2014年の帰省タイム

帰省の時間が迫ってる。
それぞれの実家へ帰る私たち夫婦は変わっていると言われる。

昨日はEspeciaというメジャーデビューが決まったばかりのアイドルグループの出るLIVEイベントに行って握手会とツーショット撮影。これまで参加したことのある握手会は渋谷で遭遇した『きゃりーぱみゅぱみゅ』と先月の『水曜日のカンパネラ』コムアイちゃんだけという遍歴もいいところだったが、ガチのアイドルとの握手会はさすがに緊張して上手く話せなかった。

メジャーデビューが楽しみなEspecia。
メジャーデビューが楽しみなEspecia。

 

それでもリーダーの悠香(はるか)ちゃんはTwitterでEspeciaの話題をFavoってくれるのでダメ元でアカウントのアイコンを見せたら「あー!知ってる!!」と言ってくれて、屈託のない笑顔がまぶしくて、なんというかその場で液化か蒸発か、ともかく固体でいることが危うくなるほど嬉しかった。これが握手会の魔力なのね・・・・。

たまたま現場で出くわしたSCRAP吉村さんに写真を見せてニヤニヤしてたが、Especia談義もももクロ談義もそこそこにその日のイベントは終了。家に帰ってもツーショット写真を開いて夢のような出来事を反芻していた、

が、

あとから帰宅した妻に新日本プロレスのオカダ・カズチカ選手とのツーショット写真を見せられ、自分のiPhoneをそっと仕舞った。

なぜか今年突然プロレスに目覚めた彼女は、100年に一人の逸材・棚橋弘至にはじまり中邑真輔、飯伏幸太、そして数時間前に撮ってもらったというオカダ・カズチカとツーショット撮影を決めてすっかりプロレス大好きおばさんになった。ジャニヲタでもあるから秋は『Hey! Say! JUMP』の横浜アリーナ公演と両国国技館(プロレス)とをハシゴして「盆と正月がいっぺんに来たよう」とか「盆と正月がいっぺんに終わった」とか言っていた。ドル誌(ジャニーズ系アイドル雑誌のこと)と週刊プロレスがならぶ居間にも慣れた。

イッテンヨンが楽しみな新日。
イッテンヨンが楽しみな新日。

 

目の前の妻は191cmのオカダがいかに巨体だったかを生き生きと語り出し、まるで黒船を見た坂本龍馬のように止まらない。そんな人を前に悠香ちょがいかに華奢でかわいかったかを語ることなどできるはずもなく。それでなくても語れる勇気はないけれど。

帰省の時間が迫ってる。

 

紅白が楽しみなももクロ。
紅白が楽しみなももクロ。

 

今年も紅白で「ももクロ」にかじりついて見る長男(僕)を次男はまるでそれが仕事であるかのように徹底的にバカにして、母は不思議なものを見るような目で「これが好きなん?」と聞いてくるだろう。せめて妻がいれば弁護してくれるかと思いきや傷口を広げる証言を披露することも明白。むしろその方が楽で、ひとりであしらうのは面倒で疲れる。口の悪い弟と妻との結託は手厳しいけれど的確で楽しい。一緒に帰省できなくて残念な点があるとすれば、あの二人のめおと・・・・ではなかった、漫才が見られない点。今年はプロレス話も加わってさらにカオスになっていただろう。

お正月というのは帰省してダラダラして、親のいる家で親のつくる雑煮を食べるためにあるんだと思う。そのためには多少太ってもしょうがないし、自堕落になってもしょうがない。それが田舎を離れた者の仕事だと思う。

妻には妻の、僕には僕の仕事がある。そんなことを言っていられるのは自分たちに子どもがいないからだが、もしいたら帰省先はどちらかに絞られ、ツーショット写真の相手も“我が子”に代わるのだろうか。「孫の顔を見せる」ことが仕事になるのか。握手会で溶けそうになる自分にはまだ想像もつかない。いい歳だけど。

 

さっき九州へ帰る妻を玄関で見送った。「よいお年を」。飛行機のチケットが冷蔵庫に貼られたまま出ていくあの人を呼び止めて、もう一度「よいお年を」と言い直して大掃除に戻る。
僕は明日帰ります。

2014年版 宣伝会議賞さらけだし、の前の振り返り

第52回 宣伝会議賞の応募が締め切られて早10日。

去年出したコピーはたったの60本だったのはまったく情けない限りだけど、その前に出したときの倍ではありました。だったら今年も前回の倍は出そう!と今年は127本提出done。

1,000本とか2,000本とか出している人がザラにいる中で、僕の本数は相変わらず雀の涙ほどですが、今年はちょっと取り組み方を変えてみたらなかなかよかった。

課題ごとにタブ分けしたスプレッドシートをGoogleドックスにつくって書いていく

cac_docks

ってそれだけのことなんですが、進捗が可視化できてよかったです。

cac_docks02もちろん、いきなりここには書きません。思考を巡らせたり調べ物をメモしたりするときはノートとサインペンを使っていました。けれど、ベッドの中でも電車の移動中でも、ふと思いついたフレーズやアイデアも含めてこのシートに書いておくと、いずれちゃんとした下書きになっていくのです。

