一期一会

学期末コンクール、大掃除、絵コンテ、論文、
月例テスト、造形対策、ムサビ対策、そして直前講習。

そんなこんなで課題をやりこなしてきた浪人時代。

嘘。
この当時の、つまり1999年12月の僕は、
ブレイクして間もない宇多田ヒカルと椎名林檎に会いに行こうと、
溜池山王の東芝EMI本社へ出向いて警備員に見つかってトボトボ
帰ったという、当時で言えば名案、今思えば無謀なことなどをして
無為に過ごしていた。

 

確か、その赤坂から帰る電車の中で予備校の先生に会い、
苦笑されてしまった。
その先生はとても物腰が柔らかくて気を遣ってくれる方で、
当時ほぼ全く予備校に行かずにいた僕に『夜更かしからの脱却』という
新書を貸してくれたりもした。でもその本は僕に読まれることなく別の
夜更かし生徒へと回されて、結局僕が受験を意識しだしたのは、年明けて
1月半ばからだった。

 

1999年12月の日記があれば面白いのだが、浪人仲間の間でも
「あいつは来ない奴」という認識が常識と化していたほどで、
先生方からもよく見捨てられないでいたなと思う。

 

予備校に行かなかったのは課題が面白くなかったからではなく、
ただの現実逃避に過ぎなかった。
しかし、その逃避の先が東芝EMIだったり美術館だったり写真だったのが、
どこかで救いになっていたんだとは思う。ギリギリのところで。

ほんとギリギリだったことは明白で、模試の英語は
いつまで経っても合格点に満たなかった。
日々の読書でなんとか誤摩化した感のある論文と
実技(絵コンテのようなもの)に頼るしかない程、追いつめられていた。

だから、もう緊張も通り越して諦めムードで挑んだ。
変な日本語かもしれないが、そうとしか表せない。諦めて挑む。
なにせ80人の枠に1200人近い受験生。どの科に引っかかるとも思えなかった。

 

で、本番。
「英語も実技も、全ては読解!全ては国語よ!」という
無茶だけど案外正当な突破術を持ってして、なんとか誤摩化した。

今思えば大学は施設でしかなくて、
どこにいても自分のやりたいことを突き詰めることには
変わりないんだろうと思う。

だけど大事なのはこの大学に入って多くの友人を得たことと、
現状の自分がいかに甘いかを知れる機会に恵まれていることだろう。
それは多摩美でも造形でもそうだったかもしれないし、環境を
フルに利用することにも変わりはない。

つまり出会いだということで、それは前にも書いたと思う。

たくさんの友人と恩師に出会えたと思っている。

 

なぜこんなマトメのようなことを考えるのかというと、
予定では一応、今年卒業だったわけで、周囲の卒業してゆく友人たちを見て、
まだあと一年間は学生の自分をどうにか振り返りたいという願望があるんだろう。

師走というのもあるのかもしれない。

 

1999年の僕は、2002年の闘病を、2003年の今を想像できたか。

宇多田ヒカルの結婚、椎名林檎の出産。9.11。フセイン拘束。
ケータイデジカメ。ブロードバンド。自分のサイト。

大事なのは、2004年以降の自分(と周囲)をリアルに想像することかも。

テエマ

テーマを見つけることが、今のテーマ
というか課題。

それは気づいていないだけかもしれない。

今そこにあるものなのかもしれない。

ケッコン

もし、私達が結婚する前に子供が出来ちゃったら、
生まれてくる子には『成行』と名付けようよ、と彼女に言われたことがあります。

なりゆき…。ブラックなことを言う人だ。

 

で、結婚します僕ら。じゃなくて、僕の高校の先輩が。

おめでたいけど、もうそんな年代なんだという事実にびっくりです。
高校時代を思い出しても、先輩は美術部でもの静かにデッサンに没頭する
「大人の女」なイメージが未だにあります。「美術部の母」的な。

本当に大人になってしまわれるんだなあ。お母さんになっちゃうんだなぁ…。

おめでたいけど、もうそんな年代なんだという事実にびっくりです。
さっきも書いたけど。

うちらの代の西条高校美術部も、
同窓会とかやったら誰か結婚しているかもしれません。
立川美術学院(浪人時の予備校)ではまだまだ無さそうだけど。
美大の人は晩婚が多そう。

 

なりゆき君を抱くのは、当分なさそうだな。
友達に500円返せない男が結婚なんて。

でも、ミサト先輩には祝電をあげたいです。

 

