1999年。
2002年。
あるデジタル系プランナーの日記
写真…
2002年。
モノクロ写真の授業を受けている。
必修科目なので、とくに疑問も持たず出席している。
というのは大嘘で、登校拒否したくなるくらい苦痛だ。
週に五本撮影、現像、プリントし、テーマは自写像で、毎週コンタクトを提出。
フィルムはコダックT-MAX400を200で現像指定。
独自の現像方法まで決められている。
教授が見いだした答をなぞるだけ。
早い話が徒弟制度ってやつだ。
そもそも、実家通いの人は家族の肖像で、一人暮らしは家族がいないから自写像。
なんだかめちゃくちゃである。
どうしてこのフィルムを使うのか、どうして自写像なのか、
どうしてモノクロオンリーなのか。どうして・・・。
その辺のアプローチがまったく欠如したまま、授業は進んで行く。
訳も分からずただ仕事をこなすだけ。面白いと思ったことなど無い。
アプローチとは、作家の内面の個人的思考と経験によって導かれるものだ。
作家ではないぼくら学生は、作家に必要な眼とハナを身に付けたいのだ。
であるからには、人の見いだした方法論をただ享受しているってのは問題だ。
そこに疑問を持つこと。
で、取捨選択をすること。
デジタル写真の小林先生と話していると、モノクロ授業が霞んで見える。
モノクロ現像は好きな方だ。
だが、今の授業は苦痛でしかない。
モノクロ写真ではなくて、モノクロ授業。
それゆえに、今日もデジカメ片手に街に出る。
すーっとする。
でも、大学は単位を基準に動くから、休んでばかりでもバツが悪い。
げんに今日も、助手さんからの督促状が皆に同報メールされた。
行かなくてはと思いつつ、また意味不明の講評をされるのかと思うと、憂鬱。
先週言ってたことと違いますよ?
その写真を駄目だとおっしゃったのは先生じゃないですか?
そんなこと言えねー。
自分に自覚的であること。その眼を絶やさないこと。
変な顔しかしてくれません。
女性というのは未知の生物だ。
おんなという生き物は、子供を産む。
産める、と言った方がいいのかも。
子供を産むと、何かしらの考えというか、スタンスみたいなものが変わると言う(変わらない人もいるが)。
それは、男にはどうしても経験の出来ないことで、ひとはそうそう変われるもんじゃないけれど、女は子供を産むと、何かが確実に変わると思われる。
数年前、歌手の椎名林檎が子供を産んだ。
「人生を切迫して考えなくなった」らしい。
子供を産んで何かが変わるのと、女が「女になる」の「変わる」はだいぶ違うのだろう。
しかし、どう違うのか。
女が女になるというのは、何度か目撃したことがある。
しかし、それは一時のものでしかなく、子供が出来るのとは根本的に違う。ように思う。
子供を産む機能を持っていることも凄いが、それがその人すらも変えてしまうというのが恐い。
じゃあ、結婚した時の妻と出産後の妻は別人なんだろうか。
とりあえず椎名林檎はこう言う。
「体重が増えたとか、そういうことでしょうか」
そういう変化はしてほしくないものだ。
キャノンのEOS10Dを買った。
ミノルタのαー9を売って。
すこぶる綺麗に撮れる。
デジタルに移行しているように思われるかもしれないが、
ペンタックス67も健在なので、暗室がなくなることは無い。
デジタルだの銀塩だのの区別は無く、写真が楽しい。
進級展の構想が固まりつつあります。
内容は企業秘密だけど、写真を2メートルくらいに引き伸ばします。
楽しみだなぁ。ワクワクする。
バイト明けにべーやん(彼女の友達)とメシを食ってきました。
仕事上がりのカレーはうまかった。
先日、東写美で荒木展を見てきた。
ものの10分ですべてを見終えた。
それなりに面白いが、昔ほど好きじゃなくなっていた。
ついでに、下でやっている大学生の展示も見た。
ものの5分で見終えた。
二人くらい面白い。残り痛々しい。
一緒に見た先生がこんなことをおっしゃった。
「生け花とか書道展を見てるような感じだったね」
これは最近の写真展全てにいえる。
ただ貼ってるだけ。展示してるだけ。
伝統芸能みたいな格式を目指しているのかは知らんが、
つまんないことは確かだ。
インクジェットプリンタ、プロジェクタ、いろいろ冒険する隙間はあるだろうに。
そういう機材に走ることを推奨しているわけではないが、印画紙を額装して
そこに置くだけでは、もうぼくらの眼には何も映らないんじゃないかなぁ。
ただの羅列ではね。
難しいけど。
お家芸としての写真。うーん、ちょっと。
友達から借りたデジタル一眼レフで、
そいつがトイレに行ってる間に勝手に撮った写真。
向いてるかも。
デジタルカメラで撮られた画像が、そこかしこのWeb Siteでアップされてゆく。
これらの画像は、はたして写真なのだろうか。
紙媒体に変換されるわけでもなく、その僅かな命をまっとうするだけの画像たち。
そこには確かに、よく小林先生が言う「はかなさ」がある。
しかし、問題はこれらの画像が写真であるか否かではない。
そんなことはもっと偉い評論家が考えればいい。
では、ぼくにとっての問題はどこにあるのか。
端的にいうと、デジカメの画像は誰のものか?
