蜂と父

いよいよ、スズメバチがウチのベランダにも出没。
洗濯物に染みこんだ水を吸っているものと思われる。

 

実家の天井裏に、スズメバチが巣を作ったことがある。

最初に異変を察知したのは僕だった。
中学校からの帰り、自転車からわが家を見た。
二階の屋根で、黄色い物体が大量に行き来している。

それを家族に報告した。早速、駆除に出た。
庭の裏に回った。巣は天井裏にある。屋根の隙間が、
奴等の出入り口になっているのが一目で分かった。

父が掃除機を背中におぶって、飛来してくるハチを
丸ごと吸い込もうとした。掃除機の白いパイプが、
すごい勢いで体長五センチはあるハチを吸い取った。

父は言った。

「いけるぞ」

傍らで見つつ、上空でハチの大群がパニックに
なっているのが分かった。怒りで我を忘れている。

案の定、地上のぼくらに飛んできた。
何の武装もしていなかったことが逆に幸いして、
僕はいち目散に逃げることが出来た。助かった。

が、父は、頭を刺された。背負っている掃除機を
投げるように外し、急いで母を呼ぶ。
そのまま帰らぬ人となった。じゃなくて。
病院へ直行し、一命は取り留めた。ていうか普通だった。

父の努力とアイディアも虚しく、
駆除専門の人が来て、天井裏から信じられない物を
おろしてきた。20inchブラウン管TVくらいはある。
両手で抱えるのは無理かもしれないほどの、黒い塊。
その特大の巣には、膨大な数の成虫と幼虫がうごめいていた。

傍らには、ぼろぼろになった掃除機が、あった。

(以上、プロジェクトXっぽく読んで)

そういう経験上、僕はスズメバチが恐いのだと思う。

東中サドル事件

もう、10年ほど昔の話になる。

中学生時代、学校で、ある事件が起こった。
名付けて「東中サドル事件」(西条市立東中学校での出来事)。

たった今名付けたのだが、事件はその妙な名前以上に珍妙だった。

 

その日も授業が終わり、ホームルームで僕と友達はいそいそと下校の準備をしていた。帰りに本屋へ行き、みんなで立ち読みするのが日課だった。エロ本を手に取る勇気のない僕は密かに『ダ・ヴィンチ』の荒木経惟のヌード写真を見るのが楽しみだった。ファミ通をチェックする友達にばれないように。でもアラーキーはエロくないんだよなぁ。

その時だった。担任が、帰り支度にざわつく教室を静めた。

「最近、校内の自転車のサドルが盗難されることがある。
みんなはそんなことせんと思うけど、目撃者は先生に言うように」

何のことか、一瞬分からなかった。
自転車のサドルが、盗まれる…?
誰が?なぜ?何のために?

いまいち事の子細を掴みかねていた僕らは早々と支度を済ませ、かばんを背負い駐輪所に向かった。事件の現場である。愛チャリが待っている。

案の定、僕の自転車のサドルはまんまと抜かれていた。
なんてことは一切無くて、いつもと変わらず無事だった。
ほらほら、本屋で『ダ・ヴィンチ』が待っている。

だが事件は起こっていた。
ふと目をハンドルの奥へやると、正面にある女子のチャリが、座ると痛々しい状態になっていた。

サドルが、無い。

銀色のパイプがぽかんと口を開けている。
整然と並んだ自転車の中で、そこだけが明らかに「抜けている」状況だった。

さっきの話は本当だったんだ…。
持ち主の女の子も茫然と突っ立っていた。「無いわ」。

何か、面白いことが始まっている気がしてきた。
抑えることの出来ない好奇心で鼻息が荒くなっていた。

とりあえず僕らは、地道に、盗まれたチャリの洗い出しを開始した。
どんな自転車が狙われるのか。それが分かれば、犯行目的が見える。
目的が分かれば、犯人も突き止められるはず。

そして、盗難サドルの傾向はあっけなく分かった。犯行目的もそれとなく。

狙われた自転車は、どれも女の子の自転車だったのだ!
しかも、校内でかわいいと目される美人ばかり。

僕と友達は、思わず犯人に感心してしまった。

好きな子の縦笛に口をつけたり、体操着を盗むのならマンガで知っている。
そういうシチュエーションは、屈折した思春期男児の物語として定番だから。やったことはないけど。

