再会 始業

母が、安藤忠雄のことを安藤広重と言っていた。
江戸か!

三週間ぶりに会った。

相変わらず、何と言うかしかめっ面だった。フキゲンなのではない。
と知っているので何も言わない。

「実家で南国少年パプワ君を読んで泣いたわー」
と言っていた。

 

今日からまた学校が始まる。

始まる事自体は何でもないのだけど、
最初の授業が…例のゼミなので、ちょい憂鬱。

勝手気ままに。てきとー騙し討ち。

道具と玩具


一眼デジカメで撮影する仕事をひとつもらい、事務所の
方も見守る中でのバンド撮影というのをやってみた。
1GBのメモリーカードいっぱいに撮影して、今はその整理に追われている。

バンド撮影といってもLIVEじゃなく、ロケ現場を借り切って、
全部自分が仕切っていいということだったので、わりと好きにやらせてもらえた。
撮られ慣れていないドラム君をうまく撮るのが、けっこう難しかった。
そう、こういう写真は、使える写真でないといけない。
よーするに、あまり遊べない。仕事としての面白さと、普段のノリは違う。

そこで。
コンパクトカメラで遊びたいという欲求もたまってくる。
仕事が終わって、コンパクトデジカメの登場。やっぱ楽しい。
人にカメラを意識させないで済むし、乱暴に寄ることも平気だ。
空気みたいなもの。

バンド撮影も楽しくやれたが、なんていうか
楽しさの種類が元々違うので比べようも無い。
機材の住み分けというやつだ。

完成度とは無縁の世界。一眼レフだけでは見えなかったもの。

ポケットから出す、第三の眼。

さいはてパレード

いとこを連れて東京ディズニーランドに行った。


どんなアトラクションよりも
最後のパレードを一番面白く感じた辺りが、トシだなあと思った。

ツヨシ

友達が草なぎ剛を六本木のコンビニで見たらしい。
六本木だけあって、実に自然体だったとか。
さすが、芸能人の街。

 

堂本剛をモスで見た時(過去日記参照)も思ったが、
彼等はいつでも写メで撮られる危険性が高いのに、
いかにも普通に、自然にそこに佇んでいる。芸能人であることを意識させない。
何がそうさせるんだろう。俺だったら恐いけどなあ、と思う。

 

いつでも狙われる立場をシニカルに描いた話が、ドラえもんの中にある。
のび太がアイドル状態になって、町中の人から追いかけ回されてコリゴリ、
という話。

のび太じゃなくてもあり得ない話だが、
実際のアイドルとか芸能人はそういう人種だろう。

 

いま、世間的にも写メールやデジカメの普及で、
肖像権の侵害が問題視されているらしい。
例えばこんな僕にでも、肖像権が存在する。
みだりに顔写真を使われては迷惑だし、恐い。
しかし、写真をやっていると知らない人も写ってしまうし、
そういうのを排除、または伏せて隠すのも違うし、別の意味合いを
出してしまうので、なかなか難しい。

自分の場合、それほど他人の顔写真を出してはいないとは思う。
せいぜい背中とか。部分。
背中には肖像権があるのだろうか。まあ、ありそうだな。

でも、ここのサイトを見て、
「あ!この背中私のだ!!訴えてやる」という事があるだろうか。
なるべく見えない範囲で気をつけたいが、あんまり気にしていても撮れない。

 

肖像権についての考えは、つづく。いつか。
とりあえず今言えることは、剛は庶民的ということ。
草なぎも堂本も。

カテゴライザー

何でもすぐにカテゴリーで話したがる人。

 

写真をやっていると、当然写真家の話になったり、
今の写真界の現状とか、将来の展望をナントカカントカ。

そのこと自体は構わないんだけど、
あいつはナントカ系だからこうだとか、決めつけてかかる人。

そういう人の話は、先が無い。
だからつまらない。
幅がない。
だからつまんない。

自分の話だけをする人も疲れるけど、
他人のことをカテゴリーの中だけで話す人も、なかなかつまんなくてだるい。

写真はもっと自由なはずで、
○○派という表現だけでは語れないんじゃないかな。

そういう考えも甘いのか、多くの人は平気でカテゴリーで話したがる。

そういう風潮には勝てない。
世間の目は確実にカテゴリー(フォルダ)ごとに分けて見ている。
フォルダに入れるか、ゴミ箱に捨てるか。

整理が徹底しているんだなと思い、少し驚いた。

自分はどこに振り分けられてしまうのだろうか。
こわ。

別に他人の意見にびくついてるわけじゃないんだけど。
フォルダ振り分けという作業が瞬時に行われているということが、妙な感じだ。

写真界に生きる人々と話してみて、
人の脳ミソの、あまりに簡略化された処理にがっかりです。

他人の意見に惑わされたらおしまいだな、というのが素直な感想だ。

difference

高校時代に撮った写真たち。

5、6年前の写真になる。

今と違うなら、それは銀塩とデジタルの差か。
それだけじゃない何かが、ある気がする。

何か、とは何なのか。
昨日、友人と朝まで語り合った。

高校時代、写真を撮るには動機が必要だった。
浪人時代、写真を撮るにはイベントが必要だった。
現在、写真を撮るのに何かを必要とはしていない。

今の写真は対象が定まっていない気がする。ただの視点。
昔は、そこにある思い出というか、感情移入できる記号としてのモノが存在していた。

どんどんカオスになってきていると思う。混沌。

satosi

僕の彼女は、「今の方が手探りな感じがする」と言っていた。
昔の方が感情移入出来るコトに溢れているだけ、分かりやすく、取っ付きやすいと。
それはそうだと思う。高校時代も浪人時代も、毎日が記念日みたいなもんだった。

僕等.

今年の夏、アートユニット「ぼくら」の二人、
小西俊也と伊藤拓郎でweb写真展を開きます。

一応、紹介文を考えたのでここに載せます。以下。

ぼくらは僕等へ。

昨年夏に開かれた、「ぼくらEXHIBITION」。生まれや育ち、学校も異なるメンバーで構成されているぼくらは、考え方、表現の方向性も違ったアプローチを備えている。あえて共通したものを探せば「全員メガネをかけている」といったことぐらい。
そんなぼくらは、今年も西東京でなにやらコソコソ。

web写真展、「僕等.」 。
場所を立川からwebに移し、メンバーの内2名で
「僕等.」と称してweb写真を随時アップします。

小西俊也。伊藤拓郎。

ふたりの僕等はデジカメ片手に、西東京を散歩します。
もしかしたら、貴方の街にも現れるかもしれません。
撮られたガゾウは即日アップ。リアルタイムな展示を目指す、僕等初の試みです。
メガネのフレームと、デジカメのピクセルから見えるものだけを頼りに、街を焼き込みます。
いっそう、僕等の各々の違いや、眼のゆく所が表れると信じています。
これはぼくら始まって以来のコラボレートかもしれません。
西東京の街と、僕の視線、僕等の画像。そして、あなたのクリック。
すべてが、ある世界観を構築せんことを願いつつ。

今年、ぼくらは僕等へ。


今年第一弾の展示となります。
詳細は後日書きます。乞うご期待。

たいそうなものじゃございませんが、
西東京アート・マンス2003との連動で、街を撮ってみます。
こうしたイベントを重ねることが、大事だろうと考えてます。
人と人とのつながりを重ねることです。

て言ってもたいしたことは考えてないんで、楽しめたらいいなーと。

最近のポリシー。適当に頑張る。を、体現します。

そうそう、ところで土用の丑の日、うなぎ。美味でした。


ウェブ日記をつけ始めて、二ヶ月が経った。

早いようで、早い。