下から三番目の記憶

高校二年の冬、隣町の進学校に行った幼稚園からの幼馴染に「うちの文芸部で映画を撮りたいから監督とカメラマンをやってくれないか」と頼まれた。父に買ってもらったビデオカメラを持っていて映画オタクだった僕には何ともうれしい誘いだった。

学校という場所はどこも似ている。白い校舎は無機質だし黒い制服は詰襟に付けた校章とボタン以外はまったく同じデザイン。なのに初めて入る隣町の進学校に緊張した。放課後の教室に集まった男四人と女一人の文芸部員と合流する。みな東大京大あたりを目指す秀才の集まりだ。ワイドコンバージョンレンズをつけた3CCDのビデオカメラを持っていたから辛うじて物怖じせずに済んだ。むしろこの中では自分が監督。優越感がなかったと言えば嘘になる。

メンバーの紅一点の女子・Sさんは150センチないくらいの小柄な体型だったが、明るく活発に話す、社交的で聡明な印象。でも頭の回転が速いから敵に回すと怖いだろうな。
誘ってくれた幼馴染は彼女に好意を寄せていると言っていた。耳元で彼女に聞こえないように「どうです?」と訊いてくる(彼は小学生の頃から誰にでも敬語を貫いていた)。「うん、かわいいね」。すこし気が強そうだけど華奢なその人を見て、いかにも彼が惚れそうなタイプだなと思った。

その場で彼らの脚本を読んだのかどうかも忘れたが、自己紹介も早々に、さっそくカメラリハーサル。折しも庵野秀明監督が全編miniDVで撮影した『ラブ&ポップ』が公開されたばかりの頃で、おなじカメラでおなじ女子高生を撮るというだけで面白かった。赤いレンズフィルタをつけ、Sさんが廊下を走るシーンを撮ってその日は終わった。脚本が上がらなかったのだろう、それが最初で最後の撮影になった。

Sさんから家に電話がかかってきたのはその日の夜だった。

1998年の高校生はまだケータイを持っていない。連絡網と称して互いの電話番号でも交換したのだろうか?今となっては思い出しようもない。二階の自室につなぎ直して「どうしたんですか?」と聞くと、受話器の向こうの彼女は妙なことを言い出した。

 

夜分すみません。
私、明日からダイエット始めるんです。
その前に今のからだを残しておきたいから、
今日のカメラで私を撮ってくれないかしら?

 

「かしら?」会ったときからおかしな言葉遣いの人だなと思っていた。四国の田舎なのに訛りがなくて口調が大人びている。いやその前に言ってることの意味がわからない。興奮した。

ダイエットって、じゅうぶん痩せとるやないですか。
言ったそばから昼間の彼女を思い出そうとする。小柄だった。わけのわからないことを平然と言ってのけるので、京大を目指す人は頭が常人とは違うんだなと納得させた。じゃじゃじゃ、じゃあ、明日の放課後、駅で会いましょう。学校が終わったらデッサンの予備校に通わなきゃいけないので時間がないですが、アッテハナシマショウ。

突然の提案に返すことはこれが精一杯だった。美大受験のために通い始めたデッサン教室とか本当はどうでもいい。震える手で受話器を置き、ビデオカメラの充電器をセットしてヘッドフォンでBjorkを聴きながら翌日に備えた。その日の教室での友達との会話や授業内容は何も耳に入らなかった。すべての意識が放課後の駅と鞄の中のビデオカメラの往復だった。

 

なんでこんな昔話を思い出したかというと、今日(2014年6月1日)、浪人時代からの友達が惚れているという店員さんのいるカフェへ気まぐれに行ったからだ。もちろん今夜は店員さんから僕に電話がかかってくることはないし友人の恋を応援したい気持ちでいっぱいなんだけど(嘘、本当はどうでもいい)、自分にもまだどこかにドラマが落ちてないかなぁと思う。既婚者向けのライトなやつで。

 

結局、駅で待ち合わせた二人は公衆トイレでの撮影を思案するものの、入口でおじさんのようなおばさんに睨みつけられ、電車に乗って松山の美術予備校まで行った。会ってまだ二日目なのに電車の中で手を繋いだ。予備校の前まで一緒に歩いてくれたSさんは別れ際にキスをして去った。残された僕は勃起したまま3時間みっちりラボルトを描いた。

「ダイエット前の私を撮って」という提案のわけのわからなさがK点になっている僕には、その後の出来事すべてに疑問を感じることがなくなっていた。ただ受け止めるだけ。K点越え目指して飛びつづけていればいいや。
後から聞いた話で、「彼女には他に男が三人いてそのうちの本命が京大に行ってしまい遠距離になって寂しいときで僕は四番目」だと知っても何にも思わなかった。幼馴染への罪悪感もなかった。彼女の複雑な家庭環境も物語の設定のように感じられた。

何も感じないことが気持ちよかった。きっと、そう思い込まないと彼女との関係が絶たれる気がしていた。

ビデオは別の日にホテルで回した。けど怖くなって翌日に庭で燃やした。やっぱり何も感じないなんて嘘だ。モノが残るということがなんとも怖くなった。そもそも彼女はテープを欲しがらなかったしminiDVを見る術も持っていなかった。なのに「撮影代」と称して二千円をもらった。僕は二千円で買われた。

その後も僕らはほぼ毎日会った。
会えない日は固定電話で八時間くらい電話した。仰向けになって受話器を顔に置いたまま腕組みをして話す技を身につけたのはこの頃だ。京大を目指す人と付き合っているのに、成績は学年で下から三番目まで落ちた。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職