ロングショット 〜 本当の人生を映す方法

2013年『ゼロ・グラビティ』、2014年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2015年4月10日 日本公開)で2年連続アカデミー撮影賞を受賞している撮影監督、エマニュエル・ルベツキ(Emmanuel Lubezki)。

彼の最大の特徴は「長回し」。

『バードマン』ではついに全編1カットで撮影したのか?と見まごう長回しが圧倒的な臨場感を与える、と評判です。

あぁ、はやく観たい。

そんなエマニュエル・ルベツキを一躍有名にした作品は『ゼロ・グラビティ』だと思っていましたが、長回しで真っ先に思い出す映画『トゥモロー・ワールド』(原題 Children of Men)も彼の仕事でした。

とにかく、ご覧ください。

 

圧巻です。

この映画で臨場感を呼ぶ最大の要素である「長回し」は画期的な撮影方法に支えられている。以下の4シーンはいずれも1カットの長大な長回しに見えるよう編集されている。詳細は後述。カッコ内は1カットの長さ。

映画冒頭の爆破テロシーン(約51秒)
乗用車襲撃シーン(約4分07秒)
出産シーン(約3分19秒)
終盤の戦闘シーン(約6分16秒)

メイキング映像や「CG WORLD」誌2007年1月号などによれば、これらのシーンは単純にブルー(グリーン)スクリーン前で撮影したものではなく、セットやロケーションで、ステディカムや特殊カメラを使って撮った長時間ショットをベースにしている。

必要に応じ、複数のテイクをコンピュータ処理によって一つのショットにつなぎ合わせてあるが、テイク間の映像の差異を埋め合わせてつなぐ技術(PlaneIt=プレーン・イットと呼ばれるツールを使用)は完成度が高く、つなぎ目がどこかは判別が困難である。

Wikipediaより

 

上手いこと長回し(ロングショット)に見せてたんですね。
一般的に長回しは定点だったり、ステディカムでカメラマンが動ける範囲内で撮影されるものです。ルベツキのカメラはそんな制約を超えてどんどん変わっていくアングルが見どころで、没入感が半端ない。

 

私たちは編集された映像に慣れています。

小さい頃から数々の映像作品を観て育つなかで、カットをつなぎ合わせた映像の文法がしみついている、というのもありますが、そもそも人間は、記憶を都合よく断片的に処理することでたくさんの情報やイメージを蓄積する生き物。前後の文脈を忘れて最も印象的だったカットだけを鮮烈に覚えていたりする。僕らの記憶は編集されたイメージの束であり、とても映像的です。

逆にいえば、カットがかからない映像はそれだけ「見慣れたもの」や「脳の生理」とは異なります。溜めの時間が増せば増すほど緊張感(ストレス)が増幅し、まるでどんどん膨らむ風船がいつか爆発するんじゃないか?という類いの不安が募ります。

はやく句読点を打ってほしい。
はやく息継ぎをさせてほしい。
・・・・ルベツキはそうとうイヤなやつかもしれない。

もちろん、カットバックやフラッシュバックで緊張感を与える手法も古典的に存在するけれど、その方が映像を見る体制の脳にとっては予定調和なのかもしれません。予定調和を突き詰めると「様式美」としての快感が芽生えますが。『エヴァンゲリオン』などはその映像快楽のオンパレードです。

翻って長回しの緊迫する空気感は、映像の文脈ではより“自然むきだしの乱暴さ”のようなものがあり、誰の視点だか分からなくなってくる“主観のない冷徹さ”もあり。

https://youtu.be/cBfsJ7K1VNk

真似してやるとわざとらしさが鼻につくか、単に下手すぎて「ただの長い映像」として飽きられるか。あの、まるで血を吸いにきた蚊のようにまとわりつく視点は、誰にでも出せる効果ではない。

この乗用車襲撃シーンは、最後にカメラは自動車から出て道にたたずみ、走り去る車を見届けます。どうやって撮ってるんだろう?と気になるのは2回目以降で、初見では立て続けに起こる事件に気を取られてルベツキのマジックに気づかない。気がついたら道の真ん中に放り出されている。警察の死体とともに。

・・・・それって最高の演出じゃないか。

そんな「長回し」が素晴らしい映画をTOP12(なぜ12?)で紹介する動画があったので最後に貼り付けておきます。

考えてみれば、僕たちの人生は未編集のロングショットが平均80年つづく1本の映画です。
ところが脳は記憶を都合よく断片的に「編集」するので、思い出される日々は長回しではない。

唯一、死に直面したときだけ目の前の光景がスローモーションになって、あらゆるディテールごと覚えていることがあります。

ルベツキの長回しには、死の淵に立った人間が見る解像度があるように思えてなりません。

これならSkipされない?!アイデアYouTube広告

かなりベタなタイトルをつけてみました。

最近すっかり『幕が上がる』宣伝Blogと化したなんて書きましたが、たまには広告の話も。

YouTubeを前提に作られたCM2種をご紹介します。まずはひとつめ。

 

メルセデス AMG GT Sはたった3.8秒で時速100kmに到達する。

 

その類い希なるハイパフォーマンスをそのまま3.8秒で体現したってわけ。

もう時速200kmに到達。

 

 

さらに時速300kmへ。

 

 

そしてこのコピーを読む瞬間に
最高速度・時速310kmにまで達する、
メルセデス AMG GT S。

 

 

正真正銘、リアルタイムな実証広告でした。

 

もうひとつ。

YouTubeのプレロール広告(5秒間はSkipできないCM)を上手く使ったコマーシャル。

 

http://youtu.be/pvcj9xptNOQ

 

アメリカのホームドラマ風な超ベタなシーンから、画が止まってナレーションが重なる超ベタなコマーシャル・・・・

に見せかけて、実は役者たちががんばって一時停止のフリをしているだけ。という違和感に途中から気づくと(ていうか最初から気づくんだけど)、ついつい5秒どころか最後まで見てしまう自動車保険会社 GEICOの広告。

 

http://youtu.be/8Dvx060Rx3g

 

おバカですね。

 

http://youtu.be/Xmzm1JCOqtU

 

http://youtu.be/vSpGEjdIN1Y

 

メルセデスAMGもGEICOも、YouTubeの特性を押さえたアイデアが秀逸です。ラジオCMっぽい実験的な楽しさがあって好き。

 

さ、今日から、映画『幕が上がる』に挑むももいろクローバーZを追ったドキュメンタリー映画『幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦』が公開ですよ!(宣伝)

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映画は繰り返し観るほどに自分を映す鏡へ

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会社の後輩(しおりんを崇拝する女)がついに一線を越えました。
抱き枕がどうのこうの。

 

このBlog、本や映画や展覧会の感想やら、広告の話やら、日々の出来事やらをだらだらとつづる日記だったのが、ここへ来てすっかり『幕が上がる』宣伝Blogと化しました。もう4回観ました。と言っても会社の後輩や夏菜子推しのディベロッパーさんは6枚とか10枚とか前売りチケットを持ってるので、僕なんてただの平社員です。

 

そんな“一線を越えた”ノフ社員の後輩とレイトショーの映画館を出て、劇中に主人公「さおり」たち演劇部が見上げる新宿西口の高層ビル群まで歩きました。てっぺん越えてたからか、映画のような煌めく摩天楼ではなかったけれど、この映画がすでに日常に組み込まれている今の日々を実感。それはなかなか特殊な体験で、仕事帰りに観る度に(と言ってもその見方はまだ2回だけど)自分の人生や将来像に照らし合わせて考え込んでしまいます。

