忌わしき加藤事件について、書こうと思う。
あれは僕がまだ浪人生(19歳)だった頃のことです。
上京して約1か月が経ち、予備校の生活にも慣れた僕は、
昼休みに、一度家に帰ろうとしました。
多分、何か忘れ物でもしたのでしょう。
幸い予備校から歩いて五分ほどのところに住んでいたので、
昼下がりをのんびり歩いていたように記憶しています。
家まであと数メートルのところで、事件は起きました。
見ず知らずの若者が、やぶからぼうに声を掛けてきたのです。
「おい、おまえ加藤の弟だろ?」
僕は人違いをされたんだなと思い、「違いますが」と答えました。
すると、男は眉間に皺をよせ、凄んできたのです。
「加藤の弟だろうがよ?!あん?加藤の弟なんだろうがよ!!」
高校生くらいに見える男は、そう叫ぶなり僕のシャツを掴み、
突然僕を民家の壁に思いっきり押し付けました。
何かものすごく面倒なことに巻き込まれている・・・。
男はかまわず続けました。
「いいから金出せよ、カネ!」
「だから違いますって!・・・僕は・・・僕は伊藤ですっ!!」
微妙でした。
加藤じゃなくて伊藤。
我ながら情けない抵抗に、思わず「死」か何か、
そういうものを覚悟しました。
このままではやられてしまう。
しかもその日は、なぜだかまったく分からないのですが、
財布には三万円も入っていたのです。
取られてたまるか・・・。
そう思った僕は、押し付けられた壁の先に見える、あるものに
すべてを懸けました。
そう、それはインターホン。
一瞬の隙を見て、僕は必死で壁のインターホンを連打しました。
ピンポンピンポンピンポン、ピンポーン。。。。
「どなたぁ〜?」 ・・どたどたどたどた。
何とも間の抜けた主婦の声に、さすがに男も驚いたようで
「ちっ!」
そう吐き捨てて、奴は駅の方へと走ってゆきました。
残された僕も逃げたことは、言うまでもありません。
男への恐怖と、主婦へのうしろめたさというか、なんというか。
結果的には、とっさの機転(?)で助かったのですが、
恐さのあまり、その日を境にヒゲを伸ばしはじめました。
加藤の弟対策です。
きっと、立川には僕によく似た「加藤の弟」といういじめられっこが
住んでいるに違いない。ならば、僕はヒゲを生やそう!
名案だと思いました。
しかし、それから数日後、再び僕は別の高校生に絡まれます。
今度は四、五人で。
「加藤の弟なんじゃねーの?」「だよな」「だな」
今度ばかりは睨み返してやりました。
すると、奴等は「・・・違う、かもな・・」とか言って
どこかへ行ってしまいました。
めでたしめでたし。
これが、忌わしき加藤事件の詳細である。