しかし、サドルとは、渋いなぁ。

エロが分かってると言うよりも、もはや師匠クラスだねぇ
なんて笑い合った。
「フェチとの遭遇」を、僕らは知らず知らずに体験していたのである。
犯人にはサドルじゃなくて座布団をあげたい気分だった。

 

本体と一体化しているから見過ごしがちだが、自転車のサドルというのは意外とエロティックだ。形のみならず、そこに乗るというのは言わずもがなである。
そいつを取り外して持って帰るとは、よほどの変態だと思う。しかも美人に絞り込めるということは、同級生か教師だろう。すごいな。

そうか、変態とは想像力なんだ。

 

結局、サドル事件は迷宮入りと化した。
僕らはその半年後、卒業して別々の高校に進んだ。

鋭利な人

昨日、アヴリル・ラヴィーンについて
魅力をちょっと書いたので、その続きというか
好みの女性について書こうと思います。

 

この話は、浪人時代から友達などには
しつこく熱弁してきたのですが、ぼくは、
シャーペンの芯のような女性が好きです。

シャーペンって、あの、シャープペンシルです。
あれの芯のような人です。
どういうことかというと、まず、
シャー芯を思い出してください。

あれを先端どうしで、人差し指と親指でつまみます。
すると、先っちょが指に刺さって痛いですよね。
どっちの指も、優しく支えないと先端が食い込んできます。

だけど、その状態で横からデコピンすると、
どうでしょう。脆くも折れてしまいます。
ポキンと、簡単に。
でも、先端を支えている状態では指が痛いだけです。

 

そういうのがいいなぁと思うのです。
強さと脆さを兼ね備えたような。

べつに、女性を横から折りたいと思っているわけじゃないです。
支えている指に美学を感じるわけでもないです。
あと、支えるというのはシャー芯に例えたからで、
ぼくが女性を支えるといえるほどの甲斐性はない。

 

話を戻します。
芯はあるけど、弱さも持った、雪のようなシャー芯のような人が
美しいと思うし、先行きが気になってしまいます。

強気だけど病弱とか、そういうステレオタイプなのとも違います。
それはひとつの形としてあるかもしれないけど、もっと内面の、
人間の表裏一体な部分に惚れるんだと思います。ぼくは。

ちなみに、いじめられたい願望でもありません。
強さの矛先が男に向かう必要もなく、主従関係を築きたいわけでもない。
いや、どうだろう‥‥?

 

シャー芯に例えるからダメなんですね。
雪の方がやっぱきれいだし、分かりやすいかもなぁ。
でも、あの痛さと脆さを同時に持ったフォルムはすごくエロいと思う。

 

この辺でやめておきます。
今日は台風一過で天気いいな。

校舎裏

 

アイスコーヒーのうまい淹れ方を教わった。

 

ゼミで、額縁について浅い持論を話した。

フレームが持つ意味とか、写真が額縁を嫌うようになってきたんじゃないか?
とか、そういうことが卒制のテーマに繋がっていくように思う。一部だけど。

 

具体的なことは後で触れるかもしれないのでハショるけど、
どうしたって画面というもので世界を切り取る以上、それが
フレーム=額として機能するんじゃないか。

 

例えば。
PCにアップする画像は額がないようでいて、
画像が四角いフォルムの時点で「額」を内包している。
何より、PCのモニターが額としての機能を果たしちゃってるように思う。

 

最近の写真の展示は流行として、アクリル板に挟み込み額縁のない提示が多い。
それがダメというつもりはなくて、そうしたところで
人は額を感じ取っているんじゃないかと、どこかで思うのだ。
隅の方はアクリルの厚みで光が屈曲し、それだけでフレームにも見える。

 

写真が四角いことと額縁の問題は別かもしれないが、
今は切り離して考えることは出来ない。
一度、それぞれ別に考えてみたい。参考作品は何なのか、それも探そう。

 

先日ICCに行ったときにインテリアのお店で見た苔のミニチュア日本庭園、
あれは砂利を木枠で囲んでいたからこそ全体が締まって見え、緊張感が
醸し出されていた。さらに、囲んだことで不思議な奥行きを感じ取れた。
締まりが広がりに繋がっていた。

 

フレームから自由になろうとする運動(反動?)は風潮として
あると思うし、それは写真の憧れとも言える。

けど苔を見て、上手く使えばそこから出てくる広がりや
自由度もあるんだと気づかされた。

 

額から飛び出ようとするのはポーズであって、
それを志向するには内容とか全体の見せ方・編集がキーになる
と考えている。要は切り口でしかないのだ。

切り口って言葉もまた、フレームだよなぁ。

 