 

ここからはネタバレありで書きます。

 

映画に限らずあらゆる「物語」に出てくる登場人物たちは何か「困難」にぶち当たって、それをどう「解決」あるいは「納得」していくか?という「成長」を見せてくれるものですが、でも成長の手前から圧倒的な能力をすでに持ってんじゃん、と思わせる「実力」が彼らには備わっていることが多いです。

たとえば吉岡先生は「学生演劇の女王」と呼ばれていたほどの圧倒的実力者。だから東京の劇団から嘱望され、先へと進められる。弱小演劇部の「さおり」(夏菜子)たちは経験も実力も乏しかったはずだけど、先生の指導や強豪校からの転校生「中西さん」(杏果)との出会いをきっかけにどんどん上手くなっていく。

原作ではこんな描写があります。

「演技なんて、そんなに上手くならないよ」
というのが吉岡先生の口癖だった。だから構成とか、一人ひとりの個性を生かす方が大事なんだと言う。たしかにアドリブは、上手い子はとにかく上手いし、下手な子は何度やっても、やっぱりなかなか上達しない。でも構成を考えながら進めていって、あと吉岡先生のアドバイスを受けると、一年生でもなんだかそれらしく見えてくる。演技が取り立てて上手くなったわけじゃないけど、役がはまるって感じかな。でも、それで自信がつくと、一年生とかは本当に伸びる、ぐんぐん。

(原作より)

そう、実はみんなそれなりにポテンシャルは持っている。

その力を自ら実感できるようになってきてチームワークも高まっていくシーンが美しく清々しいのですが、4回も観てると

「自分は吉岡先生みたいに誰かに喉から手が出るほど欲してもらえる日が来るんだろうか

とか

「そこまで望まれるほどの人間にならんと自分が行きたいところへも行けないよなぁ」

とか

「さおりの周囲と寄り添う丁寧な演技指導は時間がかかる方法だけど理想的だなぁ。彼女は演出家の能力を持ってたんだなぁ。つまり観察力が鋭敏な子なんだな。それを見抜いた吉岡先生もまた観察力の長けた人だなぁ」

「俺にその能力はあるか?」

とかとか、作品と自分自身とを反復させながら観るようになって、そうやって身につまされていく(あーツライ!)先にれにちゃん演じる「がるる」の安心感・・・・。もうおっさんなので、自己投影すべきは高校生たちじゃなくて吉岡先生なのですが。

 

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この映画はいつの間にか自分を映す鏡になっていました。スクリーンで輝く彼女たちに比べれば小さな「等身大の自分」に帰ったとき、ちょっと熱くなっている自分に気づきます。

「私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける。」

僕は僕の舞台で、宇宙の端まで行ける力をつけねば。

 

(c) 平田オリザ・講談社 / フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

バッチリかと!の「かと!」って何かと。

広告業界でよく使われる「バッチリかと!」。

主にデザイナーさんから来たデザイン修正や文言修正の確認時に「こりゃ問題ないわ」と思った営業さんや僕らディレクターが「いいね!」を押す感覚で用いがちです。心の親指立ってます。

僕もよく使いますが、

「バッチリ」と太鼓判を押した直後の「かと!」って、一体何?

むしろ「かと!」の方に力を込めて言う営業さん、「バッチリです!」じゃないんだよね・・・?と聞いてみたくなりました。「かと!」には、スポーツ新聞の「離婚 か!?」みたいな、「十中八九 離婚するんだろうけど裏取りは不十分だよ」という弱々しさを読み取らずにはいられません。

そういう自分もたった今「バッチリかと!」とデザイナーさんに返信したのですが、「バッチリかな?!どうかな?」、「俺はバッチリだと思うけど先方は何て言うかな?」、「バッチリの語源って何なんだろうね?」、「バッチリと鉄ちりって似てるよね」、「この冬は鍋やらなかったな」という気持ちを込めて送信しています。

2.20 さぬきで『幕が上がる』

2月28日、いよいよ映画『幕が上がる』が公開されました。

その約一週間前、本広克行監督の地元・香川県で開かれた「さぬき映画祭」のライヴ&トークつき特別先行上映に参加。四国八十八カ所だけあって、高松駅に降り立つと、お遍路さんとモノノフさんが入り乱れる不思議な光景が広がっていました。どっちも巡礼という意味では同じか。

すこし時間が経ってしまったので、そのときの興奮を書き殴ったFacebookの投稿をここにも残しておきます。

今日ほど心があっちこっちにバウンドした日はありません。生きてるって楽しいね。自分の目指す夢がクッキリと見えた日でもありました。この人たちみたいなでっかいことがしたい、走りたい。有言実行と行きたいところだけど、具体的な言葉にするのは自分の中だけにとどめておきます。

ふたつほど、具体的なことを。

映画『幕が上がる』のエンドロールでももクロの新曲「青春賦」が流れたとき、スクリーン前の奈落からメンバーがゆっくりと出てきて、エンドロールに合わせて歌ってくれました。作品の衣装姿で。

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これって最近話題になってたディズニーの影絵のやつみたい!
まるで映画の中からキャラクターたちが飛び出てきたみたいで、とっても素敵なサプライズ演出でした。これが佐々木敦規さんの真骨頂。こういうまっすぐな企画を実行に移せる人間になりたいって、目を潤ませながら思いました。劇中で「吉岡先生」の演技を見て引き込まれた「さおり」も同じような衝撃を受けてたのかな。

もうひとつは、初めて

出待ち

というものをしました。

ファンが詰めかけた歩道から先に出ないようにと用意されたロープは、最初、道路に置かれたままになってて。地元の若い警備スタッフさんが「このロープから出ないでください」と説明してくれたんだけど、その後にやってきた黒スーツで強面の警備員(言葉のトーンからして、おそらくももクロの随行スタッフ)がバリトンボイスで一喝。

「やるならちゃんとやりましょう。ロープを張るなら張る!張らないなら張らない!モノノフさんたち、みんないい人ですから。自分たちでロープ持ってくれますから。ね?」

顔もガタイもロン・パールマンにソックリ
顔もガタイもロン・パールマンにソックリ

なんという人心掌握術。ずるい。
みんな大慌てで足下のロープを持ちました。

自分たちが一線を越えないためのロープを、自分たちで持つ。
ずいぶん滑稽な姿に笑っちゃう。でもこの待ち時間、幸せ。

完全に飼い慣らされた犬状態で待つこと20分、反対側の歩道に出てきたももクロちゃんは本当にかわいかった・・・・というよりも芸能人のオーラを纏った(ように見えた)夏菜子、しおりん、あーりんに戸惑い、荷物を道路に置いて手を振ってくれる杏果、ニヤニヤが止まらない猫背のれにちゃんに安堵。こんなにも近いのに何万光年も遠くに感じられる道幅はまるで天の川のようで。カンパネルラはこの川に飛び込みそうになる衝動を抑えるのに必死でした。

いや、夏菜子もしおりんもあーりんもすっごく丁寧に挨拶してくれて、ゼットもやってくれて感無量だんだけど、びっくりするほど大人に見えたんだよなぁ。さっきまで映画で観てたあの無邪気さとはまるで違うオーラがあった。夜遅くに近隣マンションの迷惑にならないようにささやき声だったから余計にそう見えたのかも。

さぬき映画祭、いろんな意味で最高でした。ありがとうございました。凄いものを観ると落ち込みますが、明日からもがんばれそうです。

 

