのTipsがブロガーさんから発信されますが、僕のは事の発端からしてこんな感じなので、テーマもバラバラ、タイトルも不親切、役に立つこともナシです。心がけていることといえば、専門的なことは砕いて書く。読者の親でも分かるように。

何ヶ月も更新しないときも何度もありましたが、とりあえず10年目。
これからも「生きている間のことを、書こうと思」います。

 

追伸。おかげさまで身体はすこぶる健康です。この正月は帰省せずにすみません。

ワイフのつぶやき

妻の言うことが面白くて、よくTwitterに投稿します。
そのたびに叱られます。

「あなたは私のスポークスマンか」
「私のイメージがこれで付いちゃう」

妻はとても優しく気の利く人であることを
お断り(フォロー?)しておきつつ、
過去にツイートした中から面白かったものをピックアップします。

 

ゲイだらけの小室哲哉ナイトに参加してきた妻。「会場のスモークがすごくて、でもスモークなんて焚いてないんだよ。ぜんぶガチムチたちの蒸発した汗なんだよ。ガチムチミストサウナだよ」
(2012年12月24日)

 

リビングで「眠い…」とつぶやいたら、妻に「寝たいなら帰れよ!」と叱られたが、どこへ…?
(2012年11月27日)

 

ベンザブロックのCMに要潤が出た瞬間、「僕はアゴから」とつぶやく妻。
(2012年11月23日)

 

ティム・バートン監督『フランケンウィニー』のCMを見た妻が「腐乱、犬、か」とつぶやいた。
(2012年11月18日)

 

すごいシーンだったので妻に「テレビ見て見て!」と言ったが一切首を動かさず「むしろ見て私のこの見なさっぷり!」と返された。
(2012年11月10日)

 

先の長い議論に疲弊しているところに、渋谷で遊んでいる妻から電話。「仕事どんな感じ?」「だいぶ煮詰まっているよ…」「ふーん、でも煮詰まるって本当はいい意味のときに使うんだよ」「え」「いい議論や考えが出尽くしたって意味らしいよ本当は!だからがんばれ。私はご飯を食べに行くよ。じゃ」
(2012年10月13日)

 

ジャニーズJr.がたくさん出る某番組を見ながら「ワタシ江戸時代に生まれてたら絶対に歌舞伎と浮世絵にハマってたわ」と自信たっぷりの妻。
(2012年07月9日)

 

外で仕事する妻に手を振ったら「いいか 私とお前は今初めて会ったんだ けして話しかけるんじゃない わかったな!」ってメールが来て震えている。
(2012年4月28日)

 

奥さんの会社に、佐藤健くんが大好きな社員さんがいるという。 「最近その人に何か聞くたびに「左様か」って言われるようになってさ、私は『るろうに剣心』を観たんじゃないかと踏んでるんだけど、「左様か」って言われるたびに「そうでござるよ」って返してる」
(2012年9月02日)

 

僕「あした嵐来るって」
奥さん「どこに?」
僕「東京」
奥さん「全員で?」
僕「え」
(2012年4月03日)

 

ディオールの服を衝動買いしたと奥さんに告白したら、「アホか!ユニクロを着てもアニエスに見える男になりなさい!」と言われた。
(2012年2月13日)

 

Sma STATION!の月イチゴローで吾郎ちゃんがリチャード・ギアのことを「何の作品に出てもリチャード・ギアはリチャード・ギアにしか見えない」と言ってて、それを見た奥さん「キムタク批判かな?」
(2012年2月13日)

 

ユーキャンのCMを見た奥さん「向井理は今年もまだ資格取れてないのか」
(2012年01月2日)

 

初めて『家政婦のミタ』を見た奥さんが忽那汐里(長女)のことを「かわいい朝青龍」と言ってた。
(2011年12月16日)

 

頭痛に苦しんでいる奥さんがいよいよ「あがっ…あがっ…」って言い出したので駆け寄ったら「ドラゴンボールの物まね…」と言い残して目を閉じた。
(2011年12月10日)

 

保存料・合成着色料は一切使用していません、と謳うコカコーラのCMを見た奥さんが「使ってなくてあの味って逆に怖い!」と言っていて妙に納得した。
(2011年4月3日)

 

奥さん:「今さぁ、例え話で、もし結婚してたら って言いかけたよ。びっくりしたなぁ」
(2010年11月15日)

 

髪を切った。鏡の奥に映る台で、見覚えのある女性がカットしていた。よく見ると妻だった。初めて同じ時間に遭遇したようだ。ザクザク切られる彼女の前髪の向こうの眼が、鋭くこちらを凝視しているのが分かる。互いの口元がニヤリと歪む。美容師さんにばれないように歪みをそっと戻した、互いに。
(2010年7月19日)

お前の頭は

今朝、ひさしぶりに大事なMTGの前に寝坊‥‥。

時計を見て、ベッドの上で

「うわああああ」

と叫びながら青ざめていた僕に、
横で寝ていた奥さんが寝たままこう言いました。

 

「今のお前の頭は下げるためにあるんだよ。行きな」

 

その通りにして、なんとか切り抜けました。
(前日に徹夜で資料を作っていたことの恩赦で
許してもらえました。あー、思いっきり頭下げたよ!)