今月のテーマは、上手くフレームを使えないか。
そのためにはどういう装置がいいか?ということ。

媒体

今度はテレビかよ。

「小6同級生殺害/事件前夜のTVドラマで実行決意」

by毎日新聞

サスペンスドラマに限らず、これからまた締め付けが厳しくなって
表現に対する制限がかけられることになりそう。一時的に。

 

テレビのせいにすんなよ。

 

きっかけのひとつにはなったのかもしれないけど、
その前から殺すことは決めていたんだろうし、
テレビがヒントになったとしても原因だったとは言えない。

暴力描写を規制しても、親がチャンネル権を堅持しても、
彼女は相手を殺しただろう。何らかの方法で。

それでもきっと、残忍なシーンのあるテレビを放送するのはダメだとか、
番組を見せた親に問題があるとか、そういうことを言う輩が出てくる。

 

事件の当事者には何も言えないし、ただ行方を見てゆきたいんだけど、
その周縁で、必要以上に子供を取り巻くメディアを批判するのはお手軽。

 

あと、犯行前のシグナルを察知できなかったのか?というハナシ。
そんなこと分かるか。仮に分かったとしても、まさかカッターで
友達を刺し殺すことまでは察知できるわけないじゃん。

 

それにしても落ち着いた子だと思う。殺害後に教室に戻ってるなんて。
本能のままに行動したというよりは、理性の暴走みたいな。

…推測だが。

行方

さて。佐世保の女児殺害事件は波紋を広げているんだなぁと
思いながらニュースを見ています。何かイヤな予感がする…。

 

と思ったら早速。

「ネット利用「負」の側面に注意を…文科省が指導強化へ」

by読売新聞

こういうことひとつで全てを見改めるのはホドホドにしてほしい。
何でもすぐに非難したりダメダメと蓋を閉めるのは、それこそ短絡的犯行。
本質とズレたところでのバカな判断はやめてほしい。

 

それに今回の事件は、
「なぜ人を殺してはいけないの?」とか「いたずらしたかった」という
男の子にありがちな動機とは全然違います。確固たる殺意ありき。

 

昨年長崎で起こった「しゅんちゃん殺害事件」は、
大人にばれそうになって、とっさにビルから男児を
突き飛ばしたという内容だったと思いますが、あれに関して
「突き落としたら死んでしまうことを想像できなかったのかな」と思いました。

想像力が欠如しまくりだなぁと。思考停止状態のような。

 

で、この佐世保の事件を見ていると、「死んでしまった」じゃなく
「殺したかった」から実行に移したってことでしょう。たぶん。

そのこと自体をインターネットのせいにするのも、想像力の欠如です。

動機

長崎で起こった女児殺害事件で持ちきり。

 

カッターで切り殺された女の子も
加害者の女の子も12歳であること。

そして、二人とも自分のHPを
持っているとかいないとか。

チャット(掲示板?)でムカつくことを書かれ、
殺すつもりで刺したということ。

 

一連のニュースを聞いて思ったのは、
大人も子どももなく人の情念みたいなものと、
現代っ子のネット浸透率が深いんだということ。

 

12歳の子供が子供を殺すという事件は
そういえば去年も同じ長崎であったけど、
あれは男の子が自分の性的倒錯を満足させるべく
やった部分があって、そこが男女のちがいかなぁ
と思った。

例えば神戸の少年Aにしても、被害者少年の首を切断するときや
猫を殺すときに言いしれぬ興奮を覚えたというし、偏ったフェチズム、
性的衝動が原動力になるんじゃないか。男の子の場合は。

 

だけど、今回の事件は女の子同士の言葉のトラブルに
端を発している。口論から殺人へ。

よくあるサスペンスじゃないかと思ってしまう。
殺人の動機として非常に大人びた、「恨み」でやってるのが
逆に落ち着いている。興奮状態で殺害に及んでいる男に対して、
今回のはそうではない。おなじ子どもでも。

殺害そのものを目的に行動・実行している。
これを男女の差というのは大雑把なのかな。

 

まだよく分からない部分も多い。
けれど、事の引き金がHP上で起きていることにも驚くし、
大人が集う某巨大掲示板でも、こんな事はなかったと思う。

 

その時ばかりは子供でいられないような殺意が生まれたのかもしれない。
短絡的すぎるけど、あり得ない話と言い切ることも出来ない。

 

