搬出

未完ズ撤収。

 

広告も含めて、今回のことは勉強になりました、すごく。

会場でやってみて思ったのが、やっぱ自分はwebの方が
いいな、ってことでした。

そういうことって考えれば分かるのかもしれないけど、
実際にやると確信が持てるので、意味はあったと思います。

僕個人は今年2003年の回顧展と位置づけていました。
なので今まで発表したものが大半だったけど、これで次へ行けそうです。
あなたと別れる踏ん切りがついたわ・・・、みたいな。
女性を撮るのは止めないだろうけど。手癖だから。

次は、具体的には銀塩で展示します。
と言いつつ紙はインクジェットかもしれないけど。

インクジェットで面白さが出る人、印画紙で面白い人、
webで面白い自分。それぞれだなぁって思います。

僕らは好評も酷評もそれぞれに受け止めて、
ひとつひとつを消化してゆきます。吐き出すことも有るかもしれんが。
展示の側面での反省も、運営・営業の面での反省も抱えて。
広告デザインも、レイアウトとか勉強します。

でも、他人の意見て言われる前に想像がつくな、
とも思い、じゃあその予想を実際に聞いた後、自分に
跳ね返らせてどうしてゆく?っていう道筋みたいなものが見えてきました。
振り回されず、でも聞き入れてみる。その運動はいつかまた作品に跳ね返ると。
要は、これからも写真は続けるよ、ってことで。

 

搬出を終えました。
次は、サイトのお引っ越しに着手します。

Party!!!

未完ズの講評会&パーティーの日。
お酒や料理など用意し、会場のお客さんに囲まれ、
ひとりずつ自分の作品の前でプレゼン…(汗)であるわけで。

僕はと言えば、鍵の管理当番になり、
朝11:00から会場でスタッフをやらなきゃいけないわけで。

朝がつらいが、起きなければやばいので、目覚まし時計を三個つけて。
パーティーの料理も手伝おうかなと思ったり。
でも、男手は邪魔でしかないのかな、とか、
華やかな準備に水を差すんじゃないか、とか。

そうは言ってもいられない、プリントして床に
置きっぱなしのシャシンを壁打ちしなきゃいけないわけで。
パーティーまでまだまだ時間があるが、もうドキドキで。

北の国からは、もう見る時間もない。わけで。

19日の話をすれば、これまた閉館間際に行って、2枚だけ追加して帰った。
どうやら予備校時代の恩師も見に来てくれていたらしく、感想まで残して頂いたようだ。感謝。部分的によくわかんなかったけど、見てくれたというだけで嬉しい。

出来ることなら会場でプリンタを持ち込んで出力し、壁打ちしたかった。デジカメの動画も展示したかった。出来なかったことはいつか別の場所でやろう。

今回は広報もさせて頂いたので、勉強になることが本当に多かった。
残りの展示を乗り切って、パーティーで踊って(?)、
来年は横浜で銀塩の写真展。

 

嗚呼、今年が終わる。来年が始まる。

展示の夜 サーモン

二日目終了。
夕方五時過ぎに追加の写真を搬入。

意外とお客さんが多かったので、壁打ちするのも
邪魔と思い、何もせず帰ることにした。

 

渋谷でネカマ仕事の友人、Bと共に会場を後にし、
近くの回転寿司でサーモンを食いまくる。新鮮。

ハンズで買い出しをし、パルコで雑誌を漁る。
面白くても買えない。サーモンが痛手。

ネカマバイトののBはそのまま仕事先へ。

「今夜待ち合わせを断んなきゃいけないんだよ〜
『ゴメン旦那が感づいた!』ってさぁ」

そのぼやきがいちいち面白い。
全国の出会いを求める男子諸君に、推定80kgの男が
愛のお返事。

 

帰宅後、プリンタのインク切れで八方ふさがり。
今日は何にもしないでおくことにする。

未完ズ・スタートしました

写真展が始まった。

初日はまずます。
友人や後輩も来てくれたよう。(大悟くん田淵さんありがとう)

自分は朝の10時に起きて、授業に遅刻しつつ登校。
写真ゼミの杉山先生と昼食をご一緒する。
そこで友達越しに見えた女性を一枚撮り、13時帰宅。
プリントアウト。

さっきの女性をカルトンバッグに入れ、
17時半、渋谷へ搬入。シャシン9枚を追加す。
今後も壁の余白がある内は、撮影して追加してゆきたい。
できれば写メールの展示もしたいのだが、スペースが無いので断念。
妙案で何とかなる気もするが、肝心の案が浮かばない。

冬の渋谷は浮かれている。
その土地だけが浮いている。年中そうなのかもしれないが。

そういう意味で、ここは別世界だ。
しかし展示会場はハチ公口とは逆なので、
ガード下とか、面白い。おでん食べたい。

明日以降も頑張ろうと思う。電車代がつきるまで。

一期一会

学期末コンクール、大掃除、絵コンテ、論文、
月例テスト、造形対策、ムサビ対策、そして直前講習。

そんなこんなで課題をやりこなしてきた浪人時代。

嘘。
この当時の、つまり1999年12月の僕は、
ブレイクして間もない宇多田ヒカルと椎名林檎に会いに行こうと、
溜池山王の東芝EMI本社へ出向いて警備員に見つかってトボトボ
帰ったという、当時で言えば名案、今思えば無謀なことなどをして
無為に過ごしていた。

 

確か、その赤坂から帰る電車の中で予備校の先生に会い、
苦笑されてしまった。
その先生はとても物腰が柔らかくて気を遣ってくれる方で、
当時ほぼ全く予備校に行かずにいた僕に『夜更かしからの脱却』という
新書を貸してくれたりもした。でもその本は僕に読まれることなく別の
夜更かし生徒へと回されて、結局僕が受験を意識しだしたのは、年明けて
1月半ばからだった。

