高校の同級生の結婚式のため、関西に来ています。
最初は京都篇。
三十三間堂と建仁寺、清水寺を巡りました。
紅葉が見頃です。
あるデジタル系プランナーの日記
日々…
高校の同級生の結婚式のため、関西に来ています。
最初は京都篇。
三十三間堂と建仁寺、清水寺を巡りました。
紅葉が見頃です。
iTunes Storeでロングヒット中の『愛唄』、
の、初回限定版に、僕の写真が使われてます。
小さく。
ぼかし入りで。
僕も見たことないです。
GReeeeNのジャケットやロゴなどのアートワークを
トータルでデザインしている、友人で永遠のセンパイ、
ちくりんから「勝手に使った」との報告を受けました。
いやぁ、いい唄だ。
昨日、田舎の祖母が亡くなりました。
仕事場で連絡を受け、「仕事はいいから早く帰って」
との先輩の心遣いに背中を押されるように帰省しました。
新幹線で大阪まで出て、深夜、そこから弟の車に乗って。
突然のことで驚きましたが、
亡くなる前日も僕の話をしていたそうです。
最後に会ったのは年末年始。
今こうして対面して、写真も撮って、あとは
静かにみんなでお別れを言おうと思います。
第44回宣伝会議賞の贈賞式に出席しました。
応募総数20万624点の中からファイナリストの14人に残ることができ、知らせを受けてから約1ヶ月間、悶々としながらこの日を待ち望んでいました。
僕の書いたコピーは、
「夢みたいなことばかり言ってんじゃないよ、
日本語で。」日本英語検定協会
協賛企業賞受賞者60名の発表の後、いよいよファイナリストの名前が読み上げられます。
最初の「奨励賞」で自分の名前が呼ばれました。
ここかー、というのが最初の感想。もっと上まで行って欲しかったから。
だけど、公募の規模を考えれば初応募にしてここまで進むなんて快挙です。と、自分で言ってみる。
その後、コピー部門、CM部門、準グランプリ、そしてグランプリの氏名が各審査員に呼ばれました。グランプリは明治チョコレートのコピー。
ずるいよ、チョコ食べてるときに、そんな話するの。
これは、僕には書けないなぁ。脱帽。
壇上では、電通のコピーライター、中村禎さんより賞状とメダルをいただきました。がっちり握手。
続いて、パーティー会場へ移動。
作品の課題を出してくれた方々に直接会い、僕が書いたコピーの生い立ちや思いなどを喋り、コピーが載ったプレートの前で記念撮影。
MC木佐彩子さんが祝電を読み上げるあいだは審査員の小野田隆雄さんとお話をしました。
恋は、遠い日の花火ではない。
で有名な名コピーライターから、思いもよらぬ賛辞。
「賞は強い言葉に与えるべきだ。君ともう一人が良かった」
‥‥このとき再び、受賞の事実と喜びをかみしめました。
あぁ、けっして、遠くない!
いただいた言葉は一生の糧にします。
(もう一人って誰だ?)