普通なら、けんかで終わるんだけどな。
絶交で終わること。関係を殺せばいいだけなのに。

19号

小学生だった頃、
「台風19号」が、九州・四国を直撃した。

 

今でも19号という言葉には「強い」イメージがある。
ぼくら、九州・四国の人間にとって。

 

ぼくの彼女は九州人で、
共通体験として19号が記憶にある。

だから、あの頃の話がリアルに言い合える。
どちらの地域も必ず台風の通る道だから。

 

東京に住み始めて六年目、
あの頃のドキドキ感はもう味わっていない。

雨戸を閉め、ろうそくを灯した。
雷鳴の中、弟とトランプをした。
家の目の前が山だった我が家で、
父だけが土砂崩れをことさらに心配していた。
何時間も停電は続き、懐中電灯で影絵をつくり、
テレビの音もなく、ただ外界の轟音だけが止まない。

 

倒れる木、飛ぶポリバケツ、
きしむ車庫、外れそうな窓。
ワクワクして、眠れない夜。

 

そういえば、
今のアパートには雨戸がない。

暴風雨で自転車が流されることもない。
道で急流下りが出来るなんてこともない。
だから初めから雨戸なんて要らないんだ。

自然の爪痕が快感だった小学生時代に
台風の通り道で過ごしたあの特異な経験は、
絶対に何らかの影響を自分の中に残しているように思う。
まさに、爪痕のように。

当然、台風の被害は
手放しで喜べるようなものじゃないんだけど。

 

今。

強い台風2号は20日午後4時、
沖縄・南大東島の東北東約380キロにあり、
時速55キロで北東に進んでいる。
次第に速度を速めながら21日朝には関東地方沖合に接近し、
三陸沖に流れ込む見込み。

 

ぼくんちにはろうそくもトランプもあります。

デザインの仕事

陶器「MEBAE」の作者で、
高校から予備校、大学の先輩である竹林くんが
来月からデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして働きはじめる。

 

卒業して2ヶ月間、ずっと面接やポートフォリオ提出をやってきて、
実家からの仕送りも止まって、深夜のパン工場でバイトをしながらの就活だった。

ぼくはその姿を見てきたから、
先輩の努力には今さらながら脱帽する。

 

ぼくがポートフォリオの写真撮影を手伝っていた頃、
夜通しデザインのことや広告について話した。

感覚的に話しすぎて、ときどき何を言ってるのか分からなくなるけど、
ちくりんの考えることはいつも唐突で、笑える。

しかもそれを形に起こそうとするしつこさに、こっちから手伝いたくなる。

 

1996年に高校の美術部で出会って、
98年に共にウイイレ(サッカーゲーム)にハマりすぎて
共に大学受験に失敗(ぼくは現役、彼は当時二浪)し、
翌年いっしょに大学入学。

 

そんで芸祭でイベントをしたり、撮影を手伝ったり、遊んだり。

 

この人がいなかったら、人生変わっていたかもしれない。

 

 

先輩に対して失礼な言い方かもしれないけれど、
本当に、この先が楽しみな人。
またウィニングイレブンでゴールを決めましょう。

白タイツ

昔、幼稚園の頃、おゆうぎ会とか
発表会で制服を着るのが大嫌いだった。

制服そのものはいつもと同じなのだけど、
少しでもめかした恰好をさせられるのだ。
そう、白タイツの出番である。魔の白タイツ。

なにかの発表会で、その日も朝から母親が
タンスの中からせっせとタイツを出してきた。

「こんなん女の子みたいー」

「何言うとん!はよ履き!行くよ!」

だいたい三言くらいでぼくの抵抗は押し潰され、
しぶしぶ言われるままに履く。

ももがイガイガする。
なんか、張り付いて気持ち悪い。
それより何より、足が内股に矯正されるような
違和感でたまらなくなる。泣きたい。

準備が整って、パンと牛乳を残さず食して、いざ幼稚園へ。
周りが同じ惨めな恰好をしているのを確認。少し安心する。

体育館のような場所に連れられて、年少組からお歌をうたう。
その間も下半身の締め付け具合が気になって仕方ない。ムズムズする。脱ぎたい。

と、何にも集中できずにいたその時、朝の牛乳が、膀胱にやってきてしまった。
幼心に「いま尿意かよ〜っ」と思ったかどうかは分からないが、かなり焦った。

こらえきれずに先生にこっそり報告。トイレ許可を頂き、廊下を小走り。
そこまではよかった。何もかも。だが。

チャックを開いて、唖然。

 

白タイツ!!!

