気がついたら、出会って15年。
15年前は、ふたりとも美大受験を控えた高校3年生でした。
まさか浪人するなんて、思ってはいたけれど、
まさか結婚するなんて、思いもしなかった。
あるデジタル系プランナーの日記
気がついたら、出会って15年。
15年前は、ふたりとも美大受験を控えた高校3年生でした。
まさか浪人するなんて、思ってはいたけれど、
まさか結婚するなんて、思いもしなかった。
いま、いくつかの案件で、著名クリエイターとお仕事をさせてもらっていて。
「著名クリエイター」って響きがとても安っぽくて申し訳ないくらい、凄い方々。
そのうちのあるお方より、企画の全貌が可視化された構成がひと晩でチームにシェアされ、感動のあまりいろいろ思いを巡らせた朝のTweetです。
インタラクティブって、先を思いやることなんだ。あらゆる可能性を用意する作業。言葉だけとらえると美しいけど、すげー泥臭くて骨の折れる作業がエンドレスでつづく。先を思いやることに終わりがないように。だからクソ忙しいのは当たり前。不眠不休で作業していただいた方の背中を見て改めて実感。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ 凄い人との仕事って、改めて基本的なことに立ち返らせてくれます。
インタラクティブ業界でなくとも、人々に何かメッセージを発する業界なら受け手の反応があるという意味ではインタラクティブなんだけど、ことWebやゲーム、アプリにおけるインタラクティブ性への準備とは「思いやる」=あらゆる結果をプログラムで用意すること。用意のないものは思いやりではない。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ 僕が用意しなきゃいけないものを思いつくことはあっても、
実際に用意してくれるのはデザイナーやディベロッパーです。
今日もありがとうございます。
で、僕は一度に複数のことを考えるのが苦手で、むしろひとつのことを掘るタイプなので、このインタラクティブな「あらゆる可能性への用意」という思いやりに欠ける人間だと自認している。8年間Webのことに携わってきて、ますますインタラクティブってめんどくせえな、と思うことが多い。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ ホント、ねぇ。
届けたいメッセージを磨くだけじゃなく、送信フォームとか、
エラー画面とか、スパム対策とかも同時に考えなきゃいけないとか、
まさに芋づる式に問題が出てくる。
けれどこの業界にしがみついたからこそ名だたる巨匠たちとお仕事できている。そしてインタラクティブ業界のてっぺんにいる方々も「なんと面倒な」と途方に暮れる姿を見て、すこし安心した。けれど彼らは瞬時にシンプルな解を見つけて不眠不休でカタチに起こす。その体力が超人的なのだ。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ 体力で片付けるよりは、責任感かもしれません。
あるいは「好き」が呼び起こすパワーかも。
「なんでこんなめんどくさい仕事続けてんだろ」
と笑いながら話す某CDがいました。
インタラクティブ広告業の面白く面倒なところは「あらゆる可能性を用意する思いやり」というアナログな行為をプログラムというデジタルな手法で対応していくこと。そのお盆の上には映像もデザインも音楽も言葉も写真も載せられるし、組み合わせ次第でそれが番組にも店舗にもなる。可能性が有りすぎる。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
ここから、急にPerfumeやももクロのドームLIVEと関連づけるところが早朝。
たった3人(あるいは5人)で東京ドーム5万人の観客を熱狂させるにはどんな演出プランが必要か?を考える行為はインタラクティブだ。距離を等しくするために舞台はコロシアム方式にしよう。最後列のお客さんも満足する装置を建てよう。二階席に寄れるクレーンに乗ろう。衣装替えを何回しよう。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ ジャニーズの宙づり演出が分かりやすい例だと思います。