あ、そんなこと誰でもやってるか。僕は今まで紙のノートとかEvernoteとかiPhoneのメモとかバラバラに書いていたので、一本化できたのがよかった。

コピーライター中村禎さんの専門クラス「中村組」ではいつもこのシートと似たExcelにみんなの課題コピーが並び、容赦なくバッサバッサと斬られていったものでした。その頃の感覚を見た目から思い出せるという利点もありました。ちがうのは自分で書いたものをバッサバッサ斬れないことくらい。

締切の3日前くらいからは隣の欄に「企画意図」の項目も追加して、最終日はこれをひたすら応募サイトへコピペするだけの状態に。

昔は新宿とか赤坂とかの郵便局で消印の日付が変わる24時の直前までせっせと書いて行列に並んでいたものです。あーなんて便利な時代。

オンライン応募になる前の、最終日の郵便局。
オンライン応募になる前の、最終日の郵便局。

今年はサーバも落ちなかったし快適な提出作業でした(本数も少ないし!)。

 

ところで、宣伝会議さんがやっているBlog企画のひとのエントリーやコピーライッターさんこと長谷川哲士さんのnoteを読むに、「グランプリを獲りやすい課題とそうでない課題」があるっぽい。

まとめると「審査員でも誰でも一度は使ったことのある商品や、わかりやすい課題がグランプリを獲りやすい。逆は審査員も審査しづらいから獲りづらい(んじゃないか?)」。

確かに言われてみれば。
あらかじめ避けていた『ドラゴンポーカー』や『SRGタカミヤ』はその枠に入りそうだなぁ。

なんてことを思いつつ、実際は蓋を開けてみなけりゃわからない。
蓋が開くのは来年3月です。

100万円、欲しいなぁ。

これ見てたら100万円がちっぽけな気がしてきた。

下から三番目の記憶

高校二年の冬、隣町の進学校に行った幼稚園からの幼馴染に「うちの文芸部で映画を撮りたいから監督とカメラマンをやってくれないか」と頼まれた。父に買ってもらったビデオカメラを持っていて映画オタクだった僕には何ともうれしい誘いだった。

学校という場所はどこも似ている。白い校舎は無機質だし黒い制服は詰襟に付けた校章とボタン以外はまったく同じデザイン。なのに初めて入る隣町の進学校に緊張した。放課後の教室に集まった男四人と女一人の文芸部員と合流する。みな東大京大あたりを目指す秀才の集まりだ。ワイドコンバージョンレンズをつけた3CCDのビデオカメラを持っていたから辛うじて物怖じせずに済んだ。むしろこの中では自分が監督。優越感がなかったと言えば嘘になる。

メンバーの紅一点の女子・Sさんは150センチないくらいの小柄な体型だったが、明るく活発に話す、社交的で聡明な印象。でも頭の回転が速いから敵に回すと怖いだろうな。
誘ってくれた幼馴染は彼女に好意を寄せていると言っていた。耳元で彼女に聞こえないように「どうです?」と訊いてくる(彼は小学生の頃から誰にでも敬語を貫いていた)。「うん、かわいいね」。すこし気が強そうだけど華奢なその人を見て、いかにも彼が惚れそうなタイプだなと思った。

その場で彼らの脚本を読んだのかどうかも忘れたが、自己紹介も早々に、さっそくカメラリハーサル。折しも庵野秀明監督が全編miniDVで撮影した『ラブ&ポップ』が公開されたばかりの頃で、おなじカメラでおなじ女子高生を撮るというだけで面白かった。赤いレンズフィルタをつけ、Sさんが廊下を走るシーンを撮ってその日は終わった。脚本が上がらなかったのだろう、それが最初で最後の撮影になった。

Sさんから家に電話がかかってきたのはその日の夜だった。

1998年の高校生はまだケータイを持っていない。連絡網と称して互いの電話番号でも交換したのだろうか?今となっては思い出しようもない。二階の自室につなぎ直して「どうしたんですか?」と聞くと、受話器の向こうの彼女は妙なことを言い出した。

 

夜分すみません。
私、明日からダイエット始めるんです。
その前に今のからだを残しておきたいから、
今日のカメラで私を撮ってくれないかしら?