 

これは全部ぬがねば出来ないぞ。
でも、脱いだらかなりダサイ姿だぞ。
どうしよう…!

あ!個室に入ればいいんだ、
大の方で小をすればいいんだ。
頭いい。

急いで個室に入り、施錠。一呼吸おいて。
改めて、いざ白タイツの脱衣に挑む。のだが。
思いがけずキツく締め付けられたウェスト、
ぴったり張り付いた足回り。

 

脱げん!!!びくともしない!!!

4歳のぼくは狭く暗い個室で、
遠くから園児の歌がかすかに聞こえる状態で、
もはやあきらめの境地だった。

 

じょーーーーー…。

 

泣いたと思う。

こんな、何の役にも立たないものを
無理矢理履かせた親や幼稚園をうらんだ。

そして、少し変色した上に、
湯気を発している白タイツそのものをうらんだ。

その後がどう処理されたのかは、定かではない。

20年前の出来事である。

…子供の日にちなんで。

写真家のハナシ

著名な写真家、と呼ばれる方の話を何度か聴きに行ったことがある。

上京して最初の年に行ったトークショウは、佐内正史写真展だった。
佐内正史と、対談形式でくるりの岸田くんが
ほんとーにとりとめのない話をしていた。
「あのバットの写真は何?」「あぁ、バットだね」「へえ」。

その後、別件で川内倫子と佐内正史という組み合わせも観に行った。
これも今思えば面白くて、川内倫子の胸元がガバーっと開いた服だったので、
なんかエロいなぁと思いつつそこばかり見ていた。話は覚えていない。

荒木経惟のトークも何度か聴きに行ったけど、どれもだいたい一緒だった。
「エロスですよ!がははははは」

細江英公に至っては、最初、
本人がいるとは知らずに作品を見ていて、近くで変なジイサンが

「この写真は戦争へのアイロニーではなくて、
むしろ平和への愛と希望を象徴としたウンタラカンタラ」

と、どっかの生徒諸君に解説していて、それを見た僕と彼女は、

「うわー知ったかぶりオヤジだよ、さむ〜」
「私ああいうおじさんて信じられないわ」

なんて揶揄していた。

しばらくして、さっきのじいさんが
沢山の学生にサインをねだられているのを見て、僕らは絶句。

「本人かよ!」

急いで目録を買って、ふたりで列に並んだ。

「あ、タクロウさんへ、でお願いします…」。

思えば、写真家から写真の話を聞いても、
大抵はどうでもいいことだったりする。

病院

彼女が煙草を吸うので言った。「肺ガンで死ぬよ!」
僕がお酒を飲んだら言われた。「肝ガンで死ぬよ!」

ない話ではない。

思うに、僕がドラマ『白い巨塔』を面白く見ているのには
入院生活の経験が少なからず影響している気がします。
どこも同じとは思いませんが、少なくとも僕の病棟では
教授回診はドラマと一緒でした。あんな感じ。

でも、ドラマではなくて現実の医療の最先端に
いるわけですから、もっと壮絶でした。周りも、自分も。
医者だけが冷静沈着だったような気がします。
それでなくては困ります。あわてふためく医者は怖いから。

退院の日。
いつもお世話してもらっていたナースの方々に挨拶をする時、
もの凄く違和感を感じて赤面しました。
今まで寝間着しか見せたことのない自分が風呂に入り、
ひげを剃って注射跡を洗ってこざっぱりして対峙すると、
相手も同年代の女性なんだということが「距離感」として遠く感じられたんです。
ずっと元気に働いていた女性と、病んでベッドから自力で起きることも出来なかった自分。
次々と来る患者さんに親身になってお世話するナースと、
一緒に頑張っている気になっていた自分。

慈恵医大と都立府中病院。
どっちも未だに入院時の担当看護師さんの名前をはっきり覚えています。
外来で会うことはありません。

「甘かった」

どこを押してもTVは「高橋尚子落選」ばかりで、
日本人はいつからこんなにマラソン好きになったんだろうと思う。
アジアでもわりとマラソンに力を入れた国であるとは思うが、
ここまで執拗にニュースにされることなのか。
国民栄誉賞とかタレント性とかメダリストとか色々あるんだろうが、
この六時間ほどはずっと同じ映像で異常だと思う。

