矛盾 12

小林製薬の「あせもにアセモア」は、
名前が矛盾してると思った。moreって。

 

長崎の駿ちゃん殺人事件。
いじめられっこが腹いせに、幼い子供を裸にして悦に入っていた。
いじめられっこのいじめ。だそうだ。

そいつが近くの大人にバレそうになって、
思わず突き落とした→死んだ→捕まるかも→逃げた→黙って登校した。

短絡的というか、単純。
想像する力がなさすぎる。
落とせば死ぬ。刺せば死ぬ。絞めれば死ぬ。

性癖や精神異常で話される事ではないと思う。もっとシンプル。
きっかけは性的衝動だろうけど、殺害はその延長線上にはないと思う。
バレそうになったから慌てて隠した。それがビルの下だっただけ。
イコール死。を、想像出来なかったのか、しなかったのか。

今回の問題は、彼がそれを分からなかったことだ。
その一点で、彼は酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年Aとは違う。
自分を神格化しようとしたわけでもない。
人をいじめることには興味があったのかもしれないが、
殺すことに興味を持ったわけじゃない。
長崎の少年を神戸の少年Aと同列に話す大人は、根本的に間違っている。
もちろん共通項もあるんだけど、結果の出方がだいぶ違う。

誘拐、裸、子供、転落、殺人。
それらを見ているといかにも猟奇的で異常だが、実際は違う。
拾った子猫が部屋で鳴き出したので、親にばれそうになって
慌てて窓から放り投げた。
そういうことだったんじゃないか。

大人なら極刑です。たぶん。
でも彼は12歳なんだな。

展覧会の話


過去、何度かグループ展等に作品を出したことがある。

一回目は高校時代、文化祭で美術部員として出展した写真だった。

16歳。当時から写真。タイトルは「美しい日々」。
A1ほどのパネルにL判の写真を並べたコラージュ作品。
「美しい日々」でありながら、そこには友人が鶏を解体する光景や、
どちらかというとグロテスクなものに散りばめられた世界を写していた。
お客さん(特にうちの母)はかなり引いていて、してやったりだった。

二回目が予備校時代。

高校時代でいう文化祭に近い、立美祭で写真集を出した。
ただ写真集を置いても素通りされてしまう。より多くの人に見てもらおうと、
あえて一番人の多く入るギャラリーに出展するように申請し、そこにTVを置く。
TVからは写真集のコマーシャルとして、スライドショーを流した。
前日にビデオカメラを借り、徹夜で作った。広告としてどうしても必要だった。
が、いざ蓋を開けてみるとスライドショーの方が好評を博し、コンクールでは
グランプリを戴いた。映像と広告の力を思い知る。

三度目は大学の文化祭、「芸祭」だった。

高校時代からの先輩、ちくりんを筆頭に集まった団体。
宇宙をテーマにした映像の展覧会「Across the Universe」。
個々の作品以上に、会場設計、デザイン、広報、衣装に力を入れた。
これはこれで大成功。デザインの力を思い知る。大盛況だった。
衣装をデザインしたアカミネノリエ、そしてスーパーバイザーの
レイコイトウ氏にはみんな感謝。広告塔をアピールできた。

最後が2002年の「ぼくらEXHIBITION」。

予備校時代の友人4人で、なじみ深い立川を舞台にグループ展。
表現メディアは写真2つ、音響、映像と、多種に及んだ。
学校の行事に乗っかるのではなく自分達でぜんぶ取り仕切る。
そのことの重要性と、大変さを知る経験となった。

 

それらを踏まえて。

さぁ、今年はグループ展3つ、出展します。
踏まえるものが多いのが、もはやひとつの財産になってます。

お金はかかるが出会いもある。
新しい出会いを求めたいと思います。

講評


ムサビ映像学科・写真ゼミのモノクロ写真課題。
その全体講評が月曜の朝から行われた。

四月に発表された課題の内容は
「家族の肖像、または自写像」を撮るというものだった。
組み写真で20枚。モノクロ。バライタ紙プリント。
フィルム指定:コダックT-MAX400(iso200で撮影)
最初に言われたのは、「実家住まいの人は家族を、一人暮らしは自分を撮ること」。
もう、そこでおかしいと思うんだけど、話を続ける。

講評は、だいたい教授の「これはいいね」
「これは分からない」のふたことで選別される。
「君のお母さんとの確執が見えるよ」「おじいちゃんとの会話が聞こえる」
といった、写真の話と言うよりは、家庭の話に終始しがち。私写真推奨。

 

「なぜ20枚か」
「なぜT-MAXか」
「なぜ自分を撮るのか」

そういうアプローチがごっそり無いまま、終わってしまった。
ただ、言われた通りにこなすだけ。
自らアプローチする余裕も持たされることなく。
…でも僕らは、貴方のコピーになるつもりはない。

この授業に意味があったとすれば、
自己も他者も含めて、好みで写真を構成しないこと。
別の先生に指摘され、そのことに気付けたことだろう。
分かっていたつもりでも、大事な眼を見失っていた。