この人に一生ついていこうと思います。

思いに触れる。

恵比寿にて。

給料日明けの週末、それも日曜日にもかかわらず、
宣伝会議コピーライター養成講座の「七代目中村組」
のみなさんに、僕と彼女の結婚を祝っていただきました。

電通のコピーライター、中村禎さんから
コピーと、人としての生きざまのいろはを教わる中村組。

その七代目の同期のみなさんがお祝いパーティーを開いてくれたのです。
結婚式も披露宴もしていない僕らにとっては貴重な催しです。

大人になってからは、自分が主役になって
誰かに祝ってもらうことはもしかしたら初めてで、
しかも僕の奥さんになったばかりの人は
中村組のみんなと会うのも初めてで。

僕の中では気心の知れた仲間なのに、
妙な緊張感と「見られている」視線を
ときどき感じながら、つまり照れながらも、
とても楽しい数時間を過ごすことができました。

 

恩師の禎さんからいただいた言葉を記します。

 

「ご結婚おめでとう。
10年も付き合って、その記念日に
結婚しているお二人だから、もう
何も言うことはないんだけど(笑)、

どんな日でも、
一日一回、相手に触れてください。

どこでもいいんだよ。
これがいいんだって。
前にテレビで言ってた。
手でも、おでこでも、口でも、肩でも。

これをやんなかったから
一回離婚しちゃったんだなー、俺は(笑)
今はやってるよ。
一日一回、相手に触れる。いいらしいよ」

 

「前にテレビで言ってた」というのと「いいらしいよ」ってところが
「納豆はダイエットにいいらしいよ」みたいなノリでかわいかったですが(失礼)、
すーっと心に沁みました。この人の言うことは、実践しなきゃ。

 

奥さんは、その場にいた別の某代理店のコピーライターさんに
「御社の請求書を見てびっくりしましたよ。電通たっけ!」
とかなんとか、ざっくばらん過ぎるおしゃべりをしていて、
その様子を救われるような思いで見ていました。

 

桃のケーキにも、配膳してくださるウェイターさんにも、
なぜか迷い込んできたシャクトリ虫にも、水にも、空気にも、
森羅万象に感謝したい気持ちでいっぱいになりましたが、
なにより素敵な会を催してくれた七代目のみなさんに
心の底から感謝しています。

 

100725

 

みなさんの気持ちに触れることができました。
ありがとうございます。

10周年の日に。

2010年7月14日、私、結婚しました。

 

お相手は、僕の彼女です。

 

2000年の7月14日、
二十歳の夏からお付き合いが始まったと
「僕は」認識しています。

 

なので、この日に区役所へ行きました。

 

当日の出来事はまた追って書こうと思います。
と言って書かないパターン。

 

ただひとつだけはっきり言えることは、
ホテルの52階から見える夜景は最高ってこと。

 

Twitterでも本当にたくさんの
お祝いメッセージをいただきました。
200件ちかいぜよ。

 

まだお伝えしきれていない方々が
たくさんいて恐縮しきりです。

 

未熟なふたりですが、
これからもよろしくお願いいたします。

QUAD CAMERA

iPhonephoto01

 

iPhoneのトイカメラが面白い。

iPhonecameraiPhoneのへっぽこカメラを逆手にとって、
トイカメラ風な味エフェクトをかけた写真が
連写で撮れちゃいます。

しかも、エフェクトの数はビビッドやハイコン、
モノクロなど5つから選択可能、連写スピードも
自由に設定できてしまう。

ふつうに撮ったら汚くて平板なiPhoneのカメラ。
これさえあれば、退屈な日常も変顔するだけで
なんだか華やぎます。本当です。

フルサイズ一眼レフへの熱が冷めたところに
とっても楽しい玩具がやってきた感じです。

iPod touchを持ってる友だちに勧めといたけど、
そういえばtouchにはカメラがないんだった‥‥。

 

QUAD CAMERA
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