2013年『ゼロ・グラビティ』、2014年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2015年4月10日 日本公開)で2年連続アカデミー撮影賞を受賞している撮影監督、エマニュエル・ルベツキ(Emmanuel Lubezki)。
彼の最大の特徴は「長回し」。
『バードマン』ではついに全編1カットで撮影したのか?と見まごう長回しが圧倒的な臨場感を与える、と評判です。
あぁ、はやく観たい。
そんなエマニュエル・ルベツキを一躍有名にした作品は『ゼロ・グラビティ』だと思っていましたが、長回しで真っ先に思い出す映画『トゥモロー・ワールド』(原題 Children of Men)も彼の仕事でした。
とにかく、ご覧ください。
圧巻です。
この映画で臨場感を呼ぶ最大の要素である「長回し」は画期的な撮影方法に支えられている。以下の4シーンはいずれも1カットの長大な長回しに見えるよう編集されている。詳細は後述。カッコ内は1カットの長さ。
映画冒頭の爆破テロシーン(約51秒)
乗用車襲撃シーン(約4分07秒)
出産シーン(約3分19秒)
終盤の戦闘シーン(約6分16秒)メイキング映像や「CG WORLD」誌2007年1月号などによれば、これらのシーンは単純にブルー(グリーン)スクリーン前で撮影したものではなく、セットやロケーションで、ステディカムや特殊カメラを使って撮った長時間ショットをベースにしている。
必要に応じ、複数のテイクをコンピュータ処理によって一つのショットにつなぎ合わせてあるが、テイク間の映像の差異を埋め合わせてつなぐ技術(PlaneIt=プレーン・イットと呼ばれるツールを使用)は完成度が高く、つなぎ目がどこかは判別が困難である。
上手いこと長回し(ロングショット)に見せてたんですね。
一般的に長回しは定点だったり、ステディカムでカメラマンが動ける範囲内で撮影されるものです。ルベツキのカメラはそんな制約を超えてどんどん変わっていくアングルが見どころで、没入感が半端ない。
私たちは編集された映像に慣れています。
小さい頃から数々の映像作品を観て育つなかで、カットをつなぎ合わせた映像の文法がしみついている、というのもありますが、そもそも人間は、記憶を都合よく断片的に処理することでたくさんの情報やイメージを蓄積する生き物。前後の文脈を忘れて最も印象的だったカットだけを鮮烈に覚えていたりする。僕らの記憶は編集されたイメージの束であり、とても映像的です。
逆にいえば、カットがかからない映像はそれだけ「見慣れたもの」や「脳の生理」とは異なります。溜めの時間が増せば増すほど緊張感(ストレス)が増幅し、まるでどんどん膨らむ風船がいつか爆発するんじゃないか?という類いの不安が募ります。
はやく句読点を打ってほしい。
はやく息継ぎをさせてほしい。
・・・・ルベツキはそうとうイヤなやつかもしれない。
もちろん、カットバックやフラッシュバックで緊張感を与える手法も古典的に存在するけれど、その方が映像を見る体制の脳にとっては予定調和なのかもしれません。予定調和を突き詰めると「様式美」としての快感が芽生えますが。『エヴァンゲリオン』などはその映像快楽のオンパレードです。
翻って長回しの緊迫する空気感は、映像の文脈ではより“自然むきだしの乱暴さ”のようなものがあり、誰の視点だか分からなくなってくる“主観のない冷徹さ”もあり。
https://youtu.be/cBfsJ7K1VNk
真似してやるとわざとらしさが鼻につくか、単に下手すぎて「ただの長い映像」として飽きられるか。あの、まるで血を吸いにきた蚊のようにまとわりつく視点は、誰にでも出せる効果ではない。
この乗用車襲撃シーンは、最後にカメラは自動車から出て道にたたずみ、走り去る車を見届けます。どうやって撮ってるんだろう?と気になるのは2回目以降で、初見では立て続けに起こる事件に気を取られてルベツキのマジックに気づかない。気がついたら道の真ん中に放り出されている。警察の死体とともに。
・・・・それって最高の演出じゃないか。
そんな「長回し」が素晴らしい映画をTOP12(なぜ12?)で紹介する動画があったので最後に貼り付けておきます。
考えてみれば、僕たちの人生は未編集のロングショットが平均80年つづく1本の映画です。
ところが脳は記憶を都合よく断片的に「編集」するので、思い出される日々は長回しではない。
唯一、死に直面したときだけ目の前の光景がスローモーションになって、あらゆるディテールごと覚えていることがあります。
ルベツキの長回しには、死の淵に立った人間が見る解像度があるように思えてなりません。