ゼミを移りました。移籍です。
写ゼミの教授に今までのお礼と、
異動の挨拶をしに行きましたが、快く送り出してくれました。
わりとあっさり。
「このゼミにいたから、新しいことに
目覚めたわけだし、新しい先でがんばりなさい」と。
「はい、今までお世話になりました」
「お世話するほど出席してなかったじゃない」
「は、はい…」
新しいゼミは来週木曜からです。お世話になります。
あるデジタル系プランナーの日記
日々…
ゼミを移りました。移籍です。
写ゼミの教授に今までのお礼と、
異動の挨拶をしに行きましたが、快く送り出してくれました。
わりとあっさり。
「このゼミにいたから、新しいことに
目覚めたわけだし、新しい先でがんばりなさい」と。
「はい、今までお世話になりました」
「お世話するほど出席してなかったじゃない」
「は、はい…」
新しいゼミは来週木曜からです。お世話になります。
今日で24歳になりました。
実感はありません。
けど、なってみると、生まれてから
24年も経ったのが早すぎるかなと。
刻々と時間が過ぎゆく感覚は、
普段はそんなに感じることがないんですが。
年齢は確実に…。
これを後退と考えるか、成長と捉えるか。
どっちかな〜。
最近太り気味だし…
でもそのぶん料理は上手くなってきた、と思うし。
その程度だけど。
ソフトターゲット:
テロリストが危害を加える際、
軍事施設などに比べ警備が手薄で、狙いやすく政治的な効果も高い攻撃の標的。
多くの場合、民間人や繁華街を指す。
弱者を狙った卑劣な行為ということだけど、
今や「誘拐ビジネス」「人質戦争」なんて言葉もあるらしい。
あるニュースサイトで記事を読んでいたら、
「注意深く」のところが「チュイ深く」になっていた。
「事態をチュイ深く見守る」…かわいいな。
ハムスターっぽい。でも全然注意深くはなさそう。
木曜から大学が始まった。四年生。晴れて四年生。
仮進級でもない。正真正銘、チュイ深く四年生。
風邪はどうにか治りつつある。鼻が垂れるくらい。
会う友達みんなに「風邪大丈夫?」と聞かれて面白かった。
久しぶりの大学はこれまでになく新鮮。
同期だった仲間がお先に卒業しちゃったから、殆ど知らない人ばかり。
唯一、自分の彼女が構内で舞台美術の突貫工事をしているので、たまに見かける。
けど忙しそうなので声は掛けない。…一度だけ手を振ってみたけど、無視られた。
新学期に合わせ、写真も更新した。全部昨日の写真。
来週、ゼミ選択の結果とかバイトの採用結果とかが一挙発表される。
微妙な変化かな。だといいな。
風邪がけっこうつらくなってきました。
富士五湖旅行はキャンセルしました。
頭痛はもちろん、鼻と喉がやられました。
無理して六本木に行ったのが失敗だったかも知れません。
無理するほどのものじゃなかったし。ちくしょー。
もう部屋には鼻紙&のど飴のカスが散乱しています。
徐々に外出も出来るような感じになってきていますが、
どんだけ軽くても、やっぱ病気になるのは不自由を背負うってことで、
それだけで滅入るね。
テレビを見ても健康な人しか出てないし、
晴れても「頑張って」写真を撮るのがアホくさい。
ボケボケしながら撮るのもいいかも知れないけど、それよりティッシュ。
現実は、ティッシュ無しにはどうしようもないのです。
それが風邪だったんだなーと思います。
とりあえず加湿して薬飲んでご飯食べて寝てりゃいいわけで、
春休みラストはじっくり休養させてもらいます。
ばいならー。じゃんけんぽん!うふふふふ。
そろそろ見納め。僕は鼻風邪。
年前に共に闘った(?)予備校仲間で、飲み会を開きました。
お酒の飲めない僕は、例によって
ネカマ職のBikiと下らな〜い話を
みんなには聞こえない程度に喋り、
久しぶりなみんなを眺めていました。
乾燥で唇がパックリ切れていて、醤油が染みて痛かったです。
今月ももう終わりますが、あと十日は極貧生活です。
もう、お金がない。
というわけで再び米生活。
米命。おかず欲しいなぁ…。鮭フレーク飽きたなぁ。
とりあえず近所のスーパーで冷凍四割引チェックして、
ピラフ買いまくって帰りました。
おかずを買えばよかった…。
模型。だけど旨そう!
