[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=M4_HRXBnomk&color1=0xb1b1b1&color2=0xcfcfcf&hl=ja_JP&feature=player_embedded&fs=1]
たまに、思い出して見ます。
あるデジタル系プランナーの日記
[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=M4_HRXBnomk&color1=0xb1b1b1&color2=0xcfcfcf&hl=ja_JP&feature=player_embedded&fs=1]
たまに、思い出して見ます。
下積みから口コミで火が付き→ネットを介して盛り上がり→
TVに引っ張りだこ…それだけでじゅうぶんドラマチック。
そのドラマをまとめる動画まで作成(編集)、アップされる。
8年間よく諦めなかった、という奇跡を検証しながら好きになる。
その行為をネットのみんなで共有し、楽しむ。
「Attention」(注意が喚起され)→「Interest」(興味が生まれ)→
「Search」(検索)→「Action」(購買)→「Share」(情報を共有)
というAISAS理論にハマると言えそうだけど、後付けでしかない。
途中から気づいて補強されることはあても、最初から計算は不可能。
「ヒットの法則」なんて’90年代の死語だと思う。
口コミにはドラマ性がてきめん、というのはあるにせよ。
このドラマはダテじゃない。なにせ年月がかかってるんで。
6/1 横浜BLITZのチケット確保しました。
『広告批評』天野祐吉さんのことば。
ラジオの内容を起こしてみました。
世の中の言葉でね、本質的なるものと違う風に解釈されて毛嫌いされている言葉のひとつに“批評”ってのがあると思いますね。
僕の考える批評っていうのは、対象を捕まえてあーだこーだとけなすことじゃなくてね、基本的には対象をほめることだと思ってるんです。ほめない批評っていうのはあまり認めない。
ただそのほめ方がどれだけ本質につながっているかどうかが問題ですよね。で、書いた人(批評される対象者)も気がついていないところでほめなきゃいけないというのが難しい。書いた人が得々としているところでほめたんじゃバカみたいなんですよね。向こうの手に乗るだけのことで。
書いた人も“え?俺そんなことまで考えてなかったなぁ、そうか俺エライんだなぁ”っていう風に思ってもらうところまで書かなきゃ批評にならないって思うんですね。暗に“ここまで考えなきゃダメなんじゃないの?”ということを上品に伝えられると、言われた人は次からそのことを分かってつくる、今まで無意識にやっていたことが今度は意識的につくるようになるから、もっといいものが出てくるかもしれない‥‥という期待を込めて書くんです。
ただ、あんまり理詰めで言っちゃうとかえってその人が楽になってしまう。無意識だからこそいいという部分もあってね。
その辺の微妙さが非常に難しいところだと考えてますね。
対象を育てるだなんてそんなエラそうなことは思ってはいないけど、なんかその人の役に立ちたいという思いですよね。
だから、嫌いな人のことを批評はできないんですよ。まず好きであることが僕の場合の批評の出発点。“好きなのにあなたはどうしてこうなのよ、もっとよくなるのに!”と。って、女言葉で考えてるわけじゃないですが(笑)
(media CLUBKING 茂木健一郎氏との対談より)
『広告批評』公式サイト「お知らせ」より。
とてもショッキングな話だ。
思えば1998年の春、愛媛の片田舎では売っていなくて、
唯一扱っていた松山の紀伊國屋書店まで通って買っていた。
最初に見つけたときは運命的な出会いを感じたもの。
高校で「広告」に興味がある人間なんているはずもなく、
当時勢いのあった「富士フイルム」や「サッポロ黒ラベル」に
独り思いをはせ、キムタクの「JRA」に胸躍り、NIKEにしびれた。
誌面にはPS2やペプシ(ペプシマン!)のCMやグラフィックを
つくった人のインタビューが読み応えたっぷりに載っていて、
そこで彼らスターの存在を知った。箭内道彦もまだスリムな頃。
えーーー、終わっちゃうの?
この雑誌がなかったら僕は広告業界に進もうなんて
思わなかったかもしれない。これほどメッセージを持って
編集されている月刊誌はないと思う。
それなのに、えーーー?
偶然にも、大学のゼミの同期が編集で働いている。
再考していただけませんか?
浪人時代の“戦友”2人のグループ展を観に、赤坂見附へ。
閉館30分前に会場に足を運ぶと、出展中の友人コニ氏と、
同じく出展している予備校の恩師・サダさんに会う。
小西くんとはたぶん半年以上会ってなかったし
先生とはそれ以上、数年ぶりにしゃべった気が。
再会のうれしさと完成度の高さに惚れて、
会場で売られていた先生のポストカードを7枚購入。
びっくりするほど高質な紙で、送る用と自分用も。
「こっちもよかったら来て来てー」と、別の場所で
やっている展示のDMも2ヶ所ぶん(!)いただく。
この怒濤ともいえる活動ラッシュをさらりと宣伝されて、
アーティストのまっとうな姿を目の当たりにした気がした。
作品プラス、単発でおわらない「流れ」をつくりだしている。
気持ちのいい40分(10分オーバー)だった。
夜、六本木の森美術館で2度目の
『アートは心のためにある:UBSアートコレクションより』を鑑賞。
最終日とのことで彼女を連れて行った。
1ヶ月も経つと、どんな作品があったのか
4ぶんの1は忘れているし4ぶんの1は前回も
見落としていたことに気づく。
ビデオアートや絵画にも興味深い作品を見つけ、
2度目の方がじっくりと愉しむことができた。
前回は写真に気を取られすぎたかな。
ヒルズで大学の同級生と待ち合わせ、中華を食べて帰った。
麻婆豆腐に水餃子。ここ数日は食と人に恵まれすぎている。