若者のすべて

先日、友達の家のポストに不審な葉書が届いていた。

「○○キャンペーンの記念品のご案内状を出しましたが、
残念ながらご案内が取れませんでした。記念品もそのままに
なっていますので、再度ご案内させて頂きます。
至急受付センターまでお電話下さいませ」

受付日時とTEL、担当の人の名前があり、
その下には唐突に「MDプレーヤー・デジカメ・プレステ2・ゲームボーイ」
などとオイシイ商品の羅列がされていた。う〜ん、いかにも怪しい。

「ね?怪しいでしょ?気持ち悪いよねー」
という友人は、少し状況を楽しんでいるようでもある。
念のためと思い、その会社の名前をGoogleで検索してみた。出るかな出るかな…。

 

出た!

 

「悪徳業者一覧表」!!!

 

友人は男だったので、女性の担当らしきいかにもな丸文字で
「ご連絡お待ちしています★」と書かれてあった。
いろいろと調べてみるとその手の業者では有名な団体で、
60万円のふとんを40万円の送料で買わすとか。計100万!
恐い。恐すぎる。

手口は、市役所などに行って「選挙管理委員会の者です」と称して
住民票を閲覧し、都内に住んでいる二十歳前後の男女を調べ上げ、集中的に葉書を送る。
もちろん、男性客には女担当を、女性客には男担当を付けて。

で、その葉書を見て電話した客と待ち合わせを交わし、
実際に会って交渉というか、押し売りのような事をするらしい。

お〜〜恐い!

実を言うと我が家にも何度か、似たような内容のDMが投函されていた。

それで一回だけ電話した事があるのだが、もうそれは
すごい饒舌の女性に無理矢理リードされ、気持ち悪くなって
途中で切ったことがある・・・思い出しただけでもぞっとする。

 

そうと知っても友人は
「電話してどうにかDVDプレーヤーだけでもゲットできないかな」
とほざいていた。

忘れる

長崎のしゅんちゃん殺害事件を覚えている人は、今どのくらいいるのだろう。

殺した犯人が12歳だったということを今も気にしている人は、どのくらいいるだろう。

一時的に感情的になって、あんなやつは死刑だとか、
親も罰せられるべきだとか、そういった意見が
個人の日記サイトでも多く見られた。
そういう発言をした方々は、今もあの事件を気にして
チェックする眼を持ち得ているのだろうか。
きっと、もう忘れている。

情報の多さで関心度が変化するだけなんじゃないかなあ。
そりゃ今も気にしている方もいるだろうが、
現実は、話題がなくなれば忘れられる。

それ自体を悪いとは言えない。
僕も忘れて行くだろう。けど、あの一時の感情的な発言に、
どうオトシマエをつけるのか。

ものごとは遠くからでは分からないことだらけだ。
そんな当たり前のことに気付けるかどうか。

「忘れる」というのは個人の必要度で変化してくる。
その事自体は自然の流れだ。
が、一度発した発言は、サーバを介したり、他人の記憶として残る。

個人的に「忘れない」という運動も、どこかで欠かさないでいたい。

ツヨシ

友達が草なぎ剛を六本木のコンビニで見たらしい。
六本木だけあって、実に自然体だったとか。
さすが、芸能人の街。

 

堂本剛をモスで見た時(過去日記参照)も思ったが、
彼等はいつでも写メで撮られる危険性が高いのに、
いかにも普通に、自然にそこに佇んでいる。芸能人であることを意識させない。
何がそうさせるんだろう。俺だったら恐いけどなあ、と思う。

 

いつでも狙われる立場をシニカルに描いた話が、ドラえもんの中にある。
のび太がアイドル状態になって、町中の人から追いかけ回されてコリゴリ、
という話。

のび太じゃなくてもあり得ない話だが、
実際のアイドルとか芸能人はそういう人種だろう。

 

いま、世間的にも写メールやデジカメの普及で、
肖像権の侵害が問題視されているらしい。
例えばこんな僕にでも、肖像権が存在する。
みだりに顔写真を使われては迷惑だし、恐い。
しかし、写真をやっていると知らない人も写ってしまうし、
そういうのを排除、または伏せて隠すのも違うし、別の意味合いを
出してしまうので、なかなか難しい。

自分の場合、それほど他人の顔写真を出してはいないとは思う。
せいぜい背中とか。部分。
背中には肖像権があるのだろうか。まあ、ありそうだな。

でも、ここのサイトを見て、
「あ!この背中私のだ!!訴えてやる」という事があるだろうか。
なるべく見えない範囲で気をつけたいが、あんまり気にしていても撮れない。

 

