数日ぶりに外出しました。
手前でノリノリなのは、デ情の小西くんです。
大学の学祭、通称「芸祭/ゲイサイ」に行ってきたというわけです。
だけど前日の徹夜が祟って、
起きたのが午後五時で、
今さら行ってもなあと思いつつ。
それでもまあ、あと何度もないしな、と思い直して行ってきました。
美大ってこんな所なんだよなあと再確認。
お洒落さんがいっぱいでした。
お酒を飲める屋台村では、もうみんな抱擁抱擁。
ここはアメリカかってくらいに。
あるデジタル系プランナーの日記
数日ぶりに外出しました。
手前でノリノリなのは、デ情の小西くんです。
大学の学祭、通称「芸祭/ゲイサイ」に行ってきたというわけです。
だけど前日の徹夜が祟って、
起きたのが午後五時で、
今さら行ってもなあと思いつつ。
それでもまあ、あと何度もないしな、と思い直して行ってきました。
美大ってこんな所なんだよなあと再確認。
お洒落さんがいっぱいでした。
お酒を飲める屋台村では、もうみんな抱擁抱擁。
ここはアメリカかってくらいに。
ジェネレーションギャップなのだろうか。
写真の教授による講評。ぼくのインスタレーション作品を見て。
「これは、写真じゃあ無いな」
そんなこと分かっている。
写真かどうかの厳密な線引きを無視したところで作っているから。
像のイメージとして抽出してしまえば印画紙だろうがjpegだろうが
一緒だ、というところで制作したから。
それぞれの持つイメージの間隔を捉えたかった。
うまくプレゼンしきれなかった自分も悪い。
なぜかWANDSのベストアルバムを貸してくれた。
とくに聴きたいとも思わなかったのだが。
「懐かしさでいっぱいになるから!」と言われてセットしてみる。
小学生だったな。こっぱずかしさで聴いてられない。
忘れえぬ痛み、笑い飛ばそう。
天気がよければ遠出して写真でも撮ろうかと思ったのに、雨が降り続く。
阪神も負けちゃったし、面白いテレビもないし、外へ出るのも憂鬱だ。
長編の夢を見た。
地元のキャリアウーマンと浮気する夢で、ふたりで手をつないで夜の公園を散歩したあとだんだん相手の気が変わってきたらしく、「あたしやっぱり帰る」と言われ、家まで送った。
その人の家はうちの実家からほど近く、自分が小学生の時に幼稚園児だった女の子だったということを思い出して、懐かしさと「俺はそんな年の離れた女と歩くほど年を取ったのか」と愕然としてしまう、という内容だった。
夢の中の自分は三十代で、彼女は二十四、五。
なんだかリアルな夢だった。
進級展が終わった。
搬出を手伝ってくれたみんな、
さかのぼって搬入を手伝ってくれたみんな、
ほんとうにありがとう。みんなのおかげです。
帰りに彼女の家に寄って、スピッツの「楓」のDVDを見てから家路についた。
午前二時半。ネットをしている。
ヘッポコだけど、急いで広告制作。
僕のはどれでしょう。
たぶん、学校ではもう写真の勉強はしなくなるかな。
インスタと写真とwebを絡ませたいな、とか。
朝まで画策の日々。
何とかたくさんの人に来てもらいたくて、必死です。
アピールがまだまだです。
もっと攻めながら、動かないと。
夜中は昼間のために。昼間は夜中のために。
午前3時。
資料のプリントアウトと映像のDVD化をすれば、作業はひと段落。
昼間の明るさが恋しい時間。寒気がこたえる。明らかに弱い自分。
昨日は進級展とは全く別に、いろんな事があった。
人生レベルで大事件発生だったのだが、ちょっと日記に書ける話でもない。
危機は回避されつつある。あとは修復と更新。
ちょっと、余裕すら生まれつつある。なんて嘘。
朝です。朝になってしまいました。
今日も前日からの徹夜で、学校に入り浸って作業の続きをしていました。
まだしています。ということは。
間に合いませんでした。あと少し!!!