* * *

 

3月1日、新宿バルト9で三度目の鑑賞をしました。

銀座の東映さんでの試写会、さぬき映画祭での上映、どちらも大スクリーン・大音響での映画体験とは言えません。

一度目はモノノフフィルターがあらゆる小ネタに反応してニヤニヤしっぱなし。そして五人の演技力に心底感動&安心し、公開の1ヶ月以上前だったこともあり、いち早くこの安堵感を世に送り届けねば!と思ってBlogにレビューをしたためました。二度目のさぬきはエンドロールの登場→上映後のライヴ&トーク→出待ち→おいしいうどんと地魚で超贅沢なイベント。だから三度目の映画館がいちばん素直に映画として楽しめた。

「人は、宇宙でたったひとりだよ」
「でも、ここにいるのはふたりだよ」

もはや小ネタはもうちょい抑えてもよかったんじゃない?と思えるほど、冷静に観られた。
やっと映画として成仏(?)してくれた三度目のスクリーン体験でした。
初めて観る人にはこれがデフォで、あんまり身構えたり先入観を持ったりせずに観てほしいと思います。そういう意味で、僕(モノノフ)の感想は書けば書くほどプロモーションの邪魔をしているというジレンマ。

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幕が上がる』、公開中です。

(c) 平田オリザ・講談社 / フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

 

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閲覧注意 水曜日のカンパネラ「オトトイの地下室 vol.2」

2015年ブレイク必至という括りの記事には必ず出るようになってきた「水曜日のカンパネラ」主宰のイベント「オトトイの地下室 vol.2」に行ってきました。

「1曲目はいきなりカバーです」

 

ポンキッキを思い出す。

 

昨年秋からツアーで全国を回っているからか、もともと圧巻だったLIVEパフォーマンスは磨きがかかっていて、世界観を楽しむPVとはまた違った「生コムアイ」を存分に堪能できました。

出演:
【音楽】Vampillia、Omodaka、水曜日のカンパネラ
【解体】鹿
【居住】ぼく脳
【活弁】山田広野
【非存在】乞食ガールズ
【DJ】D.J.Kuroki Kouichi(Booty Tune / 肉マスター)

ゲーム機でパフォーマンスするOmodakaさん、初めて観たけどかっこよかった。

注目はやはり【解体】鹿。

コムアイちゃんが習得中という鹿の解体を、“師匠”のサノさんと一緒に舞台上で披露します。

「血とか苦手な方は奥の方で休んでてください」というアナウンスの後に出てきたのは、1歳とも3歳とも紹介されていた「若い鹿さん」のご遺体。これを、“師匠”というから森繁久弥みたいなおじいちゃんかと思ったらトークスキル高めのイケメン・サノさんとコムアイちゃんが実に手際よく、文字通り解体していきます。

 

 

ここからは、グロ注意。
血とか苦手な方は奥の方で休んでてください。

 

 

猟のあるある話や肉の部位について語ってくれるサノ師匠。
猟のあるある話や肉の部位について語ってくれるサノ師匠。

「鹿って、僕のいる山梨や長野あたりだと、増えすぎて『害獣』なんです」

「罠にかかった鹿と猟銃で撃ち殺された鹿とだったら、猟銃の方がおいしいです。罠って、かかってから24時間後とか、けっこう時間が経ってから回収されるから、その間に鹿が暴れてストレスがかかっちゃうんだよね。だからレバーにまだら模様が出て、おいしくない。ストレスが肝臓にたまるんだよね。銃だと即死だからストレスもかかってないし、新鮮なんだ」

「猟銃の弾は肉を突き破る間に広がっていくから、体に入ったときの穴よりも貫通して出て行ったときの穴の方が大きくなります」

「これがロース」

「鹿の革って毛が簡単に抜けちゃうから、なめして使うんだよ」

「肉自体ににおいはないんだけど、調理するとラム肉みたいなにおいが出る」

「みすじ ってこんなに少量しか取れないんです」

「猟に出ると鹿も命がけだけど、猟師さんも命がけ」

「若い鹿の角って枝分かれしてなくて鬼の角みたくまっすぐだから、そいつが突進してくると致命傷になる。僕の知り合いの猟師さんとこの猟犬が角にやられて、そのときはまだ生きてたんだけど、何日かして死んじゃった」

「猪の肉は脂の融点が低いから、解体してたら手の熱でドロドロに溶けていくんだけど、鹿はぜんぜんだね」

へー。
へー!
へー!!

新宿歌舞伎町の地下室で披露されるサノさんのよどみない大自然トークに気を取られていたら、いつの間にか「動物」から「肉」へと変貌していた鹿さん。

 

食べられる箇所を丁寧に切り分けてゆく。
食べられる箇所を丁寧に切り分けてゆく。

 

「シシ神の首をお返ししろ!」
「シシ神の首をお返ししろ!」(そんな台詞はない)

 

牛タンとかのタン(舌)って、喉の方から引っこ抜くんです。死んだ動物の口ってなかなか開かないから。とレクチャーしてくれる師匠。
牛タンとかのタンって、喉の方から引っこ抜くんです。死んだ動物の口ってなかなか開かないから。とレクチャーしてくれる師匠。

 

見世物小屋的な雰囲気も漂う新宿LOFTではありましたが、僕は食育を受けている気分で、すごく楽しかった。

別の命をつむぐために命が亡きものにされ肉の塊となり加工されて食材となり料理として人々の口に入っていく。

目の前の鹿さんだけでなくマクドナルドのハンバーガーひとつ、吉野家の牛丼一杯にもこのやりとりがどこかで24時間延々と行われているんだなーと思いを巡らせたり、

中学時代に友達と鶏の首を斬って友達のおばあちゃんに庭先で解体してもらったときに鶏の胃からトウモロコシが散らばった20年前の光景を思い出したり、

なかなか得がたい体験をなんで水曜日のカンパネラのLIVEでしてるんだ?と我に返ったり。

 

僕の受け止め方でしかないけれど、水曜日のカンパネラ=コムアイちゃんの破天荒かつ計算されたパフォーマンスの魅力は「生」。横たわる鹿さんも究極の「生」。そこを隔てるものはなくて、これが「オトトイの地下室」。変に命の尊さみたいなお説教くさい話にもならず、獣くささもさほどなく、ただただ目の前にある生ものが、美しくもあり、愛おしくもあり、見ていて楽しい。そう感じさせてくれるのは日頃からガチで自然と接している師匠のトークスキルと人柄によるものだなぁ、そんな人(と鹿さん)をLIVEに引っ張ってきたコムアイちゃんはどこまでもすげーなぁ、と感服しました。

閉鎖された空間の中で通じ合える人同士で生まれるグルーヴ感を、Blogという誰にも開かれた場で紹介するために取って付けた文章ではありますが、素直にそう思いました。

 

背景のドラムセットがシュール。
背景のドラムセットがシュール。

 

鹿さんに思いを馳せつつ、夜は「ねぎし」で牛タン食べました。

次回は3月29日(日)、初のワンマンLIVE「鬼ヶ島の逆襲」!