 

「かしら?」会ったときからおかしな言葉遣いの人だなと思っていた。四国の田舎なのに訛りがなくて口調が大人びている。いやその前に言ってることの意味がわからない。興奮した。

ダイエットって、じゅうぶん痩せとるやないですか。
言ったそばから昼間の彼女を思い出そうとする。小柄だった。わけのわからないことを平然と言ってのけるので、京大を目指す人は頭が常人とは違うんだなと納得させた。じゃじゃじゃ、じゃあ、明日の放課後、駅で会いましょう。学校が終わったらデッサンの予備校に通わなきゃいけないので時間がないですが、アッテハナシマショウ。

突然の提案に返すことはこれが精一杯だった。美大受験のために通い始めたデッサン教室とか本当はどうでもいい。震える手で受話器を置き、ビデオカメラの充電器をセットしてヘッドフォンでBjorkを聴きながら翌日に備えた。その日の教室での友達との会話や授業内容は何も耳に入らなかった。すべての意識が放課後の駅と鞄の中のビデオカメラの往復だった。

 

なんでこんな昔話を思い出したかというと、今日(2014年6月1日)、浪人時代からの友達が惚れているという店員さんのいるカフェへ気まぐれに行ったからだ。もちろん今夜は店員さんから僕に電話がかかってくることはないし友人の恋を応援したい気持ちでいっぱいなんだけど(嘘、本当はどうでもいい)、自分にもまだどこかにドラマが落ちてないかなぁと思う。既婚者向けのライトなやつで。

 

結局、駅で待ち合わせた二人は公衆トイレでの撮影を思案するものの、入口でおじさんのようなおばさんに睨みつけられ、電車に乗って松山の美術予備校まで行った。会ってまだ二日目なのに電車の中で手を繋いだ。予備校の前まで一緒に歩いてくれたSさんは別れ際にキスをして去った。残された僕は勃起したまま3時間みっちりラボルトを描いた。

「ダイエット前の私を撮って」という提案のわけのわからなさがK点になっている僕には、その後の出来事すべてに疑問を感じることがなくなっていた。ただ受け止めるだけ。K点越え目指して飛びつづけていればいいや。
後から聞いた話で、「彼女には他に男が三人いてそのうちの本命が京大に行ってしまい遠距離になって寂しいときで僕は四番目」だと知っても何にも思わなかった。幼馴染への罪悪感もなかった。彼女の複雑な家庭環境も物語の設定のように感じられた。

何も感じないことが気持ちよかった。きっと、そう思い込まないと彼女との関係が絶たれる気がしていた。

ビデオは別の日にホテルで回した。けど怖くなって翌日に庭で燃やした。やっぱり何も感じないなんて嘘だ。モノが残るということがなんとも怖くなった。そもそも彼女はテープを欲しがらなかったしminiDVを見る術も持っていなかった。なのに「撮影代」と称して二千円をもらった。僕は二千円で買われた。

その後も僕らはほぼ毎日会った。
会えない日は固定電話で八時間くらい電話した。仰向けになって受話器を顔に置いたまま腕組みをして話す技を身につけたのはこの頃だ。京大を目指す人と付き合っているのに、成績は学年で下から三番目まで落ちた。

2013年版 宣伝会議賞さらけだし

与沢翼 秒速でホームレスへ 涙の告白

『秒速で1億円稼ぐ男』の破綻に関する記事の見出しです。秒速で鷲づかみにされちゃいました。これが『与沢翼 転落人生 涙の告白』とかだったら「ふーん」でスルーしてたかもしれない。

クリックさせる強力な見出し。
感銘とか感動とかはないけれど、僕は動かされました。

 

By the way…

第51回宣伝会議賞の1次審査以上の全7047作品が収録された
SKAT〈13〉―SENDENKAIGI AWARD TEXT』が発売されました。

僕も2年ぶりに出して
少ないながらも1次・2次に残ることができたので、
記録もかねてここにさらします。

その前に、『宣伝会議賞』について
よく知らないうちの両親のために、おさらい。

エステー、キヤノン、サントリー、パナソニックほか有名企業40社が出した広告テーマに、一般から48万8916点の広告コピーやCMのアイデアが集結。

過去には糸井重里さんもグランプリを獲った、
「コピーライターの登竜門」と呼ばれる公募大会です。

で、『SKAT』という本は

そのなかから、日本の広告を導く名クリエイターが厳選した7047点を収録しています。この世で最もアツく、最もスマートな「言葉」の勝負が今年も繰り広げられました。51年目を迎えた日本最大の公募広告賞の、節目となる一冊です。

宣伝会議社の紹介文より)

僕は2006年(8年前!)の第44回で「奨励賞」をいただきました。
賞金は5万円だったので、今でいうシルバーに相当するのだと思われます。

当時のBlogエントリーを読み返すと

応募総数20万624点の中から
ファイナリストの14人に残ることができ

とあります。
でも今年は

 

過去最高の応募数だって。
過去最高の応募数だって。

 

ぐへぇ。

で、

 

cac02

 

さらに、

 

cac03

 

しかも、

 

cac04

 

そして、

 

cac05

 

ここから、

グランプリ(賞金100万円)
コピーゴールド(同30万円)
CMゴールド(同30万円)
眞木準賞(同30万円)
シルバー(同5万円)

が1名ずつ選出されるという‥‥。

 

