校舎裏

 

アイスコーヒーのうまい淹れ方を教わった。

 

ゼミで、額縁について浅い持論を話した。

フレームが持つ意味とか、写真が額縁を嫌うようになってきたんじゃないか?
とか、そういうことが卒制のテーマに繋がっていくように思う。一部だけど。

 

具体的なことは後で触れるかもしれないのでハショるけど、
どうしたって画面というもので世界を切り取る以上、それが
フレーム=額として機能するんじゃないか。

 

例えば。
PCにアップする画像は額がないようでいて、
画像が四角いフォルムの時点で「額」を内包している。
何より、PCのモニターが額としての機能を果たしちゃってるように思う。

 

最近の写真の展示は流行として、アクリル板に挟み込み額縁のない提示が多い。
それがダメというつもりはなくて、そうしたところで
人は額を感じ取っているんじゃないかと、どこかで思うのだ。
隅の方はアクリルの厚みで光が屈曲し、それだけでフレームにも見える。

 

写真が四角いことと額縁の問題は別かもしれないが、
今は切り離して考えることは出来ない。
一度、それぞれ別に考えてみたい。参考作品は何なのか、それも探そう。

 

先日ICCに行ったときにインテリアのお店で見た苔のミニチュア日本庭園、
あれは砂利を木枠で囲んでいたからこそ全体が締まって見え、緊張感が
醸し出されていた。さらに、囲んだことで不思議な奥行きを感じ取れた。
締まりが広がりに繋がっていた。

 

フレームから自由になろうとする運動(反動?)は風潮として
あると思うし、それは写真の憧れとも言える。

けど苔を見て、上手く使えばそこから出てくる広がりや
自由度もあるんだと気づかされた。

 

額から飛び出ようとするのはポーズであって、
それを志向するには内容とか全体の見せ方・編集がキーになる
と考えている。要は切り口でしかないのだ。

切り口って言葉もまた、フレームだよなぁ。

 

今月のテーマは、上手くフレームを使えないか。
そのためにはどういう装置がいいか?ということ。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職