もうすぐ夏休み

写真の整理をしていると色んなものが出てきます。
こんなもん撮ったっけなぁ、と思うこともしばしば。

銀塩の頃はプリントするしかなかったので、それを一枚一枚確認して、いらない写真は破って捨てていました。環境に優しくないことをしていたと思います。

なぜ捨てるのか。持っていても組みようがないし、思い出を保存するというにはじゅうぶんな数を撮っているので、余るんです。余ると捨てる。未練があると眼が鍛えられない。この潔さ(?)が快感だったりします。

今はデジカメなのでフォルダごと消去したり、とりあえずHDにコピーしてその後フォーマット(初期化)したりして、やはり捨てています。これも快感だったりします。さっぱり。でもデジタルは環境に優しいし、バックアップがあるので捨ててから後悔という失敗もそんなには無いです。

銀塩をやってると、ものすごく環境に悪いなぁと思います。
薬液はどれも酢酸やアルカリ性の強い劇毒なので、廃液が配管を腐らせることにもなります。もちろん薄めて廃棄しますが、そんなの気休めで、実際うちの風呂場は酸の臭いがすごいです。アルツハイマーになりそうな。危険ですね。銀塩はこれからもっと衰退しますが、それはそれで淋しい。けれども、これだけ環境に悪いと、なんだかおっくうにもなります。

その上ダメだと捨ててしまうのですから、何とも贅沢です。デジタルに移行してからは、モノとして捨てることは無いけど。

biki-ginza

今まで、何枚撮って、何枚破ってきたんでしょう。
写真の傾向も、けっこう変わってきました。

マイノリティ・リポート


写真新世紀に作品を搬入してきました。

前日の晩から昼まで、友達の家でプリンタを借りて、出力。構成。
頑張ったけど甘さが出た。またしても失敗。
失敗作なのに出してきたのは、そこまでやって見えたものもあったから。
その成果は自分の中にある。作品からは見えないかもしれない。
でも、これはケジメ。とゆうわけで出してきた。
評価はされないだろうけど、意味はあったのです。

公募展がこれからどんな意味合いや価値を持つかは謎だけど、
僕はお金が欲しいです。出会いも欲しいです。その意味ではいい行事です。

そして残る課題は、学校のレポート課題が五つ。

全部書く前に寝てしまった。
しばらく寝てなかったので、どっと疲れが出た。今。

単位はまぁ大丈夫だと思う。
でもちょっと恐い。一応、これからあがいてみるか。

日記なんて書いてる場合じゃないか。

 

では、レポ地獄、突入です。

と、思ったら。

レポート課題をはり出した掲示板の写真を見たら、
自分が取った授業のレポート課題はどこにも書かれていない!

(最近メモ帳に書き写す行為がめんどいので、もっぱらデジカメ撮影。らくちん)

 

もしや・・・。レポートではなく、筆記試験?
だったら間に合うか。仮にレポートなら落とす覚悟もあるわけだし。
後期に巻き返せるだけの単位は足りてますから。

なんか、救いようの無い日記だなぁ。まぁ、他で頑張ります。

メモリィ♪

ある種、究極なのかもしれない。

フィルムケースにメモリーカードが何枚か。

友達は、そう保管していた。
フィルムの中にデータが数メガ。

おかしいけれど自然な風景。

展覧会の話


過去、何度かグループ展等に作品を出したことがある。

一回目は高校時代、文化祭で美術部員として出展した写真だった。

16歳。当時から写真。タイトルは「美しい日々」。
A1ほどのパネルにL判の写真を並べたコラージュ作品。
「美しい日々」でありながら、そこには友人が鶏を解体する光景や、
どちらかというとグロテスクなものに散りばめられた世界を写していた。
お客さん(特にうちの母)はかなり引いていて、してやったりだった。

二回目が予備校時代。

高校時代でいう文化祭に近い、立美祭で写真集を出した。
ただ写真集を置いても素通りされてしまう。より多くの人に見てもらおうと、
あえて一番人の多く入るギャラリーに出展するように申請し、そこにTVを置く。
TVからは写真集のコマーシャルとして、スライドショーを流した。
前日にビデオカメラを借り、徹夜で作った。広告としてどうしても必要だった。
が、いざ蓋を開けてみるとスライドショーの方が好評を博し、コンクールでは
グランプリを戴いた。映像と広告の力を思い知る。

