「プレゼンテーションの時代が、終わるんだよ」
と、ある打ち合わせ中に、ぼくは言いました。「プレゼンテーション」の技術だとか、
「プレゼンテーション」が大事なんだとか、
とにかく、この20年くらいは、
この言葉を中心にさまざまな会社の仕事が
あったような気さえします。ぼくは、じぶんが、これ、苦手だったので、
「ほぼ日」という組織をつくっていくときに、
徹底的にこの「プレゼンテーション」という概念を
無視してやってきました。
「うまく言えてなくても、
受け手側が前のめりになれば伝わるもんだ」
ということもあるわけです。上役やら、同僚やらに「プレゼンテーション」するために
その下ごしらえの仕事に必死になっているのが、
多くの組織で働く人たちの日常だった
‥‥ように見えたのです。
ひとつのA案を練り上げるよりも、
それとちがったB案やC案を横にくっつけたり。
A案がよく見えるような説明を考える。
そんなことに努力するよりも、
「いいと思うA案」について、徹底的に考えを深めたり、
上司は上司で、そのA案をもっとよくする手伝いをすれば
落とすために考えるB案なんかに関わっている時間も、
もっといい仕事に役立てると思っているわけです。「ダメ」は、簡単にわかります。
うまく「プレゼンテーション」できればダメにならない、
なんてことは、あっちゃいけないんです。
そういうことを、ぼくが思っているから、
「ほぼ日」のみんなは「プレゼンテーション」下手です。しかし、そのほうが見えるものが多いんだと、
多くの人たちが、理解してくれるようになる‥‥んです。
そういう人たちの仕事の仕方が、当たり前になるんです。
ぼくはそう思っているので、つい、そう言いました。今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
今日付、ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」より。
至言です。