遠くの観客も彼らの汗を浴びるかもしれない期待感。3階席に近づく多幸感。
ドームLIVEは「近くの観客」と「遠くの観客」に分かれる。だからその両方を満足させるためのありとあらゆる手段が講じられる。そしてその手段は当然、事故なく狙い通りに遂行できるように事前のリハーサルで入念にチェックする。想定外な出来事に気づく。お金と時間の許す限り、さらに対応する。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ 滝沢秀明クンの宙づりからしたたり落ちる汗を「滝汁」と言うそうです。
僕らインタラクティブ広告業も、「近くの観客」と「遠くの観客」を意識した設計をしていく。誰かひとりへ向けた言葉だとしても、全方位から見られるコロシアム型の舞台から放射状に発信することになる。近くで反応する人もいれば、遠くで反応する人もいる。デジタルに近くも遠くもないが、人にはある。
— tacrow (@tacrooow) March 22, 2013
→ これが言いたいがゆえのLIVE話だったんだな。
まだまだ精進せねば。
妻から「あなたって、仕事何してんの?」とか、「旦那さんは何をされているの?って聞かれても、よく知らないんです、って答えてる」とよく言われます。
「インタラクティブ プランナー」を7年以上やってきて僕の奥さんは僕の仕事に触れたことがない。届いていない(ちなみにTwitterもFacebookもやってない、とはいえネットはいつもiPadで見てる)。「このバナーのコピー、俺が書いたんだよ」と言っても「へー、邪魔だね」としか言われない。ま、実際、バナーって邪魔ですよね。
悲しいことではありますが、届かないところもあるんだ、その生き証人が目の前にこうして居ると自覚できることが自分にとってはいいことだ、と言い聞かせています(それと職種を理解されないことは別問題だとも思いますが)。
ただ、もうちょっと知ってほしい。
ちょうど会社のショーリールが公開されたのでご紹介します for my wife。
昨年8月に入社した僕の仕事も2つばかし入ってます。
そういえば先日、このムービーの中でも紹介されているユニコーンの『Feel So Moon』が、カンヌの前哨戦とも言われるアジア最大の広告祭 Adfest2013のインタラクティブ部門でGold、プロモ部門でBronzeを受賞。ホンダ『Face Boom!』はアウトドア部門でBronzeとファイナリストを受賞しました(関係者のみなさん、おめでとうございます)。
こういうものを作ってるんです、日々。
「よく分かんないけど、あなたが楽しいんなら、いいんじゃない?」
お、おう。
いつか、この人から「これ見て!」と差し出されるものが自分の手掛けた仕事になったら、と夢想します。
まだ観ていない映画ですが。
『エイリアン』のリドリー・スコット監督が描いたSF映画『プロメテウス』のUIにフィーチャーした動画。なんだか分かんないけど、かっこいいなぁ。
こちらはゲーム『コール オブ デューティ Black Ops 2』のUI。
ドラマ『24』やスパイ映画でも同様の画面を見かけますが、現実の世界に下りてこないのは、せわしないUIに人間が追いつけないからでしょうか。
映画『クラウド アトラス』を観た。
一切の前情報なしに映画館のシートに座ると、19世紀から24世紀までの過去・現在・未来をめまぐるしく行き来する6つの物語が繰り広げられた172分間。ピクニックだと思って出かけたら本格的な登山だった‥‥というくらいに体力を消耗したけど、気づけば眼前にいい眺めが広がっていた、みたいな。面白かったです。今のところ今年No.1。
公式サイトに紹介されていたシノプシスがこの映画をずばり言い当てていたので(そりゃそーだ)、そのまま紹介。
国や人種、性別の境界線を超えた人間の本質を表現するために、同じ魂を持つ複数の人物を一人で演じるという、俳優の真の実力が問われる大胆かつ画期的なキャスティングが実行された。
トム・ハンクスに続き、
この挑戦を受けて立ったのは、ハル・ベリー、スーザン・サランドン、
ジム・ブロードベントら、アカデミー賞受賞の演技派スターたち。