今夜には完成する見込みです。明日からの御来場をお待ちしております。
と、無責任なことを書いておいて、途中なのでまた工房に戻ります。
9号館ウェブスペースより。
お、
追記です。
間に合いました。
でもおすすめは火曜日から。です。
みなさま、たいへん長らくお待たせ致しました。
2003年度・武蔵野美術大学映像学科三年・ 進級制作展 は、
まもなく開催されます。
どなた様も順番にお並びになって、
係のものに従ってお入り下さい。
なお、会期は10月20日から25日までとなっております。
ご不明な点など有りましたら、パーサーの私にお申し付け下さいませ。
それでは、若き映像の世界へ、いってらっしゃいませー。
何かに似ていると思ったら、文化祭の前夜みたいな。
今日は大学に泊まり込みで作品の設営です。
寒いけど頑張って完成させます。
午前五時五十五分。
一時帰宅しました。
東京は雨。
ずぶ濡れで帰ってきました、最悪。
眠いので仮眠を取ってまた学校へ行きます。
作品の設営でいるものを一式買い出しに行くことも、忘れずやらんといけません。
自分の好きなことを好きにやろうとしたら、けっこう大がかりになってしまいました。
これで完成してしょぼかったら爆死。
最近はこの進級制作展なるもののために、いろんな機材投資をしました。
貧乏地獄だけど、それでもまあ使っていく内に、自分には何が必要なのかがわかってきました(眠いから頭アホになってるだけかもしれませんが)。
まずはやっぱ、作品をどんどん作って人に見てもらうことです。
これまでは、ただの垂れ流しに近い状態で日々を何となく写真で彩るだけでした。
それでも普通は満足していいんでしょうけど、美大というところに通っている以上、完成された作品をもってして判断を下されるわけで、それは医大生が解剖や実習を行ったり、音大生が演奏会を開くのと同じ事です。
日記で写真を発表するのは何ともスリリングで楽しいです。
が、それだけでは自分を作り上げる構成要素が足りない。
ようは他者に自分を伝える判断材料が(媒体が)僕にとっては写真で、
それをちゃんとひとつの作品というか物体、物質にまとめなくては
どうしようもないっちゅうことです。
何でどうしようもないのかって、それは
やはり何らかの「制作」で飯を食っていきたいと考えているからです。
で、次にその物質を何かの公募に出して、
審査してもらうのが一番手っ取り早いんでしょう。
分かっていてもなかなかやらずにいました。
これからはちょっと本腰入れようかな。
たぶん、今現在が作品の制作と搬入に追われているから焦っているんですね。
かっこ悪いけど。
それと、ちょっと疲れて饒舌になっているのかもしれません。
でも進級展の作品で生まれつつある自分への課題をこれから
時間をかけて消化していく為に、大学で用意された場だけでなく、
自分を試す場に出てもいいかなと思ったんです。
とりあえず今は焦りを作品のアラにしないように、気を引き締めて、
寝ます。
徹夜で片付けしたはいいのですが、
昨日はそのまま学校に行く羽目になり、
眠い目をこすりこすり登校して、何とか出席を果たしました。
で、授業はD写真基礎。
学校の面白い所を見つけて撮るという、至ってシンプルな内容。
その後みんなで学内の喫茶店「シスコ」に集い、
年末の展示についての大まかな打ち合わせをしました。
広報担当でDM・ポスターは僕が作ることに以前から決まっていたんですが、
今日新たにwebデザインをどうするかという話になって、webの方もなぜか
僕が作ることになってしまいました。
「あのう、広報だけでいっぱいいっぱいです」
「大丈夫大丈夫」「えーっ」「うん、大丈夫大丈夫」。
どうなるんだろうという不安というか、
こりゃバイト辞めるしかないかなと思っています。