肖像権についての考えは、つづく。いつか。
とりあえず今言えることは、剛は庶民的ということ。
草なぎも堂本も。

もっと考えろ

建築家、安藤忠雄。
彼の口癖は、「もっと考えろ」だという。

「24時間考えてないとあかん。戦略を練ろ。
 寝ながら考えろ。飯食いながら考えろ」

考え事をするのが一番楽しいと言う。
まだ仕事をもらえぬ若かりし頃、
近所の空き地を見ながら「ここにはどいういう建築が必要か」
を考えて暮らしていたらしい。一見無駄に見える思考の集積が、
今のアイデアの発端。

アイデア、戦略は、考え事をしつくした後に残るものだという。
考えの痕跡。思考の集積。

僕が思うに、考えには鉛筆が不可欠だ。
メモの重要性。

もっと考えなくてはならない。
考えずに、ただ創って綺麗だったらいいじゃない、
美しかったらいいじゃないという時代は終わった。

世の中的には、いうに及ばずそんな時代はとうに終わっていたが、
僕の中で、美大生としてそこに安住するのやめようと思う。
メモを取り、頭で考え、眼で捕らえる。

もっと考えろ。

矛盾 12

小林製薬の「あせもにアセモア」は、
名前が矛盾してると思った。moreって。

 

長崎の駿ちゃん殺人事件。
いじめられっこが腹いせに、幼い子供を裸にして悦に入っていた。
いじめられっこのいじめ。だそうだ。

そいつが近くの大人にバレそうになって、
思わず突き落とした→死んだ→捕まるかも→逃げた→黙って登校した。

短絡的というか、単純。
想像する力がなさすぎる。
落とせば死ぬ。刺せば死ぬ。絞めれば死ぬ。

性癖や精神異常で話される事ではないと思う。もっとシンプル。
きっかけは性的衝動だろうけど、殺害はその延長線上にはないと思う。
バレそうになったから慌てて隠した。それがビルの下だっただけ。
イコール死。を、想像出来なかったのか、しなかったのか。

今回の問題は、彼がそれを分からなかったことだ。
その一点で、彼は酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年Aとは違う。
自分を神格化しようとしたわけでもない。
人をいじめることには興味があったのかもしれないが、
殺すことに興味を持ったわけじゃない。
長崎の少年を神戸の少年Aと同列に話す大人は、根本的に間違っている。
もちろん共通項もあるんだけど、結果の出方がだいぶ違う。

誘拐、裸、子供、転落、殺人。
それらを見ているといかにも猟奇的で異常だが、実際は違う。
拾った子猫が部屋で鳴き出したので、親にばれそうになって
慌てて窓から放り投げた。
そういうことだったんじゃないか。

大人なら極刑です。たぶん。
でも彼は12歳なんだな。

Bの件

あなたは友人の自殺現場を見たことがありますか。

 

あれは1、2年前のことで、
季節がいつだったかも忘れてしまった。

近頃、友人Bを見かけなくなっていたが、バイトを極端に
多く登録している彼だから、仲間内では、またどっかで
忙しくやってるのだろうと言い合っていた。

そんなある日、ケータイにBの母親から電話がかかってきた。
もう1ヶ月も音沙汰がない。心配なので息子に連絡を寄越すよう
伝えてくれないかとの内容だった。

うちからBのアパートまではそれほど近いわけでもなかったが、
それでも、予備校のクラスでは僕が最も近所ということで、
様子を見に行くことになった。一抹の不安を抱えて。

駅からBのアパートまでは歩いて20分はあった。
着くなり、大家さんが書いた張り紙が目に飛び込む。

「連絡乞う 042-××××-○○○○ 大家△△」

嫌な予感がする、インターホンを鳴らす。

「おーい、開けて〜」

情けない声を発す。

返答なし。誰もいないのか?
足下でノラ猫がこちらを一瞥する。

ドアノブに手をやる。ゆっくり回す。 開いた!

正直、ドアが開くとは思っていなかったので、恐くなって別の友人Pに電話した。
Pにはこちらの事情も雰囲気もよく伝わっていないようで、さっさと入れと促す。
ゴミの山をかき分け、土足で他人の家に踏み入る。異常事態。

 

この時、すでに僕は最悪の結末を予想していた。
考えまい、考えまいと思いつつ、予想を確かめようと奥へ進む。

昼間なのに日当たりの悪い物件は薄暗い。電気のスイッチを探す。

ふろ場を開ける。いない。
トイレを開ける。いない。
台所を抜け、最後の六畳間へ。

「びっきー、、、、」

誰もいない…と、思ったら。
天井からぶら下がる、人の足。

 

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

それは、ただのツナギ(作業着)だった。
驚かせやがって!!!!