 

そういえば『桃太郎』のPVでも鹿さん出てくる。

 

 

個人的には『ジャンヌダルク』も聴きたかった。
3月を楽しみにしています。

 

 

スーパードライのCMになりそう。
スーパードライのCMになりそう。

 

お礼が言いたくなるLIVEだったよ。
水曜日のカンパネラさん、師匠、鹿さん、ありがとうございました。

ファミリーよ永遠なれ。- アイドルファンの呼称にまつわる考察

午前3時の串焼き屋。

♠「松潤と井上真央が結婚するってニュースでAさん落ち込んでたよ」

♡「あらかわいそう。これからどうするのかしら?」

♠「俺足族として生きていく!ってさ」

♡「あぁ、藤ヶ谷くん推しなんだっけ?」

♠「北山くんも好きみたいよ。それにしてもKis-My-Ft2のファンの呼び名が俺足族っていつ聞いても秀逸で笑っちゃうんだけど、アイドルファンに名前をつけるのって、何なんだろうね」

♡「NEWSのパーナさんとか?最近はパーナさん事件のせいか、KAGUYAって呼ぶけどね。びっくりだよ、こないだまで自分のことパーナさんだと思ってたのにメンバーから“KAGUYAのみんな!”って言われた日にゃ。私はKAGUYAだったんだよ。よろしく!」

♠「パーナさんってチャンカパーナって歌のタイトルからできたんだっけ?そのネーミングセンスもすごいけど、KAGUYAもなかなか」

♡「KAT‐TUNファンはハイフンって言うし、関ジャニ∞はエイター。タッキー&翼ファンは安藤さん」

♠「安藤さん?」

♡「タッキー アンド 翼で、安藤」

♠「へえ‥‥。嵐ファンをアラシックって呼ぶのは聞いたことある。Aさん‥‥アラシックから俺足族へ転向ってことかぁ」

♡「そんな単純なことじゃない。そっとしときな」

♠「やっぱ呼び名があるとファンとしての自覚?が高まるよね」

♡「あなたの“モノノフ”も」

♠「うん、ももクロのLIVEだとメンバー紹介のあとに、6人目のメンバーとしてモノノフが紹介されるからね。俺らが呼ばれた!っていう瞬間の雄叫びは毎回すごい。あと、モノノフって言葉があるから成り立つ関係とか会話とか、この4文字があるおかげでものすごい広がる。玉井詩織さん推しならタマノフ、あーりん推しならプニノフ。他の女性アイドルだと、Berryz工房は‥‥」

♡「ベリヲタじゃない?」

♠「でもそれはBerryzのみんなからは呼び掛けないでしょう?」

♡「そうね。℃-uteはチーム℃-ute」

♠「ちょっと長いけどかわいいね。Especiaはペシストだな」

♡「誰それ?」

♠「話せば長くなるけど大阪出身の」

♡「スマイレージはスマイレージファミリーって呼ばれてたけど、アンジュルムに改名しちゃったからなぁ」

♠「モー娘。はないの?父兄、とかイブニング親父。とか」

♡「それは浜村淳だ」

♠「スマイレージファミリーってストレートでいいね。長いからLIVEで煽りづらそうだけど。私立恵比寿中学もエビ中ファミリーだ」

♡「やっぱこういうのって、結束力を保つためのものでしょう?マフィアみたいな。だからファミリーなんじゃない?ドン・コルレオーネ一家とか。ファミリーに忠誠を誓うってやつ」

godfather

♠「あ、ふつうの家族じゃなくて、そっち?」

♡「橋田壽賀子ファミリーとか」

♠「なるほど。でも、これってアイドル独特だよねえ」

♡「そうでもないよ。ドン・コルレオーネ一家はアイドルじゃない」

♠「じゃなくて」

♡「昔から吉永小百合のファンはサユリストって言うし、村上春樹ファンはハルキストでしょ。LUNA SEAのファンはSLAVEだよ」

♠「SLAVE‥‥奴隷?!」

♡「RYUICHIのファンはRYUスレ。サカナクションのファンは魚民って呼ぶのは本当なんだろうか。THE ALFEE中毒でアル中とか、いいよね」

♠「は〜‥‥独自すぎるわ。共通語をつくることが結束力になってるんだね。大事だな!」

♡「名前はラベリングだからね。命名って、まさに命が宿るよ」

♠「我々は生かされているんだね、モノノフという名前を得ることで」

♡「パーナさん、じゃなかったKAGUYAとして」

乾杯。

『幕が上がる』原作を読んで映画を振り返ると2度おいしい。

先日レビューを書いた映画『幕が上がる』の原作小説を読み終え、すがすがしい余韻に浸っているところです。たしかにこれを読めば登場人物たちをももクロに当てはめた本広克行監督の“発見”もごくごく自然なことだったと分かります。当て書きなんじゃないの?って思う。思うよこれは監督。

当たり前っちゃあ当たり前ですが、原作では、演劇部を急激にレベルアップしてくれた元学生演劇の女王・吉岡先生に対する主人公・さおりの気持ちが映画以上に克明に描かれていて、さおりが何を考え、行動したかがより分かりやすくなっています。

映画は2時間という制約があるので、どうしても心理描写を端折ったり濃縮したりしなきゃいけない。それを思うと、原作の持ち味を損なうことなく2時間の物語に収めた喜安さんの脚本に感服。

小説は、さおりの細やかな視点を百田夏菜子さんで脳内再生するのが楽しくて楽しくて、そうとうに贅沢なディレクターズ・カット版を観たような満足感がありました。

 

会社帰り、明治神宮前を歩きながら読んでいたら小説の舞台も明治神宮でテンションが上がる。
会社帰り、明治神宮前を歩きながら読んでいたら小説の舞台も明治神宮でテンションが上がる。

 

中学時代ほど自由闊達に夢を追い続けにくくなってくる高校生という季節。部活に情熱を注ぎながらも進路を考えなければいけない3年生のふつうの女の子が、それでも部活の先に見た夢に向かって駆け抜ける。原作者が劇作家の平田オリザさんだからこそ、平田さんの人間観察と演技指導の流儀が作品から見えてきて、キャラクターの魅力が増幅されてゆく。スーパーポジティブでもスーパーネガティブでもない“平熱”からすこしずつ上昇する物語は、平田さんの提唱される「現代口語演劇」そのもの。

いま売られている雑誌『FLIX』の中で、平田オリザさんはこう語っています。

「小説を出したとき、登場人物が良い子ばかりだという指摘もあったけれど、僕は主人公のトラウマ設定とかが好きじゃないんです。今の物語ってそんなのばっかりじゃないですか。どうもお手軽に思えて、この小説はそういう設定や展開は一切なしで書いてみようと決めた。実際に、演劇をやっている子たちを指導しても、本当にみんな良い子たちで、そりゃ悩みも抱えているけれど、それを虐待とかいじめの社会問題につなげたくはない。そのこだわりは映画にも活かしてもらえましたね」

(別冊FLIX 3月号より)

トラウマを描かずにドラマをつくるって、いちばん難しいことなんじゃないか。

映画の公開は今月末からですが、先に原作を読んでみてもいいかもしれません。平田さんはご自身のBlogか何かでその順をオススメされていました。平田オリザさん、信じられる。

 

昨年観たのは三谷幸喜さんの『紫式部ダイアリー』1本と、しばらく足が遠のいていた演劇に再び興味が沸いてきたので、平田さん主宰の青年団若手公演『南へ』のチケットを買ってみました。楽しみ。

刀田さん、編集者って何ですか?