男:「僕の髪が〜♪肩まで伸び…」
女:「それだけはやめてね」
木の実ナナ。
夜中にラーメンを食べようと、ひとり近所のラーメン屋へ出向いた。
うちの近所というのはここらじゃちょっとした風俗街で、
今夜もたくさんの女性が客引きに必死だった。
そんな中を抜けて進むのはもう五年もやっていることなので、
いい加減向こうも顔を覚えてくれて、僕だけを無視してくれる。
ラーメン屋に着いてメニューを見ようと思ったその時、
女性客が2名入ってきた。
ジャージにウィンドブレーカー。
中国系の出稼ぎ風俗嬢だ。それは別にいいんだけど、
その2人が入るなり大声で喧嘩を始めたのである。
制止する店員も軽視するお客も無視して、
2人は流暢な中国語で言い争っていた。
すごい早口。きっと全部漢字。我怒心頭。
もしかして2人は台湾の人で、総統選挙の結果で対立してるのかな?
とか思ってもサッパリわからん。
しばらくして僕の席にチャーシュー麺が届いたが、
彼女たちの怒りは治まる気配もなくまだ続けていた。
その後ろで僕は、なんとなく本場中国で食べているような
気分になって、いつもより美味しく頂いた。
これで店の頑固オヤジがでかい包丁を持ってきて、
外のバスにジャッキーが傘でぶら下がっていたらベストです。
「嘘なんかついとらんよ、ほんまやって。ほんま言うとるやん」
「なんば言いよっとね!そいが嘘たい、見え見えの嘘ばついてからに」
「ほんでも…」
「ばってんどがんしたと?!」
なにげに使っていたけどよくよく調べたら、
「いっちょん」は「一切」という意味で、九州弁でした。
出所が分かった。誰から感染った言葉かも。「風邪引かんごつね」も。
夕方に目覚めた。天気が悪いので、一日を損した気にもなれない。
ごにょごにょとウェブ更新。
難しくていっちょん分かりません。バカなんだと思う。
でも、ドリってこんな便利だったんだ!という機能を多々発見。
Java知らんでも書けるし、あ、そういうものか。
ついでにPhotoshopのファイルブラウザという機能も
初めて使ったら、これまたすんごい便利。
頭のいい人は素晴らしい。道具を作れる人って宝。
どのくらい良いかって、無洗米がこの世に現れたくらい便利なことです。
今日は今年初の病院です。血を採って参ります。
採血が上手いナースに当たりますように!
生まれてこの方、いったい何本の針を刺してきたんでしょう。
右腕には注射のコブがあります。硬いっす。
でも採血って、これだけでかなりのことが分かるそうで、
「お肉の食べ過ぎですねー」とか、「階段登るとき息切れしない?」とか、
その時その時の状態をズバリと当ててくれます。さすがDr。
初めて今の病院で検査してもらったとき、
ぼくのデータを見た先生とナースは口を揃えて言いました。
「気力で立ってるんですか?」「車イス用意します」
「いきなりですが緊急入院してね帰っちゃダメだよ」
ドラマのようだな!と半ば興奮しながらベンチで待っていると、
今度は「ベッドが空いてない」と告げられました。
「絶対帰るな」と言われた10分後に「ベッド無い」て!!!
ナースは続けました。
「1泊30万のお部屋ならご用意できますが…」
ものすごく申し訳なさそうに言うな!医療はもっと人を選べよ。
結局、最初の1週間だけ比較的安めの個室(でも1泊3万!)に入ることが出来ました。
その後の大部屋では、毎夜隣のカーテンから容赦なく襲いかかるイビキ地獄で不眠症に。
しかも2週間の入浴禁止令。
あの当時は日韓ワールドカップだけが楽しみでした。
それすらも遠くの国のことみたく眺めていましたが。
病室の空気は独特の世界だと思います。
見舞いでは分からない真夜中。
2ヶ月もいたので多くの患者の入れ替わりを見る羽目になりました。
企業戦士と呼ばれる人たちは、“初夜”を迎えると、ベッドの上ですすり泣きます。
ショーシャンクでも網走でもないんだよここは。と言ってあげたくなります。
そんな風に男の弱さを見せつけられますが、
翌日からイビキ野郎に変貌するので同情の余地無し。
今でこそ自分がイビキをかくほどにまで元気になりましたが、
検査だけはさぼっちゃいけませんね…。緊張。
メンテナンスフリーでありますように!
そして昼。
行ってきました港区某医科大学病院。取ってきましたB型血液。
・・・検査結果はシロ!
「健康そのものですね、このまま様子見で。薬も1錠に減らしましょう」
じゃあここ数日の抜けない疲れは?腕のしびれは?みぞおちの鈍い痛みは??
ただの疲労だったようで。気が抜けました。
自分は幽霊だと思っていたのに「足あるよ」って言われたみたいな。
親に電話で報告したら、
「いかりや長介サンはあんたがいた病院で亡くなったんだって」と
教えてくれました。合掌。次いってみよー。
説明不要のコメディアン、いかりや長介死去。
色んな時代の顔が思い出されるけど、
ぼくら(’80年代生まれ)は最後のドリフ世代だったんだなと思う。
きっと、天国で雷様になって下界とブーを笑っているんだろう。
友達に「使わないから」ってあげたフィルムの中に、
昔撮って未現像だったのが紛れていたらしく、こんなんなって帰ってきた。
そんで、面白いのでアップしてみた。切れ方が絶妙じゃないですか?