あとのことは忘れました。
やっつけ仕事に反省。

からっぽ

頭が空っぽになった。

もう一度、考えを改める必要がある。

写真について。
セレクトについて。
自分の、眼に対して。

日々


朝のラジオは元気だ。
ジョン・カビラが声高らかに、朝のニュースを読み上げる。
僕は僕で台所に行き、冷蔵庫を物色する。

 

今日は、さくらんぼを洗って食べた。

1996-2003

高校一年の時に撮った写真。
もう7年も前。時のスピードに驚いてしまう。

今より老けた写真だなぁと思う。
田舎の高校生には、アサカメとSTUDIO VOICEしか情報源がなかった。
リバーサルで撮ると、現像は香川県に配送され、帰ってくるまで待つ。
もちろん、デジカメなんて身近には存在しなかった。
色んなものがないなりに、けっこう楽しんでいたように思う。

そして今。

be-nori06

確実に、興味の対象が変わってきてます。

Bの件

あなたは友人の自殺現場を見たことがありますか。

 

あれは1、2年前のことで、
季節がいつだったかも忘れてしまった。

近頃、友人Bを見かけなくなっていたが、バイトを極端に
多く登録している彼だから、仲間内では、またどっかで
忙しくやってるのだろうと言い合っていた。

そんなある日、ケータイにBの母親から電話がかかってきた。
もう1ヶ月も音沙汰がない。心配なので息子に連絡を寄越すよう
伝えてくれないかとの内容だった。

うちからBのアパートまではそれほど近いわけでもなかったが、
それでも、予備校のクラスでは僕が最も近所ということで、
様子を見に行くことになった。一抹の不安を抱えて。

駅からBのアパートまでは歩いて20分はあった。
着くなり、大家さんが書いた張り紙が目に飛び込む。

「連絡乞う 042-××××-○○○○ 大家△△」

嫌な予感がする、インターホンを鳴らす。

「おーい、開けて〜」

情けない声を発す。

返答なし。誰もいないのか?
足下でノラ猫がこちらを一瞥する。

ドアノブに手をやる。ゆっくり回す。 開いた!

正直、ドアが開くとは思っていなかったので、恐くなって別の友人Pに電話した。
Pにはこちらの事情も雰囲気もよく伝わっていないようで、さっさと入れと促す。
ゴミの山をかき分け、土足で他人の家に踏み入る。異常事態。

 

この時、すでに僕は最悪の結末を予想していた。
考えまい、考えまいと思いつつ、予想を確かめようと奥へ進む。

昼間なのに日当たりの悪い物件は薄暗い。電気のスイッチを探す。

ふろ場を開ける。いない。
トイレを開ける。いない。
台所を抜け、最後の六畳間へ。

「びっきー、、、、」

誰もいない…と、思ったら。
天井からぶら下がる、人の足。

 

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

それは、ただのツナギ(作業着)だった。
驚かせやがって!!!!

他に確認できたものといえば、
いつからそこにあるのか分からない食べかけの餃子と、
敷かれっぱなしの布団、線の抜けた電話機だけだった。
電話線を差し、置き手紙を置いて帰った。汗だくになった頬を拭いながら。

 

後日、Bは「巻き爪」で入院していたということが判明した。
それで誰にも連絡が取れなかったって、そんなの言い訳だ。

 

今でも、天井からぶら下がる足が忘れられない。

案の定、Bはぴんぴんしている。僕は確実に寿命が縮んだ。

煩悩

うちの実家の、祖父母の家はお寺だった。
山奥にこつ然とある、南嶺山大福寺。

祖父は僧侶で、けっこう広い庭には灯籠や、鐘、水子地蔵、そして本堂があった。
子供の僕らには、格好の遊び場だった。
正月になると、親戚一同が集まって、たき火をしながら除夜の鐘をついた。
108の煩悩が抜ける瞬間。

そんな祖父母が、山から下りたのが今年初め。
もう、あの鐘を鳴らすこともないのか。

煩悩が溜まる日々。
それもまた、一興。

ヒート

さっき熱を測ったら38.0度あった。だるいわけです。

 

 

・・・9.5度に上がっているー。 
頭が割れそうで、アホな考えしか浮かばない。
ショートしそう。

SWITCH

もう随分と会ってないが、
高校時代の友人たちは多分、みな社会人になっていることだろう。

23歳。いい歳だ。
結婚して、家庭を持っている人もいるかもしれない。
スーツにネクタイで商談を決めている人もいるかもしれない。
翻って自分は。

まだ美大生です。まだ学生です。
しかも大学三年です。 浪人、休学。社会に出遅れてしまった。

でもそれはそれで楽しい。浪人時代の仲の良い友達も、何人か休学して三年生。
幼稚園からの友人も、東大で転科して三年生に戻ったという。

社会人にスイッチするのはいつになるのか。分からん。
が、きっと、スタンスは変わらないんじゃあないだろうか。
カメラもWEBも、どこまでもくっついてくるだろう。

やっぱ、大学っていいと思う。

残像 – deja vu

 

残像と既視感は似ている。
正確には、似ているだけで、違うもの。
どちらもよく見る。脳の欠陥か。

 

マトリックス・リローデッドを見た。
話は無いが、アクションは拍手。美しい。
美しすぎて痛みが無い。