ヒート

さっき熱を測ったら38.0度あった。だるいわけです。

 

 

・・・9.5度に上がっているー。 
頭が割れそうで、アホな考えしか浮かばない。
ショートしそう。

アイドル

真鍋かをり。

実は、彼女は僕の同級生である。
最初、TVで見た時は驚きのあまり高校時代の級友に電話しまくった。

高校時代、ちょっとかわいいなと思っていたこともあった。
僕の友達もだいたいそう思ったり、好きだったりで、昔から美人ではあった。
けど。

テレビで見る真鍋かをりと、僕らが知っていた真鍋かをりは別人のようだ。
なんだかTV慣れしているのか、見たことの無い反応をする。
高校時代の彼女は放送部で受賞歴があって、僕らなんかよりずっと頭が良かった。
が、彼女自身はスカートを翻して階段を二段飛ばしで走るような、
かなり騒がしい人だった。グラビアで見るような憂いなど、
みじんもなかった、はずだ。

化けたな。

沈殿物

なんとなく朝起きて、
なんとなく学校に行って、
なんとなく教授に小言を言われ、
なんとなく電車とバスを乗り継ぎ、
なんとなく府中病院へ行き。

なんもなく診察が終わり、
なんとなく国分寺から中央線。
なんとなく立川HMVを回って、
なんとなくマンガ二冊を買い、
どことなく空虚な気分を抱え帰宅。

帰って「まろ茶120」を一気飲みしたら、腐ってた。

おえーーーーーーーーーー。

ロケーション


友達もメガネキャラが多い。

 

彼女が「ロケーションって言葉が好きだ」と言っていた。
うん、いい言葉だなと思う。「校区外」も彼女の命名で、
ネーミングセンスがあると思う。

ロケーションハンティングしないと。
新作に向けて、というか、まとまった作品を作ったことがないので
処女作になるが、そのためのロケーションをしようと計画している。

 

バイト先の上司が美人だったので、つい似顔絵を描いてしまった。
・・・似てねー。

フィールド拡充


友達のBやんのライヴに行ってきた。

Bやんの誕生日だったので、プレゼントに
マルボロライトをワンカートン買って行った。
ライヴが終わって、出待ちして渡した。

思ったより喜んでくれたので成功。
値上げ前のタバコは価値があるんでしょーかね。
ヨカッタ。

 

想像力のフィールドを拡げたい。
よりエロになりたい、ということでなく。

定期で校区外

生まれて初めて定期を作った。

魔法のカードと言ってもいい。
どこへでもタダで行ける。
ついつい、学校帰りに中野まで行ってしまえる。
新宿で紀伊国屋に寄れる。高円寺でシャツが買える。


見たことはないけど戦後のヤミ市の子みたい。

我は海の子

 

なくしたメモ帳が出てきた。

 

ぎっしり。

気持ちいいなぁ。

入院していたころは空白だらけで、
たまに「○○君お見舞い」と書いてあるだけだった。

 

風神亭で、小林のりお先生と大嶋浩さんとを囲んで飲んだ。

bug trainの永沼敦子さんも来ていたし、多摩美の友人河原隼平も気を吐いてた。

アグレッシブな一日になった。

 

webという海に放り出されて半月が経つ。

確実になりつつあるものがある。

webは使える。

少なくとも写真との相性はいい。

 

さて、今日の予定はやっつけ仕事のアルバイトです。

事故 死

ついさっき、ベランダの向こうから車のぶつかるような音がした。
何事かと思い外に出てみると、タクシーと原付が、
うちの前の交差点でぶつかっていた。

よろよろと路肩に寄せるタクシー。
雨の中、転んだバイクを起こす少年。
幸い、けが人はいなかったようで、
つかの間のギャラリーも慌てることなく
ただただ、傍観者に徹していた。

なんとも呑気な眺めだな、と思った。
それでもバイクは前面が大破し、
少年は何か怒っているように見えた。

死ななかっただけましだと思え。
そう思った。言ってやりたかった。

ここの十字路は、僕が引っ越してから四年間で
幾度と無く事故があった場所だ。魔の十字路。

実際、この角で死んだ人が、僕の知っている限りで二人はいる。
今でも時々、花がたむけられているのを目にする。
ぐちゃぐちゃに凹んだ自動車を見たこともある。
あの運転手は、今も生きているのだろうか。
そういう場所。

 