いつだろう?
たぶん、彼は当時22歳。場所は分かったんだが。…笑ってるし。
でも遺影のようだ。
どうでもいいけど来月で24だ。うへぇ。
少し前に見に行ったラーメンズの
コントに、『カネ部』というのがあった。
お金のない学生らが集まって(といっても二人だが)、
あの手この手で稼ごうというのが活動趣旨。
要はバイトして文化祭で出店(しかも高利貸し!)をやって
儲けようという話なんだけど、名前が素敵すぎる。カネ部。
カネ部に入りたい。起業でもなく、部活として何か仕掛けたい。
昨年、うちの大学にデッサン部というのが出来た。
僕の付き合っている人とその友達三人くらいで何となく
「デッサンやりたいねー」なんて話してたら教授が即座にノって、
トントン拍子に石膏像(ラボルト、ブルータス、パジャント他色々)やら
イーゼルやら夜食用の炊飯器まで完備の部室があてがわれた。
こういうのもコネって言うのかな〜凄いなぁなんて思ったもんだ。
現在、デッサン部の部員数は未確認。
だが六〜七人はいると思う。僕以外は全員女の子で、しかも四年生。
つまり、このままだと来年度は自分一人になるわけだ。
こっそりカネ部に転向しようか。
大阪に行っている間に、
大手広告業界はエントリーを締め切っていた。
さーどうする?っていう絶妙なポイントに
大学を卒業した先輩から連絡があって、麻布十番で会った。
先輩の勤める会社の調査に協力するとかで、
インタビュー形式で座談会のようなものが行われた。
テーマは「駅の広告」。
エキナカでの広告戦略やアイディアを規制抜きに出し合って、
普段ぼくらが街の広告をどう受けているかを確かにする。
集まったのは都内有名大学の三〜四年生7人で、
都内某美大の僕と彼女は早稲田とか法政の、
しかも就活帰りでスーツ姿の学生に混じって話をした。
リクルートスーツなんてまだ持っていないのは僕だけだな、と
内心思いつつ、それでも議題が広告関係だったので割と話せた。
広告は難しい。
そのありとあらゆる難題をまったく無視して話し合えた。
本来は規制や無理難題の中から面白いアイデアを捻り出すのが
広告だと思うが、枠を取っ払って話すことは今までにない事で、
緊張したけど収穫だった。
で、先輩の手腕で話はざっくばらんに進行し、
それぞれの就活の話なんかもするようになった。
聞くと、やっぱ社会は甘くないなーと思うことばかりで、
ネクタイもろくに締められない自分が場違いに思えて仕方なかった。
完全に出遅れてしまった。そのことは否めない。
だけど、人と話すうちに興味の対象が明確になってゆき、
自分が納得できるように進めていくしかないと思えてきた。
焦っても意味はない。
そろそろ、自分の好きなことを仕事にしてみませんか?
と村上龍(先輩)も言っている。
残念ながらぼくは14歳ではなく来月24歳だが。
グループ展とかやるときに一番面白いのは広告だと感じていた。
展示の面白さは勿論あるし目指すクオリティも表したいテーマも
ある(ない?)のだが、それをまず見てもらうにはどうすればいいか?
を考えることの方が、より熱心かもしれない。
だって、見てもらわなければ無いのと一緒だから。
広告でも写真でもそうだが、
自分は視覚が与える影響を操作したいんだと思う。
そこには当然、言葉や音も関わってくる。
早稲田の人は世渡りがうまそうだった。
やりあうにはアイデアしかない。
ちょっとマジメに、就活について考えてみた。
長くてごめん自分。結論無いままでごめん自分。
そんなこんなで、卒業式には出席できませんでした。
本来なら僕も出るはずだった卒業式。
一年先に持ち越されたと言っても、
共に入学したみんなは今日が大学最後の一日です。
そのみんなを見送りたかった。
朝方、胸から肩、腕にかけて強いしびれがあり、
入院時と同じ症状で滅入りました。もう大丈夫だけど。
僕を尻目に(?)卒業する彼女はスーツで式に出向いたようです。
写メールが届いて、今は銀座で謝恩会に出席しているとか。
KIHACHI!いいなぁ。
でも前日に、ささやかなお祝いをしました。
チーズケーキとリプトンで。おめでとう。
僕は春から、五年目の大学生活です。
彼女に先を越され、弟に追いつかれました。ひえぇ。
がんばろうっと。