忘れる

長崎のしゅんちゃん殺害事件を覚えている人は、今どのくらいいるのだろう。

殺した犯人が12歳だったということを今も気にしている人は、どのくらいいるだろう。

一時的に感情的になって、あんなやつは死刑だとか、
親も罰せられるべきだとか、そういった意見が
個人の日記サイトでも多く見られた。
そういう発言をした方々は、今もあの事件を気にして
チェックする眼を持ち得ているのだろうか。
きっと、もう忘れている。

情報の多さで関心度が変化するだけなんじゃないかなあ。
そりゃ今も気にしている方もいるだろうが、
現実は、話題がなくなれば忘れられる。

それ自体を悪いとは言えない。
僕も忘れて行くだろう。けど、あの一時の感情的な発言に、
どうオトシマエをつけるのか。

ものごとは遠くからでは分からないことだらけだ。
そんな当たり前のことに気付けるかどうか。

「忘れる」というのは個人の必要度で変化してくる。
その事自体は自然の流れだ。
が、一度発した発言は、サーバを介したり、他人の記憶として残る。

個人的に「忘れない」という運動も、どこかで欠かさないでいたい。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職