さらにヒュー・グラント、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジム・スタージェス、ベン・ウィショー、韓国が誇る若手女優ペ・ドゥナなど、国際色豊かな豪華キャストが心と力を合わせ、壮大な叙事詩を紡ぎ出した。ヒューマンドラマ、近未来SF、
アクション、ミステリー、ラブストーリー—— いま『クラウド アトラス』の称号のもと、
全てのジャンルがひとつになり、
かつてないエンターテインメントを生みだした。
そして映画というジャンルさえも軽々と跳び越えて、
観る者の魂にダイレクトにつながるのは、
「私たちは何のために生きているのか?」という、
人類の永遠の疑問への答え。天才監督と豪華キャストの手で、
いま、人生の謎が、解けようとしている ——
はい、というわけで、この映画は手塚治虫の『火の鳥』だな、と思いました。
(人によっては『マグノリア』だと言う人もいるかもしれません)
「同じ魂を持つ複数の人物を一人で演じるという、大胆かつ画期的なキャスティング」も、ヒゲ親父が時代や設定を超えていくつもの役を一人でこなすような、手塚漫画ではよく見る「スター・システム」。配役によってはかなりギャグに走ってるものもあって、それも狙いだと思いますが、いったいどこを狙ってんだ?とつっこみたくなる要素を入れちゃうあたりも、手塚治虫的な遊びだなぁと思ったりするのです。もっと意味のある演出意図があるのかもしれませんが、もしあったら知りたいなぁ。
また、「6つの物語が交錯する壮大な叙事詩」のようで、直接的には交錯していなかったり、6つ全部が壮大じゃなかったり(2012年パートがいちばんしょぼい)とチャーミングなところもある。観終わってみると、むしろこのアンバランスさ、チャーミングさがこの映画の旨味じゃないか?と思えてきます。
歴史に残る壮大なことや、そうでないこと。その両面を同じ役者、共通のセリフ、あと忘れそうになるけど意味深な共通のあざが繋いでゆく。このあたりをチャーミングと捉えるか支離滅裂と捉えるかで賛否が分かれそうな映画ではあります。
この映画のもうひとつの魅力は、なんといってもペ・ドゥナ演じるクローン人間「ソンミ451」の群を抜いた存在感。是枝裕和監督の『空気人形』でもかなしい人形の役を完璧に演じていたけれど、今回はそれを上回る、厚みのある演技!存在が切ない。思い出すだけでも泣けてくる。
壮大すぎてともすればついていくのが大変な物語(途中で帰っちゃうカップルもいました)を束ねるのは、『マトリックス』3部作のウォシャウスキー姉弟と『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァ監督。数々の映画のオマージュでできた『マトリックス』のさらにオマージュとも取れるシーンも含まれており、あの映画にハマって19にして中2病を再発させた身としてはニヤリとしてしまいます。
くどいですが、手塚治虫先生が生きていたら気に入った映画じゃないかと思います。
小学生の頃に観た『トータル・リコール』(オリジナル版)くらい変な映画。
『クラウド アトラス』公式サイト
好きです。
コピーの師匠・中村禎さんのBlog「コピーライターの未来は・・・」より抜粋。
レイ・イナモトさんの話にいろいろ刺激を受けました。「広告の未来は、広告ではない」「クリエーティブの階級制、職業名を取っ払ったほうがいい」「アートディレクターとコピーライターが一緒になって広告を作り出す手法は通用しないんじゃないか」「ART×CopyからART×Codeへ」と、これらの言葉だけ見ると、なんだ、もうコピーライター養成講座なんて意味ないじゃないかと思う人がいるかもしれませんね。でもレイさんは、コピーライターが不要だと言っているのではなく、コピーライターの役割が変わって来ていると言っているのだと思います。「コピーライターの未来は、コピーライターではない」と言えるのかもしれません。
(中略)
「コピーライターなんてカンタンになれる。名刺にコピーライターと刷ればいいんだから」これは、ボクの師匠の仲畑さんの言葉です。コピーライターやコミュニケーション・デザイナーなどカンタンになれる。名刺に刷ればいいんだから。そういう意味で肩書きには意味がないのだと思います。大事なのは、その人が優秀かどうか。いい人かどうか。柔軟かどうか。伝えるということをわかっているかどうか。