言葉が書ければ誰でも応募できそうですが、
プロのコピーライター、CMプランナーの審査を経て
『SKAT』に載る、さらに受賞するということは、
まぐれで選ばれる領域ではないと思います。

応募する人たちも1課題50本まで応募可能という制限の中で
MAXの2000本を提出する人がざらにいます。
それだけの、言葉のぶつかり合い。

 

そんな中で僕は今まで3回トライして、いずれも
30本くらいしか応募したことがありませんでした。

ナメてました。
反省しました。

今回は会社の後輩が「1000本は出す!」と奮起している中、
自分もいっちょやるか!と気合いを入れて

60本

出しました。

あいかわらず少ない。

書いたときも出したときも、
厳選して凝縮した60本だと自信満々でした。
ここから何十本残るだろう?くらいの気持ち。
なんですけどね。

見返すと、ひどい。

はい、うだうだ言ってないで、
残ったのはこれらです。

 

■ECC
〈ECCで外国語を習う動機づけとなるような広告〉

困っている人に声をかけられて、逃げた。

 

■牛乳石鹸共進社
〈「赤箱」を20代〜30代の女性の方に自分用だと感じてもらえるコピー〉

バスルームの日本代表です。

 

■BookLive
〈BookLive! の電子書籍サービスを使ってみたくなるコピー〉

読書家に見えないのが残念だ。

 

ずいぶんと引っ張っておいて、紹介は一瞬で終わり。

自分がコマを進められたのは上記の3本。
結果は1次審査が2本と2次審査が1本でした。

skat

と、さらしてみたものの、大事なのはむしろ
SKATに載っている全国から集いし7044作品の方で。
「こんな視点があったのか!」と身悶えているところです。
自分、さぼってたなぁ‥‥。

(受賞コピーはこちらで見られます)

 

正直、コピーを考えているときは

「これはコピーで解決するよりも
こういうキャンペーンを張った方がいいのでは?」

とか、

「こういう運動を仕掛けた方が効果ありそう」

などと思うことの方が多かったりします。

「それ、コピーだけでどうにかなる問題ちゃうやろ」

と言いたくなる課題も多い。

ファイナリストに残った作品たちを見ても、

「なるほど、そんな視点が!」

と感嘆するものや、

「あー、わかるわかる」

と共感するもありますが、

「いやそれは言葉遊びなだけでしょ」
「それで人が動くとは思えないなぁ」

と反発したくなることもあります。

なんというか、「宣伝会議賞っぽいコピー」というものや
「コピー風味」、「雰囲気コピー」と呼ばれるようなものが
この公募には集まりがちだなぁと感じることが多い。

コピーライターになりたがる=コピーになりたがるコピーを書く
という罠(?)にはまりがちというか。

課題解決をニュートラルに考える仕事と違って、
みんなに開かれた公募なので、仕方ないかなと思います。

自分が書いたものでさえ、読み返すと意味がわからない。
牛乳石鹸で「バスルームの日本代表です。」って何がいいのか。
一次審査を通してくださった審査員の方には感謝!ですが、
石鹸のシズルもないし、女性向けでもないし、うーん。

30代女性の自分の奥さんに聞いても
「はぁ‥‥。で?」
と首をかしげられるだけなのでした。

出したときは自信があったのに。

それでも上位に残るために参加するのは
意味があると考えてて。

それはやっぱり、
厳しい審査をかいくぐって残ったものたちが
自分では発見できなかった視点を教えてくれるから。

「コピーじゃなくて新しい仕組みを作った方が効くのでは?」と考えるにしても、
その仕組みを先導するコンセプトワードを考えることにつながるし。
視点を広げるためのブレストとしてはぜんぜん無駄じゃないし。

そして宣伝会議賞はコピーもしくはCMのコンテを
書いて出すことがルールの試合なわけだから、
そのルールの中でもがくのが正しい姿‥‥って当たり前か。

てな感じで、
30本とか60本とかしか出さないでいると
正しく楽しめないし、正しく悔しがれないんだなぁと気づけました。
レベルの低い気づきですね、今さら。

 

今週末は「秒速でホームレスへ」に感心しながら
『SKAT』の7000本(のうちのいくつか)に感嘆しています。

人を動かす、鋭敏な言葉が書けるようになりたい。

御苑/ウォーホル

みどりの日。

 

無料開放の新宿御苑で昼寝して、
無料開放の新宿御苑で昼寝して、

 

起きて、
起きて、

 

六本木でウォーホル展→串カツ→
六本木でウォーホル展→串カツ→

 

帰って録り溜めた番組をひたすら消化。
帰って録り溜めた番組をひたすら消化。

 

明日(2014.5.6)まで開催中のアンディ・ウォーホル展に行ってきました。

僕が高1だった1996年。東京都現代美術館で回顧展があって、当時は今よりもウォーホルブームに沸いていました。ちょうどそのタイミングで高校の担任が美術教師だったこともあり、美術部に入ってウォーホル関連の雑誌を読み漁っていました。『美術手帳』とか『芸術新潮』とか『STUDIO VOICE』とか。その頃を思い出す、自分にとっても回顧展でした。