三度目は大学の文化祭、「芸祭」だった。

高校時代からの先輩、ちくりんを筆頭に集まった団体。
宇宙をテーマにした映像の展覧会「Across the Universe」。
個々の作品以上に、会場設計、デザイン、広報、衣装に力を入れた。
これはこれで大成功。デザインの力を思い知る。大盛況だった。
衣装をデザインしたアカミネノリエ、そしてスーパーバイザーの
レイコイトウ氏にはみんな感謝。広告塔をアピールできた。

最後が2002年の「ぼくらEXHIBITION」。

予備校時代の友人4人で、なじみ深い立川を舞台にグループ展。
表現メディアは写真2つ、音響、映像と、多種に及んだ。
学校の行事に乗っかるのではなく自分達でぜんぶ取り仕切る。
そのことの重要性と、大変さを知る経験となった。

 

それらを踏まえて。

さぁ、今年はグループ展3つ、出展します。
踏まえるものが多いのが、もはやひとつの財産になってます。

お金はかかるが出会いもある。
新しい出会いを求めたいと思います。

講評


ムサビ映像学科・写真ゼミのモノクロ写真課題。
その全体講評が月曜の朝から行われた。

四月に発表された課題の内容は
「家族の肖像、または自写像」を撮るというものだった。
組み写真で20枚。モノクロ。バライタ紙プリント。
フィルム指定:コダックT-MAX400(iso200で撮影)
最初に言われたのは、「実家住まいの人は家族を、一人暮らしは自分を撮ること」。
もう、そこでおかしいと思うんだけど、話を続ける。

講評は、だいたい教授の「これはいいね」
「これは分からない」のふたことで選別される。
「君のお母さんとの確執が見えるよ」「おじいちゃんとの会話が聞こえる」
といった、写真の話と言うよりは、家庭の話に終始しがち。私写真推奨。

 

「なぜ20枚か」
「なぜT-MAXか」
「なぜ自分を撮るのか」

そういうアプローチがごっそり無いまま、終わってしまった。
ただ、言われた通りにこなすだけ。
自らアプローチする余裕も持たされることなく。
…でも僕らは、貴方のコピーになるつもりはない。

この授業に意味があったとすれば、
自己も他者も含めて、好みで写真を構成しないこと。
別の先生に指摘され、そのことに気付けたことだろう。
分かっていたつもりでも、大事な眼を見失っていた。

あとのことは忘れました。
やっつけ仕事に反省。

からっぽ

頭が空っぽになった。

もう一度、考えを改める必要がある。

写真について。
セレクトについて。
自分の、眼に対して。

日々


朝のラジオは元気だ。
ジョン・カビラが声高らかに、朝のニュースを読み上げる。
僕は僕で台所に行き、冷蔵庫を物色する。

 

今日は、さくらんぼを洗って食べた。

1996-2003

高校一年の時に撮った写真。
もう7年も前。時のスピードに驚いてしまう。

今より老けた写真だなぁと思う。
田舎の高校生には、アサカメとSTUDIO VOICEしか情報源がなかった。
リバーサルで撮ると、現像は香川県に配送され、帰ってくるまで待つ。
もちろん、デジカメなんて身近には存在しなかった。
色んなものがないなりに、けっこう楽しんでいたように思う。

そして今。

be-nori06

確実に、興味の対象が変わってきてます。

ヒート

さっき熱を測ったら38.0度あった。だるいわけです。

 

 

・・・9.5度に上がっているー。 
頭が割れそうで、アホな考えしか浮かばない。
ショートしそう。

SWITCH

もう随分と会ってないが、
高校時代の友人たちは多分、みな社会人になっていることだろう。

23歳。いい歳だ。
結婚して、家庭を持っている人もいるかもしれない。
スーツにネクタイで商談を決めている人もいるかもしれない。
翻って自分は。

まだ美大生です。まだ学生です。
しかも大学三年です。 浪人、休学。社会に出遅れてしまった。

でもそれはそれで楽しい。浪人時代の仲の良い友達も、何人か休学して三年生。
幼稚園からの友人も、東大で転科して三年生に戻ったという。

社会人にスイッチするのはいつになるのか。分からん。
が、きっと、スタンスは変わらないんじゃあないだろうか。
カメラもWEBも、どこまでもくっついてくるだろう。

やっぱ、大学っていいと思う。

残像 – deja vu

 

残像と既視感は似ている。
正確には、似ているだけで、違うもの。
どちらもよく見る。脳の欠陥か。

 

マトリックス・リローデッドを見た。
話は無いが、アクションは拍手。美しい。
美しすぎて痛みが無い。