ありがとうございました。
遠い日の花火にならぬよう、また来ます。
去年の秋、『宣伝会議賞』
というものに応募しました。
今回で44回目を迎える「宣伝会議賞」は、
広告表現のアイデアをキャッチフレーズおよびCM企画で競う、
日本最大規模の公募広告賞です。
(中略)
歴代の受賞者には、糸井重里氏、林真理子氏をはじめ、
現在クリエイティブの第一線で活躍する方が名を連ねます。
<第44回宣伝会議賞 応募概要より>
今日、2次審査までの結果が載った3/1号が発売されました。
書店でめくってみてください。僕の顔と名前が載ってます。
約20万本の応募作から最終選考に14人が絞られました。
その中に、僕も、います。
二次審査の段階で通過率0.3%!だったそう。
いま、広告の仕事をしていますが、自分の名前が
何かに載ることは基本的になく、もちろんお仕事とは
違うけれど初めてのことで、感慨もひとしお。
入選した喜びも大きいけれど、他の応募作品を見るに
「みんなスゴイ!負けた…」と早くも落胆しきりです。
が、贈賞式(結果発表)には胸を張っていこうと思います。
式は来週の金曜。久々にスーツ着ます。
大晦日、長い間入院していた祖母も一時帰宅。
子供らは2階でウイイレ、マリオカートDS、こたつにみかん。
紅白はわからん曲ばっか。
久しぶりに、本当に久しぶりに
ゆったりと日記を書いている。
逆に何を書けばいいのか。
1階から漏れ聞こえる演歌もK-1の勝敗も
なにがなんだかで年を越してしまいそうな。
そばができた。
近所のお寺から除夜の鐘が鳴り響いてます。
小雨の降る3連休。
浪人時代からの友人Koni氏くんと
高校のセンパイちくりんに来てもらい、
土曜夜から日曜朝まで、11月にやるグループ展の
広報関係を話し合った。重い腰を上げて。
ちくりんはムサビを出てから2年半、
デザイン事務所でデザイナーをやっていて、
今回はギャラを払えないので仕事じゃないけど
ぼくらの依頼で広報周りを考えてもらっている。
考えてもらっている図。
朝5時、「6時から野球部の試合に行くんよね」と言って
何枚かのラフスケッチを手にし、彼はマンションを出た。
おねむの僕は、小西くんの恋愛談義に感嘆しながら
気がついたら2人とも昼過ぎまで爆睡していた。
引っ越したはずなのに、ここが立川のような気分。
『さんまのまんま』で、
ゲストとのトークが終わって
さんまがベランダに出るとき、
必要以上にまんまを疎ましそうに扱うさんま。
「なんやぁ? 今日は何やるねん」
ダルそう。
いつものパターン。
誰かに似ている。
と思ったら、そうだ、
こういう女性と付き合ってた。
引っ越しに伴い、立川のプロバイダーを
契約解除したため、数年前の写真が一部
削除されてしまいました。大量に。
うぎゃー
復旧できるものはします。
できないものはソース上からもタグを消します。
日曜日、新居にインターネットが開通した。
光回線になって快適ネットライフの始まり。
宇多田ヒカルのライヴチケットをネットで購入。
今週末、場所は代々木第一体育館。
マイケル・ジャクソンを見た所でUtadaを見る。
自転車で行けるのが嬉しい。
自転車持ってないけれど。
同じく日曜日、幼稚園から中学までの同級生で
東大の院に行っている友人と1年ぶりの再会 in 初台。
面白いのは、やはり彼が取り組んでいるインド哲学の
研究の長さで、一朝一夕にはどうしようもできるわけがなく、
大学教授くらいしか真っ当な道のなくなってきた彼の研究計画が
すでに人生設計に直結していることだろう。
「大学教授くらいしか」という言葉がすでにおかしい。
彼らしいといえば、本当に彼らしい。
この先、博士課程に進んで研究し、何歳くらいで助教授になって、
何十年後に教授に就いて…というスパンが世の中にはあるのだ。
本郷辺りに。
そういう人生もあるのだ。
同じ幼稚園と同じ小学校と同じ中学校を出た間柄でも。
旧居
新居
FIFAワールドカップ2006、日本初戦。
試合開始1時間前、帰宅の電車に乗ったら日本サポーターがいた。
女の子ひとりに男3人。
青いユニフォームに公式タオル、オリジナルのフェイスペインティング。侍ブルー。
気合入ってるなーと思いつつ見ていたら、4人の会話が聞こえてきた。
