Blogを書く理由

僕のBlogでは、気をつけていることがあります。
それは、僕が書こうとしている内容、世界について
知らない人にもなるべく分かる言葉で説明すること。

 

このBlogは2003年に始めました。
当時23歳の僕は、長い入院期間を経て
大学の休学期間から復学した頃でした。

 

在学中(2004年)の大学。左に見える図書館はリニューアルされてもうない。
在学中(2004年)の大学。左に見える図書館はリニューアルされてもうない。

 

僕の体調を心配した父が、生存確認‥‥
と言えば大げさですが、元気かどうかを
遠い田舎からも確認できる方法として
Blogを書いたらどうか?と勧めてきたのです。
(今はその必要もないほど健康です)

時を同じくして、専攻していた写真コースで
「デジタル写真を発表する場として
個人WebSiteをつくりなさい」という課題が
出され、その時から、長い休眠を挟みつつも投稿を
続けています(その後、映像コースへ鞍替えしますが)。

 

なので、このBlogは今となっては自分の
職種である広告やクリエイティブ、または
ソーシャル、デジタルに関する内容が多いですが、
常に僕の頭には想定読者として郷里の父がいます。

このTwitter、Facebook全盛の時代に
半死半生でも(僕がじゃなくてBlogがね)
続けているのは、そういう理由からです。
親はソーシャルにはいませんから。

 

そして、父にも分かるように書く。
それがこのBlogの裏テーマなんです。

ターゲットに分からない言葉で書くコピーや、
クライアントに理解されない説明の企画書は
ダメでしょう。そういう感覚です。

 

2004年のムサビ2
※写真と本文は関係ありません。

 

実際、うちの母などはあまり
読んでいないようですが、代わりに(?)
母の妹である叔母がわりとチェックしているようで、
母は叔母をRSSとしてBlogに触れています。

えっと、RSSというのはニュースや
ブログなど各種のウェブサイトの更新情報を‥‥

やめておきます。
60を超えてプログラミングもするPCオタクの
父には必要のない話だから。釈迦に説法。
こういうところでだいぶ楽です。

 

いいこともあります。

面白い!と思った広告やキャンペーンを
取り上げるとき、なぜそれが面白いのか?を
親にも伝わるように書こうとするので、
必然的にその企画の旨味をあぶり出す
トレーニングになります。

 

あ、なんでこんなことを書こうと
思ったかというと‥‥忘れました。

最近、TwitterやFacebook経由で読んでくれる人も
徐々に増えてきて、初対面の制作会社の方からも
「Blog読みました」と言われたり(ありがたや)。

そういう同業者や、僕などよりずっと経験を積んだ
方にしてみればこのBlogは読みづらいだろうなぁと
思ったから‥‥かもしれません。
そういう気持ちは常にあります。

ですが、そんな言い訳をするためじゃなかったんだけど、
何だったっけ。本当に忘れてしまいました。あはは。

 

父さん、母さん、たまには東京にも遊びに来てください。


投稿者: tacrow

伊藤 拓郎 / Takuro ITO (April 12, 1980~) 2006年 武蔵野美術大学 造形学部映像学科卒業。デジタル系広告制作会社を経て、2017年〜広告会社にてデジタル・プランナー/コミュニケーション・プランナー職

「Blogを書く理由」への2件のフィードバック

  1. 私はショートコメント全盛になって、長文で自分の日記や意見を綴る人が少なくなってなんだか淋しく思っている人間です。
    作家の書くエッセイとは違って、身近な人が描く日常のヒトコマを文章を通じて知るのは好きだったな…
    と、過去形を使う程、皆日記から遠ざかっているよね。

    驚いた、笑った、怒った、その刹那だけが目の前を流れていってもなかなか反応できない古い人間なのかも。

    文脈が好きな自分です。長文思考型です。tacrow.comも更新の度に楽しく読ませてもらっているからどうぞ続けて。
    広告の世界を知らない自分も、読んでいるときは思考を巡らせてます。

  2. >ゆみほさん
    ありがとう。
    細々とでも続けていられるのは、読者ですと言ってくれる人がいるからです。日記だからまずは自分のためなんだけどね。だけどネット上で書いてるということは受け手を想像することが当たり前にもなってくるので。

    初対面のひとからも「読んでます」と言われると嬉しい。
    そうやって丁寧な反応がある「場」を持てていることに感謝です。

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