展覧会の話


過去、何度かグループ展等に作品を出したことがある。

一回目は高校時代、文化祭で美術部員として出展した写真だった。

16歳。当時から写真。タイトルは「美しい日々」。
A1ほどのパネルにL判の写真を並べたコラージュ作品。
「美しい日々」でありながら、そこには友人が鶏を解体する光景や、
どちらかというとグロテスクなものに散りばめられた世界を写していた。
お客さん(特にうちの母)はかなり引いていて、してやったりだった。

二回目が予備校時代。

高校時代でいう文化祭に近い、立美祭で写真集を出した。
ただ写真集を置いても素通りされてしまう。より多くの人に見てもらおうと、
あえて一番人の多く入るギャラリーに出展するように申請し、そこにTVを置く。
TVからは写真集のコマーシャルとして、スライドショーを流した。
前日にビデオカメラを借り、徹夜で作った。広告としてどうしても必要だった。
が、いざ蓋を開けてみるとスライドショーの方が好評を博し、コンクールでは
グランプリを戴いた。映像と広告の力を思い知る。

三度目は大学の文化祭、「芸祭」だった。

高校時代からの先輩、ちくりんを筆頭に集まった団体。
宇宙をテーマにした映像の展覧会「Across the Universe」。
個々の作品以上に、会場設計、デザイン、広報、衣装に力を入れた。
これはこれで大成功。デザインの力を思い知る。大盛況だった。
衣装をデザインしたアカミネノリエ、そしてスーパーバイザーの
レイコイトウ氏にはみんな感謝。広告塔をアピールできた。

最後が2002年の「ぼくらEXHIBITION」。

予備校時代の友人4人で、なじみ深い立川を舞台にグループ展。
表現メディアは写真2つ、音響、映像と、多種に及んだ。
学校の行事に乗っかるのではなく自分達でぜんぶ取り仕切る。
そのことの重要性と、大変さを知る経験となった。

 

それらを踏まえて。

さぁ、今年はグループ展3つ、出展します。
踏まえるものが多いのが、もはやひとつの財産になってます。

お金はかかるが出会いもある。
新しい出会いを求めたいと思います。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職