「私たち以外にいないね、この恰好」
「そりゃお前、代々木とか渋谷とか行ったらすげーよ、俺らみたいなのが占拠してるよ」
「だよね、パブリックビューイングとかね」
「そーだよ、埼玉マジやばいんじゃねーの?」
「いいなー埼玉!」
彼らは周りの乗客がいつものサラリーマンであることに不満げというよりも、真っ青な姿の自分たちを少しばかり恥じているようだった。早く仲間と合流したがっている。
その場限りの同志はいないかと、ひとりが新橋駅のホームに出て辺りを見渡した。
すぐに発車ベルが鳴り、戻って3人に報告。
「…いない」
「そりゃ新橋だもん」
「だよなー!新橋だもんな」
「だよ。そりゃお前、代々木とか渋谷とかすげーよ、俺らみたいなのが占拠してるよ」
「いいなー渋谷!」
東京駅に着いて、僕は山手線を降りた。
さっきの孤独な侍ブルーたちも続いて降車。
その時、目の前を青いTシャツの若者が横切った。
紛れもない、その若者も例のユニフォームを着ていた。
4人の侍くん達は、その姿を確認すると互いに目を合わせ、口元をほころばせた。
四月バカみたいで
書きませんでしたが、
昨日、女優の蒼井優さんを
見ました。学校で。
映画の撮影だったようです。
美人でした。
意外と背ぇ高かった。
ロケバスとか機材とか
スタッフさんが図書館前に
集結していて、壮観でした。
映画の公開は夏だそうです。
あのキャンパスがどんな映像になっているのか、
今から楽しみです(※エイプリルフールじゃないよ)。
今朝、ポストを開けたら
チョコレートがいっぱい入っていた。
どこの誰だか知らないけど、みんなありがとう!(Not 自作自演)
食べすぎて鼻血出ないようにします。
翌日、あんなオチがあるとは、このときはまだ知るよしもなかった。
翌日になって彼女から短いメールが来た。
「ドサーって落ちてきた?」
‥‥?
訳:「ポストに入った大量のチョコレートは
玄関にドサっと落ちたか?」
あぁ、落ちたけど‥‥。
「で、どう?モテモテ気分は味わえた?」
わざわざ僕が家にいない時間を見計らって、ちゃんとポストの隙間から入るサイズのチョコを選び、ひとつずつ投げ込んだのだとか。こっそりと。
「モテモテ気分に浸れたんなら作戦成功」
まんまと引っかかった‥‥。
「高くついたよー。ところで倍返しの法則って知ってる?」
知りませんでした。
退職することにした。
アルバイトとして働いている今の会社は総勢20人ほどの新進のWeb制作会社で、大きな案件、細かい業務、何でもござれの環境で終電まぎわまで作業している。
デザイナー募集の応募に、プランナーになりたい!と我が儘を言って入れてもらった。社長が面白がってくれた。小さな会社かつぺーぺーの自分なので、実際にはプランニングよりはWebサイトのコードを書く作業が大半だった。先輩のコードをコピペしてたら大きくレイアウトが崩れて死にたくなったりもした。ぼくには呪文にしか見えない。もっと続けていればプランニングにも関われただろう。
回想するにはまだ早いんだけど、面白い仕事もそうでない仕事も、自分なりに吸収するのに必死だったように思う。スキルが全く追いつかず泊まることもあった。
自分の業務よりも、周囲の大人たちの仕事を垣間見られたのがよかった。
学生が学生のうちから生の制作職を見られることは贅沢だ。そんな、いわゆる下積みをするためにここへ入った。
この春、偶然が縁となって、同業の他の会社へ移ることになった。
生意気な質問から記憶してもらえたらしい。先方から面接の誘いを受け、クリエイティブ試験なんていうものをやって、どうにか内定2名のうちのひとりになった。
今の代々木から、今度は品川に通うことになる。
どっちも普段着なのは変わらないが、社員数は10倍になる。むしろ服装以外は大きく変わるだろう。より大きなところでやってみたいと今は思っている。
それでも、
今の会社で身につけたことや学んだことはどこへ行っても必要かつ有効な武器になるから、偉くなって仕事ください。
と、上司に言われた。頭が上がらない。学んだことは数多くあれど、はたして身についているだろうか?中途半端なところで出て行ってしまうことが申し訳ない。
昼下がりのルノアール。
卒業式っぽい。