辞めたら生活は厳しくなるけど。楽しいからいいか。いいや。
そんでまぁ話し合いが終わって、夕方からは
武道館に行き、椎名林檎ライヴを見てきました。
あんな華奢な体からどうしてと思うほど力強くて、
なんとも美しいライヴでした。
照明とか演出の仕事も凄いプロがやっているんでしょう。
けっこう凝った仕掛けで。
特に最後、林檎嬢の顔のホクロが消えている事に場内は騒然。
ホクロが無くなっていました。
整形したのかな。表情が柔らかくなった印象を受けました。
にしてもライヴはよかったです。
あと最後の最後にマラカスでラーメンズの舞いを披露してくれたのがウケました。
さすがラーメンズフリーク。
シャカシャカシャカシャカシャカシャカ・・・・
基本的には・お前が悪い!・からんでからんでミソっかす♪
武蔵野美術大学映像学科三年・進級制作展。
打ち合わせは午後十時まで及んだ。
ケンケンガクガク、ああでもなくこうでもなく。
結果としていい話し合いになったと思う。
秋の第一段展覧会。よい感じである。
インスタレーション。
僕は写真を一辺2メートルに引き伸ばす。
10/20〜10/25・武蔵野美術大学映像学科三年・進級制作展。
小平の田舎で会いましょう。
母が、安藤忠雄のことを安藤広重と言っていた。
江戸か!
三週間ぶりに会った。
相変わらず、何と言うかしかめっ面だった。フキゲンなのではない。
と知っているので何も言わない。
「実家で南国少年パプワ君を読んで泣いたわー」
と言っていた。
今日からまた学校が始まる。
始まる事自体は何でもないのだけど、
最初の授業が…例のゼミなので、ちょい憂鬱。
勝手気ままに。てきとー騙し討ち。
ムサビ映像学科・写真ゼミのモノクロ写真課題。
その全体講評が月曜の朝から行われた。
四月に発表された課題の内容は
「家族の肖像、または自写像」を撮るというものだった。
組み写真で20枚。モノクロ。バライタ紙プリント。
フィルム指定:コダックT-MAX400(iso200で撮影)
最初に言われたのは、「実家住まいの人は家族を、一人暮らしは自分を撮ること」。
もう、そこでおかしいと思うんだけど、話を続ける。
講評は、だいたい教授の「これはいいね」
「これは分からない」のふたことで選別される。
「君のお母さんとの確執が見えるよ」「おじいちゃんとの会話が聞こえる」
といった、写真の話と言うよりは、家庭の話に終始しがち。私写真推奨。
「なぜ20枚か」
「なぜT-MAXか」
「なぜ自分を撮るのか」
そういうアプローチがごっそり無いまま、終わってしまった。
ただ、言われた通りにこなすだけ。
自らアプローチする余裕も持たされることなく。
…でも僕らは、貴方のコピーになるつもりはない。
この授業に意味があったとすれば、
自己も他者も含めて、好みで写真を構成しないこと。
別の先生に指摘され、そのことに気付けたことだろう。
分かっていたつもりでも、大事な眼を見失っていた。
あとのことは忘れました。
やっつけ仕事に反省。
もう随分と会ってないが、
高校時代の友人たちは多分、みな社会人になっていることだろう。
23歳。いい歳だ。
結婚して、家庭を持っている人もいるかもしれない。
スーツにネクタイで商談を決めている人もいるかもしれない。
翻って自分は。
まだ美大生です。まだ学生です。
しかも大学三年です。 浪人、休学。社会に出遅れてしまった。
でもそれはそれで楽しい。浪人時代の仲の良い友達も、何人か休学して三年生。
幼稚園からの友人も、東大で転科して三年生に戻ったという。
社会人にスイッチするのはいつになるのか。分からん。
が、きっと、スタンスは変わらないんじゃあないだろうか。
カメラもWEBも、どこまでもくっついてくるだろう。
やっぱ、大学っていいと思う。