僕のおじは、僕が生まれる前に交通事故で亡くなった。
僕自身、昨年は電車にはねられそうなところを助けられた。
ひとはいつ死んでもおかしくないし、死ぬほど危険な目にあったことは、
誰にでも一度や二度はあるだろう。使い古された言葉だが、
人は常に死と隣り合わせなのだ。 

だから、バイク少年よ、死ななかっただけでもましだと思え。

加藤事件

忌わしき加藤事件について、書こうと思う。

 

あれは僕がまだ浪人生(19歳)だった頃のことです。
上京して約1か月が経ち、予備校の生活にも慣れた僕は、
昼休みに、一度家に帰ろうとしました。
多分、何か忘れ物でもしたのでしょう。
幸い予備校から歩いて五分ほどのところに住んでいたので、
昼下がりをのんびり歩いていたように記憶しています。

家まであと数メートルのところで、事件は起きました。
見ず知らずの若者が、やぶからぼうに声を掛けてきたのです。

「おい、おまえ加藤の弟だろ?」

僕は人違いをされたんだなと思い、「違いますが」と答えました。
すると、男は眉間に皺をよせ、凄んできたのです。

「加藤の弟だろうがよ?!あん?加藤の弟なんだろうがよ!!」

高校生くらいに見える男は、そう叫ぶなり僕のシャツを掴み、
突然僕を民家の壁に思いっきり押し付けました。

何かものすごく面倒なことに巻き込まれている・・・。

男はかまわず続けました。

「いいから金出せよ、カネ!」
「だから違いますって!・・・僕は・・・僕は伊藤ですっ!!」

微妙でした。

加藤じゃなくて伊藤。

 

我ながら情けない抵抗に、思わず「死」か何か、
そういうものを覚悟しました。

このままではやられてしまう。
しかもその日は、なぜだかまったく分からないのですが、
財布には三万円も入っていたのです。
取られてたまるか・・・。
そう思った僕は、押し付けられた壁の先に見える、あるものに
すべてを懸けました。

 

そう、それはインターホン

一瞬の隙を見て、僕は必死で壁のインターホンを連打しました。
ピンポンピンポンピンポン、ピンポーン。。。。

「どなたぁ〜?」  ・・どたどたどたどた。

何とも間の抜けた主婦の声に、さすがに男も驚いたようで
「ちっ!」
そう吐き捨てて、奴は駅の方へと走ってゆきました。

残された僕も逃げたことは、言うまでもありません。
男への恐怖と、主婦へのうしろめたさというか、なんというか。

 

結果的には、とっさの機転(?)で助かったのですが、
恐さのあまり、その日を境にヒゲを伸ばしはじめました。
加藤の弟対策です。

きっと、立川には僕によく似た「加藤の弟」といういじめられっこが
住んでいるに違いない。ならば、僕はヒゲを生やそう!

名案だと思いました。
しかし、それから数日後、再び僕は別の高校生に絡まれます。
今度は四、五人で。
「加藤の弟なんじゃねーの?」「だよな」「だな」

今度ばかりは睨み返してやりました。
すると、奴等は「・・・違う、かもな・・」とか言って
どこかへ行ってしまいました。
めでたしめでたし。

 

これが、忌わしき加藤事件の詳細である。

昔話と昨日の話

最初の美大受験は惨敗。
浪人時代を立川美術学院(通称・立美)で過ごし、
今の武蔵野美術大学映像学科の自分がいます。

 

ほんと、立美講師の方々には申し訳ないほどさぼってました。
親にも顔向けできないくらい、さぼってました。

さぼって自作自演ビデオを作ったり、写真を撮ったり、
女の子にちょっかいを出してふられたり、美術館に行ったり、
椎名林檎と宇多田ヒカルに会いたい一心で東芝EMIに押し掛けたり、
女の子と朝から弁当作って多摩川でピクニックしたり、
佐内正史とくるりの岸田君のトークを聴きに行ったり、
先輩の浮気疑惑(じゃなくて事実)をもみ消したり、花火見たり。

そういうことで一年が過ぎました。

 

気が付けば偏差値は底辺の35のまま。
偏差値35からの大学受験じゃなくて、偏差値35の大学受験。

そんな僕が武蔵美の受験を終え、立美に帰って最初にやったことは、
なんと英語の勉強でした。遅いっちゅうに。いや、来年のために。

戦友のK君に笑われました。

でも、結果は合格でした。恐いもんです。
英語がどうして通ったのか、未だに謎です。

それ以外は、論文だったり実技はものすごく自信があったので
「これで俺を落としたら武蔵美はバカだ」とか言ってました。
英語の不出来は忘れていました。

でもこういう、立美的には変種の僕は何の参考にもならないどころか
むしろ悪影響なだけなので、新入生用のガイドブックには掲載されませんでした。

 