「編集者って何ですか?」というストレートな問いかけのスライドが壁に映し出された、2014年師走のTCC(東京コピーライターズクラブ)クラブハウス。

この日はコピーライターの師匠、中村禎さん主宰の「アイベヤ別館」としてセミナーみたいな懇親会みたいな催しが開かれた。ゲストは『宣伝会議』副編集長の刀田聡子(とだ さとこ)さん。1980年うまれ、僕と同い年。

刀田さんは2006年に僕が宣伝会議賞でノミネートされた際に、会社に報告と贈賞式の案内の電話してくれた方で、特徴的な名字だったので今でも記憶しています。

で、刀田さん、「編集者って何ですか?」
以下、現場のメモ書きより。

* * *

編集者とは「世の中に存在させること」。

名刺1枚で人に会える仕事。

出版の世界ではAERAの『現代の肖像』が人物インタビューの最高峰といわれる。相手の過去から現在、周辺人物への取材まで丁寧に追っている。

 

人物インタビューとは?

→人をひとつの建物のように考える。

私には、魅力的な人はフランク・ロイド・ライトのようなユニークな形の建物のように見える。建物の構造を外から内から把握していく。

インタビューで聞きたいことの大枠
・モチベーション
・そのきっかけとなる過去の出来事
・今やっていること
・現時点の成果、実力
・これから実現したいこと

 

原稿はカメラワーク(線的なもの)

原稿や言葉はタイムラインをもった線的なものだから、建物のように理解した立体構造を線的な言葉に置き換える。つまり、どのアングル、どの順序で切り取っていくか。魅力的に伝わる順番、理解しやすいスピード、印象的な切り取り方、リアリティのある描写。

大事なのは、「聞いたこと」ではなく「理解したこと」を書くこと。聞いたことだけを文字おこしするだけなら、私がいる意味が無い。

 

トークショー、対談、座談会などをまとめる時のコツ

→ハイライトのシーンを抜き出して、繋ぐ。
→いちばん面白い部分にストレス無くアクセスできるように。

「つい、しゃべらされちゃった」
「こんなこと、きょう初めて考えたよ」
と取材相手に言われること。

録音はするけど、テープ起こしからではなく、取材ノートから書いてみる。
ノートにメモしている時点で編集は始まっている。大事なエッセンスから拾えるから効率がいいし結果的に濃密になる。

インタビューは1時間1本勝負。
1時間を過ぎると、人は話がループしはじめる。

 

インタビューしてみたい人

本屋の新刊をチェックして面白い人を見つける。それは半ば習慣。あと、書店の本のタイトルからキーワードが浮かんでくる。本の9割はタイトルで(売れる売れないが)決まる。

 

『宣伝会議』における、編集者に求められること

★人に好かれること。

取材対象が抱く3つの気持ちに応える。

・話をしていい人か?「どうぞ!」→ 信頼を得る
・俺のこと理解してるか?「もちろん!」→ 事前の下調べをする
・俺の話、面白い?「とっても!」→ 安心感を与える

 

Q:「盛り上がらない対談はどうしますか?」
→盛り上がらなくてもいいんです。

それは考えながら話してくれているから。静かでぼそぼそ話していることに面白いネタがあることは多い。「面白いですよ!」という態度で聞く。安堵してもらう。

お酒を飲んでいるときの話は、話と話の間が飛ぶ。だから後で記事化するときにあまりいい原稿にならない。それを良しとする、味とするインタビューや雑誌もあるけれど。『宣伝会議』編集部に求められる気質は「真面目」。

* * *

 

「インタビューは1時間を超えると同じ話のループに陥ってくる」というのは分かる!
「話が盛り上がらなくてもいいんです」というのも、いいなぁ。傾聴するってことだな。

12人という少人数での催しだったため、いくつも質問させてもらい、やはり雑誌に限らず書物とは編集者個人の性格がにじみ出るメディアだなと実感。宣伝会議さん的には求められる気質が真面目というのも納得。

3年前に伺った佐渡島庸平さんのお話や『BRUTUS』西田編集長のお話などを思い出しながら、やっぱり編集者ってフィールドがあまりにも広くて面白い。

「世の中に存在させること」のノウハウを惜しげもなく棚卸ししてくださった刀田さん、素敵な機会を与えてくださった禎さん、ありがとうございました。

言ってりゃなんとかなる2015

案の定、帰省中は弟と母のみならず伯母からも

「ももクロのどこがいいん?」
「見た目ふつーじゃない?」
「逆にふつーがいいってこと?」
「わからんわー」

と総攻撃を食らい、昨年最後に書いたエントリーの通りになってしまったのだが、職場でも「ピンクは丸すぎないか?」と社長からストレートに問われる一年だったのでここでもノーコメントを貫き通す。どこがいいかを語り出したら止まらないけど、質問を受けているにも関わらずその回答にはまったく需要がないことも知っているので答えない。

いまはただ、インフルエンザで紅白を欠場になってしまった有安杏果の新年最初のBlogエントリーに涙し、紅白直後の24時間Ustreamであーりんママからのメールに露骨な苛立ちを見せたあーりんの人間味あふれる態度が新年早々見られたことにニヤニヤするばかりである。

 

「彩夏にこれ以上食べるなと言ってください。太るよ。あーりんママより」

 

2014年は、自分の「好き」を公言してはばからないことで世界が広がることを学んだ一年でした。

大好きなラーメンズのコントのセリフで

「言ってりゃなんとかなる!・・・・ほら、お前も言ってみ?言ってりゃなんとかなる!言ってりゃなんとかなる!言ってりゃなんとかなる!」

というのがあるのですが、まさに、言ってりゃ誰かが気に掛けてくれて世界が広がる。そのことを僕なんかよりもアクティブに実行しているのが妻で、彼女を見ていると日本でいちばん元気なのは韓流スターや宝塚や歌舞伎スターたちを追いかけるおばちゃん軍団だというのもよくわかります。

「私もいつかサブちゃんの良さがわかる時がくるのかしら」
くるね。

「江戸時代に生まれてたら絶対に写楽の浮世絵集めてたよね」
だね。

 

一月四日の夜、夫婦で「こんなにもお互いに好きなことばっかりしてていいんだろうか?」という話をおそらく初めて真面目に話し合いました。こういうところから、2015年は徐々に始まっているんだと思います。

それぞれに好きなことをひたすら追求するだけじゃなくて、蓄えもつくらなきゃいけないし、できればもうすこし家族っぽい編成にもなりたいし、夫なのに「同居人のおじさん」と言われることからも脱したいし、互いにソロ活動じゃなくてコンビで地方巡業じゃなかった旅行にも行きたいし。

・・・・と、パーソナルなことに目を向ける一年にしたいと思っています。あまりにも目を向けてこなかったから。

まあ、言ってりゃなんとかなる!

mcz

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

2014年の帰省タイム

帰省の時間が迫ってる。
それぞれの実家へ帰る私たち夫婦は変わっていると言われる。

昨日はEspeciaというメジャーデビューが決まったばかりのアイドルグループの出るLIVEイベントに行って握手会とツーショット撮影。これまで参加したことのある握手会は渋谷で遭遇した『きゃりーぱみゅぱみゅ』と先月の『水曜日のカンパネラ』コムアイちゃんだけという遍歴もいいところだったが、ガチのアイドルとの握手会はさすがに緊張して上手く話せなかった。

メジャーデビューが楽しみなEspecia。
メジャーデビューが楽しみなEspecia。

 

それでもリーダーの悠香(はるか)ちゃんはTwitterでEspeciaの話題をFavoってくれるのでダメ元でアカウントのアイコンを見せたら「あー!知ってる!!」と言ってくれて、屈託のない笑顔がまぶしくて、なんというかその場で液化か蒸発か、ともかく固体でいることが危うくなるほど嬉しかった。これが握手会の魔力なのね・・・・。