(中略)
コピーライターの走る範囲はどんどん広がっているのだと思います。インテルの長友のように走らなくてはいけないのです。
いやぁ、その通りだと思います。
3月14日。TUGBOATのクリエイティブディレクター、CMプランナー・岡康道さんのエッセイ集『アイデアの直前 – タグボート岡康道の昨日・今日・明日』の刊行記念トークショーに行ってきました。
トークのお相手は、岡さんとは25年来の付き合いであるCMディレクター・中島信也さん。「とにかくこの本を売って売って売りまくる」という使命感(?)のもと、著書の中から信也さんが文章をピックアップしながらトークは進んでいきました。面白いエピソードが次から次へと出てくる中で、僕が記憶に残ったお話をメモしていきます(なので会話のようで会話形式じゃないです)。
岡さん:最初に中島信也さんに企画コンテを見せたときは「なんだか意味が分からない」と断られて、じゃあもうひとりの売れっ子で同じ名字の哲也(CMディレクター 中島哲也氏/映画『嫌われ松子の一生』、『告白』等の監督としても有名)の方にお願いしたんだよね。
信也さん:哲也が作ったのを見ても分かんなかった(笑)。けどいま見たら分かる。僕は奥手というか大器晩成型?成長が遅いんですよ。
誰からも特に何も言われない選択。
これが僕たちを取り巻く世界をつまらなくしている。(著書より)
岡さん:インターネット上でのクレームとかツッコミとかがすぐ企業に飛び込んでくるようになって、クライアントは突飛な案をまず除外する。それによって僕らの仕事がずいぶん痩せてしまったと思うんです。だからそれに負けない選択をすればいいんです。誰かに何かを言われてもいいやと。…僕らがやってるダイワハウスのCMは、そういう意味でクライアントが偉いですよね。
広告は発信していないのではない。
発信を自ら聞こえなくしている。誰からも特に何も言われない広告をめざすために。(著書より)
岡さん:発信していないというか、自滅しているんです(今の広告は)。自分で辞めているというか。クライアントがセンスがないからとかバカだからとか、そういうことは全然なくて、作り手が「メッセージはやめよう、強く伝わることは避けよう」としている。だけど広告はしなくちゃいけないから、誰からも何も言われない広告を目指すんです。誰からも何も言われない広告って、みんなが知っている人をTVに流すことなんです。だからタレントが出てきた方がいいんです。そしてヒット曲を流した方がいいんですね、かつての。決裁者が青春期を過ごした80年代90年代のヒット曲です。そうすれば誰からも何も言われない広告が出来ますよ。しかも一見メジャー感がありますよね。こうやって広告は自ら聞こえなくしているんだろうな、と思うんです。
広告のように不純な表現物がそんなにも健康的であることの不健康さに誰も気づかないのだろうか。(著書より)
岡さん:僕らは「明るく楽しいものを作れ」とよく言われるんですね。いけないのはその反対ですよね。でも広告って人に何かを売ろうとしているわけで。つまり目的が不純なんです。それが分かってるから、それをネタとして話せば不健康じゃないじゃないですか。ところが明るく楽しく爽やかに不純なことを企む人って、不健康でしょ?広告自体が健康的であろうとすること自体が病気だな、と僕は思う。逆に言えばすこし不健康な感じのある広告を作りたいんです。
信也さん:岡さん、けっこう不健康めのやつ、多いですよね。岡さんが企画したものってパーソナルな感覚なものが多い。それって一般的じゃない。すごく歪んでて。
つまり場違いとアイデアは一直線上に並んでいるのだ。(著書より)
岡さん:アイデアとはマイナーな、場違いなものなんです。それをメジャーにするのがクリエイティブディレクターやCMディレクターの仕事。だから場違いを恐れてはいけない。場の空気を読めない人っていますけど、それもある種、アイデアを言っている可能性があるんです。そういうのを打ち消していって穏やかに速やかに進行する会議って、結局なにも生み出していないことが多い。