立美にはほとんど行かなかったけど、立美は好きです。

立美にいなけりゃ受からなかったのも事実だし、
面白い友達にも会えなかったし、ここまで写真好きにはならなかったかもしれません。

ほんと、出会いの場だと思えばいいです。出会い系学校。
実はこのことの方が、合否以上に大切だったりするんだなぁと、しみじみ。

 

問題は課題で、受験が迫ってきた頃は「今日は1位を取ってさっさと帰るぞ!」と言い聞かせた日だけは1番になってました。でも、早く帰らなくてもいい日は「じっくり練るぞ〜」とか思って、低い評価をくらったもんです。なぜか。

短時間が向いてたのかもしれません。だから受験でもささっと出来たのかな。

受験当日の実技試験は、どういうわけか10分くらい余っちゃって、
後ろのS君に話しかけたりしてました。S君はまだ終わってなかったので
相当ウザかったと思います。ごめん。

立美はひとつの財産だと思います。
けど、ほんと課題の点数はひどかった。

一回、先生に「ソレ、捨てた方がいいね」と言われて、
まったくだと思った僕は画用紙を破り捨てました。4点とか。

「五感を全て使って物語を書け」という課題なのに、「聴覚 無し」と
書いて怒られました。ここまでくると馬鹿だな。

 

ま、こういう話はいくらでもあるので、この辺でストップします。

 

ところで昨日も、べーやんと外食。
三日連続です。

チーズフォンデュにオムライスに沖縄風豚の角煮。。。
どれも美味でした。

そもそもは、「エクスペリメントイ」というバンドのライヴを見るために、
渋谷に行ってきたのです。めちゃくちゃかっこよくて、鳥肌が立ちました。
凄かったなぁ。ギターもドラムも、もう壮絶。ため息が出ました。

あんな素敵なバンドを紹介してくれた彼女に感謝です。

眼の人・耳の人

今日もバイト明けに
べーやんこと林部サンと大戸屋でごはんを食べました。
うなぎ茶漬けはおすすめです。

 

そのとき彼女が話してくれたんですが、
人間は「眼の人」と「耳の人」の2種類に分けられるらしい。

例えば、書き言葉と話し言葉のどちらがよりイメージをかき立てられるか?
で、その人が眼の人か耳の人か分かれるらしいのです。

僕は前者です。
べーやんは後者で、やはり仕事で音楽をやってるだけのことは
あるということでしょうか。眼の人は、視覚的イメージの増幅に重きを置き、
耳の人は言うまでもなく聴覚に重きを置くらしいです。

 

面白い例えがあって、
蕪村が眼の人で、芭蕉は耳の人らしいんです。
確かに芭蕉の俳句は音を感じます。蛙だったり水だったり。
残念ながら与謝蕪村はよく知りません(調べてみます)。

 

音というものは、それだけで時間を表すものでもあります。
音が流れるというのは時間が流れるとイコールですから。

対する視覚というのは、瞬間・空間を表すものです。
なので、写真をやっている僕は眼の人ということでもあるのかもしれません。

 

小説とかわりと好きで、電車の中でよく読むんですが、
そういうのもどちらかというと眼の人の方が「得意」らしい。

 

要は、何を起点にイメージを増幅するかということでしょう。

日記

彼女に僕の日記を「闘病日記みたい」と言われた。

確かに、タイトルとか内容がそれっぽいかもしれない。

困った。そんなつもりはないのだが。

 

日記は小1の時から付けていた。

中学に入って、めぞん一刻という漫画の感想を日記に書いたら、
先生の食い付きがよくて、嬉しかったのを今でもよく憶えている。

「今日は5巻を買いました、五代君が骨を折りました」

みたいな。

 

高校に入ってからは、日記が手紙に変わった。

だから手元には残っていない。

手紙を回すのは、高校ならではだった。

浪人時代は手紙から写真になった。

とりとめもなく撮り続けた。吐いて捨てる程撮った。

実際、捨てたりもした。もったいない。

 

そして今、写真がデジタルになろうとしている。

 

もはや廃棄ではなく、消去である。

 

te

 

せめて、webに流そう。

 

辛いことは皆、webに流そう。

みたいな。