他に確認できたものといえば、
いつからそこにあるのか分からない食べかけの餃子と、
敷かれっぱなしの布団、線の抜けた電話機だけだった。
電話線を差し、置き手紙を置いて帰った。汗だくになった頬を拭いながら。

 

後日、Bは「巻き爪」で入院していたということが判明した。
それで誰にも連絡が取れなかったって、そんなの言い訳だ。

 

今でも、天井からぶら下がる足が忘れられない。

案の定、Bはぴんぴんしている。僕は確実に寿命が縮んだ。

煩悩

うちの実家の、祖父母の家はお寺だった。
山奥にこつ然とある、南嶺山大福寺。

祖父は僧侶で、けっこう広い庭には灯籠や、鐘、水子地蔵、そして本堂があった。
子供の僕らには、格好の遊び場だった。
正月になると、親戚一同が集まって、たき火をしながら除夜の鐘をついた。
108の煩悩が抜ける瞬間。

そんな祖父母が、山から下りたのが今年初め。
もう、あの鐘を鳴らすこともないのか。

煩悩が溜まる日々。
それもまた、一興。

SWITCH

もう随分と会ってないが、
高校時代の友人たちは多分、みな社会人になっていることだろう。

23歳。いい歳だ。
結婚して、家庭を持っている人もいるかもしれない。
スーツにネクタイで商談を決めている人もいるかもしれない。
翻って自分は。

まだ美大生です。まだ学生です。
しかも大学三年です。 浪人、休学。社会に出遅れてしまった。

でもそれはそれで楽しい。浪人時代の仲の良い友達も、何人か休学して三年生。
幼稚園からの友人も、東大で転科して三年生に戻ったという。

社会人にスイッチするのはいつになるのか。分からん。
が、きっと、スタンスは変わらないんじゃあないだろうか。
カメラもWEBも、どこまでもくっついてくるだろう。

やっぱ、大学っていいと思う。

サブカル包囲網

アニマトリックスを見ました。

世間で話題になっているあのMATRIXを、世界のアニメ作家が集ってオムニバスアニメーションとして作品化したものです。

よりMATRIXの世界観を楽しめるという触れ込みでしたが、
僕はこっちの方が世界観が確立されているんじゃないかと思いました。

本家は本家で、やはり相当の世界観の構築に成功した映画として凄いのですが、
アニマトリックスのよい点は、
やはりアニメーションの可能性を感じさせてくれるところにあります。
アニメでしか出来ないことが、そのまま世界観の構築に繋がっているのです。
こればかりは見てもらわなければ分からないのですが、一見の価値はあります。

MATRIXという映画自体の評価は人それぞれだと思いますが、
僕は都市表現という視点で見るので、わりと好きな部類に入る映画です。
お話はどうでもよくて。

コンピューターの文字を基本に、緑色がマトリックス(虚構)の世界色。
で、現実は青色で構成されています。非常に分かりやすい。
ビジュアルイメージの統一は、色で行うのがもっとも効果的です。

で、次に眼がいくのが雨の使い方です。
監督のウォシャウスキー兄弟はいわばアニヲタですから、その辺の日本のアニメや映画を存分にパクってくれていますが、それでも雨の使い方は素晴らしいの一言。
スプリンクラーのしぶき。土砂降りの雨。濡れた街。
この辺りのよさは「ブレード・ランナー」やフィンチャーの「セブン」「ファイト・クラブ」にも見て取れます。

アニメ故のよさは、そこへ更にCGという技術が入ることによって、
のっぺりとした絵に、無限の奥行きが構成されるというところにあります。
この広がりは実写では出来ない。不可能です。
ともすれば不粋になりがちなCGの、最も効果的な用い方なのではないでしょうか。
画が奥行きを持って迫ってくるのです。
二次元が三次元になるだけで、ぼくらの眼はワクワクするのです。

こういう楽しみ方は、もしかしたら世代によっては理解出来ないかもしれません。

 

そして、ハリウッドでも異色かつ面白い現象といいますか、
このMATRIXという作品のいいところは、実写映画に留まらず
アニメーション、ゲームと、その姿を変えても同じ目線で語られるところです。

つまり、サブカルチャーを包囲する展開、増殖をしているという事です。
これほど自由で遊び心のある展開はないと思うのです。監督してやったり。

「これは現実ではない。僕はここにいない」という永遠のSFテーマは、
見方を変えればただのひきこもりとしか思えないのですが、
その世界観の拡張がものすごくスムーズに行われている。

すべての作品(商品)が、MATRIXの広告として機能しているんです。
サブカル包囲網とは、つまり広告戦略です。
アニメと実写の融合とか、CGのリアリティには興味がないのですが、
ジャンルを越えて渡り合い、広告としても作品としても相乗効果を狙うなんて、
上手いなぁと唸ってしまいます。賢い。

しかもその展開ゆえにアニメが面白くなっている。
いくら「攻殻機動隊」のパクリと言われようが、ここまでやりきったら勝ち。

そんなことを思いました。

5歳年下の弟がいます。
彼は今年18の受験生。

実家を離れひとり寮生活をしていて、知る人ぞ知る、
知らない人は知らないサッカーの名門・南宇和高校で
日々サッカーに明け暮れています。
じん帯を切ったり、なんだか大変そうです。