そういえば最初に作品を観たのは16歳の家族旅行で行った尾道だったな、とか、2012年の転職のタイミングで行ったNY一人旅でも観たなぁ、とか。

NYのメトロポリタン美術館は写真撮影OK。冒頭のモンローもメトロポリタン美術館です。
NYのメトロポリタン美術館は写真撮影OK。冒頭のモンローもメトロポリタン美術館です。

 

「機械になりたい」と語るウォーホル。
そういうところにシンパシーを感じていたんだろうなぁ、16歳のD.T.は。

『POP ART』、『エヴァンゲリオン』、『鉄男』、『AKIRA』、『テクノ』に溺れるほど傾倒してました。
無個性、没個性に憧れる個性っていうの?‥‥恥ずかしい。
当時は中2病なんて言葉はなかったから存分に浸ることができた。
(今になってみればクオリティがめちゃくちゃ高いものに浸れたのは財産)

正直、田舎の高校生にとって鮮やかに憧れる存在だったウォーホルとその作品群に対して、今さら観に行くのもなぁ?と思って敬遠してたけど、行って正解でした。
「史上最大の回顧展」と謳うだけあって、商業デザイナー時代の作品や観たことのなかった習作、写真など、作風の変遷とウォーホルの人生をていねいにたどることができました。

 

会場の壁に書かれていた本人のこの言葉が妙に印象的でした。

靭帯ってどこ?

昼間、5つ下の弟と高校サッカーをテレビで見ていて、
10年前に彼が県代表で出たときの話に。

国立競技場を行進する弟を、
両親と彼女(今の奥さん)と見たのは鮮明に覚えていました。

ゴスペラーズが歌ってた。
二回戦で敗退したときの相手校・石川県の星稜高校に
あの本田がいたことは、10年目にして知った。

そっか、俺は17歳の本田を見てたのか。

顔も性格も体格も似てなさすぎる兄弟。

かたや休日は彼女や友達とドライブ、かたやゴールド免許。
かたやスペインリーグおたく、かたやモノノフ。
日産スタジアムで見たのは、かたやロナウジーニョ、かたやあーりん。

28歳になった今も京都の1部リーグでレギュラーをやってる弟。
そのことも今回の帰省で知りました。
秋に靭帯を切ったらしい。

へえ、で、靭帯ってどこ?

顔も性格も体格も似てなさすぎる兄弟。
愛媛を出て深夜の高速道を東へひた走ってます。
弟のHONDA車で。

アウトプットするよ。

新年あけましておめでとうございます。

2013年はWebディレクターという職種に慣れるための一年でした。

正直、まだまだ。

自分の至らなさに自分が翻弄されるという状態に、ちょっと疲れたなぁ。周りにもずいぶん迷惑をかけました。

そんな中、また一緒に仕事がしたいと言ってくれる方々がいることに救われます。挑戦できるステージがあることに感謝しながら、もっとチャレンジングな仕事がしたい。

 

昨年は個人活動でも取り組む舞台を与えてもらえた年でした。

年の初めに、前職の後輩・長谷川弘佳さんに誘われてレシピブックのコピーワークをお手伝い。

夏は『広告批評』元編集長の河尻亨一さんに声を掛けてもらい、2013年のカンヌライオンズをまとめた雑誌に、Perfumeに関するコラムを執筆させてもらいました。

11月、母校・武蔵美の教授に呼ばれて人生初の講演をしました(その模様は別の機会にアップします)。

どれも刺激的だったなぁ。
自分の言葉で書いたり、話したりすることが、誰かの手に渡って形になる。意味を持つ。その醍醐味を知った年でした。

第一義は目の前の仕事だけど、今年は個人の活動ももっと広げていきたい。

だから、今年のテーマは「アウトプット」。

それが一人前にできるためには、仕事の方のレベルアップが欠かせないんだけど。

 

本年もよろしくお願いします。

巨大神殿からの脱出

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幕張メッセで前代未聞の3000人規模で開催されたリアル脱出ゲーム『巨大神殿からの脱出』のデバッグ公演に行ってきた。

謎制作のSCRAP加藤さんと堺谷さんには『ビックロ機密文書を探せ!』でもお世話になりました。

再演の可能性があるのでネタバレになることは一切書けないけれど、謎を解いて次のステップに進む快感はやっぱり気持ちいい。

本公演のあとの加藤さんのBlogを読んだ。世界記録、おめでとうございます。

 

そうそう、舞台の裏側を見せてもらいました。
クラタスの生みの親、倉田さんにもお会いできました。

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壁面にうつる影は演出ではなくて、パイプ椅子の作業場もリアルな作業場。
クラタス、超かっこよかったっす。巨大な造形物への畏敬の念が半端なかったわ。

木谷さん、ありがとうございました!