たまたま現場で出くわしたSCRAP吉村さんに写真を見せてニヤニヤしてたが、Especia談義もももクロ談義もそこそこにその日のイベントは終了。家に帰ってもツーショット写真を開いて夢のような出来事を反芻していた、

が、

あとから帰宅した妻に新日本プロレスのオカダ・カズチカ選手とのツーショット写真を見せられ、自分のiPhoneをそっと仕舞った。

なぜか今年突然プロレスに目覚めた彼女は、100年に一人の逸材・棚橋弘至にはじまり中邑真輔、飯伏幸太、そして数時間前に撮ってもらったというオカダ・カズチカとツーショット撮影を決めてすっかりプロレス大好きおばさんになった。ジャニヲタでもあるから秋は『Hey! Say! JUMP』の横浜アリーナ公演と両国国技館(プロレス)とをハシゴして「盆と正月がいっぺんに来たよう」とか「盆と正月がいっぺんに終わった」とか言っていた。ドル誌(ジャニーズ系アイドル雑誌のこと)と週刊プロレスがならぶ居間にも慣れた。

イッテンヨンが楽しみな新日。
イッテンヨンが楽しみな新日。

 

目の前の妻は191cmのオカダがいかに巨体だったかを生き生きと語り出し、まるで黒船を見た坂本龍馬のように止まらない。そんな人を前に悠香ちょがいかに華奢でかわいかったかを語ることなどできるはずもなく。それでなくても語れる勇気はないけれど。

帰省の時間が迫ってる。

 

紅白が楽しみなももクロ。
紅白が楽しみなももクロ。

 

今年も紅白で「ももクロ」にかじりついて見る長男(僕)を次男はまるでそれが仕事であるかのように徹底的にバカにして、母は不思議なものを見るような目で「これが好きなん?」と聞いてくるだろう。せめて妻がいれば弁護してくれるかと思いきや傷口を広げる証言を披露することも明白。むしろその方が楽で、ひとりであしらうのは面倒で疲れる。口の悪い弟と妻との結託は手厳しいけれど的確で楽しい。一緒に帰省できなくて残念な点があるとすれば、あの二人のめおと・・・・ではなかった、漫才が見られない点。今年はプロレス話も加わってさらにカオスになっていただろう。

お正月というのは帰省してダラダラして、親のいる家で親のつくる雑煮を食べるためにあるんだと思う。そのためには多少太ってもしょうがないし、自堕落になってもしょうがない。それが田舎を離れた者の仕事だと思う。

妻には妻の、僕には僕の仕事がある。そんなことを言っていられるのは自分たちに子どもがいないからだが、もしいたら帰省先はどちらかに絞られ、ツーショット写真の相手も“我が子”に代わるのだろうか。「孫の顔を見せる」ことが仕事になるのか。握手会で溶けそうになる自分にはまだ想像もつかない。いい歳だけど。

 

さっき九州へ帰る妻を玄関で見送った。「よいお年を」。飛行機のチケットが冷蔵庫に貼られたまま出ていくあの人を呼び止めて、もう一度「よいお年を」と言い直して大掃除に戻る。
僕は明日帰ります。

小霜和也『コピー1本で100万円請求するためのセミナー』

渋谷のタワレコで「水曜日のカンパネラ」のインストアLIVEを観た後、コピーライター・小霜和也さんの新刊『ここらで広告コピーの本当の話をします。』出版記念【コピー1本で100万円請求するためのセミナー】に行ってきました。

書籍は発売されてすぐに一気に読破しました。

いつだって「広告制作は自己表現じゃない、発注主の抱える問題にこたえるためにある」なんてわかっているつもりだけど、ここまでひとつひとつの思考プロセスが体系立てて書かれると、はたして自分はどうなのか見直さざるを得ない。ページをめくるたびに身の引き締まる思い&目から鱗で、ときどき死にたくなるほど悶絶させられる名著でした。

そんな本を携えて入った青山会館は250人のお客さんでぎっしり。
会場でマイク片手に「コピーで100万円欲しいかー!」と拳を突き上げる小霜さんに、250人の戸惑いがちな「お、おーっ!」。どう見てもネズミ講っぽいタイトルですいません、という挨拶からはじまったセミナーは、A4ノートに8ページものメモになりました。

* * *

1:マネースクープ・・・・コピーライターのお金のぶっちゃけ話

昔は、コピー1本1,000万円と言われていた。もちろん1本書いたらすぐ1,000万も請求できたわけじゃないけど、雑誌1誌ごとにカウントして足し上げて数百万を請求できた時代もあった。

じゃあ、若いコピーライターたちはなぜ皆貧乏なのか?

昔は代理店がメディア費で稼いだ分からコピーライターに支払うことが多かった。
昔は代理店がメディア費で稼いだ分からコピーライターに支払うことが多かった。

 

今はメディアエージェンシーとクリエイティブエージェンシーが分離しているから、代理店は広告主に請求せざるを得ない。
今はメディアエージェンシーとクリエイティブエージェンシーが分離しているから、代理店は広告主に請求せざるを得ない。

 

コーポレートスローガンや数億円がかかる大きな仕事はタレントコピーライターに発注するが、そうでないコピーは広告主が社内でも書くようになった。残ったものを手間賃コピーライターに発注する。
コーポレートスローガンや数億円がかかる大きな仕事はタレントコピーライターに発注するが、そうでないコピーは広告主が社内でも書くようになった。残ったものを手間賃コピーライターに発注する。

 

書けるものは社内で書きます、という広告主が増えている。
そんな時代で、タレントコピーライターと手間賃コピーライターの二極化が進んでいる。

コピーライター格差社会の到来。

残された道は、タレントコピーライターになるか、お金がもらえるコピーを書くか。

 

小霜さんの分岐点
10年ほど前に2、3年、コピー年鑑の審査員をやった。
審査員とは権威の象徴。これで俺もタレントコピーライターの仲間入りかな?と思った。が、翌年、審査員を辞退。大変な時期もあったが、お金になるコピーを書きつづける道を選んだ。

お金になるコピーとは?
・商品価値を高めるもの
・独自のアイデアがあるもの
・努力の跡が見えるもの

逆にこの3つが感じられないものには人はありがたみを感じない。お金を払おうと思わない。

ネット社会、SNSが台頭する社会になって言葉が増えた。「うまいこと言う人」はTwitterにいっぱいいる。面白い一般人のなんと多いことか。それが可視化されてすぐに伝播・共有される時代で、コピーライターは、それとは別の軸、上記の3つで闘うこと。

 

例えば、幼児にとってiPhone 6は価値があるだろうか?