‥‥というわけで、予定を1時間オーバーし、合計3時間弱にもわたる充実したトークセッションのごくごく一部を書き起こしました。ずいぶん真面目な箇所だけを抽出しましたが、現場は抱腹絶倒、笑いの絶えない3時間でした。
「広告はもともと不純なものだ」というお話は、岡さんの電通時代の先輩であり僕の大学時代の恩師でもあるクリエイティブディレクター・小田桐昭さんが授業で仰っていた「広告は猥雑なメディアです」という言葉とリンクしました。
これはその当時(2004年頃?)の講義ノート。
授業では「堀井博次特集」「海外CM特集」などと銘打って数々のCMを見せて頂きました。僕がTUGBOATの作るCMのファンになったのは、その中の「岡康道特集」がきっかけでした。
大人(50代〜)になることが怖くなくなる、むしろちょっと楽しみになる本です。
自分はこんなにも真摯に生きられるだろうか。
関連リンク:TUGBOAT 10 Years_vol.01
バカって真剣にやるから楽しいんですね。
今、YouTubeでは奇抜な格好で仲間たちと踊りまくる動画が、世界で大ブームになっている。ブルックリン出身のDJで音楽プロデューサーのBaauerの「ハーレムシェイク」に合わせ、自由に踊るというだけだが、これが学校や職場などで大人気のようだ。特にルールはないようだが、「開始15秒間は一人がゆったり踊る」「曲調が変わった後半15秒以降、それまで静かだった周囲がやおらノリノリになり、思い思いに踊る」というもの。
今年2月ころから一気に増えた投稿動画のなかには、数百万回を超えて再生されたものも多数あり、その流行ぶりは海外のニュース番組でも取り上げられている。
(web R25より抜粋)
旬は2月頃だったかと思いますが、遅れること2週間、僕らもやりました。
僕は大仏と途中の般若をやってます。TEDは会社の後輩、アイドル般若は某お堅い出版社のSさん、アイドル般若に刺されているボンデージ男はカメラマンのAさん、ボンデージ落ち武者は大学時代の友達K(何も聞かされずに集まってこのノリノリのダンス!)、グンゼ落ち武者は幼稚園と高校と大学の先輩・ちくりん。彼は発起人でもあります。デザイン会社の社長です。
参加したのは合計6名ですが、途中で入れ替わりがあり、4人セットと5人セットの2組に分かれて撮影しました。渋谷の某カラオケ店で、午後7時から午前5時まで‥‥。
・機材と衣装はケチらないこと。
・被り物は人を解放させること。
・前後のレイヤーか動きの緩急を作らないと貧相に見えること。
・現場での仮編集がみんなの気持ちをひとつにすること。
・ガリガリは絵になること。
・練習すれば人は成長すること。
が分かったことが、今回の収穫でした。
それにしても、海外で流行ってることって日本での流行と違ってちょっとひと手間が要るものが多いのですが、そのひと手間(TEDのかぶり物を仕入れるとかダンスの呼吸を合わせるとか)が文化祭前夜みたいで楽しいんですね。お祭りと一緒。ハロウィンみたいなもんだなと思いました。だからクオリティはもっと上げられたかなー。
我を忘れてジャンプしながら、得意不得意や身長を計算して配列を替え、テンションと集中力を高めて何回も反復する。小学生の時にクラス対抗でやってた長縄の放課後の練習を思い出しました。
みなさんおつかれさまでした。
前の会社の後輩で、現在mountにいるデザイナー、長谷川弘佳ちゃんに声を掛けてもらってコピーをお手伝いした本が完成しました。
arigato Inc. presents ART & Recipe BOOK
東京 西麻布フレンチレストラン Les Rendez-vous de Tokyoの アートレシピ本。 イラスト、デザイン、編集は 長谷川弘佳さんによる 簡単に作れるし 見て手に取るのもうきっとする素敵な1冊です。(Amazonの紹介文より)
ソースをテーマにした美しいレシピ集です。
まだ見ぬ新たなソースを求めるシェフの冒険、という世界観で書きました。
絵本のように読むことも、画集のように見て楽しむこともできます。
日曜日、出版記念パーティーが開かれました。
写真は、アートディレクター・長谷川弘佳と、Les Rendez-vous de Tokyoのオーナーでこの本の発起人の綾乃さん、そしてそのお二人を繋いだ、スープストックトーキョーやPASS THE BATONを展開する遠山正道さん。