R-40 〜サプライズ〜

社長が40歳になったので、サプライズでバースデーパーティーをしました。

社員と外でミーティングをしたあと、まだ改装工事中の3階に呼びつけ、隠れていたゲストのみなさんや社員全員がわっと出てきて「おめでとう」のシャワー、特注のケーキ、国内外のさまざまな方によるビデオメッセージ、そして奥様からのお手紙ムービー。

改装中のオフィスで強行サプライズ!
改装中のオフィスで強行サプライズ!

「泣かせる」という目標は達成できました。それだけで満足。

しかも、前日の深夜3時に社長の奥様宛に送った、

これは一案ですが、まずは動画を見てもらって、
他にも集めているいろんな方々のビデオメッセージも織り交ぜて
「あぁ素敵なビデオメッセージや〜」と思わせておいてから、
最後に手紙ムービーで一気に泣き落としに入る!という、
まさかのサンドイッチ作戦というのもありかなと思いました。

というプランがそのまま採用され、狙い通りのビデオを作っていただけたことに感謝しきり(東北新社のK様、ありがとうございます!)。プランナー冥利に尽きるというものです。一部、若気の至りに走っちゃった写真のチョイスと組み方に修正を入れたいところはありましたが、それもご愛敬。

みなさんに多忙なスケジュールの合間を縫っていただき、13分45秒の大作ムービーができあがりました。

写真、僕。我ながらいいの撮った。
写真、僕。我ながらいいの撮った。

 

奥様に手紙を書いてもらって朗読してもらう。

これは僕自身の、前の会社をやめるときに同僚たちにやってもらった経験から来ています。まさか妻からの手紙が送別会で代読され、日頃彼女が何を思って僕を見守っていたのか知ることとなりました。みんなの前で。‥‥あれをやりたい。

それでなくても、社長を慕う多くの方々が集まってくれている状況に勝算は見いだしていましたが、むしろ奥様にとって手紙を書くというきっかけ作りにしちゃえ、と、かなりお節介なことを考えて実行させてもらいました。「こんな企画がなかったらやらなかったこと」をやってもらいたい。サプライズは喜びの沸点がわっと上昇するものですが、手紙はその後も一生残る世界にひとつだけのギフトだと思うので。残るイベントにしたかった。

思いのほかグッとくるお手紙を書いていただき、僕が昼間から泣きそうになったのはいい思い出です。

 

当日は仕事の納品や突発的な作業が折り重なって、しかもケーキの発送トラブルなど、ほんとうに間に合うのかドキドキでしたが、奇跡的にすべてが間に合いました。

素敵な計画を立ち上げてくださった小川さん、中村さん、かなみさん、木谷さん、戸田さん、金子さん、社内の進行に誘ってくださった金澤さん、そして奥様の鴨下さん、Facebookグループのみなさま、BIRDMANのみんな、ありがとうございました。

 

おめでとうございます!
おめでとうございます!

 

みなさんと共犯者になれて楽しかったです。

沖縄へ。2013

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「青い 水平線を いま駆け抜けてく♪」

山下達郎の『RIDE ON TIME』をBGMにドライブしたくなる、台風明けの宮古島。

10月26日〜28日、
去年に引き続き、今年も社員旅行で南国に行ってきました。

レンタカーの中で流れていたのは、唯一受信できたNHK FMからの坂本冬美でしたが。

水温はちょい低め。
台風一過の直後で水温はちょい低め。後ろにいるのはブラザー・トムではありません。

 

10月なのに、南の島で夏を取り返してきました。

いや、今年の夏は、

長野でパラグライダーとか、

熱海で花火とか、

もうたっぷりと夏をしてきたと思いますが、

宮古島の青は、

どことも違う透明感があって。

 

嘘みたいな写真がいっぱい撮れて面白かったです。

さようなら、天野祐吉さん。

全10回だったかな、とても濃いお話が、天野さんの、あの柔らかな声でつづきます。
2006年頃の対談ですが、もう何遍も見ています。

 

2013年10月20日、コラムニスト・天野祐吉さんがお亡くなりになりました。
訃報を知ったのはその日の深夜。
僕はいち読者でしかありませんが、翌日は仕事が手につきませんでした。

TwitterやFacebookで、いろんな方々が、学生時代の『広告批評』との出会いや、天野さんの講義で受けた影響が今の広告人としての自分を形成している‥‥と語られています。僕もそのひとり。17歳。さかのぼれば16年前。

美大受験のために田舎から1時間半かけて松山の美術予備校に通っていました。県でいちばん大きな、紀伊國屋書店にしか扱いのなかった『広告批評』と出会ったことが、僕の人生を決定づけた。最初に買った特集は『非力本願』という号でした。田中麗奈の『サントリー なっちゃん』や『TRAVELING』がヒットし、ペプシマンや多田琢さんのCMが華やかに流れ、ナイキの広告がいちいちかっこよくて、キンチョウの「つまらん!」にガツン!とやられてBOSSを飲んだ時代。