デジカメ写真におけるアイデンティティ。
親友Kのサイトはほぼ毎日更新されている。
その日撮られた「写真」が、ボコボコとアップされゆく様は、見ていて気持ちのいいものである。
が、それを見ていた別の友人が、こんなことを漏らした。
「どれも一緒に見えるね、他のデジタルで発表してる人たちと」
…確かにそうかもしれない。
この現象は、何もKに限ったことではない。
たかだか300〜400万画素のデジタルカメラは、フィルムと違い、色味の癖であるとか、質感の違いを表すほどの幅を持たない。幅のない写真。
それ故に、風景、人物を選んで撮ったところで、どれもある程度似たものになってしまう。
しかし、ぼくはこのデジカメの幅のなさが好きだ。
妙な私的情緒を排除してくれるし、写真とはただのコピーであることを教えてくれるからだ。
コピーはそれ以上でもそれ以下でもない。
他人といくら似ていようが、そんなことは承知の上なのだ。
その視点に立ったところから、違いも浮き彫りになってくる。
人の生活なんてどれも大差ないと思えることがある。
とはいえ、その視点は千差万別である。
だから、Kの写真は誰に似ていても構わない。
似ていても「同じ」にはなり得ないし、銀塩にありがちな嘘の個性を押し付けられるよりは潔い。
銀塩を否定はしない。
現に今日もペンタックス67で撮影してきたばかり。
ただ、デジタルのあり方も、もう少し認めてもいいんじゃないか。
オリジナルという概念の持たない、デジタルの自由で儚い命を、ウェブが紡いでいく。
やってみると、この相性は思ったよりいいみたいだ。
彼女に僕の日記を「闘病日記みたい」と言われた。
確かに、タイトルとか内容がそれっぽいかもしれない。
困った。そんなつもりはないのだが。
日記は小1の時から付けていた。
中学に入って、めぞん一刻という漫画の感想を日記に書いたら、
先生の食い付きがよくて、嬉しかったのを今でもよく憶えている。
「今日は5巻を買いました、五代君が骨を折りました」
みたいな。
高校に入ってからは、日記が手紙に変わった。
だから手元には残っていない。
手紙を回すのは、高校ならではだった。
浪人時代は手紙から写真になった。
とりとめもなく撮り続けた。吐いて捨てる程撮った。
実際、捨てたりもした。もったいない。
そして今、写真がデジタルになろうとしている。
もはや廃棄ではなく、消去である。
せめて、webに流そう。
辛いことは皆、webに流そう。
みたいな。
今、武蔵美の授業中です。
小林のりお先生の、デジタル写真基礎という授業です。
6月14日は、評論家の大嶋浩さんをお迎えして、
小林先生との対談が催されます。
オープンキャンパスなので、来たい人は来てみるといいかも。
写真を持っていけば講評も受け付けてくれます。
デジタル写真を始めて一年が経ちました。
まだ一年です。銀塩は16からだから、かれこれ七年になります。
そう考えると、デジタルのデの字もまだ知らないのかもしれません。
デジカメを触ると、高校時代のビッグミニと同じ感覚が蘇ります。
小林先生いわく、「撮る」というより「撮れる」ということ。
それこそが、デジタルの醍醐味かなと思います。
先週から、課題の関係でうちの暗室が一年ぶりに再開されました。
酢酸のにおいは興奮させてくれます。
DarkRoomの空気はわりと好きです。
けれども、それは飽くまで課題制作でしかなく、
心はデジタルに浸透しています。
なので課題は面白くありません。
教授に認められたものしか評価されないという点も、
モノクロ銀塩への心離れを助長させました。
モノクロが悪いわけでも、銀塩が悪いわけでもありません。
ただ、デジタルの速さが、今は性に合ってるのです。
でも、デジタル故のイメージ操作には興味がありません。
それを言えば、モノクロもイメージ操作だらけです。
誰がどう見ても、新宿は森山大道の写真のようには見えないはずです。
僕がデジタルに惹かれるのは、速さと簡便なところです。それだけです。
それ以上のものがこれから発見されていくのかもしれませんが、
今は今の気分で、今の世界を撮りたい。
デの字くらいは知れるかもしれません。
椎名林檎のライヴDVDを買った。
小林賢太郎がいい味出してて、買って良かった。
工デの小松誠教授とお話する機会があった。
本物の作家だと思った。総じて、今日はいい日でした。
あ、30日の話ね。31日もいい日になりそう。