あれは2011年の春。大きな仕事で一週間会社に泊まり、ぎりぎりの精神状態でクライアントから没をくらって二人で大泣きした2年前からしてみれば、こんな素敵な本を誕生させた弘佳さんの成長には別の涙を誘うものがありました。
正直、すこしは「はじめての紙の仕事」らしい若葉マークっぷりが出ちゃうのかなと思っていたら、ぜんぜん。プロの仕事でした。そして、なにより作り手の愛情が感じられる本です。そういう体温のあるものに関わらせてもらったことに感謝です。
ちょっと高いですが、いい本です。
電通から掃除機の開発をオーダーされ、世界初のダンゴムシ型クリーナーをつくる‥‥というのが2013年の初夢でした。
1999年に公開され一大ブームを巻き起こした映画『マトリックス』が、どんな映画作品を“Remix”してきたかをまとめた映像。
編集うまいなー。
監督のウォシャウスキー姉弟(兄は性転換手術をしたとか)は公開時にも「AKIRAや攻殻機動隊の影響は計り知れない」という旨をインタビューで答えていましたが、注目すべきはその再現性。中には「これはちょっと言いがかりだろ」と突っ込みたくなるものもありましたが、こうして並べてみるとやはり映画オタクが作った映画だったことを改めて思い知らされます。きっと頭の中に膨大かつ詳細なライブラリーがあって、そこで文献を漁りながら自分のジャンルの論文を書いている感覚なんだろうな。
以前、ももいろクローバーZのプロデュースでおなじみのヒャダインこと前山田健一さんが何かのインタビューで
「僕らはサンプリング世代だと思ってるんです」
的なことを話されていました。「僕ら」とか「世代」とかじゃなくて、自分自身についてだったかな?ちょっとうろ覚えです。
「大量の音楽データ、メロディやアレンジ、ビートが頭の中にストックされていて、そこから組み合わせを考えるだけ」と。『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』などを聴けば、めまぐるしい変調の中にこの人のストックの多さアレンジの妙を垣間見ます。
http://youtu.be/yFMDsBM57SU
そういえば『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督も同じような趣旨のことを話されていたのですが、出典がないものを書くのは危険ですね。でもどこかで読んですごく納得したんです。
「自分にはウルトラマンが原体験としてあった」ということや、ウルトラマンの実相寺監督の「実相寺アングル」が多用されているのは言うに及ばず、最新作の『ヱヴァンゲリオン Q』では自分の過去作品ですらトレースしちゃってますからね(ネタバレになるので分かる人だけ察してください)。トレースという言葉はあえて使いましたが、表現者の魂としてそこにあるのはオマージュだと思います。自分を超えた作品そのものへの。
優れたクリエイターほど脳内ライブラリーが豊富で、オタクで、勉強熱心。
もっとインプットしなきゃ、という思いで今日もももクロのPVを見ています(嘘)。
きのうUPしたエントリーが思わぬところで褒められ、ちょっとうれしい。久々に長文を書いた気がします。
やはり、物騒な話なのでここまではっきり書くことは長らくためらわれました。10年もかかってしまった。
駅のホームから飛び降りてなお生きている。
20歳を過ぎていましたが、その経験は以後の人格形成に大きな影響を与えました。
僕の中では「第二の人生」は22歳からなのです。
自分の意思ではなくても人は死に吸い寄せられ、行動を起こしてしまうことがある。黒沢清の映画のようなことは起こりうる。
支離滅裂な行動はすべて自分が過去に見てきた映像をバックボーンに瞬時にストーリー化される。『ファイト・クラブ』、『ウルトラマン』、『エヴァンゲリオン』、NHKのニュース映像。どんな錯乱状態でも人はストックされたイメージからストーリーを作り出して行動する。脳内イメージは映像との親和性があまりにも高すぎて、ストックムービーに取り込まれがち。
20日間の混迷から覚醒した日の夕方、母が押す車いすで病院の駐車場へ出た。ケータイの暗証番号は覚えていた。大学に通う彼女(いまの妻)に電話して生還を報告。長い夢の中で、死んでいたことすら気づけなかった自分だけど。