予知

珍しく朝の8時半に
一番乗りで教室に入りました。

けど、いくら待っても誰も来る気配がない。
おっかしいなーと思って研究室へ。

あの、今日ってもしかして休講ですか?
「うん、そだよ」

がっくし。
頑張って徹夜を乗り切って来たのに…。

このまま帰るのも癪だし、4年生のカノジョに紛れて
なんとなく卒業制作展の場所取り会議に参加しました。

他学科の人と説明を受け、
作品の場所の確保も無事終えて、外のベンチで休憩。

カップのコーヒーからは湯気が立ち上り、
冬季限定のコアラのマーチはほどよい甘さで。
午前中の校庭は木漏れ日と落ち葉がいい感じに揺れていました。

と、ベンチの手すりに不安定に置いたカップへ伸ばした
彼女の手が、勢い余って ばしゃーん。

茶色の液体が僕のスニーカーをビショビショに濡らしました。
広がる湯気。漂う香り。固まる二人。

 

被害者:「もう!うっわー、絶対こんな
     斜めのとこに置いたらこぼすと思ってたよ俺は!」

加害者:「お、すごい、予知!」

 

もう何も返す言葉もなくて、肩から力が抜けました。

あれから

東京に出て、浪人になって、
友達と最初に来た場所も多摩川だった。

あれから何年。
カメラはデジタルになって、見るものは変わったかな。

鍋の季節

なりゆきで鍋を囲むことになりました。

女の子友だち三人を招いて、今年最初の鍋祭り。

手際がいい!僕は食すのみ。美味でした☆

それから、卒業する彼女たちのポートレイトを撮りました。
卒制のパンフで使ってくれるそうです。

心配

心配なことがたくさんある。

お金の心配。単位の心配。展示の心配。
体の心配。視力の心配。ネットセキュリティの心配。

友達の心配。

前述のネカマバイト友人Bが、いよいよ「女」として磨きをかけてきた。

ちゃんと「お仕事」やってるんじゃないか、と安心するなかれ。

 

「自分(女役)の書き込みで興奮して起っちゃうんだよ」

 

・・・心配だ。

天気のこと寒さのこと

異常気象じゃないか。

暖かいな〜と思っていたら翌日は晴天なのに極寒。

上下の気温差、寒暖差が激しすぎて
笑っちゃうほどブルブル震えた。

でもブルブル震えながら笑ったら恐そうなので我慢した。

冬の大気は澄んでて好きだし、ローソンの
にくまんを補充する女の子は愛想無くて好きですが、
自動ドアから外に出て、途端に凍える自分の肉体が嫌いです。

変温動物なんです、僕。

男のくせに毎年霜焼けが出来ます。
去年はあかぎれも出来ました。彼女にバカにされました。

「あんたいつの時代の子よ!」。

 

冬に平気な顔して31アイスクリームを食べる
女の子は好きですが、僕はココアが手放せません。

King

六畳間の王様。

 

友達のBが、渋谷でネカマのバイトを始めた。

ネカマ:ネットオカマの略。
ネット上で女性を装い、男性に接触する男の事。

ネカマのバイトとは、出会い系サイトが経営する立派な仕事で、
PCに届いたメールに優しい言葉で女のふりして返すというもの。

例えば

「さびしいよぉ。○○くん、今何してる?」

なんていうメールを書いて、相手の男をその気にさせるのが主な業務。

メル友、なんていうとすごく響きがいいが、
その正体は大抵、ネカマバイト君。
男ってバカだなぁ。でも、分かんないから騙されるんだろう。
早速Bも、研修で「女言葉でチャット」を開始したんだとか言っていた。

予備校の後輩のYは国分寺でネカマバイトをしているらしいが、
職業病で、普段も女言葉になってしまうのだとか。
自分の中で理想の女を演じてきたらしいけど、最近は
その女がだんだんと我が侭になってきていて、自分でも
やっていて展開がハラハラするのだとか。

・・・でも、やってるのは自分じゃん。

「違うんですよ!もう彼女は俺の制御が効かないんですよっ」

Bが心配である。

師走

師走です。早かったなぁ今年は。

いろんな事がありすぎました、って、もう振り返っています。

春はやっと一人で歩けるぐらいに回復したばかりだったから、
ぎこちなかったけど。

夏の思い出作りが半端じゃなかったな。
北海道には行くし従兄弟は上京するし、岡山も行くし。
あと、「僕等.web」もありました。未消化なのでまたやりたいな。

秋は進級展。初インスタレーション。「MEBAE」撮影。ディズニーランド。

そして冬はやってきました未完ズ。

でも、やっぱ六月一日の「校区外」オープンが
今年最大の収穫かもしれません。
また2004年にはサーバ強化してゼロからやろうと思います。

 

webとコピーライティングの勉強したいな。
個人webサイトもある意味、広告だと思います。
で、何をするにも文章力って大事だと思います。
描写力というか。デッサン力。

写真はデジカメ持ってりゃ写るし。写すし。消すし。

テーマは「師走より速く」。

DM等


昨日は深夜から朝まで、延々と雨が降る中、延々と切々と
くどくどと、友達ふたりで女子高生という生き物について語り合った。

今日はTSUTAYAが100円レンタルだったので、ビデオ三昧。
「やっぱり猫が好き」「パンダコパンダ」「8人の女たち」。

 

それから、未完ズのDMが刷り上がった。