昔から運動面に関しては凄まじい能力を発揮し、
水泳の選手団に選ばれたり、マラソンも1位だったり、
腕立て伏せも何百回とやる、いっぱしの運動バカでした。
リフティングを連続1,000回突破するとか。

とにかくあれです。

「ボールは友達」

 

小学生の頃、なにげに歌っていたのを思い出します。

「振り向くなよ〜振り向くなよー♪君は、美しい、
 戦いに敗れても〜…君は美しいー!」

 

かたや兄の僕は、体育は1でした。
跳び箱も逆上がりも放課後居残り組。

予備校仲間が登山をするときも、先生に
「えっと、イトウ、山なんて登るの?」と聞かれました。

ドッジボールはいつも外野。
高校バレー部のポジションは主審。
腕相撲は女の子に負けます。

 

 

ほんとに兄弟なんでしょうか。

mass psychology


mass psychology 集団心理

ここ何年かで、日本は大きく様変わりしてきたと思う。
恐怖とか、不安によって。

日本は世界で唯一の原爆被爆国で、
他国には無い恐怖を味わった経験がある。
しかしここ数年の日本ときたら、また別の脅威というか、
妙なものを経験してきている。と、すごく思う。
その正体はと言えば、あんまり大声では言えないが、
ずばり、カルトだ。

初めは、異臭騒ぎだった。
それはオウムという奴らで、日本中が恐怖と言うよりも
狂気に満ちた日の始まりだった。で、それからはもう、
なし崩し的にいろんなものがワンサカ出てきた。

麻原、ヘッドギア、サリン、ライフスペース、定説、クローン人間、白装束、北朝。

カルト集団のお祭りだ。
集団の歪みを、これでもかというほど見せられた。
それに群がるマスコミも、テレビに釘付けになる大衆も、集団の歪みを
形成している。日本人は確実に「おかしなもの」への免疫というか、
慣れが生まれてきていると思う。へんてこなものに慣れちゃった。

だって、あんまり驚かなくなってきたもの。
強くなったってわけじゃなく。

集団心理、思想教育。
恐いのは、それと気付かず受け入れてるとこだよな。

事故 死

ついさっき、ベランダの向こうから車のぶつかるような音がした。
何事かと思い外に出てみると、タクシーと原付が、
うちの前の交差点でぶつかっていた。

よろよろと路肩に寄せるタクシー。
雨の中、転んだバイクを起こす少年。
幸い、けが人はいなかったようで、
つかの間のギャラリーも慌てることなく
ただただ、傍観者に徹していた。

なんとも呑気な眺めだな、と思った。
それでもバイクは前面が大破し、
少年は何か怒っているように見えた。

死ななかっただけましだと思え。
そう思った。言ってやりたかった。

ここの十字路は、僕が引っ越してから四年間で
幾度と無く事故があった場所だ。魔の十字路。

実際、この角で死んだ人が、僕の知っている限りで二人はいる。
今でも時々、花がたむけられているのを目にする。
ぐちゃぐちゃに凹んだ自動車を見たこともある。
あの運転手は、今も生きているのだろうか。
そういう場所。

 

僕のおじは、僕が生まれる前に交通事故で亡くなった。
僕自身、昨年は電車にはねられそうなところを助けられた。
ひとはいつ死んでもおかしくないし、死ぬほど危険な目にあったことは、
誰にでも一度や二度はあるだろう。使い古された言葉だが、
人は常に死と隣り合わせなのだ。 

だから、バイク少年よ、死ななかっただけでもましだと思え。

わからないこと


女性というのは未知の生物だ。

おんなという生き物は、子供を産む。
産める、と言った方がいいのかも。
子供を産むと、何かしらの考えというか、スタンスみたいなものが変わると言う(変わらない人もいるが)。

それは、男にはどうしても経験の出来ないことで、ひとはそうそう変われるもんじゃないけれど、女は子供を産むと、何かが確実に変わると思われる。

数年前、歌手の椎名林檎が子供を産んだ。
「人生を切迫して考えなくなった」らしい。
子供を産んで何かが変わるのと、女が「女になる」の「変わる」はだいぶ違うのだろう。
しかし、どう違うのか。

女が女になるというのは、何度か目撃したことがある。
しかし、それは一時のものでしかなく、子供が出来るのとは根本的に違う。ように思う。
子供を産む機能を持っていることも凄いが、それがその人すらも変えてしまうというのが恐い。

じゃあ、結婚した時の妻と出産後の妻は別人なんだろうか。


とりあえず椎名林檎はこう言う。

「体重が増えたとか、そういうことでしょうか」

そういう変化はしてほしくないものだ。