 

1999年12月の日記があれば面白いのだが、浪人仲間の間でも
「あいつは来ない奴」という認識が常識と化していたほどで、
先生方からもよく見捨てられないでいたなと思う。

 

予備校に行かなかったのは課題が面白くなかったからではなく、
ただの現実逃避に過ぎなかった。
しかし、その逃避の先が東芝EMIだったり美術館だったり写真だったのが、
どこかで救いになっていたんだとは思う。ギリギリのところで。

ほんとギリギリだったことは明白で、模試の英語は
いつまで経っても合格点に満たなかった。
日々の読書でなんとか誤摩化した感のある論文と
実技(絵コンテのようなもの)に頼るしかない程、追いつめられていた。

だから、もう緊張も通り越して諦めムードで挑んだ。
変な日本語かもしれないが、そうとしか表せない。諦めて挑む。
なにせ80人の枠に1200人近い受験生。どの科に引っかかるとも思えなかった。

 

で、本番。
「英語も実技も、全ては読解!全ては国語よ!」という
無茶だけど案外正当な突破術を持ってして、なんとか誤摩化した。

今思えば大学は施設でしかなくて、
どこにいても自分のやりたいことを突き詰めることには
変わりないんだろうと思う。

だけど大事なのはこの大学に入って多くの友人を得たことと、
現状の自分がいかに甘いかを知れる機会に恵まれていることだろう。
それは多摩美でも造形でもそうだったかもしれないし、環境を
フルに利用することにも変わりはない。

つまり出会いだということで、それは前にも書いたと思う。

たくさんの友人と恩師に出会えたと思っている。

 

なぜこんなマトメのようなことを考えるのかというと、
予定では一応、今年卒業だったわけで、周囲の卒業してゆく友人たちを見て、
まだあと一年間は学生の自分をどうにか振り返りたいという願望があるんだろう。

師走というのもあるのかもしれない。

 

1999年の僕は、2002年の闘病を、2003年の今を想像できたか。

宇多田ヒカルの結婚、椎名林檎の出産。9.11。フセイン拘束。
ケータイデジカメ。ブロードバンド。自分のサイト。

大事なのは、2004年以降の自分(と周囲)をリアルに想像することかも。

テエマ

テーマを見つけることが、今のテーマ
というか課題。

それは気づいていないだけかもしれない。

今そこにあるものなのかもしれない。

ケッコン

もし、私達が結婚する前に子供が出来ちゃったら、
生まれてくる子には『成行』と名付けようよ、と彼女に言われたことがあります。

なりゆき…。ブラックなことを言う人だ。

 

で、結婚します僕ら。じゃなくて、僕の高校の先輩が。

おめでたいけど、もうそんな年代なんだという事実にびっくりです。
高校時代を思い出しても、先輩は美術部でもの静かにデッサンに没頭する
「大人の女」なイメージが未だにあります。「美術部の母」的な。

本当に大人になってしまわれるんだなあ。お母さんになっちゃうんだなぁ…。

おめでたいけど、もうそんな年代なんだという事実にびっくりです。
さっきも書いたけど。

うちらの代の西条高校美術部も、
同窓会とかやったら誰か結婚しているかもしれません。
立川美術学院(浪人時の予備校)ではまだまだ無さそうだけど。
美大の人は晩婚が多そう。

 

なりゆき君を抱くのは、当分なさそうだな。
友達に500円返せない男が結婚なんて。

でも、ミサト先輩には祝電をあげたいです。

 

予知

珍しく朝の8時半に
一番乗りで教室に入りました。

けど、いくら待っても誰も来る気配がない。
おっかしいなーと思って研究室へ。

あの、今日ってもしかして休講ですか?
「うん、そだよ」

がっくし。
頑張って徹夜を乗り切って来たのに…。

このまま帰るのも癪だし、4年生のカノジョに紛れて
なんとなく卒業制作展の場所取り会議に参加しました。

他学科の人と説明を受け、
作品の場所の確保も無事終えて、外のベンチで休憩。

カップのコーヒーからは湯気が立ち上り、
冬季限定のコアラのマーチはほどよい甘さで。
午前中の校庭は木漏れ日と落ち葉がいい感じに揺れていました。

と、ベンチの手すりに不安定に置いたカップへ伸ばした
彼女の手が、勢い余って ばしゃーん。

茶色の液体が僕のスニーカーをビショビショに濡らしました。
広がる湯気。漂う香り。固まる二人。

 

被害者:「もう!うっわー、絶対こんな
     斜めのとこに置いたらこぼすと思ってたよ俺は!」

加害者:「お、すごい、予知!」

 

もう何も返す言葉もなくて、肩から力が抜けました。

あれから

東京に出て、浪人になって、
友達と最初に来た場所も多摩川だった。

あれから何年。
カメラはデジタルになって、見るものは変わったかな。

鍋の季節

なりゆきで鍋を囲むことになりました。

女の子友だち三人を招いて、今年最初の鍋祭り。

手際がいい!僕は食すのみ。美味でした☆

それから、卒業する彼女たちのポートレイトを撮りました。
卒制のパンフで使ってくれるそうです。

心配

心配なことがたくさんある。

お金の心配。単位の心配。展示の心配。
体の心配。視力の心配。ネットセキュリティの心配。

友達の心配。

前述のネカマバイト友人Bが、いよいよ「女」として磨きをかけてきた。

ちゃんと「お仕事」やってるんじゃないか、と安心するなかれ。

 

「自分(女役)の書き込みで興奮して起っちゃうんだよ」

 

・・・心配だ。