「いまこっちでは月が見えるよ」「こっちも見える」と会話して嗚咽した。
恐ろしく強力な薬によって見せられていた悪夢から解放されたことの実感と喜び。
彼女も泣いている。ぜんぶ憶えている。
「健康第一」ほど人によって重みの異なる言葉もないと思います。
休みが長いと私事ばかり書いてしまうのは僕だけじゃないようです、いろんなBlogを読んでいると。プライベートに割く時間が増えるぶん社会との接点が減ることと、お正月はふだん会う人と会わなくなったり帰省したりするから内省的になるんでしょうね。自伝を書くなら正月休みがぴったりです。
で、私事ですが2013年はBlog更新歴10周年。
10年前の2003年はBlog黎明期でした。TwitterやFacebookはもちろん、YouTubeもGmailもない当時、Blogは文明開化の音がする新しいツールでした。個人がメディアを持てる!ともてはやされ、数々のBlogサービスが雨後の筍のように誕生したものです。
Photoshop 7がCS1になったばかり。Power Mac G5に256MBのメモリが積まれていた時代です。僕は2000年に父から大学の入学祝いで買ってもらったG4を使っていました。
「美大生はアレか?Macintoshか?」
Windows95に興奮し、PCの自作を趣味とする父にはMacは「生ぬるいスカした野郎」だったかもしれません。なのに美大生=Macという正しすぎる固定観念をどこから得たのか、当時42万円もした“玩具”をねだることもなく買ってくれたのでした。母は反対してましたが。
いまとなってはiPhoneよりも低スペックなG4 500MHzを相棒に、630万画素のEOS 10DとPENTAX67という2kg以上する中判カメラを持って作品作りに没頭していました。機材だけは一人前。資金繰りが大変だったので居酒屋やテレアポのバイトで汗を流してました。
大学では映像学科で写真を専攻していたので、アパートに暗室も作っていました。フィルムカメラとデジカメの両方を行ったり来たりしながら、そもそも写真家になりたいのかそうでないのかを決めかねずにシャッターを切る毎日。
ある日、デジタル写真の授業で、作品の発表先としてWebサイトを作る課題が出ました。
FlickrもInstagramもない時代。Dreamweaverを使って先生のソースコードを見よう見まねでサイトを作り、Photoshopでリサイズした写真をアップする。画面に出る。他のマシンでも出る。すごい!世界に発信されている!外国人から感想が届く!(実際、サイトの写真をきっかけに韓国の女性と会いました)
思えば、これが僕のWebとの「作り手としての」最初の出会いでした。
そんな写真を発表するためだけに作られた個人サイトにBlogを付けたのは、親からの要請があったから。
この1年前の2002年、22歳の僕は大病を患い1ヶ月以上入院していました。
1本数万円する注射を毎日打ち、抗がん剤とおなじ副作用をもたらすと説明を受け、眼の裏側の毛細血管が出血することで起こる失明の不安におびえる日々。みるみるうちにベッドから立てなくなるほど体力を奪われました。髪の毛が抜けなかったことは幸いでしたが、治すための薬で身も心も衰弱するとはどういうことだ?と見知らぬ天井に訴えかけていたことはいまでも忘れられません。
最初の外出許可が出たときに、いまの妻と青山ブックセンターに行ってTUGBOATのトークショーに参加したのはいい思い出です。写真家という漠とした将来像とは別に、広告の世界が常に輝いて見えていました。タクシーから降りた瞬間にぶっ倒れてしまいましたが。
1ヶ月を超える入院期間を経て通院に切り替わったその年の冬。
大学には休学手続きを出し、みんなが大学に通っている間に雑誌『広告批評』が主宰する「広告学校」に通ったり、妻(になる人)の作品作りの手伝いをしたり、写真を撮ったりしながら悠々自適の生活を送っていました。
ところがある朝、週3回に減らした薬の副作用がどっと噴き出し、ラッシュアワーにとある駅のホームで倒れて線路に落下。
正確には副作用が農に総攻撃を仕掛け、幻覚を見るようになって、まるで操られるかのように明確に「死のう」として飛び込んだのです。