電話ができる、メールができる、と言っても価値はない。だけどタッチ操作に慣れた幼児にYouTubeが見られるよ、と言うと価値が生まれる。つまり価値があるかどうかは「伝え方」によって変わってくる。「ターゲットが価値を感じるように」表現してあげるのが広告コピー。

翻って、若手が書きがちなのは説明コピー、大喜利コピー。商品を言い換えただけで価値を上げていない。それはターゲット不在のまま書いているから。

 

2:生け贄の山羊・・・・若手と小霜さんのちがい

iPS細胞技術の実用化を進めるヘリオス社と、ライティングを小霜さんから頼まれた若手の方(生け贄のヤギさんとして登場)の承諾を得て、ケーススタディの紹介。複数回にわたるヤギさんからのコピー提出と小霜さんの的確なフィードバックがいちいちリアル。

例えばヤギさん1回目の提出コピーは「要約しただけ」、「なんとなく周辺にある言葉を組み合わせただけの組み合わせコピー」。ヤギさんの証言「そんなに組み合わせが好きならLEGOに就職しろって言われました」。ひー。

 

そんなやりとりの中で見えてきた、「若い人と小霜さんのちがい」について。

▼若い人・・・・・・すぐ書きはじめる
▼小霜さん・・・・すぐ調べはじめる

「僕は商品にまつわる本を1〜2冊は買って読む。若い人はネットで調べるくらいのことしかやらない。インプットの量が一般レベルなのにすぐ書きはじめるから限界に達するのも早い」

 

▼若い人・・・・・・実績:金の鉛筆
▼小霜さん・・・・実績:30年

「コピーライター養成講座でもらう金の鉛筆はいっそただの鉛筆にしてほしい(笑)。金の鉛筆もらって「私は書ける!」と勘違いしちゃう人が多い。むしろ僕は30年やってて「俺は書けない」からスタートする。だから調べるし悩むし検証するし。「俺はダメだ〜!」から這い上がる力が書く力になる」

 

▼若い人・・・・・・独自の表現をつくろうと考える
▼小霜さん・・・・独自の意見をつくろうと考える

「オリジナルな意見があるものに人は振り向く。表現はその後に考えればいいのに、若い人は表現至上主義」

 

▼若い人・・・・・・「業界」に興味をもつ
▼小霜さん・・・・「世の中」に興味をもつ

「あのCMをつくったのは誰々さんだとか今の広告のトレンドは何々だとかよりも、商品の生まれた世の中の背景や時代の空気に興味を持っている人の方が意見も表現も豊かになる。学生時代に広告研究も立派だけど、若いときに恋愛で失敗していない人に人間の恥ずかしい面が書けるかな」

 

▼若い人・・・・・・言葉をつくる感覚
▼小霜さん・・・・売り物をつくる感覚

「まとめると、こういうこと。広告には目的がある。目的を達成するために僕らは言葉を使う。売り物をつくる感覚になれば説明コピーも大喜利コピーもダメなことは一目瞭然」

 

コピーライターにとっていちばん大事な力は、「聴く力」。

思いがけないことは、思い込みからは書けない。
たかだか2、30年と少しの自分の先入観を捨てるために、「聴く」。「調べる」。

 

3:小霜はこわくない(PR)

ご自身の会社で無料広告学校を主宰されている小霜さん。いわく、「僕は1年かけて生徒に『君たちは書けないのだ』と教え込むんです。だから怖いって思われちゃうのかな・・・・でも、怖くないですよ」

右から 小霜さん、ヤギさんこと印部さん(かわいい)。スケープゴート役として出ていただいたおかげでとっても分かりやすかった。
右から 小霜さん、ヤギさんこと印部さん(かわいい)。スケープゴート役として出ていただいたおかげでとっても分かりやすかった。

あっという間の90分。
最後に僕も質問させてもらいましたが、丁寧に答えていただき、怖くなかったです。

コピーだけでなく広告全般の教科書としてロングセラーになってほしい(って僕が思うのも変だけど)本です。100万円を狙うなら、年に1回の公募だけじゃなくて日頃の仕事でもきちっと勝負しよう。その方が手っ取り早いぞ。

小霜さん、ヤギさん、編集の佐藤さん、ありがとうございました。

予告編から読む『インターステラー』

※ネタバレはありません。

 

映画の予告編は、公開前から徐々に、あるいは同時にいくつかの別の方向性をもってリリースされます。

たとえば最初は「○○シリーズの最新作」という情報だけを伝えて、次にキャストメイン、その次にストーリーメインで構成していったり、テレビでは大衆向けに最もキャッチーな「愛」を前面に押し出しながら、映画館では「運命を左右するギリギリの攻防と葛藤」を山場にもってきた編集にしたり。

何をもって「面白い」と感じるかは人それぞれで、どこにスポットを当てて予告編をつくり、どの客層に向けて流すかでヒットするかしないかが変わってしまう。まさにマーケティングの世界。では、『ダークナイト』や『インセプション』のクリストファー・ノーラン監督の新作『インターステラー』の場合はどうでしょう。

 

この4枚はおなじ映画のポスター
この4枚はおなじ映画のポスターですが左は『フィールド・オブ・ドリームス』に見える。

『インターステラー』(原題:Interstellar)
出演:マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、マイケル・ケイン
公開: 2014年11月22日
監督: クリストファー・ノーラン
上映時間: 169分

あらすじ
近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。

シネマトゥデイより)

 

最初は予告編第1弾。6月に公開されたものです。

「人類の運命を背負い宇宙へ旅立つ男の、最愛の娘との別れ」が描かれた内容。
この映画の中心はヒューマニティ、人間の感情描写です。それを真正面からエモーショナルに描いた正直な予告編といえます。

しかしながら、このSF大作の見どころは親子愛に留まりません。それ「だけ」ならむしろ『アルマゲドン』の方がすがすがしくシンプルに描かれています(余談ですが『アルマゲドン』で向こう見ずな若者A・Jを演じたベン・アフレックの弟、ケイシー・アフレックが主人公クーパーの息子役で出演しています。一瞬、ベンかと思ってアレ?ってなった)。

実際、ドラマチックな展開に心が揺さぶられますが、単純にSFの設定を借りてきた感動巨編という側面でのみ捉えられると、もったいない。

 

日本の公式サイトでは何のひねりもないキャンペーンをやっててビビる。
日本の公式サイトでは何のひねりもないキャンペーンをやっててビビる。
こんな映画じゃないよ!

配給会社としては「SFのガチオタやノーラン監督のファンは放っておいても観に来るからもっとマスへリーチしたい」と考えているのかもしれないけれど、デートムービーにするには無理があります。日本中のカップルを不幸に陥れる。

いやいや、ヒューマンドラマだけじゃなくて、製作総指揮に理論物理学の教授も加わって本格的に時空のトンネル=ワームホールやブラックホールを「現在考えうるかぎり最も正確に」ビジュアライズしちゃったのがすごいんだよ!・・・・と、GIGAZINEさんで詳しく紹介されています。ネタバレにはならないので、これから観に行かれる人は予備知識程度に読んでおくのもいいかもしれません(知らなくても楽しめます)。

「インターステラー」のSFっぷりは一体どれぐらいで何がスゴイのか、SF小説とかSF映画とか大好き野郎が見るとこうなる

 

8月に公開された予告編第2弾は、一気に情報量が増えます。親子の絆とSF描写が7:3くらい。ある意味、直後に紹介する第3弾も含めて最も本編の魅力を押さえた予告編です。YouTubeの再生回数が最多なのは映画の公式サイトで自動再生されるためで、配給会社としてもこの第2弾を(現在の)軸足に置いていると思われます。まあ、これだけでもぜんぜん導入部でしかないんだけど、予告だから正しい。

 

そして10月22日、日本公開のちょうど1ヶ月前に公開された第3弾は、一気にシリアス方向へ。

どう見てもこれヤバイっしょ、という絶体絶命をどう乗り越えるのか?映画館に足を運ぶ人にはクリストファー・ノーラン作品だという「面」は割れているので、期待値が高まっているところへのダメ押しの一手といえるでしょう。

