もう、10年ほど昔の話になる。
中学生時代、学校で、ある事件が起こった。
名付けて「東中サドル事件」(西条市立東中学校での出来事)。
たった今名付けたのだが、事件はその妙な名前以上に珍妙だった。
その日も授業が終わり、ホームルームで僕と友達はいそいそと下校の準備をしていた。帰りに本屋へ行き、みんなで立ち読みするのが日課だった。エロ本を手に取る勇気のない僕は密かに『ダ・ヴィンチ』の荒木経惟のヌード写真を見るのが楽しみだった。ファミ通をチェックする友達にばれないように。でもアラーキーはエロくないんだよなぁ。
その時だった。担任が、帰り支度にざわつく教室を静めた。
「最近、校内の自転車のサドルが盗難されることがある。
みんなはそんなことせんと思うけど、目撃者は先生に言うように」
何のことか、一瞬分からなかった。
自転車のサドルが、盗まれる…?
誰が?なぜ?何のために?
いまいち事の子細を掴みかねていた僕らは早々と支度を済ませ、かばんを背負い駐輪所に向かった。事件の現場である。愛チャリが待っている。
案の定、僕の自転車のサドルはまんまと抜かれていた。
なんてことは一切無くて、いつもと変わらず無事だった。
ほらほら、本屋で『ダ・ヴィンチ』が待っている。
だが事件は起こっていた。
ふと目をハンドルの奥へやると、正面にある女子のチャリが、座ると痛々しい状態になっていた。
サドルが、無い。
銀色のパイプがぽかんと口を開けている。
整然と並んだ自転車の中で、そこだけが明らかに「抜けている」状況だった。
さっきの話は本当だったんだ…。
持ち主の女の子も茫然と突っ立っていた。「無いわ」。
何か、面白いことが始まっている気がしてきた。
抑えることの出来ない好奇心で鼻息が荒くなっていた。
とりあえず僕らは、地道に、盗まれたチャリの洗い出しを開始した。
どんな自転車が狙われるのか。それが分かれば、犯行目的が見える。
目的が分かれば、犯人も突き止められるはず。
そして、盗難サドルの傾向はあっけなく分かった。犯行目的もそれとなく。
狙われた自転車は、どれも女の子の自転車だったのだ!
しかも、校内でかわいいと目される美人ばかり。
僕と友達は、思わず犯人に感心してしまった。
好きな子の縦笛に口をつけたり、体操着を盗むのならマンガで知っている。
そういうシチュエーションは、屈折した思春期男児の物語として定番だから。やったことはないけど。
しかし、サドルとは、渋いなぁ。
エロが分かってると言うよりも、もはや師匠クラスだねぇ
なんて笑い合った。
「フェチとの遭遇」を、僕らは知らず知らずに体験していたのである。
犯人にはサドルじゃなくて座布団をあげたい気分だった。
本体と一体化しているから見過ごしがちだが、自転車のサドルというのは意外とエロティックだ。形のみならず、そこに乗るというのは言わずもがなである。
そいつを取り外して持って帰るとは、よほどの変態だと思う。しかも美人に絞り込めるということは、同級生か教師だろう。すごいな。
そうか、変態とは想像力なんだ。
結局、サドル事件は迷宮入りと化した。
僕らはその半年後、卒業して別々の高校に進んだ。