17の田舎の若造に、広告をたんなる流れゆくものではなく観察物、ユーモアのある創作物として見るための手引きをしてくれた人でした。ACCのCMフェスティバルに行ってみたり、『大貫卓也全仕事』を買ってむさぼり読んだり、朝日新聞のCM天気図を楽しみに月曜日を待ったり、したものでした。

大学に入り、1度目の3年生と2度目の3年生のときに『広告学校』に通い、そこで「生の天野さん」と出会います。生野さん、じゃなかった、生の天野さんはあの柔らかな声なんだけれども、テレビで見るよりちょっと辛めの発言と、厳しい目つきで。

それから7年ほど経って、天野さんのBlogでたまにコメントさせていただき、コメント欄で会話させてもらったことも。いま考えれば、すごいなぁ。その流れで『広告批評』元編集長の島森路子さんのインタビュー集の書評を書かせていただく機会も得ました。ご本と、直筆のお手紙は今でも宝物です。

 

冒頭と同じ対談の中で、こうも仰っていました(うろ覚えですが)。

「広告のコミュニケーションって、俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だねぇ。っていう距離だと思うんですよ。俺は賢いけど、あんたは馬鹿だねぇ。だと誰も聞いちゃくれないでしょ?俺は馬鹿だけど、あんたは賢い‥‥もへりくだりすぎている。俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だなぁっていう距離感がね、大阪の広告は上手いんです。そういうのに憧れますよね」

俺も馬鹿だけど、あんたも馬鹿だねぇ。

この目線で、広告を通して時代を批評していたのが、天野さんなんだろうなぁ。
愛だなぁ。

11月4日の午前9時5分から、NHKで追悼番組があります。
もちろん、見ます。

SUMMER GLIDER

白馬で会社の同僚たちとパラグライダーしてきました。

 

自分で撮りました。

 

地上700m、海抜1,400mの大空。

 

「飛んだ」というよりは、

 

「泳いだ」と言った方がしっくりくる感覚。

 

魔女宅のキキになった気分を味わえました。

西東京のメモリー

今日、7月14日は3度目の結婚記念日。
1週間前に思い立って箱根の旅館を予約して、
付き合って13年目にして初(!)の二人旅を敢行した。

その2週間前、僕は立川にいた。

これも急に思い立って、
1999年に上京してから7年間を過ごした
立川を気まぐれに歩き、当時ヘビロテしていた
ミスチルの『Atomic Heart』や
くるりの『東京』を
iPodで聴きながら思い出を散策。

立川は妻と出会った美術予備校がある。
立ち寄ってみたけどあいにく日曜で閉まっていた。

予備校から6年通った大学、
そして新卒入社してからの半年間の
あわせて7年半住んでいたアパートに向かった。
かつて以上に掃除が行き届いていないこと以外は
何も変わっていなかった。

友達がふざけて鍵で書いた玄関前のラクガキもそのままだった。

 

ラクガキはやめましょう。
ラクガキはやめましょう。

 

街は駅前を中心にデパートや駅ビルが新たに建ち並び、
その代わりに薄汚い雑居ビルや違法駐輪の一帯が整理され、
ずいぶん都会になっていた。

帰り際、よく通っていた定食屋で
メンチカツを食べようと思ったけど、
店じまいされていた。

自分が訪れるよりもずっと前にそうなっていたんだろう。
なのに、突然来て、勝手に感傷的になっているのが
なんだか身勝手な気がした。

第二の故郷は、ほんとうの故郷とちがって
帰るべき家も寄るべき友人も何もない。
あるのは自分の記憶と友達が残したラクガキだけ。

 

それに比べて旅は気軽でした。
新しい場所は辿るべき感傷コースがない。
観るものすべてが新しい。

 

ロープウェイから見下ろす大涌谷(おおわくだに)の温泉地帯。
ロープウェイから見下ろす大涌谷(おおわくだに)の温泉地帯。

 

無計画に宿だけ取って
ロマンスカーで行った箱根は
妻のジャニーズ好きがおおいに役だった。

ケーブルカーからロープウェイに乗り、さらに船で
芦ノ湖を南下し、観光らしい観光を楽しめたが、
すべてHey!Say!JUMPのバラエティ番組で
八乙女くんと藪くんと石原良純が訪れたコースらしい。

デブとは言わないが出不精の妻を旅に連れ出すには、
ジャニーズの旅番組を見せてからにすればいいんだ!と
結婚4年目にして学んだ。

彼女は旅先でも自分の好きなものを追っかけている。

 