僕の記憶が正しければ、この第3弾で流れるシリアスなBGMは実際の映画では使われていません。予告編用のBGMだと思われますが、0:33あたりに流れる緊張感のある旋律は『インセプション』を思い出させます。ノーラン監督のファンに向けたチョイスなのかも(こういった映画予告編のために作られた曲のオムニバスCDを持っていますが、実にドラマチックにわかりやすく作曲されていて楽しいです)。

実際の劇中で流れるサウンドトラックを手がけたのは、今回もハンス・ジマー。
わざわざイギリスのテンプル協会のオルガンを使った曲は『2001年宇宙の旅』や『未知との遭遇』などのSF映画の名作を想起させる古典的かつ抑制が効いた音色で、この音楽と、70mmフィルムで撮影された粗い画調、どこか憎めないロボットなど、懐かしさを覚えるエッセンスがちりばめられている。そのあたりは監督のインタビューで語られています。必読。

 

ヒューマニティ全開の予告編第1弾でもチラリと出てきましたが、劇中でアン・ハサウェイ演じる科学者アメリアが科学者らしからぬことを発言します。

Interstellar04

「愛だけが時間も空間も超えられる」

また、予告編第3弾では、同じくアメリアが主人公に

「自分の子と、人類の未来。どちらか選べる?」

と疑問を投げかけるシーンがありました。

この映画は「人間の利己、個人的な愛情」と「滅びゆく地球に残された人類の未来」の、比べようもないふたつを行ったり来たりします。やがてそのふたつが折り重なって物語の最終地点へ向かう。エンディングを迎えた頃には、僕は愛とSFのカタルシスに挟まれて涙を溜めていました。

泣ける、と言うと反対側に「私は泣けない」なんていう対立が生まれるし、そんなの個人差でしかないので「泣いた」はぜんぜんダメな部類の感想ですが、自然現象として目から液体があふれて重力に沿って落ちたのだから仕方ない。

重力。そう、『ゼロ・グラビティ』とは違った意味で重力が愛おしい。

 

3本の予告編を見てきましたが、どれだけ見たところでこの傑作を「観た気」になるには不十分です。この映画本来の魅力は最初から最後まで通して観て初めて見えてくるから。わかりやすいカテゴライズを飛び越えて「SF」も「家族」も「愛」も描かれている、けれども幕の内弁当ではない。まるで太陽と月と地球が重なって現れる日蝕のように、すべてが重なったときに残るカタルシスがある。

あぁ、同じく映画館でひれ伏した友人たちと心おきなく語り合いたい。
そうしたくなる映画が2014年にまだ生まれたことを、嬉しく思います。

 

Interstellar01

インターステラー

傑作です、『逢沢りく』。

危ない、と予感しながら、最後まで読んでしまった。感動で心が破壊された。
穂村弘さん(歌人)

そうだなぁ。
危ない危ない、と思いながら、ページをめくる手が止まりませんでした。

書店で初めて見たときは
「猫村さんの人の新刊か〜、手書きのセリフが読みづらそう〜」
などという浅はかな理由からスルーしてしまいました。でもその直後に大根仁監督のツイートを見て即購入。なにせミーハーなもので。

りくは中学生。おしゃれなパパと、カンペキなママ、
「オーラがある」と友だちが憧れる、ちょっと特別な存在。
美しい彼女は、蛇口をひねるように、
嘘の涙をこぼすことができた。悲しみの意味もわからずに――

設定が「美人」で「オーラがあって」、「ちょっと特別な存在」。
それが独特のタッチの絵から伝わってきます。

一挙手一投足が、モノローグが、表情が、やわらかな動きをともなって見えてくる。たしかな画力を備えたえんぴつ画のタッチが心地良い。絵のトーンは映像のトーンとなって、読者に空気感まで伝えるほど雄弁で、まちがいなく紙の本で読みたい漫画です。

どきっとするセリフの間合い、
親や周囲と一線を引いた「りく」の距離感、
やがて関西の親戚の家に預けられたときの反抗、
間の抜けた笑えるやりとり(微笑ましいというよりは、声を上げて笑った)。

aisawa02

小津安二郎映画のようだなぁ。いきいきと描かれる登場人物たちの優しさという名の「逆襲」が、僕には『東京物語』の余韻を思い起こさせます。それだけで傑作なんですが、最後、泣かされたなぁ。

ひとりの少女の成長物語、と言ってしまえばそれまでだけど、人ひとりが成長するには、これだけの目に見えぬエネルギーが猛スピードで駆け巡っている。「陸上部はいらんか?!」と声を掛けたくなるほど。

「りく」が立ち止まれば、物語もたまってゆく。
「りく」が走れば、物語も走り出す。

読み終わったあとも、(主に関西の)すべての登場人物が愛おしく思い出されます。
時男くんみたいな子ども、いいな。

ほしよりこ『逢沢りく』、傑作です。

吉田ユニさんの個展に行ってきた。

ラフォーレミュージアム原宿でやっている、吉田ユニさんの個展『IMAGINATOMY』に行ってきました。

吉田ユニさんは1980年生まれ(同い年)で、ラフォーレをメジャーにしたAD大貫卓也さんの事務所、野田凪さん(2008年に急逝)の宇宙カンパニーを経て2007年に独立されたアートディレクターです。ラフォーレ原宿、LOUIS VUITTON、資生堂などのグラフィック広告や、木村カエラ、きゃりーぱみゅぱみゅ、AKB48のアートディレクションも手がけられています。

壁一面にひろがる女性のボディで表現されたタイポグラフィ、イメージスケッチからそのまま飛び出てきたかのような不思議なアングルの写真、CGではなく手描きによる緻密な仕事。

これらはほぼすべて「女性」を絵の具やキャンバスとして構成されているように見えました。あくまでも女性をテーマには据えていないであろう距離感。じとっとしていない、お仕着せのメッセージ性がない、庭園のような美意識だけがそこにある感じ。でも単なる道具として扱うような冷たさもなく。それゆえにナショナルブランドのグラフィック広告にもなり得るんだろうな。

って、あれ?もともと広告としてつくられたグラフィックだよな。

なのに、まずグラフィックがあって、そこに企業やアーティストが違和感なくスポッとはまっているように見えます。

 

raforlet

 

思えば、LOUIS VUITTONや資生堂のグラフィックって、そうだったかも。まず見た目のインパクトや確固たる世界観があって、「わあ素敵」、「なんか気になる」。そのあとに「あ、資生堂。やっぱりね」と思ったものでした。

きっとご本人はひとつひとつの課題に応える形で制作されているんだろうけれど、純粋に対象物を観察してビジュアル化して、まるで火葬して骨だけで組み上げたような、研ぎ澄まされた佇まい。でもギリギリのところで狂気とか恐怖のメッセージはなくて、浄化されている。

そんな純粋性をもっているのは、大貫さんの広告に携わってきた方だからなのかな。「なんじゃこりゃ?あ、ラフォーレ」の“読後感”を思い出させてくれました。

最近、グラフィックにゾクゾクした広告って何だったっけ?と思い返してみると、

ラフォーレのディズニーガールズ。吉田さんのお仕事。

このビジュアルアイデアを思いついたとして、実際につくったらもっと怖いものになってもおかしくないと思う。単にきれいなだけでもなく、キッチュでもなく。

これは展示されていませんが、数々のお仕事を大きなサイズでまとめて見られてよかったです。

 

余談。
原宿という場所柄か、お客さんの中には女子高生も何人かいました。商業施設が入場無料でやることの意義を目撃した気がして、ラフォーレえらい!とか思うくらいには年を取ってしまった。

吉田ユニ展 “IMAGINATOMY”
11月24日まで。