とは言っても小出監督の「甘かった」という言葉はなんか染みた。
後悔は誰もしたくないもので、結果が全ての世界では棄権は死と同じだろう。
では本人が名古屋での棄権を選んだのであればこそ、
ここまで同情のニュースを垂れ流すのはどうなんだろう。
高橋尚子は切り替えた。
ならばニュースも、いい加減「次」へと切り替えてほしい。

 

最近、都心では物々しいテロ対策警備が敷かれ
警備員の数や規模が急速に拡大しているという。
スペイン列車爆破テロはアルカイダの犯行だと言われている。
日本も標的に挙がっているんだそうな。
そっちの方がよっぽど気になる。「甘かった」なんてことがなければいいんだけど。

indoor

どこへ行くにも手放せないものって、
誰にでも何かしらあると思います。

ケータイ、デジカメ、ノートPC。

僕はiPodがあるといい感じです。写真を撮る時も何か聴いてます。
邪魔だと思われる場合は外しますが、適度に集中しないためにも
音楽は必要です。

外出と引き籠もりの間のような感覚が好きです。

読みかけの本も持ち歩きます。

 

大事なのは、どれもポケットに入ることです。
カバンはあまり持たなくていいようにします。

アウトドアであっても、基本はインドアだと思います。

一期一会

学期末コンクール、大掃除、絵コンテ、論文、
月例テスト、造形対策、ムサビ対策、そして直前講習。

そんなこんなで課題をやりこなしてきた浪人時代。

嘘。
この当時の、つまり1999年12月の僕は、
ブレイクして間もない宇多田ヒカルと椎名林檎に会いに行こうと、
溜池山王の東芝EMI本社へ出向いて警備員に見つかってトボトボ
帰ったという、当時で言えば名案、今思えば無謀なことなどをして
無為に過ごしていた。

 

確か、その赤坂から帰る電車の中で予備校の先生に会い、
苦笑されてしまった。
その先生はとても物腰が柔らかくて気を遣ってくれる方で、
当時ほぼ全く予備校に行かずにいた僕に『夜更かしからの脱却』という
新書を貸してくれたりもした。でもその本は僕に読まれることなく別の
夜更かし生徒へと回されて、結局僕が受験を意識しだしたのは、年明けて
1月半ばからだった。

 

1999年12月の日記があれば面白いのだが、浪人仲間の間でも
「あいつは来ない奴」という認識が常識と化していたほどで、
先生方からもよく見捨てられないでいたなと思う。

 

予備校に行かなかったのは課題が面白くなかったからではなく、
ただの現実逃避に過ぎなかった。
しかし、その逃避の先が東芝EMIだったり美術館だったり写真だったのが、
どこかで救いになっていたんだとは思う。ギリギリのところで。

ほんとギリギリだったことは明白で、模試の英語は
いつまで経っても合格点に満たなかった。
日々の読書でなんとか誤摩化した感のある論文と
実技(絵コンテのようなもの)に頼るしかない程、追いつめられていた。

だから、もう緊張も通り越して諦めムードで挑んだ。
変な日本語かもしれないが、そうとしか表せない。諦めて挑む。
なにせ80人の枠に1200人近い受験生。どの科に引っかかるとも思えなかった。

 

で、本番。
「英語も実技も、全ては読解!全ては国語よ!」という
無茶だけど案外正当な突破術を持ってして、なんとか誤摩化した。

今思えば大学は施設でしかなくて、
どこにいても自分のやりたいことを突き詰めることには
変わりないんだろうと思う。

だけど大事なのはこの大学に入って多くの友人を得たことと、
現状の自分がいかに甘いかを知れる機会に恵まれていることだろう。
それは多摩美でも造形でもそうだったかもしれないし、環境を
フルに利用することにも変わりはない。

つまり出会いだということで、それは前にも書いたと思う。

たくさんの友人と恩師に出会えたと思っている。

 

なぜこんなマトメのようなことを考えるのかというと、
予定では一応、今年卒業だったわけで、周囲の卒業してゆく友人たちを見て、
まだあと一年間は学生の自分をどうにか振り返りたいという願望があるんだろう。

師走というのもあるのかもしれない。

 

1999年の僕は、2002年の闘病を、2003年の今を想像できたか。

宇多田ヒカルの結婚、椎名林檎の出産。9.11。フセイン拘束。
ケータイデジカメ。ブロードバンド。自分のサイト。

大事なのは、2004年以降の自分(と周囲)をリアルに想像することかも。