僕は何を追っかけて立川まで行ったんだろう。

潜水艦ポセイドン号からのパーリー

大人気イベント「リアル脱出ゲーム」を手掛けるSCRAPさんの創立5周年記念パーティーに行ってきました。

会場はZepp Tokyo。そう、ここは7月19日から始まる『潜水艦ポセイドン号からの脱出』の舞台!というわけで、『潜水艦ポセイドン号からの脱出』のデバッグ公演込みのパーティーでした。

realdasshutsu

SCRAPさんとはお仕事で『REGAME』の制作をお手伝いさせてもらったり(これは僕は関わってないです)、僕がお手伝いさせてもらったものでは某旅行情報サイトのタイアップキャンペーンで『消えた琉球王朝の王印を探せ!』というコンテンツを作ったりしました。

今回は同僚と社長の7人で出向き、3人と4人の2チームに分かれて、それぞれ初対面の人たちと組んでひと組6人のチームを形成。SCRAP代表・加藤隆生さんの流ちょうな挨拶とプロローグが始まり、気分はすっかり謎解きモードに。5周年記念パーティーはいったん忘れてヒント探しと謎解きに奔走します(実際は走っちゃダメなので早歩き)。

ヴィレッジヴァンガードの店員さんらと組んだ僕らは、脳みそが破裂しそうになりながらも「脱出」は成功!詳しいことはおろか詳しくないことまで書いてしまうとネタバレになってしまうので一切書けませんが、ちょっと詰まっても誰かのひらめきと連携プレーで謎の扉が開かれていくさまは本当に痛快。

協力することが楽しさを2倍にも3倍にも膨らませてくれる。それがリアル脱出ゲームの醍醐味なんだなーと改めて実感しました。ま、僕は足を引っ張らないように助手に徹していただけですが。

SCRAPの社員の皆々さま。別名、鬼才クイズ作成集団。

会場にはテレビの取材も入ってましたし、たくさんのお花が並んでいました。何より感動したのは、加藤さんの社員紹介。これ自体がまたこの日だけの「加藤隆生を暗殺した犯人は誰だ!?」という謎解きになっていて、ビールをあけていた僕らはアルコールを言い訳に惨敗でした。ははは。

 

さて、そんな話題沸騰のリアル脱出ゲームですが、今度の日曜日にテレビで参加できます!SCRAPさんが仕掛け、弊社がお手伝いしている『リアル脱出ゲームTV × Xperia™『人工衛星爆弾ヲ解除セヨ』がTBS系で7月1日24時からスタート。

 

僕は制作に関わっていないので、当日、まっさらな状態で楽しもうと思います。

 

そしてそして、『潜水艦ポセイドン号からの脱出』も超楽しかった!
こちらは僕らが体験した昨日よりもさらに良くなるそう。

 

これから体験する方が羨ましいです。
http://realdgame.jp/zepptour2/

最初から最後まで謎に翻弄されるパーティーでした。SCRAPの皆さま、5周年おめでとうございます。

じぇじぇ!?『あまちゃん』を目撃

NHK連続テレビ小説『あまちゃん』、第1回から欠かさず見てます。

一昨日のことです。会社で打ち合わせをしていたら、同業で大学の後輩のYさんから「いま××××(コンビ二名)のとこであまちゃん?の撮影してますよー!」と一報が。

「じぇじぇじぇ!? (‘jjj’) 」

一緒に打ち合わせてた同僚(後輩O)と会社を飛び出しました。

ミーティングしてる場合じゃねえ!!
ミーティングしてる場合じゃねえ!!

 

そこは会社から徒歩5分のコンビニエンスストア前。いました、小雨降る歩道に、エキストラさんたちや小規模なクレーンとカメラ、雨合羽のスタッフさんたちが。「アキちゃんどこかな?」「ユイちゃんもいるのかな?」突っ立っているだけだと完全に邪魔な野次馬だから、「大好きなドラマだし撮影の苦労も知る制作畑の人間だしマナーはわきまえてますよ」という気高き誇り(?)を胸に、コンビニ前をあくまでも歩行者として通り過ぎました。が、アキちゃんはおらず。「いませんね!」「ロケバスの中で待機かな?」「どうします?」「とりあえず一周してコンビニに入ってみよう」‥‥裏道を通ってぐるり。コンビニの中へ。

よし、帰るか。意味もなくお茶を買って出ました。

ドアのすぐ脇で、ショートカットの女の子が雨合羽の人に髪を整えてもらっているところでした。

(じぇじぇじぇじぇ!)

帰るのは中断。雑誌コーナーのすき間から、外にいるアキちゃんこと能年玲奈さんを見守る僕と後輩O。
「大好きなドラマだし撮影の苦労も知る制作畑の人間だしマナーはわきまえてますよ」という気高き誇り(という名の常識)があったので写真に撮ったりはしませんでしたが、会社に戻ってすぐ絵に起こしました。

ミナミの帝王越しに見る北の海女。
ミナミの帝王越しに見る北の海女。

本物はこの1億倍かわいかった。奈落に落ちるらしい東京篇、楽しみです!

どうでもいいですが、雨合羽と夏ばっぱ、似てますね。