幸いにも、頭の中ではホームに入ってきたはずの電車は走っておらず、近くにいた3人の方々に助けられました。
幻覚の中にいたのに、その当時の出来事はかなり克明に覚えています。あまりにもネタが豊富にあるので、詳細は別の機会に書きたいと思います。親戚から「小説として出版したら」と言われるほどの数奇な体験です。
ハッキリ言えることは、僕の自殺未遂はすべて副作用のせいであり自分の意思ではないということ。事実、この薬によって年間数名の患者が自殺しているという記事も入院中に読んで知っていました。なにかに操られて死へ突き進む人がいる。それがまさか自分になるとは。
話を戻します。
警察に保護された僕は興奮状態で、真っ先にドラッグ中毒を疑われたそうですが、取調中に気絶して今度は救急車に運ばれ、そのまま入院。見知らぬ病院で20日間の混迷状態を彷徨い、ある日の日中に突然「生還」しました。
「息子が20日間も目を覚まさなかったってどんな心境だった?」
後になって母に聞いたところ、母は僕が植物人間になることも覚悟しろと宣告されていたそうです。そりゃそーだよね、20日間も目を覚まさないんだもの。
話を飛ばします。
死の淵から蘇った翌年、また大学3年生として復帰。
そしてデジタル写真基礎というデジカメとDreamweaverを使う授業に繋がるわけです。
自分の写真を誰にでもなく気軽に公開する場を得た僕は、それを田舎の親に見せようとWebサイトの存在を知らせました。その時、Blogを書いたら?と提案されたのです。
理由は「生存確認」。
ただ写真をアップするだけじゃなく、日々の出来事を書いてくれていれば安心する。読者でいさせてくれと。もともと日記は小学生の6年間ほぼ毎日欠かさず書いていたので、抵抗もありませんでした。
まだまだ未熟です。
分からないことと知らないことが混在しています。
分からないことを明らかにするために、日記を書くことにしました。
Die Another Day
別の日に死ぬ「今日はまだ死んでない」という意味らしい。
まだ生きている間の日記。
生きている間のことを、書こうと思う。
初めて書いた日の文章が暗いのは、まだ自分を幽霊かゾンビのように思っていたからかもしれません。これでは親は余計に心配するわ。
よく「Blogの集客力をアップさせるには、1テーマに絞り込み、タイトルは内容を15文字程度で要約し、読者の役に立つことを書くように心がけよ」などのTipsがブロガーさんから発信されますが、僕のは事の発端からしてこんな感じなので、テーマもバラバラ、タイトルも不親切、役に立つこともナシです。心がけていることといえば、専門的なことは砕いて書く。読者の親でも分かるように。
何ヶ月も更新しないときも何度もありましたが、とりあえず10年目。
これからも「生きている間のことを、書こうと思」います。
追伸。おかげさまで身体はすこぶる健康です。この正月は帰省せずにすみません。
去年いちばん聴いた曲は宇多田ヒカルの「桜流し」でした。
http://youtu.be/MU9Srs04sFU
2006年に代々木体育館でLIVEを観ました。当時も「Passion」、「This is Love」、「Traveling」、「Keep Tryin’」、「光」と数々の名曲を披露してくれましたが、「桜流し」の絞り込まれた言葉で綴られた歌詞と切ないメロディは、表現者・宇多田ヒカルの新しい扉を開いたと言っても過言ではないと思います。
自分の大切なものが愛おしくなる、なくしたくないと思う、でも花が散るように有限なんだと気づかされる、そんな歌。
紅白では美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」と、ももいろクローバーZのメドレーに喝采を送りました。2012年の年間では木村カエラ、Mr.Children、井上陽水、中島みゆきのLIVEとサマソニに行ってきました。今年はどんな新しい歌に出会えるか。これまで通り、できるだけ生で体験していきたい。
このRemixも好き。もちろんオリジナルがいちばんですけど。
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